十八の三 禍々しき戦い

文字数 3,626文字

「露泥無、もう一度だけ頼む!」

 俺は河岸の砂利に這いつくばるだけだ。味方みたいな異形にさえ頼ってやる。
 雨はじわじわ強まっていく。雷が地に落ちたのは、俺達を照らした一度きり。残りは雲のなかで暴れている。その力をため込んでいるかのように――。
 土壁の雪駄が見えて、蹴られて転がされる。

「すごい戦いだぜ。お前も見ておけよ」

 土壁が俺を踏んだまま中空に目をやる。
 自在に舞う麗豪が、ふたつの光の鞭を自在に操る。狼はそれを避け、魔道士へと高く飛ぶ。牙が麗豪の足をかすめる。
 土砂降りとなろうが、人も異形も気にしない。這おうともがく俺を、土壁が持ちあげる。顔の前まで持ちあげて笑う。

「獲物であそぶなんて、犬のときにはできなかった」

 岩へと叩きつけられる。……顔面がへこんだ。
 ケビン、川田、戻ってきてくれ……。二人とも、もう殺されたのかもしれない。また持ちあげられる。叩きつけられる。
 フサフサ、助けてくれ。……こいつから逃げたに違いない。
 疑心になるな。川田が負けるはずない。フサフサが逃げるはずない。俺がこんな状況だからって見捨てるはずない。機会を狙っているだけ――。また持ちあげられる。また岩へと、ドゴン。
 意識を失えない。激痛だけに支配される。存在しない左腕が耐えられぬほど痛くなってきた。頭から流れる血が目にしみて、視界を暗くしながら消えていく。
 持ちあげられ、岩に叩きつけられる。か弱い妖怪が助けを呼んでも誰も来ない。

「人間のガキどもが、こうやって兄弟達を殺したぜ」
 土壁に蹴飛ばされる。
「俺はどぶ川に投げられただけだったけどな」

 野良犬の生い立ちなど知ったことじゃない。浮かびあがろうとして、捕まり叩きつけられる。岩を這おうとしてずり落ちる。
 護符がないのなら、ほかの力が欲しい。せめて力となるものを――。

松本君こそ

 いつかの夏奈の涙と笑みが浮かぶ。……俺はまだ死なない。力がなければ逃げればいい。いずれどこかで力を手に入れてやる。それから救いだす。
 もがいてやる。右ポケットに手を突っこむ。

「これを知っているか?」
 前歯が折れた陥没した顔で、土壁へと嫌味な笑みを向ける。思玲から渡されたものをだす。

「お前と会話はしない。口車に乗せられるだけと、峻計さんも流範も言っていた」
 土壁がしゃがみ、落ちくぼんだ目を俺へと寄せる。雨に濡れると獣の匂いが漂う。
「だが俺もそれは知っている。人の使うものだ」

「これを渡す。だから見逃せよ。すごく便利だから、みんな使っている」
 画面を土壁に向けて、中指で電源ボタンを探る。
「ほら、こんなに」

 土壁はスマホを一瞥しただけだ。また俺をつかみあげる。

ブ、ブー

 電子音とともに、画面から青い炎が凶相をめざす。突き刺す凍った風、罵詈罵声、実体化した中国拳法の乱れ打ちが土壁を襲う。

「こりゃなんだ!」

 禍々しき異形でさえもひるむ。スマホを土壁の作務衣の襟に放りこみ、その手から逃れる。呪いの言葉も唱えはじめて、俺は沢へと転がる。水へと落ちる間際に、土壁の絶叫が聞こえた。
 水面にも雨は叩きつけている。

「機会だ」
 俺へとぬるっとした魚が寄ってくる。
「あっ、天珠……は後回しだ。これは僕の限定的ボランティアだ。上海はいっさい関与していない。そうしておかないと、うるさい方がいるからね」

 ナマズの口が俺の手に護符を握らせる。お天宮さんの木札は、俺を待ちかまえて…………いない?

「土壁!」

 それでも俺は川から半身をあげる。雨で増した水かさに流されるのを耐える。薄れかけた体を鼓舞して護符をかかげる。……発せられた光は叩きつける雨などにかき消される。そうであろうと、川原でもだえ苦しむ異形へと向かう。

「魔道士が先だ!」川から露泥無が叫ぶ。

 俺は振りかえる。岩の上に術の紐でがんじがらめの雅がいた。それを見おろす張麗豪の手から二本の鞭が現れる。

「あと少しだ。邪魔をしないでくれ」
 ずぶ濡れの麗豪が冷めた目を向ける。

 雷雲は雨だけで、なおも稲妻を走らせない。麗豪が俺へと鞭をしならせる。その背へと、ずぶ濡れの巨漢の女性がのしかかる。

「のろいんだよ」
 フサフサの手から折れた爪が伸びる。
「哲人はネズミかと思った」

 老練な野良猫はやはり機会を待っていた。俺が立ち向かうときをだ。
 フサフサの五本の爪が麗豪の背を切り裂く。俺もよろよろと戦いの場に向かう。

「化け物が!」

 麗豪がフサフサを押しのける。宙に浮かびあがろうとして、上空のヨタカに気をとられる。フサフサが麗豪を足から引きずりおろす。

「でも哲人はネズミじゃない」猫であった人が叫ぶ。「ネズミはあんた達さ!」

 五本の爪が張麗豪の顔を切り裂く。眼鏡が飛び、絶叫を豪雨がかき消す。

「哲人は犬をやれ!」フサフサが鬼面で言う。「私は人間を殺す」

 がんじがらめの狼が、フサフサに岩から蹴り落とされる。その目とあう。いわれのない復讐の目を、なおも向けていてぇ!
 食いこむほどに、頭になにかをぶつけられる。琥珀のスマホが地面に落ちる。

