四十四の三 人だろうが何だろうが

文字数 1,838文字

 スマホを握り、ドロシーの父親のシャツを着ていた。血みどろだ。洗って返さないとな、下洗いしてから……。
 そんなことより俺は人だ。もはや宙に浮かべない。四玉も横根も腹に隠せない。記憶と痛みだけが残っている。つまりは、まだ青龍の光も残ってくれているけど。

「ハハハ、そのすかした人間さんは、楊爺さんよりやるじゃねえか」

 土壁も声だけだ。闇のどこにいる? 怯えるな、俺。

「松本君、早く助けてあげて!」

 横根の声も聞こえる。俺は手もとを見る。独鈷杵も緋色のサテンもある。……俺はまだ戦える。血にむせる生身の人間だろうと。

『戦えねーよ』
 サキトガが空からキキキと笑う。
『やり直しで、お前がただの人間になるまで28秒。記憶も消えたお前が獣人どもに震えながら囚われるまで38秒。横根がただの人に戻るのが58秒後だ』

「蝙蝠、用事が済んだら私が殺すよ」
 竹林の声。こいつを見つけられるはずない。
「梟を倒してくれたけど、焔暁達の仇だもん」

 パンツのポケットが重たい。右ポケットには、鷹笛と陳大姐から借りた横笛。左ポケットからはお天宮さんの木札がはみ出ている。闇のなかに横根の白い毛並みがぼんやり浮かぶ。俺へと駆けだそうとしている。

「受けとれ!」
 俺が投げた天宮の護符を、白猫は跳ねて口でキャッチする。
「切り裂け」

 横根と護符に命じる。天宮の護符が純白に輝いた。

『10,9……。またずれやがった』
 サキトガがカウントダウンをやめる。

 白猫が結界に飛びかかり、跳ねかえされる。獣人の持つ松明がかすかに照らす。
 天宮の護符は空間に突き刺さっていた。亀裂が走る――。

「この野郎ども!」
 まず迦楼羅が飛びでてきた。疾風のように飛び、俺の背後に向かう。
「ずっと見せられていたぜ。藤川匠、勝負しろ!」

「わ、和戸―ン君無理しないで!」

 横根が叫ぶけど、無理してくれ。俺の背後を守れ。

「く、苦しい」
 隻眼の狼は増殖する結界に首を挟まれていた。
「ま、松本、た、助け」

 助けにいかないと。なのに目のまえで紫色が破裂する。煙が漂い、そばにいた獣人がふたつ倒れる。……逃げないと。
 なのに空に浮かべない。俺は紫色に包まれる。

「愚か者! 無力になった松本にとどめを刺す必要があるか!」
 老人の声。朱色の光が飛んでくる。
「土壁、もはや貴様を許さない」

 楊偉天の術が毒を霧散させる。でも手遅れだ。人である俺は仰向けに倒れる。陽炎の向こうの空だけが見える。
 空が怒っている……。





「松本君、光が寄っているんだよ!」
 横根の絶叫。
「左手を空に!」

――左手を空に!

 夏奈……。俺は天へと手を伸ばす。その指先に、ぼろぼろの透明無垢な光が触れる。
 か弱い妖怪変化の光が、もう一度俺のなかに入ってくれた。

「川田……」
 俺は立ちあがる。外見は変わらない。ドロシーの父の服を着た俺だ。
「川田!」
 でも闇がはっきりと見える。あばら家を燃やす炎がひときわ明るく感じる。再び俺は、人に戻るなり死にそうな、失った目も復活した人間くずれだ。
「川田!!!」

 もはや空に浮かべない俺は地面をかける。木霊が闇空に怯えている。
 川田へと五叉槍を向ける土壁へ独鈷杵を投げる。野良犬だった魔物は感づき避ける。俺はかまわず結界へ向かう。
 手に戻った法具で裂き、狼の巨体を引きずりだす。ぐったりした狼が片目を開ける。俺を見つめる。空を見つめ跳躍する。中空を噛み砕く。

「貴様の匂いは覚えたんだよ」

 着地した狼が毒づく。
 地面には、結界ごと砕かれた大カラスが転がっていた。
 溶けていく竹林へと、狼はとどめに向かおうとして、

「か、川田君だめだよ。そいつを消してはだめ」

 白猫に押しとめられる。
 十字羯磨により高まった白猫の勘か? いやいや倒すべきだって。
 俺の感は訴えるけど、川田は横根に従う。白猫は狼の背に飛び乗る。

「くそう、俺だと無理だ」
 ドーンの声に目を向ける。闇に刺さったままの護符を抜こうとしていた。
「哲人、頼む」

 目を戻すと、土壁が竹林を守ってしまった。峻計に忠実な犬め。だったら俺達は迦楼羅のもとに走る。

「ドーンはこっち」
 右ポケットから横笛を取りだす。受けとった迦楼羅がカカカと笑う。
 俺は天宮の護符をたやすく引き抜く。
「川田はこれ」
 狼へと手渡そうとする。

 手負いの獣が俺を見あげる。

「しつこい奴らだ。川田ってことにしてやる。俺はリクトじゃない」
 狼にくわえられた木札が黒く輝く。
「……邪魔だな。俺は牙だけでいい」
 吐きだしやがる。




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