四十一の一 この国の侍衛
文字数 1,949文字
紫と黄のツートン。真っ暗な駐車場で、ど派手なヘリコプターは羽根を回したまま待機している。風圧も轟音も起こさずに、そよ風のようにやってきた。
ドロシーの件を露泥無に相談しても気が重くなるだけだった。それは、ケビン相手でも変わりなかった。
「梁老師のお孫と言われてもな」
そもそも彼の記憶からドロシーは消えていた。
「松本という名の一般人が異形と戦ってきたと言われてもな」
苦笑いで異形である俺を見る。ケビンの頭からは人である俺も消えていた。
「傷を治すことだけ考えろ」
少女が顎をあげてケビンを見上げる。ついで俺をにらむ。
「扇にあの娘のくせがついた。使いこんで消す必要ができた。さんざん振りまわしたうえに捕まりやがって」
立ち去ろうとする少女をケビンが押しとめる。
「雅の件は感謝しているが、引き渡すのは後日にしてくれ」
手にした小石を見せる。
「嵒駿であるガブロの破片だ。十年ぐらい温めれば消滅はしまい。百年もすれば仔馬としてこの世に現れる。……あの馬にふさわしい寝床を見つけるまで、俺は死ねない」
思玲は背を向けて手を振る。
「将来いい女になりそうだな」ケビンが笑みを浮かばせるので、「どうでしょう」と答えておく。
傷だらけの大男は俺の横へ目を向ける。
「狩りの時間だな」
川田がケビンへと凶悪な目で笑う。狼になろうが、こいつの頭にはそれしかない。
「俺は弱い。……次に会うとき、お前も俺の記憶にいないかもな」
ケビンが黒い狼の頭をさする。
俺達に向けた言葉はそれだけだ。ケビンは影添大社のヘリコプターに乗りこむ。そのライトに照らされながら、思玲は扇と護符で演武を始める。
ヘリコプターを運転してきたものが、俺と琥珀に向かってくる。
「折坂だ」
俺達に挨拶する。ヘルメットを小脇に抱えた、白シャツにスーツパンツの三十代ぐらいの男性だ。長身で均整のとれた体。知的な目に、隠せないワイルドなたたずまい――。こうなりたいと憧れる大人だ。
格好いい笑みを俺達に向ける。
「君達に隠しようがないな。私も異形だ。大和獣人の生き残りだ」
それは、姿を見るなり露泥無から指摘された。その式神ランクはレジェンド。つまり龍と同格。日本史にも名を残しているという。たとえば立ち往生した僧兵……。
そんな恐ろしい異形だとしても、立ち去られるまえに聞いておかねばならない。と言うか、彼からは畏怖とか漂わない。
「大蔵司さんにはお世話になりました」
折坂さんに会釈する。「……あの血はなんですか?」
この人は、夏期講習から寄り道したような制服姿の俺をやさしく見る。
「その件は彼女から聞いたよ。きつく叱っておいた。あの血は聖でも妖でもない。だが強すぎる血だ。松本君に隠された力がなければ、使いこなせず食い殺されていた。悲惨な死に方をしていた」
俺の秘めた力を見抜いている。折坂さんは琥珀に目を向ける。
「今後の台湾の魔道士は、あの少女が長で、君が仕切るということだね。……手負いの獣に蒼き狼、大鷲、知恵高き小鬼…。そうそうたる面子だ。彼女の演武も力強い」
なるほど、あれはアピールを兼ねているな。ムジナに座敷わらし、白猫とカラス以外は台湾の式神ということにしておけと、思玲からきつく命じられていた。
「我が主は、あの齢で螺旋の光を放ちます」
フードをおろした琥珀が揉み手で言う。詐欺集団だ。
「ここだけの話ですが、香港より早くて安くて確実ですよ」
折坂さんである獣人は、あいまいな笑みを浮かべる。
「日本はなおも荒ぶる異形が多いからな」
折坂さんはそう言って、毒々しいストライプのヘリコプターに目を向ける。
「この宮司専用機は特別にお借りした。これには君達に劣らぬものを封じてある。……帰還の刻だ。あの方は私が離れるのをよしとしない。大蔵司と執務室長が傍らにいても、それでもなおだ。進捗があったら大蔵司に連絡してくれ」
手ぶらで帰る羽目になっても、この人は顔色も変えない。
「もうひとつだけ教えてください」
俺は折坂さんに耳打つ。
「大蔵司さんの力で、あの女の子の傷と病気を治してしまいました。あの子はどうなりますか?」
折坂さんが、演武をしながら黒猫と話す思玲を見つめる。
「感じられないな」
操縦席へと歩いていく。
「受けとるだけで済んだとしたら、大蔵司ほどの娘かもな。かわいそうに」
二人を乗せたヘリコプターが去っていく。
いよいよ俺達は、やるべきことを始めるだけだ。夜半である午前零時なんてあっという間だ。
「あいつは敵だ」
うなり声が横から聞こえてびっくりする。黒い狼がまだいた。
「だが強い」
「言われるまでもない」
