三の二 少女同居型アパート

文字数 3,653文字

 もう一度乗り換えて、アパートの最寄りの駅に到着する。このまま終点手前まで乗っていけばJRに接続し、俺の田舎まで一本道だ。乗り続けたい衝動をこらえて、特急の通過待ちをする電車のシートから立つ。昼下がりの郊外、各駅停車の車内に人はほとんどいない。俺に興味を持つものなどいない……。

「達者でな」

 野良猫を車内に置き去りにする。気配を察して猫が大暴れする。悪いけど、これ以上厄介を増やしたくない。俺のシャツを破ったのだしお互い様だ。幻と化した人とまた会えるのならば、キャリーバッグは新調したものを渡そう。

 背後を気にしながら改札を抜ける。半年前に閉店した売店の影から駅の外を覗く。早歩きをはじめる。のどかさもある道を行けば、数分でアパートが見える。……もうリクトが感づいて吠えていやがる。なんの考えもなくペット同居型アパートを選んだのが幸いだけど、ほかの部屋の犬猫はあんなに大騒ぎしない。
 一階の自分の部屋に鍵を差しこむ。涼しい風が流れでる……。ガンガンに冷房をきかせやがって、誰が光熱費を払うんだ。
 ワンルームだから、ドアを開けるなりみんなが見える。スーリンは寝転がってドーンのスマホでパズルゲームをして、ドーンはリクトをあやしていた。
 子犬の片目に眼光が宿る。俺へとうなり声を発する。

「その服どうしたんだよ」

 ドーンが俺の破れた上着に気づく。面白いほどに顔が青ざめる。ようやくスーリンがスマホから目をはなす。

「猫にやられたん――」
「き、貴様。なんだそれは!」

 俺の言葉をさえぎり、少女が凛と立ちあがる。
「このむっつり助平め。ドロシーに印をつけられたな。大馬鹿者め」
 小学生の女の子にけなしまくられる。
「接吻のあとがくっきりと残っている。それが消えるまで、お前が歩いた道筋は残りつづける」

 ……滅茶苦茶かわいかった女子の投げキスを思いだす。

「だ、大丈夫と思うよ。電車で来たから」
「だったら、あの加減知らずも電車で追ってくるだけだ! 靴を脱いでしゃがめ。リクト! 哲人のほっぺをぺろぺろしてやれ」

 ***

 子犬が尻尾を振りながら、俺の頬をよだれまみれにしていく。

「マジで人の目には見えてないよね」
 口紅のあとをつけて電車に乗ったとは思いたくない。

「異形でも消しきれぬか。無意味に強いな」
 スーリンは適当にうなずくだけだ。

「香港の連中ならば、いきなり光を飛ばしたりしないよな?」
 ドーンはすでに赤色のサテンを引っ張りだしている。

「うろたえるな。私といる以上は覚悟しておけと言っただろ」

「スーリンちゃんのがうろたえているみたいだよ。消えないのなら、もういいだろ」
 俺は子犬を引き離す。びりびりのシャツを脱いで衣装棚を開ける。
「あいつらは、あのアパートの前に張っていた。俺は罠に飛びこんだ。スーリンちゃんからの手紙は渡せたと思うけど、チューランも追われたよ」

 思いつきで俺を送りこんだ結果、散々な目にあわされたことを暗に伝える。ポロシャツをだし、リモコンの設定温度をあげる。

「俺はシャワーを浴びるよ」
「あいつら? ……他に誰がいた?」
 この子は人の話を半分も聞かない。

「シノ、アンディ、あとはケビンだっけな」
 はやく汗を流したい。

「若手の筆頭が四人ともか? そんなに魔道団は本気なのか? 私に術が使えても、マジでケビンには歯が立たぬぞ。ほかの三人も束で来られたらヤバいかもしれぬ」

 スーリンの困惑した顔が愛らしい。でも、もっと困らせないとならない。

「お前達の話がすべて事実だと確信できた。片腕の不審すぎる男が俺の名前を知っていたし、でかい猫にまとわりつかれて服を裂かれた」

 こんな世界からすぐにでも離れてやる。ドーンとスーリンには部屋からでていってもらう。リクトも連れていってもらう……。ユニットバスのドアに手をかけてとまる。あの手紙の一文が脳裏に浮かぶ。

松本、和戸、川田、桜井か奈ちゃん。いない人はさがす。わすれていてもさがすこと

 思いだすな。俺は忘れたから誰も探さない。

「隻腕? 誰だそいつは。猫とは……、もしかして瑞希か? 赤い玉をくわえていたか?」
 幼くなったあの声が尋ねてくる。

「瑞希ちゃんはがさつじゃねーし」ドーンがあきれる。「首輪みたいにぶらさげていたよ」

「そんな洒落たものはつけてなかった」
 思いだす必要もなく俺は答える。
「ベテラン感さえ漂う野良猫だった。だいたい瑞希ちゃんは人の姿に戻ったのだろ?」
 夢物語で聞かされた。

