十三 ここからの二人
文字数 3,634文字
4.94-tune
「一緒にたくみ君のところへ行こう」
暗闇の森のなか、夏奈はまだそんなことを言う。しかもにっこりと。消えそうな異形を見下ろしながら。俺と契りができたはずなのに。腕の傷は消えれば平気みたい。
龍の記憶は戻らないの? 夏奈は藤川匠が手にした月神の剣で溶けかけただろ。思いだせよ。思いだしてくれよ。
俺は言葉を発せられない。動くのもつらい。さんざんな目に遭ってきた俺でも、過去最大級のダメージだ。思玲に股間を蹴られたうえに……、駅前の屋上で峻計にやられたのに匹敵する。
あのときは、記憶を取り戻した横根の祈りで助かったよな。ほぼ消滅した座敷わらしが瞬時に復活した。師傅にお天狗さんの札を押しつけられるほどに。
「ここの虫、でかすぎでキモすぎ。でも松本君を置いていけないし……。この杖を手放すと見えなくなるのな? ちょっと試そ。……おおすげえ、松本哲人がマジで消えた。……なんか記憶からも消えていく感じ。誰といたんだっけ?」
はやく杖を握りなおしてくれ。言葉にできない。
「ははは、つかむと同時に松本君が現れた。……でもマジでやばみだよね。いまはお化けだから死にやしないよね? かわいそうだけど何もしてあげられないよ。……たくみ君は来てくれるかな」
夏奈は俺に触れようとしない。丸太で殴られなくなったのだから、すごく発展した二人。……俺と夏奈はどこにいるのだろう? 思玲と大蔵司は俺達を見つけてくれるだろうか。彼女達はどこにいる?
魄に運んでもらおう。また夏奈はこっちの世界に触れている。でも呼べない。忌むべき声さえ発せない。
「箱は松本君が持っているんだよね」
夏奈が唐突に言う。大きな瞳で見つめてくる。
「私達はインコと座敷わらしになるべきだよ」
俺はすでに座敷わらしの大人バージョン的存在だし、夏奈はコザクラインコでなく龍になりそうだし、そもそも割れて壊れたから俺もドーンも異形のままだし……。
夏奈は箱を求めている? 龍になるように導かれている?
ならば呼べ。懸命に目を開き、声を絞りだせ。
「六魄……」
「書でなく我々にすがる王よ」
「ぎゃあああああ!」
六魄が声かけてきて、夏奈が馬鹿でかい悲鳴を上げる。
「龍の咆哮……」
現れたばかりの魄達が消える。タクシーが……。
二人きりだから、夏奈をたっぷり観察できた。風変りと思っていたけど、ここまでとは思わなかった。同じ状況に俺がいたら、ちびるほどにパニックを起こしただろう。幽霊みたいな一団に声かけられて「書ってなんだよ」と不思議がる余裕は、絶対に持てない。
肝が据わっているとも違う……なんでも受け入れられる夏奈。
書の死者は俺を呼ばなくなった。俺に幻滅したらしい。だったら利用だけさせてもらう。俺は懐に手を入れる。
取りだした死者の書は、土壁の槍により損傷していた。賠償など絶対にしない……書はなおも俺を待ち構えている。弱った俺を閉じこめた死者達に加えようとしている。それでも俺は震える手でそれをめくろうとして、夏奈に奪われる。
「これが書? ていうかさあ、思いだしちゃった」
夏奈がにやけた笑みを向ける。
「松本君はそこに何でも隠せるんだよね。四玉の箱も……そこにある!」
夏奈は死者の書を放り投げる。俺のシャツへ手を突っこむ。それだけで、俺と夏奈の心が通じあう。
***
「ごめんなさい、全部分かった。いま分かった!」
全裸の桜井夏奈が泣きながら俺の胸へ飛びこむ。
「松本君に何があったか、みんなに何があったか、みんな思いだした! ごめんね! ありがとう!」
夏奈は裸のままで俺にうずくまる。ここだと俺は怪我していない。毒に冒されていない。夏奈の強い力に照らされるだけ。
夏奈をやさしく抱きかえす。また苦痛が待っているのだから、ここにずっと二人でいたい。
「たくみ君を倒そうとしないで」
夏奈は俺に埋もれたままで言う。「どっちか死んじゃうよ。もしかしたら二人とも」
「龍だったことも思いだしたの?」
「どっちの龍のこと?」
「へ?」
「なんでもない。思いだしたよ。たくみ君が私にお仕置きしたこともね」
夏奈が俺から離れる。
「でも今は松本君が復活することが大事。だから私が書に聞いてみる。たぶん私は囚われるほど賢くない。松本君が思っているように」
死者の書は知恵ある者を求めているのでは? 仲間にしたいのでは? ……夏奈はあまり利口でなさげ。
俺がロゴスにもせず脳内で漠然と考えていたことも、夏奈には伝わってしまう……。だったら、
「伝わったよ。一番は圧倒的にドロシーで、私はあっという間に三番目」
夏奈が俺から距離を開けたままで言う。「二番はいまの姿の思玲」
「それはない。だったら俺はここにいない」
俺の内面を読んだのだから、夏奈の言葉は正しいかもしれないなんて余計を考えるな。断じてそうではない!
