四十七の三 牢名主

文字数 6,436文字

「瑞希はどうなった? すぐ近くにいるはずだ」

 七実ちゃんを抱えたままで川田が肉声で言う。こいつは返事しないと延々と繰り返す。

「ウンヒョクといるから心配するな」

 本当のところは知らない。でも人除けの術が消えた町は動きだしている。サイレンも聞こえだしている。何もなかったように公園に現れる父子もいる。
 俺達は玄関前の狭い歩道(私道でもある)からそれを眺めていた。思玲だけが見ていない。仰向けで胸を上下させている。

「これもガス漏れアンド爆発事故かな。濡れ衣のガス会社こそ災難だ。こんなことを繰り返せねえ」
 麻卦さんが鼻からも口からも煙をたっぷり吐きだす。

「麻卦さん。水牢にいる異形とは何ですか? それを藤川匠が狙っています。俺を水牢に連れていってください。いますぐに」

「血に飢えた折坂さえ脱出できない場所だ。藤川君はみずから墓穴に向かった」
 執務室長が煙草を踏みしだく。
「本来ならば彼の骨さえ残らないと考えるけどな。……しかしそっちかよ。てっきり内宮か禰宜が目当てと思って、罠をたっぷり発動させたのにな」

 吸い殻を拾い、携帯吸い殻入れに入れる。この人も影添大社前だと意識が人並みだ。だけど話す内容がえげつなさすぎる。
 藤川匠は間抜けだけど愚かじゃない。わざわざ閉じこめられるために来るはずない。しかも折坂さんもドロシーもいる。俺だっている。そんな死地に。

「水牢には簡単に行けるものなのですか?」
「折坂ならな。好んでいく奴がいるとは思わなかったから、あそこから入れる」
 麻卦さんが地下駐車場入り口をあごで指す。

「メンバーを総動員して水牢に向かいましょう。そこにいる怪物は何ですか?」
「教えねーよ。満月の夜に折坂の相手をさせるため、成敗しないで生かしてあるだけの不浄な存在……。藤川はどうして知った? 京は口外してないだろな。貉にも

にも」
「もちろんです」

 たしかに俺も今の今まで知りもしなかった。……俺達の想像を超える力を持つ藤川匠。イクワルさえも復活させた。そんな存在が閉じ込められるなんて楽観的すぎる。むしろ閉ざされたままの異形を解放させる。その可能性のがはるかに高い。……麻卦さんのその後の沈黙から察するに、彼もそのことに気づいたようだ。
 夏奈を露泥無と同格に、潜在的裏切り者として扱った彼も。

「瑞希はどうなった? すぐ近くにいるはずだ」

 しつこいな。さきほどの回答では納得しないようだ。
 執務室長が川田を一瞥する。

「どうせ川田を水牢に閉じこめたら、殺されない限り、あの存在がばれるか」
「俺は閉じこもらない。瑞希はどうした?」
「瑞希ちゃんは元気だよ。スイートルームが気にいるか見学してこい。松本と京と、念のためドロシーで連行しろ。思玲ちゃんと桜井ちゃんはデニーと同じく客として扱ってやる。一人一泊二十万円だ」

「……川田君、この人達は心で喋っているよね?」
 抱かれたままの七実ちゃんが尋ねる。
「閉じこもらないってどういう意味? なにが起きてるの?」

「俺は牢屋に行く。折坂って奴と同じぐらい強い化け物がいる」

「ふざけるな!」
 七実ちゃんが俺へと叫んだ。
「もはやあなた達の話を信じまくる。だからこそ、化け物達がいる場所に川田君を連れていかせない」

「それは川田が決めることだ」
 俺は七実ちゃんをにらむ……まただ。「俺だって川田を行かせたくない。でも、一つ一つ終わらせないと、川田は人に戻れない」

 やや格好つけて人の声で伝えなおす。
 サイレンの音が近づき止まる。近くの高校に向かったようだ。屋外で部活中に倒れて、人除けを浴び続けたならどうなるだろう。
 言えることは、すべて藤川匠が引き起こしたことだ。奴は絶対的悪だ。

「日向。仕切っているのは麻卦だ。だが、秘密の水牢に向かう口実を与えてくれた。強くて滅茶苦茶な連中にな」
 思玲の弱弱しい声がした。彼女はアスファルトに手をつき腰を上げていた。
「さらに言えば、哲人とドロシーともう一人いれば充分な気がするが、麻卦は川田を上のフロアに迎えたくないらしい」

