二十七の一 有能すぎる式神

文字数 3,779文字

1.5-tune


――こんなの直感だし。だよね?

――君は異形のときと変わってないけど当たり前だ

「夏奈!」俺はがばりと起きあがる。「ドロシー……わあ!」

 目のまえに蒼い狼の顔があった。
 ……俺の頬を舐めていたな。雨はやんでいるけど、俺は水たまりでカラスを抱えていた。冷たいより寒い。

「川田と横根は影添大社隣の公園にいる。大蔵司に見張られている。私はお前達を連れにきた」
 雅が淡々と告げる。

 ……ここは怪しいお店だらけの路地。午前に人をあまり見かけない場所。日暮里の隣駅かも。どうして俺は上着を脱ぎ、気絶したドーンとここにいる? 貪に襲撃されて、川に落ちて、追い詰められて、そこから先を覚えていない…………。
 もしかして、また記憶を消された? 誰に?

「俺はなんで生きている?」雅へと尋ねる。

「いまに始まったことでないだろ。私が同行してからだけで、常人ならば五回は死んでいた。よみがえることなく」
「違う。貪に襲われて何故に生きている?」

 雅がしばらく黙りこんだのちに、
「どうやらお前も、命の代わりに記憶を奪われたようだな。敵は余裕を見せて、私を気付けして去ったようだ。そして私がお前を起こした。お前が和戸を起こせ」

 つまり、この思玲の高飛車な式神も、おそらく貪に記憶を消された。違う。貪ならば殺しているはずだ。
 背中から脇腹にかけてもぞもぞしてくる。他人だけが覚えているのは恥ずかしいというかキツい。そんなことより夏奈とドロシー!
 ポケットを探る。天珠がなくなっていた。スマホ……電源が入らないじゃないか。何度も水没したからか? 修理補償のオプションをつけておけばよかった。

「うろたえるな。千葉の二人なら瑞希が連絡してあり無事らしい。私はお前を連れて我が主の傍らに向かう。早くしろ」
「いて!」

 雅がいきなり俺の腕を噛む。お前のが慌ててないか。甘噛みだろうと痛い…………痛い?
 咄嗟にはベタな行動をとってしまうもので、頬を思いきりつねる。やはり痛い。でも体は全快している。なにがあった?
 あるとしたら、俺はドロシーから癒しを授かった。なんらかの理由で記憶も加減して消された。
 でも彼女はいない。
 それは倒されたから? 捕らえられたから?

ドクン

 どいつが?

「ガガッ」とドーンが跳ね起きる。「て、哲人かよ。おどかすなよ……笛は? あるか」

 横笛も道に落ちていた。
 俺は冷静だ。それを拾ってシャツのなかに入れようとして、ただの人間であることを思いだす。……癒しを受けたならば痛覚も消えているはず。無痛覚まで消したのがあったな。あれは風軍のうえでのファーストキスだ。まだ尊い力を加減できなかった……尊い?
 頭が痛くなる。いま考えるべきことは別だ。

 さっきまで授かっていた癒しは、廃村の戦いでのもの。記憶が消えて怯えた俺に、泣きながらしてくれたもの。どっちにしろこの回復は、ドロシーからではない。
 ならば白虎? それはない。人外(ドロシーも含めて)のものの仕業だろうけど……もう一人、人外クラスがいたな。俺はその血を身に入れて、峻計やサキトガ相手に生き延びた。

「呑気に考察するな」
「わかっている。合流しよう」

 雅に叱られるまでもなく、いかがわしい路地で横になっている場合でない。
 笛をポケットに突っ込む。まずは川田達と合流する。夏奈達の無事を再確認できたら、当初の予定通りに宮司に会わせてもらうように懇願する。……遠くでサイレンが聞こえる。貪は橋を破壊した。俺たちの巻き添えで、絶対に幾人か死んでいる。
 藤川匠こそ倒すべき悪だ。それが、まだ生きている俺の使命となった。

 ***

「あ、ボソだ。ちっこいな」
「ついてくるな。母ちゃん達が待ってるぞ」

 ドーンはハシブトガラスの若鳥らしきにからまれながら、俺の頭上を低く飛ぶ。

「ドーンさんひさしぶり。チュンチュン」
「哲人ってお化けは? チュンチュン」

 雀とも知り合いになっているし、俺の名前も教えているし。
 雅の先導で歩道を進む。こいつは川田と違って横断歩道で立ちどまる。信号が変わるのを待つ。人と会話するのと遜色ないほど知的だし、たいした式神だ。川田も車の運転したから今後はルールを守るかもしれないけど……その後の出来事。

「記憶消しの術は怖いね。気を失うし無防備すぎる」
 かけられたら簡単に殺される。

「心が強ければかからない。避ければかからない。相手が数段上手だった」

 雅が簡潔に答える。おそらくその通りだけど、俺も雅も受けてしまった。……(くつろ)いでいるときに背後からかけられたとか。それはない。戦いのさなかでやられたに決まっている。