真顔の夏奈が俺の目を覗く。茶目っ気な瞳になる。
「松本君は、私の裸よりも私の中身が大切なんだね」
なんて切り返せばいい?
そんなことを言われると、互いに全裸であることを思いだす。なのに、そんなことを言われたら、目の前の夏奈の体を眺めることができない。
「松本君なら見ていいよ。でも人に戻ってからね」
夏奈が遠ざかっていく。「そのために書を読もう。ここから二人はどうすべきか聞いてみよう」
***
彼女が俺のシャツから手を抜くと同時に、あらゆる痛みが復活する。
「苦しくても耐えてね。それしか言えないよ」
夏奈の優しい眼差し。異形である俺の頬をさすってくれた。
夏奈は大蔵司でも横根でもドロシーでもないから、俺の痛みをぬぐえるはずない。それでも安らぎを感じさせる。さすが夏奈……。
*****
松本君である透明お化けが眠った。よほど辛かったのだろうな。……すべてを知ってしまった私がいまからすべきことは、杖を握り続けること。そして二人の男子を遭わせないこと――。会うべきかな。でも私を奪い合いさせない。この二股男なんかと。
そのために、こいつらに頼る。仕方ない。
「松本君を二度と呼ぶなよ。燃やしてやるからな」
私は死者の書を乱暴にめくる。「たくみ君と松本君を仲直りさせろ」
何も起きない。馬鹿はスルーか? ムカつく。
「だったら二人が日本へ帰る方法を教えろ」
ははは、文字が浮かび上がってきた。
死者は未来を知らない。過去だけを知る。
「ざけんな。破くぞ」
文字が消えて、新たな文字が浮かんだぞ。
松本哲人の復活を待つ。
「マジで頭きた」
マジで破ろう。でも慌ただしく別の文字が浮かんできた。
過去こそが森羅万象。つなぎ合わせば未来も知る。不慥かで無きならば記される。
但し報いを授ける所業。
すわなち
死人の女王を呼ぶ。六魄に命じれば、朝とともに訪れる。
そして最初の混沌。
死人の女王って誰だ? 六魄ってさっきの奴らかな……私を問答無用で運んだくせに、私に怯えやがった幽霊みたいなお化け。
「女王様の名前も書け」
戴冠を控えた王女。未然を克明に記せない。
懲りず未来を求めた代償を記そう。
もう一つの龍。
もうひとつの龍? はぐらかすために書いただろ。でも……私じゃない龍?
思いだした。瑞希ちゃんが言っていた貪だ。……何度も聞かされたのに頭に入ってこない。記憶に鍵がかかっている。
下品で下種な龍。あんなのと組むなんてね。
まあいいや。この本も破らないでやるか。賢い松本君のお気に入りだし、無課金だし、ははは。
「六魄、女王を連れてきて」
とりあえず先へ進もう。
おお。なにかが離れてこそこそ現れたぞ。
「あの方は遠く離れている」
「さすがに運べない」
「海に落とす」
「やる前からあきらめるな」
「へへ、そりゃそうだ。ならば、お前の魂を私達に分けてくれるか?」
「ちょっとじゃいいよ」
即答したら、見えないどこかでざわつきだした。じきに静かになる。
幽霊もどきは立ち去ったな。呼びに向かったな。
女王って誰だろう? 月なき夜にはるか遠くから、戦いの行方を眺めていたおばさんかな? 弦楽器を持った人。でも、あの人はたくみ君の敵だよな。
もうひとつの龍。たくみ君も浮気性だ。私が一番と言っておきながら……。
ドロシードロシー夏奈ドロシードロシー夏奈夏奈ドロシー
こいつこそ殴ってやりたい。二人を好きになるなんて器用は、私にはできない。しかも外国人。女なら何でもありか、どうせなら金髪白人にしろ。さらには思玲さんへの感情は……いまは異形だから不問にしよう。私だって経験ある。
そうは言っても、女王様が現れるまで松本君をさすってやるか。弱っているし。疲れているし。そこそこかっこよいし。頭よくて運動センスもあって気取らないし。
でもお化けになっても女癖は悪いまま。死にはしない気色悪い松本君……。
そうそう、松本君の心に悲しみがひとつあった。申しわけないけど、そんなのまで覗いてしまった。そりゃ隠していれば見たくなるって、ははは。
この人の中学一年生の秋の出来事。
次回「僕の責任」
「一緒にたくみ君のところへ行こう」
暗闇の森のなか、夏奈はまだそんなことを言う。しかもにっこりと。消えそうな異形を見下ろしながら。俺と契りができたはずなのに。腕の傷は消えれば平気みたい。
龍の記憶は戻らないの? 夏奈は藤川匠が手にした月神の剣で溶けかけただろ。思いだせよ。思いだしてくれよ。
