三十二の三 自宅前死線

文字数 4,473文字

 実家周辺では雨はやんでいた。アスファルトも乾きだしている。
 クラクションを鳴らされる。軽自動車が横たわるバイクと俺達の横で停まる。何も知らないおばさんが窓を開けて、俺達を心配そうに見る。

「どけ! 逃げろ!」アスファルトから思玲が叫び、七葉扇を二度振る。

 俺達へと鎌首を立てた、ただの人には見えぬ大蛇がもだえる。彼女はさらに振るう。峻計の――楊聡民の杖の術の具現が消滅する。
 車は急発進させて去っていく。別の一台はUターンした。どこかでカラスが鳴いている。

「弟を奪還する」
 思玲は立ち上がる。額の汗をぬぐう。「ヤッパ援護しろ」

『おお』とバイクが勝手に立ち上がる。

 俺は寝ころんだまま。結界のおかげで命はあるけど、かなり激しく地面に叩きつけられた。アドレナリンが湧こうが痛い。龍の破片があるだけのただの人間。
 そうだとしても起き上がる。俺が巻き込んだ。傍観者にはならない。

「弟の部屋に金札がある。それを壮信に……」

 我が家から黒い炎が盛大に飛んできた。

「私、私は何度でも」

 唱えることもおぼつかないまま、思玲が俺のまえで扇を払う。
 見えないシールドが俺達を守る。思玲は呪文を継ぎたす。槍状の黒い光が続けざまに飛んでくる。そのたびに、彼女は言霊を継ぎたす。
 役立たずの俺は腰を抜かすだけ。俺のスマホが落ちていた。このままだったらよくて車に物理破壊された。気づけてよかった。思いだせてよかった。

「琥珀のスマホ!」

 防戦一方の思玲へ叫ぶ。おそらく肩にかけたバッグに入っている。でも俺は手を入れられない。ドロシーのリュックだったら……。
 無人のアフリカツインが俺の横へ徐行してきた。

『松本、操作しろ。パネルを戦闘モードに変えてボタンを押せ』

 飛び乗るなどできない。ヤッパに寄りかかるようにもう一度立ち上がる。……戦闘モード。左下にあった。押すと鹿のアイコンが怒った表情に変わった。表示も変わる。アフリカ2気筒キャノンとツインハイビームだと? 俺の家へ向けて?
 だめだ。峻計のお約束で、壮信が人質になっている。

『キャノンは物理破壊だからやめておけ。ビームは異なる世界のものだけに向かう』
 アフリカツインが教えてくれる。ならば、

「思玲どけ。結界を消せ!」
 目の前で必死な彼女へと怒鳴る。

「言われなくても」
 思玲がしゃがみこむ。結界が炎に飲みこまれる。

「喰らえ!」パネルをタッチする。

 瑠璃光みたいな光線が二筋、ヘッドランプから飛ぶ。炎を飲み込み、我が家へと向かう。峻計の攻撃がやむ。

「……ヤッパは強かったんだ」驚嘆してしまう。

『封印により主の力を授かっているからな。扇に入り夫婦で戦えば、こんなものでなかった』
 誇ることなくバイクが答える。『だが、狂乱したあの娘には歯が立たなかった。玩具みたいな魔道具で、カッスは粉々になった。……我が主の説はちがった。魔道具が戦いを決めるのは、並みの魔道士の場合だけだ』

「哲人、これを」
 思玲がバッグからスマホをだす。俺へと手を伸ばす。

「顔を見せて」受けとるなり告げる。

 思玲が俺を見上げる。眼鏡が落ちていた。黒目がちの瞳。細おもて。長い黒髪。疲労困憊でも美しい。
 これを口実にずっと見ていたい。見惚れていたい。平和な時間だったら。

「失敗だったら琥珀をうらめよ」
 俺はサイドの電源ボタンを押す。

「ハートマークだ。哲人から愛のメッセージか?」
 思玲が言う。「それは後にしろ」

 彼女は、髪が貼りつく額の汗を腕でぬぐう。俺はスマホ画面を見る。

避雷針 ON/OFF

 立ちあがった画面に表示されていた。もちろんオンを選択する。スマホに昔のガラケーみたいなアンテナが10センチほど生える。
 画面には、レベル1から11のアイコンがずらりと並んでいた。なんてアグレッシブな奴だ……11はロックされているよな。

