十七の一 誰もがピンボール

文字数 3,455文字

「思玲さん、どこですか!」

 切羽づまった桜井の声が響きわたる。鳴き声など抑えないから、公園にたむろする人間の大多数が見上げる。お母さん方に連れられた幼児の一団など、みなが彼女へと指を向ける。
 青い小鳥は気にもせず公園の上をぐるぐるまわる。俺はようやく追いつく……。
 樹木達がざわついている。妖怪だから分かるけど、なにかが起こりかけている。……お前達は落ち着けよ。俺も冷静にな。
 桜井が柵の向こうのドウダンツツジへ突っこむ。

「思玲さん、開けてください! 瑞希ちゃんは大丈夫っすか」

 歩道からは見えない湿った窪地で、小鳥が中空をつつく。しゃがんだままで扇を振るった思玲の背中が現れる。青龍くずれは結界を見抜く。

「静かにしろ。集中させてくれ」
 思玲は一瞥すらしない。俺は彼女の前にまわろうとして、扇を向けられる。
「見るな。まだ生きている」

 でも見てしまった。純白の毛並みをむごく染めて、引き裂かれた腹部をかすかに上下させた小柄な猫を。
 その大きな傷に、思玲は蒼白な顔で珊瑚の玉を押しあてている。白いシャツに血を浴びて、懸命に呪文を唱えている。

「異形だから復活しますよね?」
「手傷にもよる。しかも昼間だ。魔道士が異形を狩るときは、回復できぬほどの傷を負わせる」

 思玲は顔を向けない。……流範の傷も治らないと言っていたな。だけどやり返された。護符を持つ俺がそこにいたら。そもそも、この女は。

「哲人も川田を連れ戻してくれ」

 この女は行き当たりの指図ばっかりだ。さすがに分かってきた。

「私は?」桜井が吠えるように鳴く。「私はどかないよ」

「陽が当たらず清らかな場所を探せ。お前の感ならたやすいだろ」
 思玲は横たわる白猫へ顔をおろしたまま「あとは寄り添ってやれ。瘴気をひきつける枯草みたいな私といるよりは、瑞希も救われる」

「了解!」小鳥が即座に飛びたつ。

 俺もぐだぐだ考えている場合でない。川田を探しにいかないと……それより先に横根を助けたい。
「木札を使えば、横根も」

 俺の声に思玲が振り向く。
「護符など、貴様の身しか案じぬだろ!」
 いらだちを露わににらみつけられる。俺はぽつりと浮かぶだけだ。
 彼女はまた背を向ける。
「すまぬ。私は力が足りない。師傅がいないと、なにひとつうまくいかない。おのれを買いかぶる必要ないほどに力が足りない」

 思玲より非力な俺に、彼女にかける言葉などあるはずない。この女を信じて、ともにあがくしかない。思玲が言葉を続ける。

「流範はさらに術を喰らい、川田に片足をひきちぎられた。奴こそ終わりだ。……奴とて本来は人間だが、今は人に害するもの。処遇は哲人に任せる」

 どうしろと言うのだ。深く考えるな。川田とドーンと合流するだけだ。

「横根を助けてください。なにかあったら――無事だったら笛を鳴らしてください」

 俺の言葉に答えず、思玲は姿を隠す。
 俺は空へと浮かぶ。たっぷりと後悔を抱えたまま川田達を探す。……なんで駅前なんかで時間を潰した。なんで二組なんかに別れた。なんで、今だって横根から離れた。
 人であった彼女の姿を思いだす。

『静かだね……』
『深夜だしね……』

 会話がはずまなかったナイトウォークでの二人だけの時間。横根は俺の隣を離れて歩いた。場持ちせずにいたたまれなくて俺が発したしょうもない冗談に、くりっとした目で俺を見上げて笑みを浮かべた横根――。
 服の中で彼女と心が接したとき、俺への思いが伝わった。
 白猫の眼差しも思いだす。俺よりも小さいくせに俺をかばおうとした。だから桜井と心が重なりあったとき、俺は横根へのあらたな思いを隠した。
 俺は妖怪になっても姑息だ。人間のときから、ひとでなしだった。ただただ横根を助けてください。
 人でない妖怪が願う。はやく彼女のもとに戻りたい。

 *

 ドーンが飛んだ隣駅方面へ進む。探すまでもなく、町なかからカラスが現れる。

「川田は見つかったか?」
 電柱にとまるなり聞いてくる。俺が現れたのが当然と思っていそうだ。

「来たばかり。こっちで間違いないの?」
「勘に決まっているだろ。哲人は別を探して」
「一緒に動こう。ドーンは空から、俺は下から」

 ばらばらになるのは愚策だと知った。俺達は弱いから固まらなければいけない。
 俺は町なみへと降り、駅前通りから路地裏を探る。ドーンは上空をゆったりと旋回する。羽根を大きくひろげてトビのように。その目線も猛禽のように。