俺は言葉を発せられない。動くのもつらい。さんざんな目に遭ってきた俺でも、過去最大級のダメージだ。思玲に股間を蹴られたうえに……、駅前の屋上で峻計にやられたのに匹敵する。
あのときは、記憶を取り戻した横根の祈りで助かったよな。ほぼ消滅した座敷わらしが瞬時に復活した。師傅にお天狗さんの札を押しつけられるほどに。
「ここの虫、でかすぎでキモすぎ。でも松本君を置いていけないし……。この杖を手放すと見えなくなるのな? ちょっと試そ。……おおすげえ、松本哲人がマジで消えた。……なんか記憶からも消えていく感じ。誰といたんだっけ?」
はやく杖を握りなおしてくれ。言葉にできない。
「ははは、つかむと同時に松本君が現れた。……でもマジでやばみだよね。いまはお化けだから死にやしないよね? かわいそうだけど何もしてあげられないよ。……たくみ君は来てくれるかな」
夏奈は俺に触れようとしない。丸太で殴られなくなったのだから、すごく発展した二人。……俺と夏奈はどこにいるのだろう? 思玲と大蔵司は俺達を見つけてくれるだろうか。彼女達はどこにいる?
魄に運んでもらおう。また夏奈はこっちの世界に触れている。でも呼べない。忌むべき声さえ発せない。
「箱は松本君が持っているんだよね」
夏奈が唐突に言う。大きな瞳で見つめてくる。
「私達はインコと座敷わらしになるべきだよ」
俺はすでに座敷わらしの大人バージョン的存在だし、夏奈はコザクラインコでなく龍になりそうだし、そもそも割れて壊れたから俺もドーンも異形のままだし……。
夏奈は箱を求めている? 龍になるように導かれている?
ならば呼べ。懸命に目を開き、声を絞りだせ。
「六魄……」
「書でなく我々にすがる王よ」
「ぎゃあああああ!」
六魄が声かけてきて、夏奈が馬鹿でかい悲鳴を上げる。
「龍の咆哮……」
現れたばかりの魄達が消える。タクシーが……。
二人きりだから、夏奈をたっぷり観察できた。風変りと思っていたけど、ここまでとは思わなかった。同じ状況に俺がいたら、ちびるほどにパニックを起こしただろう。幽霊みたいな一団に声かけられて「書ってなんだよ」と不思議がる余裕は、絶対に持てない。
肝が据わっているとも違う……なんでも受け入れられる夏奈。
書の死者は俺を呼ばなくなった。俺に幻滅したらしい。だったら利用だけさせてもらう。俺は懐に手を入れる。
取りだした死者の書は、土壁の槍により損傷していた。賠償など絶対にしない……書はなおも俺を待ち構えている。弱った俺を閉じこめた死者達に加えようとしている。それでも俺は震える手でそれをめくろうとして、夏奈に奪われる。
「これが書? ていうかさあ、思いだしちゃった」
夏奈がにやけた笑みを向ける。
「松本君はそこに何でも隠せるんだよね。四玉の箱も……そこにある!」
夏奈は死者の書を放り投げる。俺のシャツへ手を突っこむ。それだけで、俺と夏奈の心が通じあう。
***
「ごめんなさい、全部分かった。いま分かった!」
全裸の桜井夏奈が泣きながら俺の胸へ飛びこむ。
「松本君に何があったか、みんなに何があったか、みんな思いだした! ごめんね! ありがとう!」
夏奈は裸のままで俺にうずくまる。ここだと俺は怪我していない。毒に冒されていない。夏奈の強い力に照らされるだけ。
夏奈をやさしく抱きかえす。また苦痛が待っているのだから、ここにずっと二人でいたい。
「たくみ君を倒そうとしないで」
夏奈は俺に埋もれたままで言う。「どっちか死んじゃうよ。もしかしたら二人とも」
「龍だったことも思いだしたの?」
「どっちの龍のこと?」
「へ?」
「なんでもない。思いだしたよ。たくみ君が私にお仕置きしたこともね」
夏奈が俺から離れる。
「でも今は松本君が復活することが大事。だから私が書に聞いてみる。たぶん私は囚われるほど賢くない。松本君が思っているように」
死者の書は知恵ある者を求めているのでは? 仲間にしたいのでは? ……夏奈はあまり利口でなさげ。
俺がロゴスにもせず脳内で漠然と考えていたことも、夏奈には伝わってしまう……。だったら、
「伝わったよ。一番は圧倒的にドロシーで、私はあっという間に三番目」
夏奈が俺から距離を開けたままで言う。「二番はいまの姿の思玲」
「それはない。だったら俺はここにいない」
俺の内面を読んだのだから、夏奈の言葉は正しいかもしれないなんて余計を考えるな。断じてそうではない!
