四十五の一 異界卒業白猫女子

文字数 6,425文字

4.3-tune


 やっぱり琥珀に再び会えた。やっぱり小鬼は楊聡民だった。王俊宏と仲良さそうだった。
 二人は手をつないだまま光に包まれたよ。

 思玲の部屋にわざわざ一人で向かって、言いたかったけど言えなかったこと。峻計の件もだけど。
 代わりに言わなくていいことを言ってしまった。思玲に嘘をついたかもしれないのは、困っているのはどちらも好きだからでなく、俺に選ぶ権利があるならば揺るぐことなく……。
 ただただ川田を人に戻すことを考えろ。思玲の凛とした横顔を見ながら思う。

「なんだ? 鼻毛が飛びでているか?」
「きれいだなと思っただけ」青ざめているよと思っただけ。
「私はぐちゃぐちゃの関係に参加しないからな」

 二人は川田にドアを破壊された部屋の前から、川田にドアを破壊されたエレベーターに乗る。
 地下駐車場で降りると、麻卦さんが紙を手に俺を待っていた。見出しが見えた。請求書だと?

「貪を倒し白虎を倒した。そりゃ君達はすごいよ。だけど画竜点睛を欠く」
 俺の青い目を見ながら言う。
「なので、別途請求金額は額面通りだ。宿代や弁当代や、魔道団が拒否した王思玲の式神の引き上げ代も加えてある。端数もまけない。支払いは現金のみ」

 数字が見えた。125,122,307円だと?

「国単位のは知りません。でも俺は、戦いが生死で決まることのが少ないと知りました。勝てなければ降伏する。それもゆるされないなら逃げる。それが現実なのに俺達は違った。立ち向かい、生き延びてきた。だけど俺達は、今度は追い続けねばならない。戦い続けねばならない。その辛苦が計りしれなかろうとです」
 金額を無視して告げる。

「社員は全員帰らせた。明日も出社させない。その損失も含まれているが当然だよな? 一部の者が銀丹を必要以上に消費している。そちらは後日精算にまわす」
 俺の演説を無視して告げられる。

「私のダイヤで足りるだろ」
 思玲が目を細める。

「あれは二億円もなかったぞ。御徒町で鑑定してもらったら二千万円だった。お前宛てのヘリ賠償金六億円も紙にしておいた」
「そういうことは素早いな。台湾ドルを日本円に換算したときに、桁を間違えたようだ」

 思玲が悪びれずに言うけど、金の心配などしてやるものか。代わりに無音禰宜も叱らない。俺のドロシーへの思いは、呪いなんかに消される程度と教えてくれたのだから。お互いを知るほどに深まるに決まっている。

「目を見ればわかる。松本君は支払う気が更々ない」
「とんでもないです。ちなみに貪と暴雪、峻計を倒し藤川匠を捕らえれば幾らになります?」
「龍は二億。虎は公言しないが魔物は三千万。生まれ変わりは四億だ」
「米ドルか?」
「思玲は割り込まないでよ。で、単位はドルですか?」
「はずねーだろ。弱い円だ」

 それでも現実感なきほどの金額だ。峻計を倒した報酬三千万円が安く感じるほどだ。

「松本君が皮算用しだしたようだが、そろそろドロシーの爺さんに相談すべきでないの?」

 それは駄目だ。やっぱり金銭関係で甘えない。あり得るかもしれない未来で、弱い立場の婿になる。

「白虎にとどめを倒さなかったのは、死者の書を奪還するためです」
 俺は思いついたばかりの嘘を言う。「キム老人はまだ来てないのですか?」

「ご老体はまだだよ。ドロシーから冥神の輪の回収。それも待っているのだけどね。そろそろ保証人なり担保を書面で――」
「陰辜諸の杖でどうだ?」
 思玲が唐突に口にする。

「はあ? そりゃなんだ? 煙に巻くなよ、おい」
 麻卦さんが思玲をにらむ。

 この人は意外に感情が顔にでる。だからわかる。執務室長はその魔道具を知らない。

「使えぬ狸オヤジだな。その杖の所在を折坂に聞いてくれ。瑞希は外宮か?」
「思玲失礼すぎるから謝ってよ。それで夏奈と川田とドロシーも外宮ですか? 時間は限られています」

