三十八の三 玄武ボーイと空飛ぶ朱雀ガール

文字数 4,243文字

 俺も透明なままの大玉を魔法陣へと下ろす。体が浮かびやしない。でも服装が変わっていた。黒い鱗柄でレオタードみたいなつなぎ服……。こんなのを着た人を香港でも台湾でも見かけなかった。上海ならばありなのだろうか。
 鱗肌よりはましだけど、脱ごうとしたら悲鳴を上げるほどに痛い。川田は脱がせて風呂に入れさせられたのに(他の服を着ようとせず洗濯中は全裸待機していた)。
 これでは服の中に何もしまえない。でも胸ポケットがふたつある。奇抜すぎるファッションだけど護符を拾って入れる……。なにか垂れてきたぞ。
 後ろ髪を蛇よろしく細長く一本に結んでいた。辮髪でもドレッドヘアでもなくてよかったとするしかない。

 ドレスアップされたドロシーが、畳に降りてリュックサックを抱えなおす。おそるおそる手を入れる。

「大丈夫そう」
 抜きだした手には冥神の輪があった。ライトグレイのレギンスもあった。ドレスの下にはいてしまう。

「つまり人を受け継いでいる。もしくは白銀を凌駕する異形……。どっちにしろ桜井で試すべきでないな。こんな中途半端な出来で、四神獣の資質が抜けるはずない」
 デニーはまだ顔を強ばらせている。
「さらに化け物じみた人が現れるだけだ」

「壊していいものありますか? 術をだせるか試したいです」
 ドロシーが赤い瞳を輝かしながらデニーへ尋ねる。

「外でやってくれ。すぐに出発しよう」
 デニーが逃げるように部屋からでていく。

 ***

「成功であるものか。異形人間だ。おぞましい。成敗したくなる。とくに松本を」
 沈大姐は嫌悪丸出しだった。
「だが薄い。なにかの拍子に異形の気は消えそうだな。念のため玉は持ち歩け」

 言われるまでもなく、両方の玉を護布に包んでドロシーのリュックに突っこんである。

「哲人達は当事者だから気づかぬようだが、かなり気色悪いぞ。おそらく一般人は逃げだす。とりわけ哲人からな」

 大姐の肩をマッサージする思玲に手で追い払われそうだ。俺はドロシーを滅茶苦茶華麗に見えるのに。

「そ、そこまでじゃないよ。でも、川田君や折坂さんとは違う。落ち着かなくさせる……松本君の服装も。髪型も」
 所在なく座っていた横根からも、やらなくてよかった感がにじみ出ている。

「異形の僕から見るとそうでもない。松本に石を投げたくなる程度だ」
 露泥無がデニーに茶を渡しながら言う。
「でも失敗です。松本達を野に放てませんよ。人は貪よりもこいつらに怯える」

「また異形になれたのに、そんななの。哲人さんはチャーミングにしか見えないのに」
 さすがにドロシーもうなだれる。足が床から少し浮いている。

「露泥無は黙れ。思玲はもっと強く揉め……いまさら気づいた。四神獣だから満月系。そして前夜。二人とも思玲をしっかり見ろ」

 大姐に命じられて、おのずと思玲を見る。彼女は顔を逸らすけど、むしろその後ろ姿こそ。

ドックン

 美神だ……。自分のものにしたい。それこそ……

「……おいしそう」
 ドロシーがずばりを言う。

「やはりな。こいつらは難敵だ。念のため思玲はデニーの隣に行け。……とても一緒に戦えないな」
 大姐が茶をすする。

「て、哲人は安心できます。でも……」
 引きつった思玲は一人だけをちらちら見ている。

「申し訳ございません。迂闊でした」
 デニーが座る大姐のもとへ向かい、背後にいる思玲の隣にいく。その手に偃月刀が現れる。
「大姐。解除を試しましょうか?」

 ……もしかして、それって、刀を振るって異形だけを断ち切る、荒っぽい技法じゃないだろな。

「死なれたら困る」大姐がきっぱり言い、
「仮に明日の夜までこの姿でも心配はない。閉じ込めておけば、こいつらは性欲丸出しで互いの体を貪りあうだけ、おぞましき異形の契りに専念するだけだ。
露泥無はどうするのだ? お前の策に乗ったらこのざまだ。どう落とし前をつける?」

「ぼ、僕ですか? そもそも大姐が、違いました、本人達が望んだのだから、それこそ自己責任……。強いて言うならば、松本達は人に戻るのを試すべきだ。発展に犠牲は付きものだ」

「ふざけんな。……俺が責任とればいいのだろ。今夜、貪を倒す。二度と復活しないほど徹底的に」
 だいぶムカついてしまった玄武な俺が宣言する。思玲からは目を逸らす。

「異形になっても引き籠もりたくない。だから、ここで試させてください」
 いきなりドロシーが中指と人差し指を立てる。テーブル上の茶碗へ向ける。
()

 小声の掛け声。指二本で抑えたつもりの紅色の閃光。なのにテーブルが木端微塵になる。反動で彼女の体は天井に張りつく。

「へへ、強すぎだ。だから私も責任とる。机はおじいちゃんが弁償してくれる」
 朱雀なドロシーが大姐へと不敵に笑う。ついで思玲を見おろす。
「今後ダーリンに色目を使ったら、食べちゃうからね」

 ***

 ドロシーが俺と思玲に何かあったのを、気づかぬはずなかった。だったら夏奈は尚更だ。……彼女を遠く感じだしている。龍であったときぐらいに。
 屋上は土砂降り。川田や峻計と違い、二人の体と服は雨をはじく。肩にかけたドロシーのリュックサックも、術のコーティングのおかげで濡れない。重くならないのは、身を守る術のように体全体を覆わせないからだそうだ。