美しい蒼色の狼が背後でうなり、さらに驚かされる。……こいつらは折坂さんが去ってからうなる。大蔵司の上司が敵であるはずない。
次回「夜咲く妖花」
ドロシーの件を露泥無に相談しても気が重くなるだけだった。それは、ケビン相手でも変わりなかった。
「梁老師のお孫と言われてもな」
そもそも彼の記憶からドロシーは消えていた。
「松本という名の一般人が異形と戦ってきたと言われてもな」
苦笑いで異形である俺を見る。ケビンの頭からは人である俺も消えていた。
「傷を治すことだけ考えろ」
少女が顎をあげてケビンを見上げる。ついで俺をにらむ。
「扇にあの娘のくせがついた。使いこんで消す必要ができた。さんざん振りまわしたうえに捕まりやがって」
立ち去ろうとする少女をケビンが押しとめる。
「雅の件は感謝しているが、引き渡すのは後日にしてくれ」
手にした小石を見せる。
「嵒駿であるガブロの破片だ。十年ぐらい温めれば消滅はしまい。百年もすれば仔馬としてこの世に現れる。……あの馬にふさわしい寝床を見つけるまで、俺は死ねない」
思玲は背を向けて手を振る。
「将来いい女になりそうだな」ケビンが笑みを浮かばせるので、「どうでしょう」と答えておく。
傷だらけの大男は俺の横へ目を向ける。
「狩りの時間だな」
川田がケビンへと凶悪な目で笑う。狼になろうが、こいつの頭にはそれしかない。
「俺は弱い。……次に会うとき、お前も俺の記憶にいないかもな」
ケビンが黒い狼の頭をさする。
俺達に向けた言葉はそれだけだ。ケビンは影添大社のヘリコプターに乗りこむ。そのライトに照らされながら、思玲は扇と護符で演武を始める。
ヘリコプターを運転してきたものが、俺と琥珀に向かってくる。
「折坂だ」
俺達に挨拶する。ヘルメットを小脇に抱えた、白シャツにスーツパンツの三十代ぐらいの男性だ。長身で均整のとれた体。知的な目に、隠せないワイルドなたたずまい――。こうなりたいと憧れる大人だ。
格好いい笑みを俺達に向ける。
「君達に隠しようがないな。私も異形だ。大和獣人の生き残りだ」
それは、姿を見るなり露泥無から指摘された。その式神ランクはレジェンド。つまり龍と同格。日本史にも名を残しているという。たとえば立ち往生した僧兵……。
そんな恐ろしい異形だとしても、立ち去られるまえに聞いておかねばならない。と言うか、彼からは畏怖とか漂わない。
「大蔵司さんにはお世話になりました」
折坂さんに会釈する。「……あの血はなんですか?」
この人は、夏期講習から寄り道したような制服姿の俺をやさしく見る。
「その件は彼女から聞いたよ。きつく叱っておいた。あの血は聖でも妖でもない。だが強すぎる血だ。松本君に隠された力がなければ、使いこなせず食い殺されていた。悲惨な死に方をしていた」
俺の秘めた力を見抜いている。折坂さんは琥珀に目を向ける。
「今後の台湾の魔道士は、あの少女が長で、君が仕切るということだね。……手負いの獣に蒼き狼、大鷲、知恵高き小鬼…。そうそうたる面子だ。彼女の演武も力強い」
なるほど、あれはアピールを兼ねているな。ムジナに座敷わらし、白猫とカラス以外は台湾の式神ということにしておけと、思玲からきつく命じられていた。
「我が主は、あの齢で螺旋の光を放ちます」
フードをおろした琥珀が揉み手で言う。詐欺集団だ。
「ここだけの話ですが、香港より早くて安くて確実ですよ」
折坂さんである獣人は、あいまいな笑みを浮かべる。
「日本はなおも荒ぶる異形が多いからな」
折坂さんはそう言って、毒々しいストライプのヘリコプターに目を向ける。
「この宮司専用機は特別にお借りした。これには君達に劣らぬものを封じてある。……帰還の刻だ。あの方は私が離れるのをよしとしない。大蔵司と執務室長が傍らにいても、それでもなおだ。進捗があったら大蔵司に連絡してくれ」
手ぶらで帰る羽目になっても、この人は顔色も変えない。
「もうひとつだけ教えてください」
俺は折坂さんに耳打つ。
「大蔵司さんの力で、あの女の子の傷と病気を治してしまいました。あの子はどうなりますか?」
折坂さんが、演武をしながら黒猫と話す思玲を見つめる。
「感じられないな」
操縦席へと歩いていく。
「受けとるだけで済んだとしたら、大蔵司ほどの娘かもな。かわいそうに」
二人を乗せたヘリコプターが去っていく。
いよいよ俺達は、やるべきことを始めるだけだ。夜半である午前零時なんてあっという間だ。
「あいつは敵だ」
うなり声が横から聞こえてびっくりする。黒い狼がまだいた。
「だが強い」
「言われるまでもない」
美しい蒼色の狼が背後でうなり、さらに驚かされる。……こいつらは折坂さんが去ってからうなる。大蔵司の上司が敵であるはずない。
次回「夜咲く妖花」