「そして私が麻卦だ」
 麻卦さんがひきつった人の声をだす。

「すまぬ、二度も呼び捨ててしまった。で、さすがに私は疲れたので執務室長を信じて夜まで休む。ドロシーのキスも銀丹もいらぬ」
「俺のチューならどうだ?」
「哲人にしてやってくれ。……川田が抱えている娘をどうする? それとライターを貸してくれ。デニーにもらったのは、京の結界のせいでポケットの中で破裂した。煙草はかばんに入れてセーフだからいらぬ」

「ここで未成年にモクを吸わせねーよ。そんで、この子はカタギだよな」
 麻卦執務室長が、川田に抱かれ固唾をのむ七実ちゃんに、収集日を間違えて野ざらしになったままの不燃ごみを見るような目を向ける。
「記憶を消すか、この世から消すかのどっちかだろ。大金もらっても面倒はしないから、自分らで処分しとけよ」

 もはや全員が人の声に切り替えた。七実ちゃんの顔がいよいよ青ざめる。

「ボスとドロシーと一緒なら俺も行く。だが瑞希はどうした?」

 ああしつこい。抱いている人の心配をしろよ。

「横根はウンヒョクと雅と一緒だ。川田がいなくても大丈夫だから心配する必要ない。……七実ちゃんも心配しなくていい。デニーさんという信頼置ける人にピンポイントで忘れさせてもらえるから」
 あの人は信用できるのだろうか。なおもそんな思いが浮かぶ。もちろん顔にはださない。
「なので麻卦さん。彼女も少しだけ保護してください。ここを襲ったイクワルを倒した謝礼の一環としてです」

「あいよ。休憩だけなら五万円だ。翼の生えた黒人は

。相応の礼金をだそうが、まだまだ借金生活だな。だが水牢が破損した際の請求は藤川にまわすから心配するな。
そうと決まれば全員動け」

「……わかりました。私は命を奪われないために記憶を捨てます」
 七実ちゃんが口を開く。
「その前に横根瑞希さんと会わせてください。どうせ忘れるのなら」

「だったら俺も一緒に会う。水牢には行かない」
「行くんだよ。まずはドロシーと合流だ。……ふう」

 大蔵司がため息とともに地下駐車場へ向かう。白かった巫女装束は血まみれだ。
 俺も後に続く。川田は来なくても仕方ない。むしろ行かないほうがいいかもしれない。

「いまの陸斗君は私達に会う資格ない」
 七実ちゃんの毅然とした声がした。

「俺はリクトじゃない……わかった。あの頃みたいに先頭で戦う」
 川田が彼女をそっとおろし、俺達を追いかけてくる。

「陸斗君、そういう意味じゃない」
「若者が盛り上がっているが、ウンヒョクからメッセージがあった」
 麻卦さんがスマホを見ながら、また煙草に火をつける。「横根ちゃんの記憶を消したそうだ。彼女は家に帰る。思玲ちゃんの狼が付き添う。まさに送り狼だな」

 煙に包まれていなくなる。ジッポータイプのライターが転がっていた。

「謝謝」と思玲が立ちあがる。「京はまるでお化け屋敷だな。哲人の服を貸してやる」

 ***

 横根がリターンしなかったのは、安堵ということにしておこう。麻卦さんでないけど、面倒なだけだ。……これは俺がドライだからじゃない。最善に決まっているからだ。否応なく忌むべき世界に戻されかけた彼女のためだ。俺が彼女に、なおも救いを求めたのでないはずだ。