「最後にまた猫になっちゃったし。何度も話したじゃん」

 ドーンが俺にもあきれ顔を向けるけど、夢物語の半分以上は聞き流していた。

「ならば考えられるのが一匹いるな。そいつは見かけても捨てておけ。どちらにしろ逃げ場はない」
 スーリンが腕を組む。
「仕方ない。二人がかりで箱を持ってこい。ここに着いたときみたいに哲人の足に落とすなよ。もうジジイの術で守られてないからな」

 女の子が男子学生二人に命ずる。ドーンの顔色が変わる。

「カカッ、いよいよ行くしかなくなった、てことだね」

 こいつは待ち兼ねていた。こっちの世界で怯えて過ごすより、向こうの世界にまぎれこむことを。

「哲人次第だ」
 スーリンが俺の机にしまった扇子を取りだす。
「フーポーもいない今、ここから先はこいつの力だけが頼りだからな。なので哲人も付き合ってくれてもいいぞ。お前の責任でもあるのだからな」
 俺へと扇子の先端を向ける。

「ふざけるな! 俺は実家に帰る! 全員でていけ!」と、きっぱり言いたい。でも……、だめだ。考えるな。あの手紙を思いだすな……。

猫や狼になっても、みんな人と変わらないまま。だから、みんなを信じる

 瑞希ちゃんはまだ俺を信じているだろうか?

「スーリンちゃん、声からしてテンパってるよ」
 俺はこんなことしか言わない。
「箱を開けたとして、そのあとはどうするか、ちゃんと考えているの?」

 気が変わってもらうために言う。自分の気が変わらぬためにも。

「プランはふたつ考えてある。Aは私も立ち会う。もとの体に戻れるかもしれぬが異形になるかもしれない。プランBは、お前達が変げするのを外で待つ。私まで四神くずれになるリスクはないが、か弱い少女のままだ」

 もっと大局的なことを聞いたのだが、たしかにそれも大事だ。深入りするな。
 スーリンが子犬を抱え、ユニットバスへと放り投げる。閉じこめられたリクトが、ヒステリックなサイレンほどに吠えだす。

「リクトは一緒にいるべきだって。川田のハートが戻るかもしらねーし」
 ドーンが口をとがらしだした。

「人の心もないまま、また狼になったらどうするのだ? みんな食われるぞ」

 俺達三人は箱を囲んで言いあう。ユニットバスに閉じこめられた子犬は吠えつづける。俺は汗も流せぬままだ。

「二人とも、その世界に戻るのはなんのためだよ。逃げるためか?」
「ざけんなよ。みんなをこっちに連れて帰るために決まっているし」

 ドーンは本気だ。俺にもつかみかかりそうだ。

「私は逃げるためだが、あわよくば我が力を呼び戻すためでもある」
 スーリンが扇に目を落とす。
「術を取り戻したのなら、あの三人を人に戻し、五人がここに戻るのを見届け、私はすべきことをする」

 ……分かったよ。ここまで来たら黙っていても仕方ない。

「あの朝の話だけど、あの男に言われた。鍵は俺にくれるけど、刀は自分がもらう。そして、衣服となにかは彼女に残しておくと」
 かすかに覚えていることを告げる。

「剣を奪われたのは聞いていたが、なぜに、みなまで言わなかったのだ」
 スーリンが眉間にしわを寄せる。刀のことしか聞かれなかったからだ。

「スーリン、ストップ! それって女の子が生きてるってことじゃん。夏奈ちゃんは龍確定だろ? もしかして珊瑚じゃね? そいつは珊瑚とか赤い玉とか言わなかった?」

 ドーンが顔を寄せる。……玉と魂が同一みたいに言ったような。

「瑞希ちゃんだ! 瑞希ちゃんも生きている!」

 ドーンが俺とスーリンにハイタッチを求める。居間の騒ぎに子犬が余計に吠える。近所迷惑の範疇を越えた。

「和戸もリクトも落ち着け」スーリンが命じる。「どういう状況かは知らぬが、その時点では瑞希は生きていた。ならば、白虎の玉は輝いてはおらぬか」

「つまり、スーリンちゃんは猫にはならない。そして」

 そして大人に戻れるのか? もしも異なる世界に残った女の子が、猫でなく人であったらどうなるのか? 衣服とかスマホとか、猫になっても持ち歩けるのか? 夢物語をもうすこし真面目に聞いておくべきだった。

「言いかけてやめるな。気持ちわるい」スーリンがにらむ。「覚悟を決めるときに、まだ逡巡しているな。座敷わらしの哲人のが、いまの哲人よりはるかに頼もしかった。和戸、そうだよな」

「カカッ。比べられるかよ。しかも俺をカラス天狗にしてくれるしな」

 なんだそりゃ? 初耳だ。

「ゆえに、私は……、決めるぞ!」
 女の子が扇子をにぎりしめる。
「和戸とともに死地へ向かう。ともに箱を囲む!」




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