十一の一 新しい朝が来た。希望の……
文字数 2,358文字
夜は長いようで短かった。空は白みだしたけど、小鳥はまだ鳴かない。俺は小学校の校舎の陰から、ふわふわと校庭にでる。
朝礼台の上には、暗い校庭を見わたすようにカラスが一羽とまっていた。ドーンだ。俺に気づき振り向く。
「なんだ哲人か。……思玲は?」
「プールに行ったよ。体を清めるだってさ」
「カカ……」と力なく笑う。「俺は気にならなかったけど、今の川田は鼻がきくからキツかったかもな」
そんな冗談は楽しくもない。あの夜を終えたばかりの朝なのだから。希望もない朝を迎えただけだから。
思いかえしたくもないけど。
*****
全員がそろい小学校の片隅を隠れ家と選んだあとも、誰もが口数は少なかった。やがて思玲が中庭の狭い夜空を見上げる。
――包み隠さず言う。覚悟してくれ
思玲はその言葉とおりに話した。あと一日ちょっとで俺達の誰かが餌を求めだすことを。それを手始めにみなが飢えにさいなむことを。ドブネズミでも見つけようものならば奪いあって食べ、人としての心が消滅することを。
――おどかすなよ。それまでに師傅さんが来ればいいのだろ? はやく呼べよ
ドーンの問いに、思玲はまた空を見上げる。じきに俺達に顔を戻す。
――お前達を救うために来られるとは思えない
思玲は続ける。多くの四神くずれが楊偉天達により殺されたと。同じように劉師傅により消されたと。人の心が残っていようが、人の目にさらされた忌むべき異形として処分されたと。
そして彼女も俺達を殺すためにこの国に来たと。
――そんな話があるか!
川田が吠える。どうすればいいんだよと、俺に顔を向ける。
――まだ一日以上ある。みんなで考えよう
――松本君は生きのびるのだよね。そんな人の話なんか聞いていられないよ
俺の弱弱しい返答を横根がさえぎる。彼女は思玲の両手に爪痕を残し、抱えられて戻ってきた。
――松本君にも青龍がちょっとだけ入っているし。もしかしたら、まっさきにおなかを減らすかも
桜井らしきインコが場の空気を変えようとする。みんなの顔色だけが変わる。
――桜井、笑うなよ
俺はさきんじて彼女をとがめる。インコである桜井は裏切られたような顔になる。
――松本君までそう言うの? 私だってつらいよ。みんな私のせいだし。龍になるまで、みんなに謝って過ごせと言うの!
小鳥が泣きだす。涙はでない。インコであろうが、俺はおろおろとする。
――な、泣かないでよ。私はそんなつもりで言ったのではないよ。夏奈ちゃんのせいなんて思ってないよ、絶対に
白猫まで泣きだした。狼の遠吠えが中庭に響く。みんなを見わたす。
――月が沈みかけようと吠えたくなるさ。俺だって泣きたいのを我慢しているだけだ。松本だって、ドーンだってそうだろ?
――涙なんかいらねーし
カラスがきっぱりとくちばしを開く。
――泣いている暇はない。俺は待っている人がいるから人間に戻る。瑞希ちゃんだって猫のままでなく、人に戻って笑いながら家族と会えよ
――ドーン。その言いかたはよくないぜ。泣きたいだけ泣いて、そこから始まることもある。中学のときの監督にそう聞いた。高校で実際にそうだった
――スポーツと違うんだよ。これはメダルがあと数枚の、マジで追いつめられた状況だ
――お前こそギャンブルと一緒にするな
川田とドーンがにらみあう。
――今回は犬になったりカラスになったり、インコになったりとイレギュラーな展開だろ。このあとの展開も台湾と違うかもしれない
俺は緊迫した空気を消すために、思い浮かべていた希望的観測を口にだす。
――そしたら私だけ人でなくなるというの!
