三十の一 覇道は一方通行

文字数 2,833文字

 鋼のごとき巨大な輪が、すぐ上をかすめて去っていく。地面にころがっていた俺達は無事だけど……、この強大な術はなんだ?

「目の前で光が消えた」

 非常口からしぼりだすような声がする。川田も無事みたいだが、

「この野郎、瑞希ちゃんを放せ!」

 結界が消えて、狼が屋上へと駆けこんでくる。
 横根は男に片手で抱きあげられていた。男は長身で、白いシャツに紺色のジーンズとラフないでたちだ。片側の肩にマントほどもある緋色の布をひっかけて、大きな剣を握っている。刃だけで1メートル以上はある、段平で諸刃の剣だ。

「スマナイ。人ガイルトハ思ワナカッタ」
 男は横根に片言の日本語をかける。「シカシ、ナゼニ思玲ノ珊瑚ヲ?」

 彼女の胸もとを見つめている。川田が男に飛びかかる。男は目も向けずに剣をはらう。かすかに光が見えただろうか。狼は数メートルもはじき飛ばされて、地面に叩き落ちる。そのまま微動だにしなくなる。

 ……今のは峻計達に散々やられた奴だよな。たしかに川田は気を失ったけど、威力がありすぎる。
 この男の正体がいやでも分かる。男が俺の視線に気づく。

「火伏せの護符を持つ物の怪。面妖だな」

 男は俺を見て、異形への言葉をつぶやく。目があうだけで震えが走る。

「川田君!」

 桜井が空に戻る。やめろ。一番のターゲットだろ!

「桜井、行くな!」
「青龍、逃れろ!」

 俺と峻計の叫びが重なる。
 小鳥を目で追う男の背へと、あいつの黒い光が向かう。男は剣ではたき落とし、あいつへと振り返る。

「鬼を盾にして生き延びたか。あいかわらずだな」
 男は峻計から目をはずし、横根へと笑みを向ける。「心配シナクテイイ。眠ラセテアゲタイガ、手ガフサガッテイル」

「すんでに光を弱めたのは人がいたからか? 劉昇め、余裕を見せたつもりか」

 やはり峻計が思玲の師匠の名を口にだす。しかし、この人は台湾から空を飛んできたのか?
 それどころではない。鬼はすでに消滅したようだけど……。小鳥が狼の顔にとまり、鳴き声をたてながら鼻をつついていやがる!

「桜井、そこからどけ!」
 川田まで巻き添えになる。

「老祖師はいかがされた? 答えろ」
 峻計が師傅へと黒羽扇を向ける。

「川田君を助けないの?」

 桜井が俺に怒鳴り返す。俺は大きくうなずく。今のうちにはやく逃げろ。
 小鳥が不服そうに飛びたつ。

「それは私こそ聞きたい」劉師傅があいつへと答える。「知らぬのなら、もはやお前には消えてもらう」

 黒い光を剣ではらい、師傅が駆けだす。小柄といえども大人の女性を片手で抱きながら、人とは思えぬ速さで。
 峻計は黒羽扇を両手で持ち、師傅の剣を受けとめる。

「か、片手で私と戦うつもりか」
「お前の扇がまだ対であったときも、私は人を守りながらだったが。あのときとは似て非なるな。お前の翼をひとつ消し去ったときと」

 師傅の感が強まる。横根は師傅へ必死にしがみついている。小鳥が俺の肩にとまる。

「あれが劉師傅さん? めちゃくちゃおっかないし」
 興奮した桜井の気がずしりと重い。「それよりもだよ。川田君は気絶だけだった。でも、すごく苦しそう。はやく助けないと」

「川田は横根が回復できるかも。桜井が狙われる。俺から離れるな」

 木札を盾に彼女を守ってやる……。無数の鋼色の光が、雁行のように俺達へと向かってきた。
 俺は護符を突きだす。桜井は空へと浮かびあがる。両翼を伸ばした光達は、俺には向かわず彼女を追いかける。光は小鳥に追いつけず、夜空にかすみ消えていく。さらに巨大な鋼色の輪が闇夜へと飛んだ。回転しながら夜空を切り裂く。……なんて術だ。

