四十七の一 影添大社前死線

文字数 5,881文字

4.4-tune


正義(IUSTUTIA)!」
 大蔵司が白い小袖をめくり、俺達へと神楽鈴を向ける。

「我、繰り返す争いを避けず」
 思玲が扇を手に舞う。「終わりをもたらす為に力を授けたまえ」

 瞬時に張られた結界が、青色の光を弾きかえす。
 ボクシングのリングほどのスペース。土俵みたいに囲むしめ縄。十字が骨組みの背の低いドーム。タイトでアグレッシブな空間での戦いがいきなり始まった。

「ほほお。さすがは生き延びた者だ」
 大蔵司がさらに口をゆがませて「この衣装は邪魔だな」
 緋袴をまくし上げてつぶやく。
人封(SIGILLUMDEPAENIET)

 イクワルの声とともに、彼女自体も凶悪なしめ縄に囲まれる。
「……身動きできない。なんて中途半端な術だ」

「思玲……。結界を重ねて」
 人封を広げられると、俺達はずたずたに吹き飛ばされる。

「松本と王よ聞け」
 折坂さんが結界の外で叫ぶ。
「デニーとドロシーに桜井を守らせる。私は禰宜のもとへ向かう。お前達はここで戦え」

「大蔵司ごと倒していいのか!」思玲が叫ぶ。

「そしたら貴様を八つ裂きにする」
 折坂さんがビルへと去っていく……。

 大蔵司はまだしめ縄に囲まれている。

「奴は誰だ?」
 思玲が眼鏡の縁を上げる。すでに荒い息になっている。

「はやく結界!」
「そんな状況か? 我、友との闘いを好まず。ゆえに我を護りたまえ。で、大蔵司の中の人は誰だ?」

「堕天使イクワル。藤川匠の手下。昨夜ドロシーに倒されたけど、魂が大蔵司に乗り移ったみたい」

 二重の結界に守られながら俺は答える。……大蔵司の武器は神楽鈴と九十九。でも白銀の苦無は消えたはずだ。あったとしたら……折坂さん相手に使っているはず。

「穴熊するより、ここから出るべきだな」

 人の話をろくに聞かず、おのれの結界を消しやがった。しめ縄の結界へと剣を振りおろす。

「くわあ」
 そして吹っ飛ばされる。「……なんだこりゃ?」

 尻餅から脚力だけで立ちあがるけど、彼女は大蔵司の凶悪な結界を初体験か。しかも敵として。

「お願い。張りなおして」
「我に何度でも張りなおさせよ。友との闘いを避けるため」

 流範はこの中で葬られた。あのときは軽自動車も閉ざされていたため更に窮屈で、大ガラスは自滅した。……動きまわらぬこと。結界に守られること。消えるのを待つこと。それが生き延びる最善だ。

「アクションを起こさねば即座に消えた。これまた使い勝手が悪い」
 イクワルである大蔵司が、しめ縄から解放された。
「あの獣人はこの娘との戦いを避けた。満月が近いのに誤算だったが」