「彼女の無礼より君の逃げ口上こそ参考にしたい。松本君は政治家になるべきだよ。応援するから稼いでくれ」
 麻卦さんの手に煙草が現れる。

「哲人は悪徳弁護士を目指すらしい。一本くれないか?」
「未成年でなかろうとやらねーよ。みんなはエントランスにいる」
 麻卦さんが煙草に火をつけて「川田君が突拍子もないことを口にしそうな顔になった。午後から水牢に入ってもらうことになる」
 俺へと煙を吐きかける。

「ですけど」
「やむを得ないな」

 俺が躊躇するより早く思玲が同意する。エンジン音が近づき三人とも顔を向ける。アフリカツインに乗ったイウンヒョクが六本木から戻ってきた。

「書面にサインするなよ。俺はソウルでえらい目にあったことがある。キム爺が尻を拭ってくれたけどな」
 ヘルメットをかぶったまま、麻卦さんの手もとを見ながら言う。
「人の世界のが悪意だらけで生きづらい」

 ***

「松本の女が正しかった。麻卦は異形だ。食べていいか?」

 川田が俺にだけ言う。それだけの知恵はある。
 ドロシーはまだいない。シャワーを浴びているらしい。夏奈は長々と着替え中。思玲と横根は何かを話している。
 昨夜六本木で起きた死傷者発生の事故はガス漏れになるらしいと、イウンヒョクが教えてくれた。彼は続いて殲のもとへ、ボランティアで様子見に向かった。
 玄関の前に影添大社の人間は誰もいない。上海不夜会の二人もだ。四人だけ。

「松本の女が正しかった。麻卦はタヌキだ。食べていいか?」
「繰り返すなよ。ドロシーは否定しただろ」
「瑞希が心配だ。よその男に奪われる」
「雅が守るよ。そのためにニョロ子が伝令に向かった」
「折坂の匂いだ。どんどん臭くなっている」

 ……嚙み合わない会話を終わらせる存在がやってきた。

「松本はにらむな。私は昨夜までの私と違う」
 折坂さんこそ俺をにらむ。いら立ちを隠さぬまま「王もだ。私に聞きたいことがあるようだが明日以降にしておけ」

「わかった」
 思玲が引きつった顔で即答しやがる。

「異形を人に戻す杖がここにあるそうです」
 代わりに俺が尋ねる。名称は難しくて一度で覚えられない。

はやく逃げろ

 護符がおびえた。

「人の姿をした私への嫌味か? 白昼に公衆の前で、私が人を殺めぬと思っているのか?」
 折坂が俺の前へすっと移動する。
「貴様はここに関わりすぎだ。しかも関わったものをおかしくさせる。執務室長も大蔵司も」

 護符が懸命に発動している。すぐ隣から黒い光に照らされる。川田の手もとで天宮の護符が輝いていた。俺の後ろポケットから抜きとった……。
 大和獣人と手負いの獣人がにらみ合う。