「やめてよ!」

 桜井の声がする。光は当たらなかったようだけど、

「俺から離れるな!」
 俺は叫ぶしかできない。やはり彼女が狙いだ。小鳥が青龍になる前に消滅させるつもりだ。

ドクン

 背後からの俺への怒気を感じ、護符が迎え撃とうとした。

「逃げろ……。俺から逃げろ!」
 桜井を道連れにさせない。俺は背をむき出しに身がまえる。

「護符をつかさどる青龍の同胞よ。おのれの目におのれが見えぬ、人でありしものよ」
 その声だけに威圧される。
「私が誰か、思玲から聞いたようだな。ならば答えろ。なぜこの娘は、我々の宝珠の担い手となったのだ」

 桜井の気配は遠ざかっていく。俺は命ぜられたままに振り返る。……俺がやるべきことは、彼女のために時間稼ぎだ。

「あなたは劉師傅ですよね」

 だから分かりきったことを尋ねる。師傅は横根を横たえていた。ゆっくりと立ちあがる。電車の警笛、車のクラクション、改造バイクの排気音。すぐそこから聞こえる喧騒が、どこか遠くの世界で奏でられている。

「かたや空を舞い、かたや結界を覚えたとはな。私はあさはかにも二兎を追い、ともに逃した。ゆえに時間がない。……おさなき異形に身をやつし者よ。海神の玉がここにあるわけだけを述べよ」

 師傅の問いに、俺は答えに窮する。横根が珊瑚の玉を持っている理由は、この人の気分を害しそうだし思玲に迷惑かけそうだ。この人から目をそらさないので精一杯だ。

「答えぬのならば、お前も玄武も青龍生誕を助ける存在として扱う。土着の護符といえども我が剣には抗えぬ」

 師傅は待つつもりはないようだ。
 言われなくても分かっている。峻計を圧倒した魔道士を相手になにができる。

「青龍も玄武も人だ! 人を殺すつもりですか。あいつらに手をだすな」

 それでも俺は言葉で抗う。
 師傅の目を見る――。俺の叫びなど蠅だった。師傅が剣をかざす。月光を浴びて刃が鋭く輝く。
 ……これが破邪の剣。

「私は二兎ともに追わねばならぬ。お前に時間を使えない」
 刃先からブーメランの形をした鋼色の光達が放たれる。

 俺は上空へ逃れる。下界へと護符をかざす。雁行の光が俺を追いかけてくる。俺よりも速いが俺だって速い。追いついた光を体で受けとめる。衝撃がずんずんと伝わる。護符は発動している。強烈だが痛くはない。
 視界の上に半月が浮かんでいる。その月をさえぎり、人が空へと浮かびあがった。俺より天上へとあがり両手で剣を持つ。

 俺はただただ必死。護符をかかげて回りこむ俺を、師傅は惑わされることなく追ってくる。剣をかかげた劉師傅の顔が半月に照らされる。慈悲を強さでかくした顔だ。かくされた慈悲も俺には向けられない。俺を消滅させる信念だけが伝わる。
 たがいの距離は瞬時に縮まる。師傅が諸刃の剣をむける。その眼光を受け、俺は動くことさえままならない。交差する直前、劉師傅へと黒い鳥が飛びこむ。

 師傅が剣の構えをほどき、刃を横にはらう。カラスが間際で避ける。そのまま上空へと逃れ闇にまぎれる。師傅は地面へと降りながらも、浮かぶ俺へと鋼色の光の輪を放つ。
 金縛りがとけた俺は、巨大な輪をかすめるように避ける。師傅が屋上へと着地する。

「俺を呼んだ? 思玲が心配だけど来ちゃったよ」

 高い空からドーンの声がする。
 か弱い妖怪の力が、四神くずれのハシボソガラスを呼びだした。




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