シャンシャン、シャンシャン

 神楽鈴をハンドベルみたいに鳴らす。

グラ~ツィア~~プレ~ナ~

 音響充分のなかで、忌まわしき聖歌が流れだす。

「お前達と殺し合わせるのも次点であり酔狂だ」
 大蔵司が笑いながら、さらに鈴をシャンシャン揺らす。

シャンシャン、シャンシャン……
ア~ベ~ア~ベ~ド~ミ~ヌス~~

 さらにさらに鳴らす。斉唱になっていく。これってまるで呪いの歌みたい……。

「まずい。いにしえの呪いだ。耳をふさげ」
 思玲が再び扇を振るう。
「我、人のためになおも死せず。その願いを叶えたまえ」

 結界が厚塗りされたと感じる。呪いの言葉さえ遮断した。大蔵司の高まった意識さえも……。

ピキッ

 お天狗さんが目覚めやがった。思玲の結界がひび割れだした。

「突撃だ! 多少の大怪我は乗っとられた京の責任だ」
 思玲が扇をくわえる。剣を右手に持ちかえて、結界を裂く。

「うおおおお!」
 俺は耳をふさぎながら飛びだす。護符を発動しているうちに、ぶち当てるしかない。さもないと俺が殺される。

「素晴らしき覚悟。さすがは我が主を苦しめた者」

 大蔵司がひらりと俺を避ける。俺は急には止まれない。目の前には異界の蜂を粉々にして流範をぼろ雑巾にした凶悪すぎる結界――。

「うわああ」

 吹っ飛ばされて青い空が見えた。地面に叩きつけられる。
 だけど痛くない。まだ護符が発動していた。
 このままお天狗さんをのろけさせるわけにはいかない。

「思玲! 大蔵司の黒髪を狙え!」
 地面から叫ぶ。

「頭部を狙えだと? 哲人が飛びかかりカツラをずり落とせ」

 思玲は神楽鈴と剣を交わしあっていた。
 この女は……。

「手加減するな!」

 俺は叫びながら、大蔵司へと腰を落として突進するグエッ
 さすがは魔道士的陰陽士の肉体。後ろ蹴りで飛ばされた。お天狗さんは落ち着きだしている。すぐ斜め後方には凶悪な結界……。

 背中から直撃。大きくバウンド。

「うわああ!」

 背を切り裂かれ吹っ飛ばされた。しかも角度的に、今度は目の前にしめ縄の結界。流範を仕留めたハメ技。ただの人には即死コンボ――。

「思玲!」
「お前は邪魔か!」

 彼女が驚蟄扇を向ける。幾重もの幾色もの光の粒が飛んできて、俺の前でシールドとなる。光達にやさしく受け止められる。光は大蔵司の結界に当たり消滅していくけど、俺は辛うじて衝突をまぬがれた。
 地面にうつ伏せに落ちる。顔だけあげて見る。

「我、人を護るに惑うことなく」
 思玲が返す扇で舞う。片面だけの結界が青い光を弾く。
「役立たずめ、はやく木札を怒らせろ」

「そのために大蔵司の髪を切れよ。それに彼女は傷を治せる。手加減せずに戦え」

 肩で息する思玲の背後へと這いながら文句をつける。……ドロシーのリュックサックを背負っていた。おかげで背中は無事だ。お約束の打撲だけ。
 俺は立ちあがる。

「リュックも無傷だ。無意味に強い術が厚塗りされてある」
 思玲が顔を向けずに言う。それはよく知っている。

「さすがに心の強い二人だな。手こずらさせてくれる」
 清楚な姿の大蔵司が邪悪に笑う。
「王思玲は私だけを狙っている。それに気づいてやれ」
 また神楽鈴を鳴らしだす。

シャンシャンシャンシャン……

 鈴の音とともに呪いの斉唱が始まるなか、俺は刹那に箇条書きに考える。

・思玲は憑りついた異形だけを狙った。藤川匠が俺にして、俺が川田にした寸止めみたいな奴
・大蔵司からウィッグをとらないと、お天狗様は発動しない
・発動すると思玲の結界も消してしまう
・大蔵司の結界は時間が経てば消える
・イクワルも心を読みそうだけど天珠があるからセーフ
・大蔵司はみずからの傷を癒せる。なのにいまだ無傷
・思玲も無傷だけど、疲労が痛ましいほど。それは大蔵司の血でも消えない……

「大蔵司を傷つけろ」
 俺は思玲に言う。「その血を舐める」

「失血死するほどでないと無理だ」
 大蔵司であるイクワルがご丁寧にも教えてくれた。
「人が人の血をすする。おぞましきを見たくない」

シャンシャンシャンシャン……
ア~ベ~~マ~リ~~~ア~~

 結界のなかで斉唱が盛り上がりだしたぞ。
 折坂さんは無音ちゃんを守っている。川田は七実ちゃんを守っている。イウンヒョクは横根のもとにいる。デニーは重傷だ。麻卦さんは前線に現れない。
 頼れるのはやっぱりドロシー。でも藤川匠が来る。彼女にこそ夏奈を守ってもらわないとならない。それに大蔵司が体を奪われた理由は、沈大姐が指摘したように心が弱まっているから。
 ドロシーは負けず劣らず心が弱い。彼女が来たらイクワルの魂は乗り移るかも。でも結界の中ならばドロシーは消し飛ばす。それどころか俺の呼びかけで、サキトガを破裂させたように、内にいるイクワルを圧しつぶすかも……。