「弱い」折坂が言う。
「お前よりはな」川田が答える。「だがボスと組めば強い」

 また無言でにらみ合う。正直俺は怖い。

「無音ちゃんが待っています。最後に松本君と話をさせてください」

 強い声へと全員が目を向ける。横根が折坂へと眼差しを向けていた。手には忌むべき杖。もう縛っていない。

「桜井とドロシーとは会わないのか?」
「はい」
 彼女はきっぱりと答える。

「外宮に入れるのは横根瑞希だけだ」
 折坂が社内に去っていく……。

 俺の足が震えていることに気づく。破格だ。貪よりも暴雪よりも怖い。なんであれ味方であって、これこそ命拾いだ。

「私は思玲のことを忘れる。きっと思いだせない」
 横根は引きつったままの思玲を真顔で見上げる。

「あ、ああ。慣れているから平気だ」
 背高い思玲がぶっきらぼうに答える。

「でも、みんなの心のどこかに思玲は残ったままだよ絶対に。そして、いつでも戦いからリタイアしていいよ。あなたはそれが許される」

 思玲は無言のまま。

「あなたのおかげです。ありがとう」
 横根が笑みを浮かべたままで振りかえる。
「川田君またね。松本君は非常階段まで付きあって」

「ああ。俺は松本が心配だから、まだここにいる」
 川田が手を振る。「ドーンも松本もいなくなったら楽しくない。そしたら俺も人になって、瑞希に会いにいく」

 *

「泣いているの?」
 非常階段をあがる横根に聞かれる。

「だって川田が言ってくれた」
 彼女の背後で答える。

 人間に戻ると言ってくれた。快晴の空。汗ばむ陽気の午前十一時。

「いまの川田君は怖いだけだからよかった。前の川田君も彼女がいるのに変な態度とるから苦手だったけど。背が大きすぎて圧迫感あるのも苦手だったし」

 横根は非常階段を踏みしめるようにゆっくり上る。

「夏奈ちゃんが言っていたよ。自分から龍の資質を抜いてみせる。……フロレ・エスタスの生まれ変わりでなく、ただの桜井夏奈でまた会おうねだって」
 踊り場で横根が立ち止まる。振りかえる。三段下の俺を見おろす。
「ドロシーが言っていた。哲人さんは私と一緒にずっといるだって」

 彼女の向こうには青い空。雲ひとつない空。道をふさいでいるから、俺も立ちどまざるを得ない。

「横根はドロシーが嫌いなんだ」
 態度からうっすら感じていた。

「そんなことないけど……正直に言うと……彼女はかなり、大嫌い。
松本君も目が覚めて彼女を遠ざけたよね。私だって、外国人だろうと自分本位の個人主義の人間は好きじゃない」

 目が覚めたでなく呪いを受けただけ。ピュアな横根にそんなことを言うはずなく……彼女が正しいなんてあるはずない。

「俺はドロシーを嫌いじゃないよ。横根と同じぐらい好きだ」

「ずるい言葉だね。曖昧にごまかす。松本君のそういうところが嫌いになった。だから私は先に帰る」
 彼女は顔を戻す。
「嘘だよ。私だって松本君が好き。この世界が性に合っているような強い松本君だって好き。こんな記憶はみんな消えて必ずまた会えるから……そうしないと進まない気がするから、先に行く。公園には誰もいないように念押ししてね。あっそうだ」

 横根がどす黒い小さな杖を握ったまま、首の後ろに手をまわす。胸もとから赤い珊瑚のペンダントを取りだす。

「私からだと思玲は受けとらないだろうから、松本君から返して。十字羯磨はデニーさんに渡してある。それじゃあ」

 そんな言葉だけで横根が去っていく。短い階段の向こうには二階への非常口が待っている。

「俺だけ横根が公園に現れるのを見届ける。だって俺はこっちの世界に残るから、その義務がある」

 そんな言葉だけで、横根はまた立ちどまる。

「……何度もキスしたと私だけ聞かされたよ。それなのに夏奈ちゃんを選ばないの?」
「俺に選ぶ権利はない。それにまだ、終わってない」
「ずるいよずるいずるい!」
 彼女は前を向いたまま叫ぶ。「終わっても目が青いままって宣言したばっかりだよ。……一人だけみんなの記憶を残したままなんて気持ち悪い。そばに寄らないでね、絶対に」

 秋晴れの空の下で、ずけずけと言ってくれた小柄で目のクリリとした女の子。誰よりも強くなったような横根瑞希。

「伝えたいことはたっぷりあるのに、対等じゃない。四人を選ばないのなら無理だよ。……もしフサフサに会えたら、私の分までありがとうを伝えて」

 その言葉を最後に非常ドアを開ける音がして、静かに閉める音がした。

「横根ありがとう!」

 人の言葉で叫ぶほどに告げて、階段を下りる。……会話が破綻してしまったけど、彼女は俺になにを告げたかったのだろう? いまさら知ることはできないし、今後も聞けることはないだろう。彼女は立ち去るのだから……。
 横根は逃げたのではない。仲間だった三人に――とりわけ俺に辟易としたから。付き合いきれなくなったから去った。
 そうであるはずないと分かっているけど、いまの俺では気づけない。気づけぬまま満月の下で死ぬかもしれない。生き延びたとしても、選んだ道は変えない。
 公園では全員が待機していた。

「背がでかすぎる人は苦手と瑞希に言われた。人になると小さくなるか?」
「一人だけと向きあうことが大事だよ。部屋に戻って」
 川田を適当にあしらう。

「瑞希ともお別れのキスをしたのか?」
「たっぷりね。地下駐車場で待っていて」
 にやにや笑う思玲を追い払う。

「横根がありがとうと言っていたよ。いまの記憶をなくした彼女を見てはいけないから、もうちょっと休んでいなよ」
「……(つい)