真顔の夏奈が俺の目を覗く。茶目っ気な瞳になる。
「松本君は、私の裸よりも私の中身が大切なんだね」
なんて切り返せばいい?
そんなことを言われると、互いに全裸であることを思いだす。なのに、そんなことを言われたら、目の前の夏奈の体を眺めることができない。
「松本君なら見ていいよ。でも人に戻ってからね」
夏奈が遠ざかっていく。「そのために書を読もう。ここから二人はどうすべきか聞いてみよう」
***
彼女が俺のシャツから手を抜くと同時に、あらゆる痛みが復活する。
「苦しくても耐えてね。それしか言えないよ」
夏奈の優しい眼差し。異形である俺の頬をさすってくれた。
夏奈は大蔵司でも横根でもドロシーでもないから、俺の痛みをぬぐえるはずない。それでも安らぎを感じさせる。さすが夏奈……。
*****
松本君である透明お化けが眠った。よほど辛かったのだろうな。……すべてを知ってしまった私がいまからすべきことは、杖を握り続けること。そして二人の男子を遭わせないこと――。会うべきかな。でも私を奪い合いさせない。この二股男なんかと。
そのために、こいつらに頼る。仕方ない。
「松本君を二度と呼ぶなよ。燃やしてやるからな」
私は死者の書を乱暴にめくる。「たくみ君と松本君を仲直りさせろ」
何も起きない。馬鹿はスルーか? ムカつく。
「だったら二人が日本へ帰る方法を教えろ」
ははは、文字が浮かび上がってきた。
死者は未来を知らない。過去だけを知る。
「ざけんな。破くぞ」
文字が消えて、新たな文字が浮かんだぞ。
松本哲人の復活を待つ。
「マジで頭きた」
マジで破ろう。でも慌ただしく別の文字が浮かんできた。
過去こそが森羅万象。つなぎ合わせば未来も知る。不慥かで無きならば記される。
但し報いを授ける所業。
すわなち
死人の女王を呼ぶ。六魄に命じれば、朝とともに訪れる。
そして最初の混沌。
死人の女王って誰だ? 六魄ってさっきの奴らかな……私を問答無用で運んだくせに、私に怯えやがった幽霊みたいなお化け。
「女王様の名前も書け」
戴冠を控えた王女。未然を克明に記せない。
懲りず未来を求めた代償を記そう。
もう一つの龍。
もうひとつの龍? はぐらかすために書いただろ。でも……私じゃない龍?
思いだした。瑞希ちゃんが言っていた貪だ。……何度も聞かされたのに頭に入ってこない。記憶に鍵がかかっている。
下品で下種な龍。あんなのと組むなんてね。
まあいいや。この本も破らないでやるか。賢い松本君のお気に入りだし、無課金だし、ははは。
「六魄、女王を連れてきて」
とりあえず先へ進もう。
おお。なにかが離れてこそこそ現れたぞ。
「あの方は遠く離れている」
「さすがに運べない」
「海に落とす」
「やる前からあきらめるな」
「へへ、そりゃそうだ。ならば、お前の魂を私達に分けてくれるか?」
「ちょっとじゃいいよ」
即答したら、見えないどこかでざわつきだした。じきに静かになる。
幽霊もどきは立ち去ったな。呼びに向かったな。
女王って誰だろう? 月なき夜にはるか遠くから、戦いの行方を眺めていたおばさんかな? 弦楽器を持った人。でも、あの人はたくみ君の敵だよな。
もうひとつの龍。たくみ君も浮気性だ。私が一番と言っておきながら……。
ドロシードロシー夏奈ドロシードロシー夏奈夏奈ドロシー
こいつこそ殴ってやりたい。二人を好きになるなんて器用は、私にはできない。しかも外国人。女なら何でもありか、どうせなら金髪白人にしろ。さらには思玲さんへの感情は……いまは異形だから不問にしよう。私だって経験ある。
そうは言っても、女王様が現れるまで松本君をさすってやるか。弱っているし。疲れているし。そこそこかっこよいし。頭よくて運動センスもあって気取らないし。
でもお化けになっても女癖は悪いまま。死にはしない気色悪い松本君……。
そうそう、松本君の心に悲しみがひとつあった。申しわけないけど、そんなのまで覗いてしまった。そりゃ隠していれば見たくなるって、ははは。
この人の中学一年生の秋の出来事。
次回「僕の責任」