「じきに低気圧は通過する。つまり明日は快晴だ」
 濃紺のレインコートを着たデニーが言い、真っ暗な空を見上げる。
「頼むから降りてくれ。暗かろうが、その赤は目立つ」

「勝手に浮かんじゃうんです。屋外だと地面にいるのが難しい」
 ドロシーが宙から答える。

「ドロシーは、四玉だったらどんな朱雀になったのかな」
 俺の隣で傘をさした横根がつぶやく。

 思玲の代わりに彼女が貪狩りへ参加する。
「へたくそマッサージはいらない。そのために法具も

も貸してある」と、沈大姐が腹いせみたいに主張しだした。誰も逆らえなかった。
 本来の姿に戻った横根は、運命の糸で首を結ばれて引きずられるように戦地へおもむく。忌むべき杖を握りしめたままで。

「ドロシーは上の下だから朱雀にはならない。鷲か孔雀あたりじゃないかな」
 もっと滅茶苦茶なものになりそうな気もする。空飛ぶダチョウとか。

「これを預けておく。僕と連絡がとれる」

 大姐に傘をかける露泥無から、天珠を渡される。ポケットにしまう。沈大姐と露泥無だけが見送りでいる。
 俺のスマホや財布は消えている。川田よりも、さらに異形よりの俺。なのにドロシーのリュックサックは消えない。魔道具的な扱いなのかも。

「寒いから私は戻るよ」
 沈大姐が露泥無である女子から傘を奪いとる。
「配下から倒すという影添大社の案に賛成だ。そして藤川匠を呼び寄せる餌ならある。……奴は気づきやがった。私を殺して奪うべきかと逡巡した。その隙に逃げた」
 胸もとに手を入れる。チェーンのさきに、金色に輝く20ミリほどの玉があった。
「貪の百倍怖いものを封じてある珠だ。藤川匠は従えられるつもりらしい」

 これが九尾狐の珠……。さもないアクセサリーのはずなのに圧倒的存在感。露泥無が唾を飲みこむ音がした。
 沈大姐は珠をシャツの中にしまい、通用口へと歩いていく。

「お見送りありがとうございます。我々も出発します」
 デニーがその後ろ姿に一礼する。「日本のコメディアンみたいな松本には、状況により私の服を貸す。さあ殲よ。姿をさらせ!」

 彼の声とともに、巨大な翼竜が屋上に現れる。デニーが跳躍して飛び乗る。俺もよじ登る……異形の身体能力だよな。

「横根行くよ」
「きゃっ」

 彼女を抱えて3メートルほどジャンプする。座敷わらしの大学生バージョンよりいけそうだ。デニーの隣に座る。

「へへへ、やっぱり乗れる。触れる」
 ドロシーがすいすいと降りてきて、ふわりと着地する。俺と横根の間に割りこみ、殲をなでなでしまくる。

「では出発だ。貪の行動に対応してだから、細かい作戦はない。隠密だけが重要だ。先制攻撃を喰らわせて、一気に弱まらせる。そして封じる。松本が言うように、復活などさせない。
……何があっても周囲に危害を与えさせない。殲よ、姿を隠せ」
「噠!」

 巨大な翼竜が結界に包まれると同時に、それは消え去る。

「ごめんなさい。殲ちゃん、もう一度お願い」
 ドロシーが頭を下げる。

「殲の結界をいともたやすく手だけで……。いまは異形の姿であろうと、お前は何者だ」
 デニーが彼女を凝視する。感嘆ではない。脅威に直面した眼差し。

「ドロシーは俺の彼女です。結界に包まれると習慣で破壊してしまいます」
 そう言って彼女の手を握る。印を結べないようにして「我慢して。……巻き込んでごめんね」

「へへ、やっぱり哲人さんの手は温かい」

 彼女は何事もなかったように微笑む。君の手もだよと、心でつぶやく。
 この思いよ、いつまでも続け。
 彼女こそ大事だろ。自分へとお願いする。

 殲があらためて結界を張り雨が消える。俺達は浮かび上がる。羽根が右に傾むき荒川が見えた。

「わ、私は気が抜けていた。ごめんなさい」
 横根が誰とも目をあわさずに言う。
「ドーン君が人に戻って安堵した。自分が大学二年生に戻れて安心した。でも残った。みんなを置いていきたくないからじゃない。みんなに置いてかれる気がしたから、甘えて残った。だって松本君と思玲とドロシーだけが戦ってきた。もう私はおまけだと思っていたから」

「おまけであるはずない。だけど横根は殲の上で待っていて」
「うるさい! こ、ここまで来たら私は戦う。だ、誰も死なせない、何があろうと絶対に」

 青ざめた横根が手にする杖は小刻みに震えている。
 俺が握るドロシーの手も震えだす。

「はやくここから出たい。出して……溶かされる……」
 横根よりも青白い顔でつぶやく。

 俺は両手でしっかりと彼女の手を握る。デニーは座りこんだ俺達に背を向けて、前だけを見ている。
 貪はまだ人の姿で若い白人男と踊っている。下半身を密着させながら、残忍で貪欲な眼差しで。二十三時のダンスフロア。あらゆる人種が狂おい、ひしめく中で。
 ふいに顔を向ける。

 しくじりました。みたいにニョロ子が頭を下げて、姿を消す。

 引き返すべきか。

「メンバー募集中か」
 デニーはそれだけつぶやく。

 見えない翼竜は音速で都心を目指す。雨にかすむ東京タワーがみるみる近づく。




次章「3.5-tune」
次回「六本木神獣」



これよりカウントアップが完了するまで、一話あたりの文字数がヒートアップする回があります。
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