横根が即座に目をつりあげる。
――松本君がそんなつもりで言うはずない
小鳥が白猫の前へと浮かぶ。横根は目をそむけ、すぐににらみ返す。
――そうやってあなたは、その人の肩をもっていればいいよね。二人とも青龍なんだから
――なんでまた桜井と瑞希ちゃんの争いを見なければならない
川田が切なげにつぶやく。そして、
――ドーン、さっきの言葉は悪かった。俺はお前をあてにしている。……思玲、俺達はどうすればいいんだ
狼が女魔道士に目を向ける。彼女は真実を告げおえると、目をつぶり黙ったままだった。
――正直に答えろと言うのか?
――教えてくれ
――知りたくない!
川田と横根の声が重なる。
――思玲さん
桜井が小さなくちばしをひろげ、
――私は聞きたいです。先輩の苦しみだって知りたいです
思玲がはっとした顔を小鳥に向ける。沈黙が一瞬だけ流れる。
――台湾の魔道士がしたこととは言え、私の責任だとは思っていない。だが最後まで見届けてやる。それだけしか言えない
――ほら、やっぱり聞かなければよかった。思玲があきらめているのに、どうすればいいの!
横根が校舎の奥へと駆けていく。思玲だけが追いかける。俺達は黙ったままだ。電線に電気が通うかすかな音が耳ざわりなだけだった。
しばらくして思玲が戻ってくる。白猫は彼女の腕の中で寝息をたてていた。
――瑞希をせめるではないぞ。こいつは自分でまいた種だとしても散々な目にあってきた。平常でいられるわけがない
――また術をかけやがったな! もう許さない
――ならば噛むがいい
思玲が片手を川田に突きだす。狼は牙をむいたまま尻ごみする。
――逆ギレかよ
――私も疲れはてた。すこしだけ休ませてくれ
ドーンの聞こえよがしのつぶやきを無視して、思玲は横根を抱いたまま闇へと向かう。
――私も行きます
桜井が追いかける。男三人が残される。
――ドーン、うまい手はあるか?
――あるはずねーし。哲人は?
――考えよう。みんなで
誰の頭にも思い浮かぶものなどあるはずない。ほとんど黙りこくったまま、気づけばみんな散りぢりに自分の居場所に去っていった。
次回「大空あおげるかよ。ラジオなんかねーし。風よどんでるし」
朝礼台の上には、暗い校庭を見わたすようにカラスが一羽とまっていた。ドーンだ。俺に気づき振り向く。
「なんだ哲人か。……思玲は?」
「プールに行ったよ。体を清めるだってさ」
「カカ……」と力なく笑う。「俺は気にならなかったけど、今の川田は鼻がきくからキツかったかもな」
そんな冗談は楽しくもない。あの夜を終えたばかりの朝なのだから。希望もない朝を迎えただけだから。
思いかえしたくもないけど。
*****
全員がそろい小学校の片隅を隠れ家と選んだあとも、誰もが口数は少なかった。やがて思玲が中庭の狭い夜空を見上げる。
――包み隠さず言う。覚悟してくれ
思玲はその言葉とおりに話した。あと一日ちょっとで俺達の誰かが餌を求めだすことを。それを手始めにみなが飢えにさいなむことを。ドブネズミでも見つけようものならば奪いあって食べ、人としての心が消滅することを。
――おどかすなよ。それまでに師傅さんが来ればいいのだろ? はやく呼べよ
ドーンの問いに、思玲はまた空を見上げる。じきに俺達に顔を戻す。
――お前達を救うために来られるとは思えない
思玲は続ける。多くの四神くずれが楊偉天達により殺されたと。同じように劉師傅により消されたと。人の心が残っていようが、人の目にさらされた忌むべき異形として処分されたと。
そして彼女も俺達を殺すためにこの国に来たと。
――そんな話があるか!
川田が吠える。どうすればいいんだよと、俺に顔を向ける。
――まだ一日以上ある。みんなで考えよう
――松本君は生きのびるのだよね。そんな人の話なんか聞いていられないよ
俺の弱弱しい返答を横根がさえぎる。彼女は思玲の両手に爪痕を残し、抱えられて戻ってきた。
――松本君にも青龍がちょっとだけ入っているし。もしかしたら、まっさきにおなかを減らすかも
桜井らしきインコが場の空気を変えようとする。みんなの顔色だけが変わる。
――桜井、笑うなよ
俺はさきんじて彼女をとがめる。インコである桜井は裏切られたような顔になる。
――松本君までそう言うの? 私だってつらいよ。みんな私のせいだし。龍になるまで、みんなに謝って過ごせと言うの!