 俺から目をそらすドロシーにも告げる。彼女は夏奈を一度見て、思玲達を追いかける。

「夏奈も行って」
「一緒にいようよ。二人で静かに見送ってあげよう」

 俺こそ辟易だ。でも拒絶できない。夏奈の大きな瞳を見る。唇を見る。強い言葉などかけられない。

「ドロシーと会話したの?」
「まったくゼロ。でも二人の関係が変わったことに気づいている」

 夏奈は俺の気持ちに気づいていないの?
 泥だらけの服で抱き合って、たっぷりキスしたから未練はないよ。
 人として姑息すぎて言えるはずない。それに未練はまだまだたっぷりだ。

「せめてブランコから離れよう」
「だね」

 子供連れ。子供だけ。子供連れ。二人は人だらけの公園を並んで歩く。公衆便所の影なんて怪しい場所から園内を覗く。本当に横根は現れるのだろうか?

「藤川を殺さないでね。たぶん哲人のが強い」
「沈大姐よりずっと弱い俺が、一人で奴に勝てるはずない」
「ドロシーと組めなくなっちゃったしね、ははは。私のせいで痛みが復活しちゃったし、ははは」

 なんだろう。こういうのを能天気と呼ぶのかな。

「痛みがあると無理できないから、いいことだと思う」
「無理すべきだって。私が一緒に戦ってあげる。京さんとお化けニワトリも一緒に、ははは」
「それだと藤川が死んじゃうよ」
「夏奈ちゃんと松本君だ。何しているの?」

 背後から横根の声がした。

「何って……」

 振り返れば、さっきまでと変わらぬ服装と髪型の彼女がいた。でも眼差しが違う。なんていうか甘えた表情……怯えたような弱い顔立ち。その手に杖はない。

「ははは、瑞希ちゃんひさしぶり。いつ以来?」
「余計なことは言うな」
 桜井を心の声で叱る。

「こんなところで何してるの? ……やっぱり二人は付き合っていたんだ」

 横根がくりっとした瞳で(怪訝に)見上げてくるけど、その言葉に俺は思う。
 ここで交際を認めれば、もし記憶なく人の世界に戻ったならば、二人はデキていることに改竄されるかも。……千葉の奥の奥の落花生群生地よりは、さすがに俺の部屋のが学校に近い。夏奈は三石でなく俺の部屋に入り浸るかも。
 俺の部屋から一緒に電車に乗る。妄想していた展開。俺のベッドで眠る夏奈。俺のベッドで……
 昨日の朝、俺のベッドで寝ていた人。その寝顔。

「哲人のその癖なおそう」
 俺の熟考に、夏奈が苛立った人の声をだす。

「うん。俺と夏奈は、たまたま日暮里で会っただけだよ」

 横根がさらに怪訝な表情になる。ふいに醒めた顔になる。

「たまたま会えるんだ。名前で呼びあうのも、たまたま?」
「それは……」
「夏休みにいろいろあったんだね。私なんか何の思い出もない夏だったのに」

 公園の子供達のざわめき。気温があがって夏みたいに薄着な子が多い。

「瑞希ちゃんは何でここにいるの?」
 夏奈が何もなかったように聞く。

「え? ……何でだろう。そうそう、応援してくれる保育園へ、読み聞かせボランティアに来てた。今から帰るところ」
 記憶の改竄を口にして「二人の邪魔をしちゃ悪いから、じゃあね」
 俺達の横をすり抜ける。

「まだ私達のことは、みんなに内緒にしてね。出来立てだし照れるから。ははは」
 夏奈が笑い声で見送る。

「ありがとう。すごくありがとう」
 俺は、もう届かない心の声を横根へとかける。
「戻ろうか」
 夏奈へと言う。

「だね。藤川を倒せば、すぐに会えるし」
「降伏してくれないかな」
「ははは」

 横根とは、こんな別れで充分だと思う。俺は必死だった白猫を覚えたままだろうと。
 夏奈が隣を歩く。手はつないでこない。……彼女だって、あふれだした龍の資質が抜ければ、いまの記憶を失うだろう。俺とキスしまくったことも忘れてくれる……夏奈はいきなり振り返る。

「瑞希ちゃん、またね!」

 ……心の声。だけど龍の咆哮。聞こえないはずなのに、横根はびくりとした。余計なことを……。




次回「アイシャルノーターン」
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