「ハヤク行クゾー」

 コンビニから飛びだしてきた小学生の一団に囲まれ、俺はピンボールのように弾かれる。痛くはないけど目がまわる。木札が怒って発動しないかと心底恐れる。大人はみな暑そうだが知ったことじゃない。

「川田!」と二十回はくり返した呼びかけに、「松本……」とコインパーキングからひそめた声が返る。中型トラックの下に、黒い狼が隠れていた。

「警官に追われた。まだいるか?」

 なにをやっているのだよ。

「ドーン!」と空に大声をかける。カラスがばさばさと降りてくる。アチチと言いながら精算機の上にとまる。

「川田はトラックの下にいる。警察に追われているらしい」
「その厄介事はなんだよ。俺が見てくる」

 羽根を休ませることもなく飛びたつ。

「あいつ飛べるのか?」
「それより横根になにがあったんだ?」
「俺のせいだ。俺が悪い」

 川田はそれだけ言う。
 熱せられたアスファルトのそばにいるだけで体力が消耗する。はやく闇にひそみたいと、か弱い妖怪の本能が切望する。
 
「こっちには向かってなさげ。川田でてこいよ」
 ドーンはすぐに戻ってきて、低空を小さく旋回する。
「ブトの生き残りがいるだけだ。さっきから俺に離れてついてきやがる」

 ゴウオンか。ドーンに追いはらえなんて頼めない。一回り大きい野良のハシブトガラス相手では返り討ちされるに決まっている。

「お前らにもストーリーがあったようだな」
 川田が姿を現す。
「足の裏が焼けそうだが、文句を言っていられない。お前達も来たのだから、必ずあの大カラスを仕留めてやる」

 リードを引きずりながら狼が歩きだす。

「お前を連れ戻しに来たんだよ。もう流範はどうでもいい」
 俺はふわふわ後を追う。

「だぜ。瑞希ちゃんのところに帰ろうぜ」
 ドーンも郵便ポストまで降りて言う。アチチとまた騒ぐ。

「まだだな。あのカラスの足を食いちぎってやった。あれの血の匂いは覚えた」
 川田がアスファルトに鼻を近づけたあとに、空を見上げる。「嵐が来る前に見つけだす。群れで追いつめる」
 道行く人にぎょっとされても気にもしない。

「上から見張っていたほうがいいかも」
 俺は遠まわしに頼む。

「なら、しっかり説得しろよ。こいつはこうなると頑固だし」
 ドーンが羽ばたき浮かびあがる。
「お前は南に帰れよ。こっちには護符があるからな」

 下界からは見えない空に怒鳴る。喧嘩だけはするなよ。

「ドーンがドローンだな」
 川田が大きな口を歪ませる。本気になった狼は笑い顔さえ怖い。

「俺達は流範の手下とやりあってきた」
 俺は川田の前に浮かぶ。「あいつらを見るかぎり、流範が屈服するとは思えない。俺達になにも教えないかも」

「そんなことに期待するかよ。心配するな。俺がやるから」

 俺を鼻さきでどかしやがる川田から、肉食獣の匂いがした。

「左からパトカーが来るぞ!」ドーンが叫ぶ。「いずれ捕まる。こんなのやめやめ!」

「さすが4‐tuneイコール幸せクラブだ。幸いにも化けカラスは右に向かった」

 狼がふるびた雑居ビルに挟まれた狭くうす暗い路地に入る。鼻をおろして匂いを嗅ぐ。

「あれは疲れはてているな。ここにうずくまった」

 俺へと残忍に笑う。冷徹な面がまえで怒りに燃える狼なんかを説得できるのか?
 ふいに川田が立ちどまる。暗く湿ってごみが散乱する隙間に身を押しこむ。同時にビルの裏口が開く。
 白い割烹着の中年男性がでてきて、煙草を吸いながらスマホを耳にあてる。

「邪魔だな」
 川田が毒づく。リードを引きずった目つきの悪い大型犬こそが、平和な町には迷惑な存在だ。

「じっとしていろよ。そして公園に戻ろう」

 俺の頼みも、こうなった川田は聞かないだろう。郊外の居酒屋で、ヤンキー風味な連中にからまれて警察沙汰になった件を思いだす。相手に非があれば、こいつは一歩も引かない。やはり川田は人間の一挙一動をじっと見つめるだけだ。
 ならば、せめて知りたい。

「横根になにがあったんだよ?」

 川田は人間だけを見つめたままだ。でも、

「俺が全て悪い。教えてやる」
 黒い狼が語りだす。




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