三十の一 無音禰宜

文字数 4,498文字

 細い吊り目の女のコ。ちっちゃい口。今風のおかっぱ頭。

「不本意ながらも、禰宜(ねぎ)がお力を添えるのは一名だけです。彼らに捧げられるならば、鴉と化したものが授かるべきと存じます」
 折坂さんが抱える子へ言う。言葉は優しくても諭すようなニュアンスが含まれる。

「この子は無音(むね)様。禰宜ってのは、ここで三番目に偉い役職名だ。じきに二番目に偉い空席の権宮司になり、そんで一番偉い宮司を継がれる」
 麻卦さんが人の言葉で俺達に告げる。
「無音様は生まれつき耳が聞こえず声をだせない。そんなことに失望した名づけ親は、裏殿から妻を追いだし、ご執着のグラドルと一緒にこの国を出ていった。その糞野郎より立派に育ってもらうのが俺の役目。命に替えて守るのが折坂の役目だ。ここまでは期待に応えてくれている」

「麻卦は私のことを話しているだろ」
 無音という子があどけない心の声で嫌がる。
「折坂。カラスは人の心がたっぷりある。だからまだ平気だよ。娘のがヤバい」

「年長者だからせめて“お姉さん”とお呼びください。“ヤバい”は使われないように。またゲーム機を取り上げますよ」
「はーい。はやく降ろして。ここに悪い人は……たぶんいないから」

 折坂さんに返事した女の子が、俺を見ながら言う。

「告刀だ」夏奈がつぶやく。「きっと使えるんだ! お嬢ちゃん、そうでしょ!」

「桜井、気配丸出しで興奮するな。インコのときを思いだすほどだ」
 思玲が即座にきつくたしなめる。
「そして幽閉された私が教えてやる。ここだけは信じるな。だが京だけは信じろ。彼女が手でさすり、白虎から受けた傷を完治してくれた。なのですべすべお肌のままだ」

「手だけで?」ドロシーがつぶやく。それ以上の言葉を飲み込む。

「私も思玲を信じまくるからさあ、禰宜も信じてあげて」
 大蔵司が言ったあとに「……執務室長は人だよね?」

「どういう意味だ。それこそ和戸に失礼だぞ。川田にも。哲人にも……哲人は人か。マジで忙しい奴だな」
 思玲が失礼を言いまくる。

「麻卦は人だ。折坂と違う。そんなことも分からぬのか。台湾に行かせてあげたのに、お土産買わなかったし」

 この子の言葉に、俺はいま期待と失望を同時に味わっている。
 俺はドロシーを信じている。だから彼女の言葉を信じる。そもそも麻卦さんは、俺にだけ異形であることをほぼ認めた。
 でもこの子は……だまされている。手の届くところまで来た告刀。期待できるのだろうか。

「以後は誰も一切口を閉ざせ。執務室長もだ。式までは私が取り仕切る」

 そう言って、折坂さんが女の子を祭壇へとおろす。女の子はそこから全員を見下ろす。黄色系の着物に金色の帯。両手を上にあげて伸びをする。嫌悪にも似た目で、また横根を見る。

「禰宜は幼いゆえ、まだ忌むべきものを見分ける力が足りていない。それに関しては君らと同程度だ」
 折坂さんは弁明のため言ったのだろう。

「では、こいつを見ても何も感じないのか?」
 思玲が夏奈を指さしながら口を開きやがる。

「きれいなお姉さん。みんなきれいだけど大蔵司が一番」

「ではこいつは?」
 今度は川田を指さしやがる。「人に戻せるか?」

「折坂と同じ獣人だ。陰である影を照らせようとも、陰を陽に導くは叶わず。ただ影に添い、人のみを導く。そうだよね?」

「おっしゃるとおりですが、しばらくお静かにお願いします。
このように禰宜は、あふれ始めた龍にもお気づきになられない。私や川田を人にするなどできるはずない。だが、すり減った人の心を蘇らせる。人の心も強められる。憑りついた忌むべきものを追い払えるほどにだ。
質問は受けつけない。王思玲が再び声を発したら、私とともに水牢につかってもらう」

