九の一 墓場の異形と野良猫

文字数 3,645文字

 墓地の街灯は入口だけだった。羽虫が必死にたむろしている。これぐらいの光なら気にならないし、気にしている場合でもない。そこから先は淡い光を放つ家屋に囲まれた暗闇だ。墓地であろうが幽霊はわらわらいないと、無用な知識を得る。
 フサフサと並んで墓石のあいだの小道をとぼとぼと進む。あてもなく。

「どこにあるんだ、時間がかかりすぎだ」

 流範は幾度となく墓石に舞いおりる。くちばしをひろげて俺達を威嚇する。

「もうすぐだよ」
「もうじきだね」

 俺とフサフサは交互に返事する。流範は疑わし気に一瞥したあと、横根を乗せて空へと戻る。死角の多い場所には長居したくないようだ。
 これではいずれ行き詰まる。みんな揃って三枚におろされる。

「俺は護符を持っていた。土着の火伏せの札」

 何度目かに流範が飛び去った直後に、フサフサにひそりと伝える。

「土着って、ゴンゲン様みたいなものかい?」

 フサフサも小声だ。東京にも土着の神社があるみたいだが、こいつは、なんでそんなことまで知っているんだ。……野良猫さえも知っているから土着なのか?

「たぶんそれ。その札のおかげで幽霊も消滅した」
「そいつを使えば、あの化けカラスも倒せるのだね」
「しっ、声がでか」

 バサバサッと流範が舞いおりる。
「化け鴉がなんだのと言っただろ」
 とまった墓石を蹴りたおし、別の墓石へと跳ねる。
「隠し場所へ行くまで会話禁止だ。……なにか企んでいるのか?」

「そ、そんなはずないです。暗いから見つけられないだけだよね」
 横根が羽根の向こうから声をだす。「明日の朝まで待ってください」

 駄目駄目。朝になったら数十羽の子分が来る。なおさら逃げられない。

「くずれは黙っていろ」

 流範は同意するはずなく空に戻る。風圧だけで転がりそうだ。

「で、それはどこにあるのだい?」
 大カラスが消えるなり、フサフサが問いかける。

「お前が俺の服にもぐろうとしただろ。たぶん、そのとき落とした」

 自分でも聞こえないほどに声をひそめて返す。フサフサもなにか言ったが小声過ぎる。聞きかえすと、

「拾いにいこうって言ったのだよ。耳の穴まで手入れしておきな!」
 必要以上に大声をだしやがる。すぐに空を見上げる。
「お手入れしたいとぼやいただけさ。私は名前のとおりにぼうぼうだからね。でも、もう喋らないよ」
 上空に向けて舌をだしていそうだ。

「どっちが行く?」俺はひそひそと尋ねる。

「そりゃ私だろ」フサフサが即答する。「私は松本哲人よりすばしこいし、この場所もよく知っているからね」

 猫でなくても、面と向かいフルネームで呼ばれるのは気分がよくない。それを伝えると、

「それなら哲人と呼ぶさ」また即答する。「私がくわえてくるまで、あいつを引きつけておいてくれ。墓石より上に浮かばないのがいいだろね」

 フサフサは墓地の出入り口とは反対側に駆けだす。一直線には行かないのか。賢いのかそれとも……あくどいのか。
 じきに離れたところから墓石が倒れる音が響く。野良猫と大カラスの追いかけっこが始まったようだ。仕方ない。

「俺を忘れるなよ! 玉なんか壊してやる!」

 空へと挑発する。俺も参戦だ。

 *

「ふざけやがって。どこだ!」

 流範の吠え声が響きわたる。南天の茂みに隠れた俺には気づきそうもない。かくれんぼうをする意味はない。

「こっちだよ、お化けカラス!」
 俺は小道をふわふわと進む。もっと素早く動きたい。

「松本君、危ない!」

 空から横根の声が聞こえた。俺は脇の墓石で身を固める。まわりの墓石がドミノに崩れる。
 線香の灰が浮きあがる向こうに流範がいた。

「白猫、降りやがれ。お前から血祭だ」

 流範が体を激しく揺らす。横根はしがみついている。俺はまたふわふわっと道にでる。横根の声にならない叫びが聞こえ、とっさに屈む。目の前の墓石が崩れる。さらにその先の墓石も。
 勢いあまって追い越したな。俺は墓石の裏に回りこみ、墓石の隙間を縫って逃げる。
 ……道路工事ほどの大騒ぎなのに近隣は静かなままだ。窓を開けてのぞく人もいない。つまり、これは異界での出来事だ。すぐそこにひろがる世界に、俺達は関与されない。ひと際でかい墓石の脇で身をひそめる。脇には大きな観音様の石像まである。
 フサフサから音沙汰ない。あの野良猫は本当に探しているのかと、疑心が湧いてくる。……巻きこまれただけの赤の他人だよな。俺達をおとりに逃げだす算段のがあり得る(俺ならそうする)。

