三十三の二 ドッグファイト

文字数 2,477文字

「思玲と桜井を探してくる」

 正門前の信号で、ドーンが校内へと飛んでいく。俺も木札を振りながら、中空から正門に向かう。
 ドーンは気づかず行ったけど、桜井の気配などどこにもない。異形を惑わす思玲の香りも伝わらない。
 ドーンの導きに従うだけだ。俺は正門脇の通用口で待つ。夜だから蛍光灯がまぶしい。秘めた力がどんなにあろうが、あいかわらず軟弱な妖怪のままだ。

 信号が青に変わる。信号待ちの車はない。横断歩道を歩くのも横根だけ。ひとけがなく、彼女の顔に緊張が浮かぶ。

「瑞希ちゃん、行くな! 戻れ!」
 その胸もとで子犬がきゃんきゃんと暴れだす。
「松本、警備員を呼びだせ! あいつがいるぞ。あいつとあいつがいる!」

 ……手負いの獣が吠える。横根も川田の意思に感づいた。まわりを見わたしたあとに、詰所へと駆ける。俺もまぶしさを我慢して、警備員の注意を引くため木札を振る。

「夜分ニスミマセン」

 横根が人へと声をかける。警備員達はお札にも彼女にも目を向けない。モニターをぼんやりと眺めている。……起きたままで寝ていやがる。
 横根は詰所に逃げこもうとして、はじき返される。……結界だ!

「松本、間にあわない」彼女の腕で川田が覚悟する。「峻計とツチカベだ」

 俺は交差点へと振り返る。黒羽扇を手に峻計が笑っていた。

「リクト、やっぱりチビになったわね。黒い光がちょっとだけ逃げてきたわよ。あの男は面白くないことばかりね。あなた達まで劉昇に殺されかけただろ? 台湾でもよくあったわ」

 峻計は信号側へと黒羽扇をぐるりとかざす。
 さらに囲ったのだろうけど、木札は発動しない。つまり隙間がある。
 あいつを見て横根が極度に怯えだす。

「この人、まだいたの? あの人が倒したと思っていた」

 彼女に伝える手段などなかった。俺達の代わりに、峻計が横根に笑みをかける。

「瑞希ちゃん、だまされているのよ。思玲も劉昇も、こいつらに殺されたわ。あなたはお友達だと思っているけど、すでにみんな化け物よ。守ってあげるから、こちらにおいで」

 あいつは人の言葉を操る。異形の耳にも違和がないほど流ちょうに。
 でもそんな話を、横根が信じるはずがない。彼女はあいつに背を向ける。校内に逃げこもうとして、また結界にはね返される。
 ふふふと、あいつは声にだして笑う。

「来てくれたら、楽に殺してあげたのに」

 横根へと人の言葉を付け足す。……気配がうごめいた。異形のものではないけど、どこだ?

「峻計さん、おぞましい声をださないでくれ。俺は、その人間を噛み裂けばいいのか? そしたら俺はこの世界から抜けだせるのだな? 人の世界から」

 憎悪に満ちた声。正門にかかったブルーシートの下から、犬が一匹現れる。土色の毛が点滅に変わった信号に赤く照らされる。昼間見た野良犬――ツチカベだ。

「約束するわ。お前ならきっと力を授けられるわ。お前の力も必要だしね」
 峻計が俺へと目を向ける。「あそこに木札が浮いているよね? あれは無視しな」

 峻計が横根へと歩む。ツチカベがよだれを垂らしながら、その脇にはべる。俺はあいつの頭上に浮かびあがり、にらみおろす。

「劉師傅はお前を追っているぞ。じきに現れる」

 護符はまだ怒っていない。つまり、あいつは俺へと害意を向けてない。

「あの男が近くに来れば、私は気づくのよ。天から降ってこようともね」

 ……劉師傅の身になにかが起きた。俺が与えた護符の傷に違いない。

「松本、なにがあろうと瑞希ちゃんを守るからな」

 川田の決意の声が聞こえ、我にかえる。俺と目が合うと、子犬は地面へと飛びおりる。横根の前でうなり声をあげる。

「いいわね。空気がよどみそうね。ツチカベ、行きな」
 峻計に命じられ、野良犬は吠え声も発せずに横根へと駆けだす。

「はやくあの人を呼んでよ!」

 横根の悲鳴が響くなかを、俺と川田がツチカベに飛びかかる。俺はツチカベに気づかれないままふわりと横に落ちる。野犬の牙は川田へと向かう。

「瑞希ちゃんの頼みは無視しろ。奴は呼ばないでくれ」

 ちょこちょこ歩きだった子犬が俊敏な動きに変わる。はるかに大きい野良犬の牙を避けてその顎の下をくぐり、逆に前足を噛む。ツチカベが足を振るい、子犬は振り落とされる。
 かかえこむツチカベから逃れ、立ちすくむ横根の前に再び陣どる。低く強くうなり声を発する。

「声をだすな。そこで寝ている連中が起きるぞ。……あの人間どもは起きないな。峻計さんの力でだな」
 ツチカベは吠え声をださない。
「お前は昼間にいたでかぶつだろ? 俺にはそれも分かるぞ。なんでシバ野郎のガキになった?」

 川田は返答しない。牙をむきだすだけだ。

「チビ犬にかまわずに人を襲いな」

 あいつがじれたように命じる。……黒い光を発しないし、姿も隠さない。やはり羽根が壊れたせいだな。それでも横根を殺すことに執着している。

「こいつがあの野郎ならば、メンツにかけてもこいつから倒す。だけどあんたの話が嘘でないと信じられた。俺も望むものに変われるのだな」

 ツチカベは横根と川田を遠巻きにする。その背中へと、俺は木札をかざして突っこむ――。いくら心が歪んでいようが、こいつはただの犬だ。

「松本君、どこなの! お札を使って!」

 横根が絶叫する。でも犬を殺せるはずがない。護符を発動させられない。

「人の女はうるさいよな。もっと小さい女の子だって賑やかだった」
 ツチカベが笑う。「お前もわめくか?」

 川田へと笑い、飛びかかる。
 横根がまた悲鳴をあげる。ツチカベの頭をかばんで叩く。顔をあげた野良犬の鼻さきに、子犬が噛みつきぶらさがる。それでも野良犬は声を発しない。頭を左右に強く振る。川田である子犬がまた飛ばされて、詰所の壁にぶつかる。すぐに立ちあがり、横根の前へと走る。野良犬へとまたうなる……。
 狼であった子犬は、おもしが取れたかのように鋭敏な動きを見せる。

 川田を見習わないと。俺は木札から目をそらし、ツチカベに押しつける。勢いが強い分だけ、強くスリップするだけだ。好きこのんで、生きているものを殺せるはずがない。




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