 教会のミサのように反響する唱歌がうるさくて考えきれない。というか現実逃避するな俺。というか歌はクライマックスを終えたし。

ア~~~メ~ン~~

 すごいのが来るぞ。俺は心で歌う準備をする。

「無駄撃ちになるが、やむを得まい」
 思玲が言うなり驚蟄扇と春南剣を交差させる。

 それは螺旋というより、命ある光達が多量に群がり一直線に飛んでいくようであった。
 あまたの光がしめ縄を突き破り、影添大社ビルに直撃して霧散する。
 無敵のようだった大蔵司の結界がいとも簡単に消滅した。不吉な歌も散っていく。

「くそ。油を加えろ」思玲が片膝をつく。「頑張れってことだ。逃げるぞ」

 彼女は即座に立ちあがる。でも鈴の音は絶えない。

空封(SIGILLUMDECAELO)そして地封(SIGILLUMDETERRA)
 またしても丸に十字のしめ縄が俺達を囲む。
「とどめを刺してやろう」
 イクワルが俺達へ神楽鈴を向ける。
平等(AEQUITAS)」 

 放たれた光は、たとえるなら紺碧のビッグキャノン。
 思玲が驚蟄扇を振るう。

「耀光舞!」

 虹色の光達の競演が、紺色の巨弾を飲みこみ相殺した。
 思玲が扇をその手から消し、春南剣を掲げる。煌々と紫色に輝く。

「娘を殺してしまうぞ」大蔵司が笑う。

「お前だけを倒す。哲人にできて私にできぬはずない」

 思玲はそう言うけど俺は失敗している。川田は人の姿に戻っただけで異形のままだ。

「思玲やめろ」
 加減しないと大蔵司を倒してしまう。

「やめぬ」
 思玲は剣を両手に持ち、突進する。

 大蔵司は笑いながら待ち構えている――その笑みが消える。

「私ごと殺す気だな」
 そのつぶやきを残し、大蔵司がきょとんとする。
「……! ちょ思玲!」

 閉ざされた狭い空間。

「う、うおおああ」
 思玲が直前で剣を放り投げる。そのまま大蔵司を抱き倒す。

「きゃあ」
 結界にぶつかり、二人して弾き飛ばされる。

 春南剣は座ったままの俺の前のアスファルトに突き刺さる。それを手に、ようやく俺は立ちあがる。

「いきなり意識を取り戻すな、自分の結界にやられるな、京の鼻先に剣がかすめた、それを治せ、結界を消せ、雑念妄念を捨てて、もう堕天使に乗っ取られるな」

「結界は残せ! イクワルがまだここにいるはずだ」
 逃がすわけにはいかない。

「よくわかんねーけどさあ、思玲は汗まみれだし。息荒すぎ……。私は異形に操られていたの? いててて」

「ぼさっとしているな。はやく立て。はやく治せ」
 思玲が空へと扇を振るう。幾多の光が結界に消えていく。
「エンジェルソウルか……ほぼほぼ使い魔だな。実体化しないと倒せぬ」

「痛すぎるし血が出すぎ。……私のが落ちている。北千住で泥酔したとき中東系と揉めて以来」
 大蔵司が何かを拾い「私は思玲に負けたって意味?」
 鼻のあった場所に押し当てる。
「くっつかねー。ヅラをしていた」

「場数が違う」
 肩で息する思玲が、周囲に目を配りながらそれだけ言う。

ドクン

 一瞬だけお天狗さんが発動した。でもすぐに大蔵司がウィッグを頭に乗せる。

「たしかにね。仕方ないか。でも松本にも負けた?」
 鼻がもとに戻ろうと血まみれの顔の大蔵司が俺を見てくる。きれいじゃない。

「こいつは何もしていないが、ついでに傷を治してやれ」

 思玲の言葉に大蔵司が首を振る。

「あんたは桜井経由でドロシーから治癒してもらいな。見た目だけの中身最悪エロ男め」
 俺をにらみ「場違いな嫉妬。それこそが人の弱さだ。大切なのは、平等(AEQUITAS)!」
 神楽鈴を向ける。

 至近からの青く強い光。

「ぬお!」
 俺は春南剣で弾く。

「……想像以上に強い。だが、この娘の妄執のもとはお前だ」
 早々にイクワルに乗っ取られなおした大蔵司が俺を見つめる。
「お前相手ならば、こいつは力を解放できグエッ」