「突入しよう。ヤッパは援護――」

 道に面した二階窓ガラスが割れた。両親の寝室から、あいつが飛びでてくる。
 体力を消耗した思玲相手に肉弾戦を選んだな。馬鹿め。

「喰らえ!」
 俺はレベル10を押す。画面に渦が現れる。慌てて向きを変える。

「くわっ」

 画面からの波動が峻計を跳ね飛ばす。あいつは俺の家の外壁にめり込む。家そのものも揺れる。
 ヤッパは向きを変えていた。上空は攻撃できなくても水平相手にはこっちのが扱いやすい。

「喰らえ! 喰らえ! 喰らえ!」
 あいつへとツインハイビームを連打する。「思玲、何している! 弟を確保しろ!」

 地面にしゃがんでいる彼女を叱咤する。術に力を注いで果てようが、まだまだ戦ってもらわないとならない。ドロシーなんかずっとどん底のコンディションでも――
 たしかに彼女一色だ。戦いの場では頼りになった。どこかでカラスが騒いでいる。

「指図するな」
 思玲が立ちあがる。瑠璃色の光を浴びまくりの峻計へ扇を向けながら、崩壊しかけた玄関に消える。

「ぬああああ!」
 ビームを払いのけられた。峻計が跳躍する。空から杖を掲げる。
 そして降ろす。
「地烈雷!」

 それも習得できたのか。雷が恐るべき渦を象り、地上の敵を蹂躙する大技。
 だけどナイス選択だ。
 雷が琥珀のスマホのアンテナへ吸収されていく。手もとでだから怖いぐらい。右上の電池表示を見る。充電が462%だと? 琥珀が言っていたが何パーセントで放電だっけ? 覚えているはずない。代理店のドロシーなら知っているのに。

「楊聡民のスマートフォンの仕業か」
 峻計が姿を消す。

 これをやられると非常にヤバい。背後から刺されるまで気づかない。
 武器はスマホだけ。でも闇雲に波動を放つと近所にまで損害が……画面右上のスペースにさきほどまでなかった『放電』のアイコン……。何度もタップする。

バリバリバリ

 吸収された地を這う雷が、エネルギー充分のままアンテナから空へと放出される。

「ぎゃっ」

 峻計が焦げることなく俺のまえに落ちてきた。
 機会。

「琥珀のかたき! 俺のかたき!」

 叫び、レベル10のアイコンを押しまくる。

「効くか!」
『危ない!』

 杖から飛ぶ邪悪な光をヤッパのボディが受けとめてくれた。生身の俺は無傷だけど。

「私を愚弄したな」

 あいつが立ち上がる。十字の傷。浮かぶ怒り。ダメージの気配はあるけど。
 こいつは杖を掲げる。

ズドン!

 金色と萌黄色の螺旋を背に受けて、峻計が吹っ飛ぶ。落ちたところをヤッパが轢く。その向こうに、七葉扇と無意味にでかい金札を交差させた思玲がいた。歯を噛み砕くほどに必死で立っている。背後では壮信が茫然といた。

