四十二の二 この身が削がれようと

文字数 1,878文字

「昇よ、峻計の置き土産を喰らったな。ヒヒッ、耐えていた傷も、うずきだしただろ?」
 血の色に照らされながら、老人が俺達を見おろす。

「異形に堕ちたものに比べれば、なおも耐えられる傷だ」
 師傅がにらみ返し「いにしえの呪文にだけは気をつけろ。あれは道理がちがう」

 俺に言うけど、そもそも道理が分からないから、なにが来ようと同じだ。

「三人はどこだ?」俺も楊偉天をにらむ。

「年長にその口はやめなさい」
 楊偉天が杖をおろす。血の色の光がうねりだし、俺を襲う。護符がたやすくはじき返す。
「昇よ。夏奈は人質のつもりか? お前がその娘に剣を向けるのならば、儂は(タン)を放つ」

 老人が笑う。……さらなる式神か?

「愚かな」師傅がつぶやく。

「白虎の娘に宝珠を担ったのは思玲だな?」
 狭い踊り場で、なおも老人は話を続ける。
「魔女と呼ばれるには力足りぬが、いつまでも破天荒なことをする。……白虎の破片を娘に残したのも思玲か? こじれておるし気乗りはしないが、あの娘で再び白虎を試してみるしかない」

 横根は青龍生誕の対角にある存在として生かされている。
 老人の饒舌が続く。

「昇が去ったので、儂はみなを屋上へと連れていった。そこで試すことにした。まずは思玲の臥龍窟を逆さにし、彼女自身をそこに閉じこめてみた。念のため儂の結界もかけておいた。重いことだろう。
……明潭(ミンタン)の件、思玲の仕業と噂があるな。この身が削られようが、それが事実か試してみたい。それまでは思玲は殺さない。
人でありし手負いの獣も面白い存在だと言える。だが子犬のままで大鴉相手に生き延びられるか、それも試している」

 もう許せない。
 俺は手にするもの全てをTシャツに押しこむ。護布に包まれたドーンと心がつながらない。この緋色のサテンはすべてを妨げそうだ。

「桜井。狭くても外へでるなよ」
 俺は木札だけを握りかえす。

『うん。ここで箱を守る。……和戸君は寝てろって!』

 桜井の感情にあふれた声……。カフェテラスでの寝ぼけ眼からの満面の笑み。俺だと気づいたぎこちない笑み。
 ロタマモのせいで思いだしてしまう。俺の嫉妬心。藤川匠……。
 師傅が現れる直前の駐車場で、フクロウは峻計も俺も笑っていたな。
 あれは惑わしだ。

『ううん。そんなんじゃない』桜井は正直だ。『でも気にしなくていいよ』

 ……今はとにかく楊偉天の説得だ。師傅を追い越し、階段を駆けあがる。お約束みたいに結界にはじき返される。
 師傅が月神の剣をおろす。剣もはじき返される。

「急くな。儂の質問にも答えなさい」
 楊偉天が杖をかまえたまま俺達を見おろす。
「琥珀は本当に死んだのか?」

「琥珀が?」

 師傅が俺を見る。小さくうなずくしかない。

「……なるほどな」楊偉天がさめた目で見る。「琥珀は思玲を選んでいたのか」

 楊偉天は式神にさえ裏切られる孤独な老人。俺は結界をなぐろうとして、師傅に押しとめられる。

「琥珀が最初に消えるとはな。楊め。おのれの呪われし所業を憎め」
 劉師傅が楊偉天をにらむ。

「ヒヒヒ。昇よ、万物が怯える眼力が弱まったぞ。もはや結界をたやすく消せぬではないか。我が一番弟子の代わりに、儂が破片としよう」
 楊偉天が杖を振りおろす。結界が粉々に砕け散る。
 そして俺を見る。
「日本の若者よ、夏奈と箱を持ってきなさい。儂は屋上で待っている」
 杖のさきを自分へと向ける。

 楊偉天が杖でおのれの首を突く。苦悶の声で倒れこむ。じきに消える。
 空気がさらによどむ。俺の心を恐怖が包む。

「みずから命を絶つなんて……、あの男はマジで不死身なのですか?」

「それはない。妖術による惑わしでもない。なのに骸が残らない。魂も現れない」
 劉師傅の声に疲れを感じる。
「知り得たことは、複数が同じ場所に存在できぬこと。あり得ないとしても、考えられるのは鏡……」

 鏡? 姿を映す鏡……。駐車場で消された楊偉天も、目の前で自死した楊偉天も、師傅が台湾で倒したと言う幾人もの楊偉天も、鏡に映しだされたものなのか?

『たくさんいるくせに、ジジイは公園に来なかった。鏡から離れたところに行けないんじゃないのかな』

 桜井が俺に伝える。その理屈だと、もし鏡が関わるならば、それはここにあるはずだ。おそらくは本人も。

「その鏡とは、どういうものなのですか?」俺は問う。

「いにしえから伝わる魔鏡だ。我が一門の長の象徴であるゆえ、他言などできぬ」
 そう言うと師傅がむせる。ぬぐった口さきを見せずに「私は気を高めるために剣舞をせねばならない。じきに終わるゆえ、断じて一人で行くな」

 師傅は窮地に陥った。つまり俺達も。




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