「思玲様の解放をお願いにきたのか」
 ふいに尋ねてくる。

「それもある」
「そうか……」

 歩行者用の信号が青になり、雅はそれ以上何も言わずに歩きはじめる。この有能な式神が求めていることは分かる。

 我が主は幽閉されたままのが安全ではないか。まわりに屍が積み重なろうが生き延びているこいつらと行動するよりも。

 でも雅は賢いから知っている。思玲は俺達と戦い続けることを望む。ゆえに雅は彼女を待っている。そして常に真横へ侍るのだろう。
 とはいえ影添大社が解放を了承してくれるだろうか。ドロシーのカチコミが話を面倒にしている。
 折坂と麻卦。奴らが渋々納得する手土産が必要。そんなものはない。だったら心を込めてお願いするだけ。執拗に延々と。

「蛇がいる気がする。琥珀がいないと大胆になる」
 雅が空に鼻を向ける。
「私では狩れない。川田でも無理だ。琥珀が飢えて襲おうと逃げられる。あの僧侶だから従えられた」

 圧倒的に強かった法董を見限り、圧倒的に陰険な峻計を選んだ飛び蛇。
 俺達の情報を逐一報告しているだろう。いまは小鬼のいる千葉でなく、俺達を見張ることを選んだのか。そして今から起きるだろう何かも、みな藤川匠のもとに伝わる。俺達は延々に裸のまま……。
 どうも目線を感じると思ったら、俺は上半身が下着だけだった。パンツもまだ濡れているし、荒川のヘドロ臭を漂わせているかもしれない。リュックサックに着替えを入れてあるけど、手もとにない。……橋崩落の被害者が錯乱していると勘違いして保護されるかも。

 繊維街に寄り道すべきだ。立ちどまりポケットを探る。数枚だけ持ってきた一万円札。たしか無造作に右ポケットに……あった。
 でも貼りついて破れそう。慎重にゆっくりだそう。雅が不審そうに振り向いている。なにをしているか分からないものな。このポケットからなにが現れるのか、覗きこまないと――

「そこだ!」
「キョッ」

 俺は中空へ手を伸ばす。にょろりとした感触。見えないなにかをつかむ。そのままブロック塀へ押しつける。

「松本は何者だ?」

 雅の声は呆れてさえいる。俺は飛び蛇を捕らえた。絶対に離さない。息の根を止めてやる。こいつの仕業で何度も苦渋を飲まされた。消滅させてやる。
 見えない蛇が俺の腕を噛む。逆にたどり首をしっかりと握る。

「毒はない

から安心しろ。捕らえれば無力だ。助太刀するまでもない」

 力も知恵もあり安心感をもたらす雅が、見えない姿のまま傍らに来てくれる。
 俺のパフォーマンスを、制服姿の高校生が遠巻きにして過ぎる。見えない蛇は尻尾をばたつかせるだけ。痛覚があるから当たれば痛い。でもそれだけだ。その力が急激に弱まる。
 そして視覚が飛び込む。


 俺達を襲撃した貪。波動を喰らった貪。見えない殲。川に立つ人。浮かび上がる巨大くらげ。
「唐よ」
 心の声。聴覚も飛び込む。この人がデニー。俺と迦楼羅が助けられる。デニーは貪へ突撃して撃退するも火だるまになる。
「この人間も完治だず。妖術みだいな尊いみだいなもんまで――」
 尊い?
 俺はたまたま回復された。
「この中にいれば人の目には見えない。さすがにあの蛇でも侵入できまい」
 デニーは薄く笑うが、覗かれまくっていた。
 デニーが横笛を吹く。迦楼羅がドーンに戻る。デニーが扇を払う。俺とドーンが失神する。殲が姿を現した。俺達を結界に包んで吹っ飛ばす。さきほどの道に転がる……。
 場面が変わる。雅が単身で唐へと向かう。人に見える忌むべき姿で触手を嚙む。クラゲが悲鳴をあげる。
「さすがだな、蒼き狼」
 デニーが扇を払う。以下は俺達と同じ。


 またも上海不夜会の参謀に記憶を消されたのか。しかも瞬時に容易に。俺も雅も見下ろされて、剣の代わりに嘲笑を向けられた。
 聴覚だけが続く。


「人であった鴉か。よく生き延びてきたが、さすがに人へ戻るべきかもな」
「貪の狙いは君達を殺すこと。影添大社に向かわせないことだった」
「あの貉は? 沈大姐も日本にいるのですか?」
「露泥無は、やかんでなくなった。大姐ならば封印の解除もたやすかった。そして私とともにこの国に来た。いまは」


 俺とデニーの会話が途中で途絶える。
 不吉な匂いだけが残る。

「大姐はどこにいる? もったいぶるな」

 俺は締める手をさらに強める。見えない飛び蛇がくぐもった悲鳴をあげる。

「松本、そいつは命乞いをしている。そのために私達が失った記憶を見せた」

 そんなの分かっている。だからって逃がすわけにはいかない。
 美しき雌狼は冷静なままに続ける。

「手を緩めるべきだ。なぜならば、その有能な奴はお前の力に屈服した。松本の式神になりたいようだ」




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