「に、兄ちゃん、なにが起きてる?」

 おそらく思玲に傀儡の術が消された弟が聞いてくる。その前で、汗だくの思玲がなおも言霊を連ねる。片手には枝につけられた金色の札。

「思玲、金札は壮信のものだ!」

 弟を守るものだろ。戦いに使うな。
 思玲はうなずく。背後へと手渡す。弟は受けとるなり胸で抱える。

ゾワッ

 俺だから分かる。憎悪が決壊しようとしている。

「伏せろ!」
「全員死ね!」

 膨張する暗黒。転がる峻計のもとから漆黒の大爆発が起きた。

「ぐえっ」

 俺へと大型バイクが横倒しになる。
 闇が消えていく。下敷きのままで見る。家が半壊していた。隣家も。

「ちくしょう」とつぶやきながら、バイクから這いでようとする。俺の盾になってくれたけど、重たすぎる。
 目のまえに見事なツノが現れた。

「奴の闇の力で封印が解除させられた」
 鹿の姿に戻ったヤッパが、自分が封じられていたアフリカツインをツノで起こす。
「これで私は逃げ足だけだ」

 バイクより背高いヤッパが、またも俺の盾になってくれる。
 俺は立ちあがる。壮信は金札を抱きしめている。
 思玲は地面に仰向けに伏して、あいつに見おろされていた。

「思玲め。お前を連れて帰る。四肢をもぎ、顔を潰してからな」
 あいつが杖を掲げる。

「峻計、俺が相手だ!」

 俺はスマホをとりだす。ちがう、こっちは俺のだ。琥珀のは地面。俺のスマホの電源ボタンを長押し。ちがう拾え。画面が消えてるし。でも俺のスマホ電源入った。すぐに消える。思玲の顔。ドロシーは代理店。カラスがうるさい。両手にスマホ。刹那に混乱し過ぎな俺。

「待っているのに一人で遊ぶな」

 あいつが俺へと杖を向ける。
 俺の身体が宙に浮き、引っ張られ、思玲へ激突する。仰向けにひっくり返され、あいつのおぞましい顔に見下ろされる。
 ヤッパがツノを向けて突進して、あいつに杖を向けられる。漆黒の光に胸を貫かれ、ヤッパの四肢が崩れる。ひざまずき溶けていく。

「封印の力がないと弱すぎる」
 あいつが俺達へ杖を掲げる。
「またじっくり殺してやる。弟は、兄の死に様を見てから傀儡になる」

 でも、お喋りなあいつは上空を見る。赤い蛇が浮かんでいた。紙垂型の木札をくわえていた。

「お前が奪ったのか? ふふふ、怖いぐらいに優秀な飛び蛇だろ。こいつを従えるほどのことが起きなければ、昼だろうと貴様達に勝ち目はなかった」

 峻計が歪んだ笑みを、あらためて俺に向ける。その眼前へニョロ子が浮かぶ。くわえた天宮の護符が赤く輝く。

「ぐわああああ!」

 右目に護符を刺した峻計がニョロ子を払おうとする。
 ニョロ子は直前で消える。
 護符は地面に落ちる。思玲のまえに。彼女は拾う。それは金色に輝く。
 明け方の戦いのデジャヴ。
 俺のすぐ隣で、女魔道士は転がったままで、天宮の護符と七葉扇を交差させる。

 萌黄色と金色の螺旋を至近で受けて、あいつは上空へ吹っ飛ぶ。電信柱のてっぺんをはるかに超えて、アスファルトに落下する。

 思玲は立ちあがる。
「とどめを……」
 うつ伏せに崩れ落ちる。

「裏切り者め!」
 峻計はなおもよろよろと立ち上がる。ニョロ子を探しあきらめる。
「王思玲め!」
 気を失った思玲へと杖を掲げる。

「うおおお!」

 俺はあいつへ飛びかかる。押し倒す。顔面へ拳を振りおろす。
 何度も。何度も。何度も。何度も。あいつはもはや悲鳴も上げない。かばう手が落ちる。
 あいつの首がむき出しになる。

「見惚れたぞ。まるで明王のごときだな。言いすぎか。その眷属だな」
 白虎の声が聞こえた。
「おっと。しつこいお方だ」

 赤い矢が三本飛び、何もない空に払われる。

「眺めていたわけじゃないぜ。俺も戦っていた」
 二十代半ばの典型的イケメン。イウンヒョクは隣家の屋根にいた。
「俺も暴雪と殴りあっていた」

 彼が傷ついているのが遠目にも分かる。

「お兄ちゃんやめろよ。やめてよ」

 いまさら気づいた。壮信は、峻計を殴る俺の腕を必死に握っていた。
 思玲がかすかに目を開ける。

「すまぬ。ぼろぼろだ」

 俺は彼女を抱きかかえる。近所の人達が、ずいぶん離れて俺達を見ている。サイレンが聞こえてきた。

「俺んち、どうするの? 女の人……兄ちゃん犯罪だよ、昔の兄ちゃんだよ。でも、なんで消えたの?」

 我が家は半壊して、片目を潰されたあいつはいなくなっていた。
 ニョロ子が上空で姿を現す。壮信は俺達に――俺に怯えている。
 ヤッパはいない。異形の鹿は妻のあとを追った。
 山際でカラスが呼んでいる。




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