 恫喝などない淡々とした喋りなのに、誰もが静まる。何が起きるのか分からないのだから、俺だって黙る。折坂さんが正直怖いし。

無音禰宜(むねねぎ)、鴉は異形になる手前です。一人しか授けないのならそっちにすべきですよ」

 麻卦さんが声を発する。折坂さんがにらみかけてやめて、みなに背を向けて祭壇へ低い階段を昇る。

「じゃあ二人にする。でもお姉さんが先。もう魂がボロボロだもの」

 無音ちゃんの一言に、みんなが横根を見る。横根は何か言おうとして、折坂さんを見てやめる。

「禰宜はまだ幼少で体力がございません。お気持ちは立派ですが、私はあなた様を守る身なので認めません」
 そう言って折坂さんは俺達を見おろす。
「これより禰宜が告刀を下賜なされる。横根瑞希のすり減った魂をお戻しくださる。身体ももとに戻るだろう。大蔵司は隣室に連れていき、修行服に着替えさせろ。儀式は執務室長が仕切れ」

 いきなりだ。恋焦がれていた人と年の瀬近いショッピングモールで出くわすほどに、唐突すぎる。……横根へと向いていた視線が俺へと移ってくる。横根本人も俺を見ていた。判断を待っている。
 告刀を受けられるのはドーンと横根。夏奈の龍の資質と、人の気配なき川田には効果ない。俺やドロシーにも……すり減った魂がもう一人いるじゃないか。
 俺は思玲を見る。目が合うと、彼女はちいさく首を振る。そっぽを向く。
 思玲ならそうだよな。そして俺に判断を委ねるというのならば、

「横根は着替えてきなよ」
 十二三歳ほどに幼くなった彼女に言ったあと、正真正銘幼い少女へ顔を向ける。
「無音ちゃん、あのお姉さんが抱えているカラスは、俺の親友だった和戸駿だ。ずっとこの姿で苦しんできて、ついさきほどまで異形になりかけていた。告刀がどれだけ大変なのか、俺達は知らない。でもドーンにもお願いしたい。彼も人に戻してほしい」

「わかんないよ。やっぱ告刀を二回してほしいって意味?」

「そうです。ちなみにこのお兄さんは松本君。彼らのリーダーです」
 麻卦さんが答えてくれる。

「わかった、二回する。代わりに青い目をはやく消してね」
 無音ちゃんがまた俺へと真顔になる。「それは悪しき導きだ」

 夏奈とドロシーが同時に俺を見た。

「カッ、俺は告刀いらねーよ。ていうか夏奈ちゃん、胸に押しつけすぎ。このブラ硬すぎ」
 ドーンが夏奈の腕から抜けだす。軽く羽ばたいて俺の頭にとまる。
「カカカ、やっぱここが一番落ち着くし。で、俺は回復した。たぶん笛もいらねー。なんで哲人達と一緒にまだいる。正直カラスの体になじんで名残惜しいし、カカカ」

「わ、私は告刀を受けるよ」
 横根が片手をあげる。「この杖があればまだみんなと一緒にいれるから、大人に戻ってみんなを手助けする。……更衣室へ連れていってください。着替えを見ないでくださいね」

 横笛を夏奈に渡して、横根が大蔵司と外宮をでる。

「入っていい。だがまだ何も伝えるな。混乱が増えるかもしれない」
 折坂さんが唐突に言う。

 目のまえにニョロ子が現れてかなりびっくりする。そのまま俺の首に着地する。
 マッハ2.2の殲を香港から追っただけある。速すぎ。べったり巻きつき過ぎ。やっぱりちょっと生臭いけど我慢する。
 飛び蛇を肩に乗せてカラスを頭に乗せた俺へと、ドロシーが目を輝かせていた。羨望が露骨すぎ。でも目があって慌てて逸らされる。

「ドーンはドロシーの癒しで回復したみたいだね」
 頭上に言う。彼女のキスでだ。やきもちないというと(カラス相手だろうと)嘘になる。

「唇は触れてない。滑った」
 ドーンが小声で言う。……ドロシーは異形と触れ合えられない。人の目に見えぬ迦楼羅とも。
「それでもエナジーが飛びこんできた。……仲直りしとけよ。あの子はかわいいけどやっぱ怖いかも。たぶん」