「この野郎め」土壁は立ちあがっていた。「火焔嶽!」

 隻腕におぞましい槍が現れる。俺との間の地面から、つなぎ服の女の子が浮かびあがる。拾ったスマホの電源ボタンを押す。

「つぎは死ぬよ」土壁へと不細工に投げる。「嘘だけど」

 それでも土壁はひるむ。スマホから流れる不快な読経が俺との間に壁を作る。
「うわっ」と、眼鏡の女の子は地面へと溶けていく。

「はやく」

 フサフサのじれた声。彼女は麗豪の背中に全体重を落とし、首へと爪をつけている。自分は人間へととどめを刺そうとしない。俺は呪文を聞かされて一層ふらふらだし。
 這いずるように狼へと歩く。雅の目にはなおも憎悪しかなかった。

「私の背後をとるとはな」張麗豪がうめく。「土壁。やはり殺すべきかもしれない」

 もはや誰もが俺達を抹殺しようとしている。敵を減らさないと。
 俺は現時点で勝てそうな相手である、がんじがらめの狼を見おろす。

「この声は毒だな……。俺は人なのに……」
 背後で土壁が騒いでいる。
「俺は人になった! ドクで殺されるのはお前達だ!」

 奴からあふれでる憎しみに振り向いてしまう。
 土壁がよろめきながら槍を地に刺した。人の手をした槍先が、握りつぶすようにスマホを微塵にする。呪文が途絶える。
 土壁が槍を俺へと向ける。紫色の玉が俺へと向かってくる。俺が避ければ狼に当たる。

「へへ……」と、俺の言葉に安堵したドロシーの顔が浮かぶ。約束を完膚なきまでに果たせなくなる。
 でも逃げないと。ここで死んだら、夏奈は――。

まじめ君が?

 桜井は俺に期待の目を向けてくれなかった。だから俺は馬鹿な真似をした。そして『松本君こそ』と涙目で笑った。
 馬鹿同士と受け入れたからだ。いまごろ気づいた――


「俺との戦いは、二日後にしろ!」
 俺は雅へと命じる。同時に背中に毒のかたまりを受ける。
「そ、そ、そして、絶対にシノを襲うな」
 雅へと破邪の剣を向ける。ちがった、破邪の木札、天宮の護符。
「お、俺に従え!」

 扱いにくい護符に命じる。護符がぽわっと光る。なのに、おのれの力が衰えていく。毒を受けた背中がしびれだす。血が紫色に冒されていくのを感じる。えぐられた首も、食いちぎられた腕も痛みだす。
 歯をかみしめ、護符を狼へと振りかざす。縛りつけていた光の鞭を切り裂く。雅を開放する。護符の光が消える。

「なんてことを。あと少しだった……。土壁、化け猫をどかせ!」
 静かであった麗豪が怒鳴る。
「皆殺しにしろ!」

「麗豪さんに言われる必要はない」土壁が笑う。「あばよ、化け猫ババア」

 人の手をした槍先が、フサフサであった人に刺さるのが見えた。野良猫であった人がよろめき落ちる。麗豪が傷を受けた背中を手でさすろうとしながら岩に手をつく。

「百鬼の時間は峠を過ぎた。フサフサも松本も、なんで躊躇した」
 地面のどこかの闇から、露泥無の醒めた声がする。
「二度と機会はない。死んで穢れるまえに天珠を返してくれ」

 解放された狼が俺をにらむ。真っ暗な森へときびすを返す。フサフサが巨岩から転がり落ちる。
 麗豪が立ちあがった。眼鏡をかけなおす。
 雨はさらに強く打ちつけてくる。空のうなりは高まっていく。フサフサを貫いた槍が消える。

「峻計さんの言ったとおりだ。弱く見えようが、舐めてはいけない奴だったな」

 俺を見おろす土壁の手に槍が現れる。
 空はなおもどよめく。

「夏奈……」

 その空へと俺はつぶやく。毒はじわじわとぼろぼろの体にひろがっていく。さすがはドーンだったな。この状態でも弱音を吐かなかった。フサフサがなおも立ちあがろうとして、麗豪の術の鞭がその首に巻きつく。

――森の女あるじを救ったな
――助けを求める声に応じてやろう

 木霊の声が聞こえた。

――お前はさらに強くなるがいい
――なるがいい
――なるがいい……

 こだまは輪唱になっていく。




次章「2.5-tune」
次回「座敷わらしと天宮の護符」
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