小鳥が泣きだす。涙はでない。インコであろうが、俺はおろおろとする。
――な、泣かないでよ。私はそんなつもりで言ったのではないよ。夏奈ちゃんのせいなんて思ってないよ、絶対に
白猫まで泣きだした。狼の遠吠えが中庭に響く。みんなを見わたす。
――月が沈みかけようと吠えたくなるさ。俺だって泣きたいのを我慢しているだけだ。松本だって、ドーンだってそうだろ?
――涙なんかいらねーし
カラスがきっぱりとくちばしを開く。
――泣いている暇はない。俺は待っている人がいるから人間に戻る。瑞希ちゃんだって猫のままでなく、人に戻って笑いながら家族と会えよ
――ドーン。その言いかたはよくないぜ。泣きたいだけ泣いて、そこから始まることもある。中学のときの監督にそう聞いた。高校で実際にそうだった
――スポーツと違うんだよ。これはメダルがあと数枚の、マジで追いつめられた状況だ
――お前こそギャンブルと一緒にするな
川田とドーンがにらみあう。
――今回は犬になったりカラスになったり、インコになったりとイレギュラーな展開だろ。このあとの展開も台湾と違うかもしれない
俺は緊迫した空気を消すために、思い浮かべていた希望的観測を口にだす。
――そしたら私だけ人でなくなるというの!
横根が即座に目をつりあげる。
――松本君がそんなつもりで言うはずない
小鳥が白猫の前へと浮かぶ。横根は目をそむけ、すぐににらみ返す。
――そうやってあなたは、その人の肩をもっていればいいよね。二人とも青龍なんだから
――なんでまた桜井と瑞希ちゃんの争いを見なければならない
川田が切なげにつぶやく。そして、
――ドーン、さっきの言葉は悪かった。俺はお前をあてにしている。……思玲、俺達はどうすればいいんだ
狼が女魔道士に目を向ける。彼女は真実を告げおえると、目をつぶり黙ったままだった。
――正直に答えろと言うのか?
――教えてくれ
――知りたくない!
川田と横根の声が重なる。
――思玲さん
桜井が小さなくちばしをひろげ、
――私は聞きたいです。先輩の苦しみだって知りたいです
思玲がはっとした顔を小鳥に向ける。沈黙が一瞬だけ流れる。
――台湾の魔道士がしたこととは言え、私の責任だとは思っていない。だが最後まで見届けてやる。それだけしか言えない
――ほら、やっぱり聞かなければよかった。思玲があきらめているのに、どうすればいいの!
横根が校舎の奥へと駆けていく。思玲だけが追いかける。俺達は黙ったままだ。電線に電気が通うかすかな音が耳ざわりなだけだった。
しばらくして思玲が戻ってくる。白猫は彼女の腕の中で寝息をたてていた。
――瑞希をせめるではないぞ。こいつは自分でまいた種だとしても散々な目にあってきた。平常でいられるわけがない
――また術をかけやがったな! もう許さない
――ならば噛むがいい
思玲が片手を川田に突きだす。狼は牙をむいたまま尻ごみする。
――逆ギレかよ
――私も疲れはてた。すこしだけ休ませてくれ
ドーンの聞こえよがしのつぶやきを無視して、思玲は横根を抱いたまま闇へと向かう。
――私も行きます
桜井が追いかける。男三人が残される。
――ドーン、うまい手はあるか?
――あるはずねーし。哲人は?
――考えよう。みんなで
誰の頭にも思い浮かぶものなどあるはずない。ほとんど黙りこくったまま、気づけばみんな散りぢりに自分の居場所に去っていった。
次回「大空あおげるかよ。ラジオなんかねーし。風よどんでるし」