「分かっているよ」言われるまでもない。

 意識して俺と顔を合わせないようにするドロシーをじっと見つめる。彼女は気配を察して必死に逸らし続ける。
 言いすぎたなんて思わない。どうせ俺達はすぐに仲直りする。無敵な二人に戻る。でも頑張って、無条件にゆるすのはやめよう。みんなのために。
 青龍の破片が俺のもとにある限り、俺とドロシーには本当の物語が待っている。この目が邪であるはずない。

「ドーンは告刀はいらない。覚悟はあるのだね」

 ただの人間になったら記憶は消える。俺達と離れるのだから無理強いできない。本人の判断に委ねる……本心はまだドーンにいてほしい。

「和戸君も人に戻るべきだって」
 思玲としゃべっていた夏奈が、こっちを向いて言う。「さもないと和戸君だけが取り残される」

「俺も龍……桜井と同じだ。カラスも迦楼羅も弱い。だから人になれ」
「カッ、ざけんなよ」

 川田も聞き耳を立てていた。こいつは意見があるときだけぼそり言う。
 だけど俺は本人の意思に従う。つまりまだ人にならない……。違うよな。前に進まないといけないよな。弱いドーンは邪魔。川田の意見は正論だけど糞くらえだ。だけど、一番最初に本来の世界に戻る権利がドーンにある。でも……

「思玲はどう思う?」
 夏奈の身振り手振りに聞きいっていた彼女に尋ねる。

「すまぬ。いろいろ聞いていた。ここにいないもののことをな。それと愛を誓った二人のこともだ」
 振り向いた思玲はにやついたあとに「それは五人で決めることだ」

 俺とドロシーを冷やかす無理した笑み。目がちょっと赤らんでいた。琥珀の件も聞いたのだろう。
 俺達は自分のことだけ考えてドライだったかもしれない。でも仕方ないに決まっている。長かった道のりのゴールが見えてきたのだから。
 もちろん今からこそ峻険な道のりだろう。告刀だって、実際に受けて横根が本来の姿に戻るまでは……。無音ちゃんに力があるならば、それに頼り、ドーンはここで別れるべきかな。
 いやだ。まだ一緒にいたい。そんなわけにはいかない。

 のけものみたいになってしまったドロシーは、ちらちら俺を見ている。俺だって思玲のせいで意識してしまう。何食わぬ顔で隣にいきたい。来てもらいたい。
 夏奈も思玲と話しながら、ちらちら俺を見ていた。と思ったら俺のもとへやってくる。

「はやく蛇に聞いてよ」きつい顔。きつい声。

 『たくみ君』がどうなったかを心配していたのか。俺は折坂さんを見る。俺達を観察しているとしか表現できない無音ちゃんを、背後でじっと見守っていた。微笑みを浮かべている?
 騒ぎだした俺達に何も言わないのだから、ニョロ子に視覚を伝えてもらっても大丈夫そう。

「お戻りだぜ。そんで、ここから先は口外厳禁だ。忘れようと夢でも見るな」

 でも、廊下で一服してきた麻卦さんが戻ってきた。真剣な顔つき。その後に、丈が合わない白い作務衣に着替えた横根が続く。上着もだから胸もとがやや開きすぎ。赤い珊瑚が見えた。
 大蔵司が緊張した顔で扉を閉める。

「さてと始めますか」

 おとなびた振りして笑う無音ちゃんの手に、おとなの手にさえ大ぶりな、無数の黒い紙垂を垂らした御幣が現れる。五歩ほど後ずさり、それを左右に振るう。お遊戯会みたい。

影添(かげそい)の人の御霊(みたま)彷徨(さまよ)うを、(みそ)(たまわ)(かしこ)(もう)す」

 心の声をたどたどしく発する無音ちゃんのまえに、人がくぐれるほどの巨大な輪が現れる。

「夏の大祓の、茅の輪……じゃない」
 部屋に入ってきたばかりの横根が言う。「あれは緑色」

 だったら全然違う。これは影でできている。




次回「影添いの告刀」
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