 思玲の足取りタックルが決まった。大蔵司は頭を結界にぶつけるが、ちょろっと弾かれるだけ。術者には凶悪にならないのか。

「哲人、髪を切れ」
 思玲は大蔵司の下半身を抱えている。

「邪魔だ。平等(AEQUITAS)!」
 大蔵司が思玲の背中を神楽鈴で突く。

「我、死屍となろうとも!」
 思玲が驚蟄扇を振るう。

 即席の跳ね返しに、神楽鈴が弾き飛ぶ。
 俺は春南剣を掲げる。結界の中を青く照らしだす。
 思玲が歯を食いしばりながら、大蔵司をひっくり返す。その背がむき出しになる。
 いまだ!

「喰らえ!」
 俺は大蔵司の黒髪を狙うと見せかけて、背中を袈裟に切る。

「きゃあああ!」
 大蔵司が人の声で悲鳴をあげる。
「松本め……私怨かよ」

 彼女の白装束が赤く染まりだす……。寸止めでイクワルだけ倒そうとして彼女を斬ってしまった。しかも堕天使は逃げやがったみたい。

「失敗しただけだ。傷は深くはない。自力で治せ」
 思玲が大蔵司の手を取り、背中へとまわす。
「哲人! 剣を無断使用するならイクワルを殺せ。お前ならばやれる!」

 お前が散髪しろと命じただろ。でも、たしかに実体なきロタマモを倒したし、ニョロ子も捕らえた。
 だけど奴はどこだ?

「浅い傷ならまだいい」
 大蔵司が思玲を払いのける。
「このヅラは意識を高めて攻撃力を高め…………我が主が近づいている。一人も削れずにいたら顔を見せられぬ」
 血みどろの巫女が立ち上がる。
「邪神だろうと、その力にすがろう。――臨影闘死皆陰烈在暗」

 結界内の空気が変わった。またまたイクワルに乗っ取られた大蔵司が、空間の真なる支配者となった。

「やっぱり剣を返せ。私の覚悟を見せてやる」
 思玲も立ち上がる。俺へと手を伸ばす。

「駄目だ。大蔵司を殺すな」
 渡せるはずない。人へと螺旋を当てさせない。それにどうせイクワルは直前に逃げる。

「臨影闘死皆陰烈在暗」
 大蔵司が神楽鈴を拾いなおす。結界内が暗くなっていく。

「逡巡するな。業はすべて私が抱えてやる」

臨影闘死皆陰烈在暗

「……だったら俺がする」

臨影闘死皆陰烈在暗

 なのに二人とも立ちすくんだまま。大蔵司を見つめるだけ。

「手遅れだよ。臨影闘死皆――なに?」

 空から人影が落ちてきた。結界を突き破り俺のまえに立つ。
 その手で天宮の護符が、これでもかと黒々光っていた。

「これは俺達の心!」
 川田が紙垂型の木札を投げる。

「ひっ」

 大蔵司は肩を抉られながらも避ける。護符は結界に弾かれることなく突き刺さる。
 傷ついた結界のしめ縄がかすんでいく。天宮の護符は川田の手に戻る。

「人に戻ったか。だがまた憑りつかれる」
 片目だけの獣人が邪悪に笑う。
「もったいないが、その前に殺しておく」

「川田やめろ」
 俺は剣を投げ捨てる。大蔵司の盾になるために彼女へ飛びかかる。と見せかけて「そこだ!」

 彼女の眉間のまえを左手で握る。

「くわっ」

 俺の手のなかで悲鳴が聞こえた。戻ってきたイクワルの魂を捕らえた。このまま握り潰してやる。

「見物させてもらったよ」
 涼しげな声がした。
「手を離しな。そいつにはもっと働いてもらう」

「我が主よ……」

 俺の手を魂がすり抜けていく。
 俺は振り返る。

「僕がここに来た目的は順に三つもある。まずは、ここに閉ざされた異形を配下に招く。そいつとともにフロレ・エスタスを返してもらう」
 涼しげな笑みを浮かべた藤川匠は、月神の剣を肩に乗せていた。
「そして、そいつらとともに魔女を殺す」

「さすがは我が主。馴染んだ体こそが望んだ思し召し」
 その背後に灰色の羽根を生やした黒人が侍る。




次回「火伏せの護符」
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