「フサフサ」
 不安になった俺はちょっとだけ声をだす。

「松本君!」

 横根の絶叫とともに墓石ごと吹っ飛ばされる。黒い特上御影石は流範のくちばしで縦に裂け、俺は下敷きになる。
 目の前の観音像に流範がとまった。観音様は爪で握られ顔から崩れる。俺は人間だったときの習性で頭を抱える。
 身動きが取れない俺の前で、黒い巨大な羽根がたたまれる。

「ふざけやがって」

 流範のどす黒い瞳が激怒で赤く見える。後ろへと這いずりたいのに、倒れた墓石に挟まっている。流範の顔が寄ってくる。腐臭のする息が荒い。

「松本君、逃げて」

 横根が流範の背を駆けあがる。大カラスの目に爪をたてる。

「笑わせるな」

 流範が振りはらう。横根は数メートルも飛ばされて、並の御影石にぶつかる。

「なり損ないの爪で俺が傷つくと思うのか? だったら背中になど乗せない」

 横根はうずくまったままだ。俺は動きようもない。フサフサも思玲も現れない。流範が横根へとくちばしを向ける。俺は石の中でもがく。大カラスが白猫をくわえる。
 俺は人間だった彼女を思いだす。むすんだ黒髪に小ぶりな麦わら帽を乗せて、ひかえめな笑みを向けていた横根。

「お前ら、どけ!」

 崩れた墓石に命令する。こいつらだって、半分はこっちの世界の存在だろ。
 残骸がすこしずれた気がして隙間から這いだす。妖怪としての俺の本性がまた動きだしている。横根こそ守るべき仲間だ!
 俺は突進する。流範が驚愕の顔で振り返る。その腹部に頭突きする、つもりが片足で蹴りかえされる。

 衝突した墓石が俺を受けとめる。
「私を呼んだが、伴侶をここで待つと約束した」
 墓石の中から声がする。

 下から伸びた手に押しかえされる。流範の前に転がる。
 ずたぼろの体に柔らかいものを叩きつけられる。白猫が俺から転がりおちる。うっすらと目を開けて俺を見つめる。

「びっくりさせやがって、なにかと思ったぞ。……お前は本当に人間だな。性根がまっすぐなキジムナーであるはずない」
 流範が俺を見おろす。
「青龍の娘との逢引を気どっていた奴だ。白猫の仲間だ。だから、かばうのだろ」
 すべてがばればれだ。
「この質問が仲間といられる最後の機会だ。四玉はどこだ?」

 流範が俺を踏む。鋭い爪が頭と脇腹に食いこむ。こいつは本気だ。握り潰されるまえに箱を差しださないと。

「フギー!」

 横根である白猫が流範の鱗足に噛みつき、ふるい飛ばされる。四肢できれいに着地して、俺を見つめる。

「だ、だめだよ」
 白猫は俺の弱気に感づく。「ようやく来たから」

 思玲が? それとも、

「玉はこっちだよ。カラス野郎」

 野良猫のほうか。だとしても、平気で嘘をつく猫をうれしく感じる。

「妖怪野郎め、また呼びやがって」

 猫からの悪態さえもうれしい。墓石に潰されながら、たしかに俺が呼んだのだから。
 フサフサの声を探り、流範の目玉も動く。

「姿を現せ。こいつらの目玉をひとつずつくり抜くぞ」
「そうしてくれるとありがたいよ」

 まったく違う場所からの、もごもごとした声……。木札をくわえている!

「……箱を噛んでやがるのか?」
 流範が羽音を抑えて飛びたつ。空の闇にまぎれる。

「気をつけろ! あいつは上空から攻撃する気だぞ」
「あいよ」

 背後からの声にびくりとする。道の向こうにフサフサがいた。やはり木札をくわえている。小汚い野良猫だろうと感謝しまくりたい。

「ずいぶんとやられたね。きれいな毛並みが台無しだよ」
 フサフサは横根だけを見る。「あんたも妖怪変化など見捨てて逃げたらいいのに」
「それより木札を……」

 やはり一度は見捨てられたらしい俺は立ちあがる。でもフサフサは横に飛びのく。
 突風の予兆。俺もよろよろと逃れる。流範が爪を立てて降りてきた。フサフサの逃げた場所から、コンクリートの破片が飛ぶ。衝撃で、俺はまたも吹っ飛ばされる。
 顔をあげる。通路に大きな穴が開いている。墓石の脇から覗く白猫と目があう。流範はいない。俺は横根のもとへ向かう。横根も俺へと駆ける。まだ残っている墓石の脇に二人でうずくまる。
 衝突の音が響く。ばさりと舞いあがる翼の音も聞こえる。

「私だけ狙うじゃないか。哲人、どうにかしてくれよ」
「木札を渡して」

 それがないと、俺にはどうにもならない。

「どうやって渡せと言うのだよ。小道にでるなり襲いかかるのに」

 フサフサはそれきり話しかけてこない。遠くで電車の音が聞こえる。肋骨の窪みほどにへこんだ半月を、黒い影が一瞬かくす。
 まだ上空で狙っていやがる。




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