十 楊聡民と王俊宏

文字数 2,865文字

 楊偉天は女性に興味を持たずに半世紀以上を生きてきました。おのれの精力を妖術だけに注ぎました。
 けれども齢が八十となり欲望が目覚めました。おのれの遺伝子を残すことを望みだしました。その相手は忌むべき資質あるものならば、誰でもよかったと思います。四十過ぎた女性だろうと。そして力劣るために雑役をさせられていた……力足りぬために生き延びた私が選ばれました。

 楊は病的に潔癖なため、いかなる人とも肌を合わせるのを拒んで生きてきました。あの方は特殊な仕業で私を身籠らせました。男の子でした。名前は楊聡民。……私のただ一人の子どもなので年齢も覚えています。生きていたならば今年二十二歳でした。

 *

 俺は琥珀のスマホの待ち受けを思いだす。中学生ぐらいの思玲。それより幼い男の子が二人写っていた。そのどちらかが楊聡民。もう一人は――
 俺は言葉を挟まない。陳佳蘭は俺だけを相手に語り続ける。

 *

 忌むべき力は遺伝しません(ドロシーは祖父、かすかに母親と三代続いているが、それを彼女に指摘する必要はない)。楊偉天の願いはむなしく、聡民に何も力はありませんでした。いいえ、父の力をひとつだけ受け継ぎました。おぞましき事象への好奇と探求です。
 聡民は学校へ通いませんでした。父親や弟子達が教育を施しました。賢かったと聞きます。十二歳で大学に合格できると言われていました。弟子達のお世辞だけではないでしょう。目が違いました。息子には狂気じみた智がありました。父親以上にです。

 *

「中学生の年齢の楊聡民が何を研究したか分かりますか?」

 いきなり陳佳蘭に質問される。
 腹に隠した死者の書が存在をアピールしだした。私をめくれ、私どもに頼れ、私らの仲間になれと誘ってくる。
 六魄が俺を探している。王のもとへ来ようとしている。
 俺は特異な環境で育った少年が何を求めたか分かる。

「資質なきものが忌むべき力を授かる術ですね」
 俺は立ちあがる。「それはある程度成功した。思玲はそれを夏奈に与えようとしている」

 許せない。赦さない。

「玲玲へ悪意を向けるならば、私はあなたと戦わないとならない。なので座ってください」
 陳佳蘭は暗い眼差しのままで見あげてくる。
「忌むべき力を間接的に感じる。難しいことは私など分かりませんが、聡民は異形が存在するを理知的に知ること叶いました。ただの人なのに、忌むべき声を聞こえるようになりました。息子はさらに研究に没頭しました。しかし頓挫しました。
……自分だけで試しても進まない。息子は似た境遇の者を求めて、すぐに見つけました。忌むべき世界の住人のような姉を持つ二歳下の男の子でした。……王俊宏。生きていれば今年二十歳の、玲玲の弟の名前です」

 これ以上聞いてはいけないと感じる。なのに死者の書が知ろうとしている。俺は抗えない。陳佳蘭は独白のように話し続ける。

 *

 当初の俊宏に力はまったく無かったでしょう。彼は五歳上の姉を慕っていました。二年間の離れ離れの生活が耐えられぬほどに幼かった。
 楊偉天は息子の我儘を受け入れて、夏休みに王俊宏を呼びつけました。実験のためにです。九歳の王俊宏は一週間の滞在で町へと戻りました。
 私には何も分かりませんでした。でも老いて狂った妖術士と、若く狂った探究者は気づいたようです。王俊宏には眠った資質があると。それを起こすことができるならば、自分達だって更なる力を得られるだろうと。

 楊偉天は思玲の母親に虚言を伝えました。
 あの子は危険だ。姉と同じ力がある。年ごろになれば、禁忌すべきものを呼びよせる。儂が弟も預かりたい。
 思玲の母は拒みました。娘を捨てたことに罪悪感もあったし、夫に頼れなくなったうえに、子どもを二人も失いたくないからでしょう。でも表の政府ともつながりある魔道士を拒めるはずありません。祭凱志が否応なく連れ去りました。
 王俊宏は実験のために、姉と同じ部屋に住みました。

 十歳の俊宏、十三歳の聡民、そして十五歳の王思玲。玲玲は先輩魔道士達と鍛錬の日々を送っていました。聡民は父とともに研究の日々を続けました。……俊宏は何も知らずに飼われていました。私があの子の相手をすることが多かったです。俊宏は、ここでの生活が楽しいと言ってくれました。姉と一緒にいるのが嬉しいとも言ってくれました。

 ……十四歳になった聡民はついに魔道具を作りだしました。資質がないのにどうやって?

『資質がないからこそ作れました。母さんと同じく、式神達がはっきり見える。ははは、予想通りに気味悪い奴ばかり。どうやって作ったか知りたいですか? そりゃもちろん』

 父の血を儀式に使ったと息子は得意げに教えてくれました。私は怖くなりました。

 ああ……。

『僕は今日、あんたを追い越す。天賦の才能を僕が作る』

 そ、そして十五歳になった私の息子は、老いた父親に頼ろうとせず、玲玲の弟の資質を強制的に目覚めさせようとしました。
 私の責任です。なんで強く引き止めなかったのでしょう。……王俊宏は異形のごとき人になったと聞きます。聡民は死にました。俊宏は楊偉天達に――祭凱志に殺されました。
 思玲は楊偉天を憎み、その弟子を憎み、楊聡民を憎み、その偽りの家族である無力な陳佳蘭を憎みました。いまも、これからも憎しみ続けるでしょう。

 ***

 死者の書が興奮している。
 でもこの人は大事な部分を隠している。楊聡民が十五歳になった年、つまり思玲が十七歳になった年に何があったのか、記憶に怯えて、端的にしか伝えられずにいる。
 死者の書が呼んでいる。俺もそぞろになっていく。でも俺は書に囚われない。なぜならば、これは知る必要がないからだ。
 思玲だけでなく……琥珀も関わるのならば、これ以上の真実を知ってはいけない。……でも、この人は小鬼の正体を知っているのだろうか? それこそ聞けるはずない。

「俺にこの話を聞かせた真意は何ですか?」

 この人は待ちかまえたように語りだした。しかも思玲が戻る前に終わらせるために駆け足でだ。

「最初に言ったとおりに、知ってもらいたかったからです」
「答えになってないです。なんで知ってほしかった?」

 この人はうつむく。

「……王俊宏はおぞましき親子に協力的でした。忌むべき力を得ることができるならば、奪うこともできると信じていました。姉がただの人に戻ったならば、自分と一緒に家へ帰られる。家族で仲よく過ごせる。そのために協力しました」

 この人は俺をすがるように見る。

「劉昇は日本で死んだ。祭凱志は日月潭で死んだ。楊と張麗豪は死んでくれた。そ、そうしたら次は……。お願いします。あなたが人に戻ろうと、俊宏の姉を助けてください。そのためならば、私の知ることをすべて教えます。伝えます」

 この人はさらに告げる。

「あなたはなんでも知ることができますね? だったら王思玲を知ってください。そして守ってあげてください。……私には無理です。私は七年前に死にましたから。私の心はあの日に、彼らより一足先に、死者の仲間入りをしています」




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