 顔を洗い俺の服に着替えた大蔵司が、女子部屋を解錠してノックする。内外からのロックか。

「藤川は勝てるから来た。そうに決まっている」
 ドロシーが紅潮した顔でドアを開ける。「でも奴は、私と哲人さんの本当の愛の力を知らない。だから機会だ」

 でかい声にのけぞってしまうけど、狩りの者の眼差し。はやくも上唇を舐める。

「哲人さんも疲れているね。だからリュックサックをちょうだい」
「俺が持っているよ。……体調はどう?」

 聞いただけだ。ドロシー抜きで藤川が待つ水牢へ向かえるはずない。

「いつかたっぷり休む。だから平気だ」 

 ならば俺も平気だ。いつか二人でたっぷりのんびり過ごそう。

「京さんが血なまぐさい。愛の力でもいいから、もう誰一人怪我するなよ」
 続いて桜井がでてくる。
「責任のおおもとの私はおとなしくしてる」

 緊張と不安の顔。彼女を背後から抱えるように、龍の気配が漂っている。
 最後にデニーがでてくる。

「これは異形が使うべきだ」
 川田へと天珠を渡す。

「いろんな奴が大事に持っていたものだ」

 川田は匂いを嗅いだあとに二度タップする。俺のポケットが振動する。使い方を観察していたな。川田は通信することなくポケットに突っこむので、俺が長押しして切断する。

「デニーさんは桜井を上の階に連れていってください」
「みんなでいこう。一人だと危ない」
 俺は大蔵司へ即座に反論する。彼はもう戦えない。

「いや。私だけで彼女を送り届ける。魔道具があるからな」
 デニーが俺を真顔で見つめる。その手に冥神の輪が現れる。
「ドロシーから預かった。あとで麻卦に渡しておく」

「それをだすな」川田が俺の背後に移る。

「へへっ。白銀はデニーさんに似合う。ずっと使うべきだ」
 それからドロシーは大蔵司に不機嫌な(つら)を向ける。「さっきは治してくれてありがとう。連れていけ」

「偉そうに。このフロアからも行ける。拘束したものを水牢へ簡単に引きずれるかららしい」
 蛍光灯が照らす狭い廊下を大蔵司が奥へ進む。

「デニーさん、夏奈をよろしくお願いします」
 俺は頭を下げる。なぜか癪にさわる。

「こちらこそドロシーをよろしく。私の妹だからな」
 デニーが俺の肩を叩く。……彼はまだ扇を持っている。たやすく人の記憶を奪える。

「妹ねえ……」
 夏奈が意味深な笑みを俺に向ける。「哲人は無茶するなよ。しつこいけど誰一人死ぬなよ」

 夏奈が言う『誰一人』には藤川匠も含まれている。でもここは影添大社だ。裁断をくだすのは俺じゃない。

 デニーと夏奈が破壊されたエレベーターに消える。同時にドロシーが俺の手を握る。二人は並んで早歩きして、大蔵司と川田に追いつく。

「そこにいる異形をいい加減教えてくれ」
 突き当りにたどり着いた大蔵司へ頼む。

「到着しました。稼働してください」
 大蔵司がスマホで麻卦さんに連絡したあとに、誰とも顔を合わせずに告げる。
「私は水牢の主と会っていない。でも何がいるかは聞いている」

 壁の向こうから機械が動きだす音がした。ワイヤーに引きずられるように上がってくる音も。

「鬼だな」川田が鼻をつまむ。「はやくも匂ってきた」

 大蔵司がうなずく。
「半分腐っているらしい。名前は()

四蔑鬼(スーミェクィ)のこと?」
 ドロシーが怪訝な声をあげる。
「夷、狄、戎、蛮……。四神獣に匹敵する力を持つ大柄な鬼達。大陸に何度も厄災をもたらした。でも神獣に負けたわけだから星は五にしたけど……そんなのを封じもせずにいるの? あり得ない。やっぱりここは邪だ」

 五つ星ていどか。なんて思ってはいけないけど、ドロシーが分類していたのか? そりゃすらすら言えるはずだ。

「私にそんな知識はないし、昔からのことにコメントできない」
 大蔵司が振り返る。「私の役割はここまで。折坂さんと交替して禰宜を守る」

 ……夏奈達が乗ったのはドアが壊れたエレベーターだから音がよく伝わる。それがはるか上で停まり、再び下へと動きだしたことも。

「あいつは怒っている。仲間も傷つけて殺す」
 川田が残された片目を細める。

「私があの獣人と協力できるはずない。私は奴にやられた。奴は私を憎んでいる。私はさらにずっと憎んでいる。藤川匠よりもだ!」

 ドロシーが広東語をまくしたてる。大蔵司には伝わらない。
 エレベーターが停まる音がして、誰もがそちらに顔を向ける。

「そんな感じにわめきだすと思ったから、執務室長は伏せていた。……ここの昇降機が下に降りていたよね。つまり藤川匠は上階から水牢へ降りている」
 大蔵司が俺達とすれ違いながら言う。

「昇降機だけ降ろしたのではないか?」
 そして主力がいない隙に、夏奈を奪う。

「藤川匠は水牢にいる。迎合されている」
 折坂さんが怒気をにじませながら歩いてくる。
「夷は媚びている。――ドロシーは私とともに戦え。それで全てを帳消しにしてやる」

 折坂さんは俺も川田も見ない。言葉と裏腹の眼差しをドロシーへ向けるだけだ。
 俺の手を握る彼女の指が強まる。汗ばんでいく。
 大蔵司を乗せたエレベーターが上へと去っていったのに、壁の向こうの機械音はまだ続いている。俺達を乗せるために、ゆっくり昇っている。

 忍び込んだ藤川匠。無音ちゃんを守るためにだろうとも、後手に回った影添大社。挽回のために彼らは最強の戦力を投入する。それに匹敵する力にも共闘を要請した。
 それはドロシーだけでない。俺と川田もだ。現状ではデニーや思玲よりは戦える。そしてそれでもなお、大蔵司には無音ちゃんを守らせる。藤川匠を倒すことよりも。
 ワイヤーがこすれる機械音はまだ途絶えない。

「陰辜諸の杖を貸してくれるなら、私も水に流す」
 ドロシーが折坂さんから目を逸らさずに言う。

「それはできない。そもそも私に権限がない」

「無音禰宜ですか?」俺が尋ねる。

「宮司の許しが必要だ。さもないと内宮宝庫の番犬は、私にも喰らいついてくる。そして宮司は欲深だ。人が望むものであれば、絶対に手放さない」

ガシャン……

 ようやく壁の向こうの音が停まる。

「分かった。お前とともに戦う」
 ドロシーがうなずく。「だからひとつだけ教えて。禰宜は安全な場所にいるの?」

「お寛ぎの場である裏殿におられるが、執務室長に万が一には命を捨てろと言ってある。大蔵司と王とデニーもいる。鶏子も裏殿玄関で番をしている。……禰宜が避難する時間は稼げるだろう」

 なおも思玲とデニーに無音ちゃんを守らせる。そのために日常の間にいる。きっとそこは聖域でないのだから、社外の者を置ける。

「へへ、充分安全だ」
 ドロシーが俺を見上げる。「だって。だから哲人さん行こうか」

 企みのような笑み。俺はうなずきを返す。

「この壁を壊せばいいのか?」
 川田がうずうずしだした。この群れだと藤川から逃げようとしない。

「壱の結界を応用する」
 折坂さんが壁に手を向ける。「魔道士がいう臥龍窟のことだ。王ならば出来ると思う」

 壁に黒点がにじみだし広がる。穴が開き、そこには錆びた鉄製の籠があった……。
 たしかに思玲が披露したことある。でも彼女は一度使っただけで立ち上がることもできなくなった。なのに折坂さんは汗ひとつかかないでいる。

「閉ざされる前に早く乗れ」

 折坂さんが乗り込むより早く川田が飛び込む。二人に続いて俺とドロシーが乗る。
籠がきしんで揺れる。四人乗るには狭い。窮屈だ。

「降りるのは早い。落下するだけだからな」

 湿った暗黒のなかで、その通りの速度になる。俺はドロシーを抱き寄せる。彼女は俺に寄りかかる。腐臭と二人からの獣臭。俺はドロシーの髪の匂いだけを嗅ぐ。
 昇降機は、はるか下からの血の色に照らされて猛速度で落ちていく。いきなり衝撃がして、俺達は水の中に潜る。

「ごぼっ」
「むぐっ」

 生ぬるく腐敗した水を飲みこんでしまった。ドロシーとひたすら抱きしめあう。
 昇降機がゆっくりと上昇する。水面にでたところで停止する。俺とドロシーは吐くほどにむせる。

「折坂よ、またお遊びの時間だな。だが今日のお前は剣を持参している。しかも強いのをたっぷり連れてきた」
 血の色の光に照らされながら、巨大な目が俺達を射抜く。それは三つあった。それは水面から浮かびあがる。
「こちらには賓客がいる。七百五十五年ぶりに俺の力を認めてくださったお方がな。つまり二百四十三年続いたお前との()れあいも終わりか?」

 白色の地肌を緑色に腐らせた巨大な三つ目の鬼が、肩までをあらわにする。

「私は満月の夜の(たわむ)れを、まだまだ楽しみにしたい」

 折坂さんの言葉を夷が鼻で笑う。
「俺はそろそろ外に出たい。この身もきれいにしたい」

 藤川匠は姿を見せない。




次回「影添大社水牢」
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