十五の一 死人の女王だと?

文字数 3,170文字

 俺は異形。受難を授かった異形。みんなを俺の苦難に巻き込んだけど。
 夏奈は違う。夏奈は宿命を持っていた。つまり、たまたま七難八苦とさだめが重なり合っただけの二人……。
 そんなであるはずない。
 俺と夏奈のあいだにも七難八苦が積まれている。それを乗り越えて二人は結ばれる。
 でもいまは闇の中で霧の中。二人を包むのは真っ暗闇と山の霧。マジで。

「目を開けられるようになった」
 話せるようになった俺が言う。

「私はなんで台湾の山で真夜中におなかすかしているんだろ? これって遭難かな、ははは」
「夏奈は怖くないの?」
「怖いから笑い飛ばしたんだよ!」
「ごめん……。俺はもう少しで歩けるから朝になったら下山しよう。思玲達が待っているはず」
「最初に死者の書が言ったままか。あれはシャツにしまっておいた。全裸で眠る松本君には抱きついてないよ、ははは」
「……あの書は(かた)るだけだよ。歪んだ事実と、事実の断片しか伝えない。(いさか)いを好むのかもしれない。だから楊偉天と張麗豪は死んだ」
「だからたくみ君には不要だった。ははは」

 夏奈との会話は必ず、行きつくところは藤川匠。奴の存在が彼女の勇気になっていると感じてしまう。でも俺と一緒にいてくれる。真っ暗な世界で、俺の横で膝を抱えて座っている。杖を握ったままで。

 満月まであと一週間。なのに夏奈のスマホは圏外。山奥だろうと電波通せよ台湾。
 横根はドーンに笛を渡せただろうか? 思玲と大蔵司はどうなった? 白虎は俺を探しているだろうか? ここに現れるだろうか?

「たくみ君だったら箱を直せるかもしれない」
 夏奈がふいに言う。「ドーン君も人に戻せるかもしれない」

「俺は? 川田は?」
 だったら軍門にくだってもいい。

 その問いに夏奈は返事しない。俺は危惧を口にする。

「藤川匠が箱を直したら、夏奈を龍にするかもしれない」
「何度も何度もなるはずねーし」

 何度も?

 ……異国の虫が鳴いている。日本と同じ鳴き声だ。……聞くべきでないかもしれない。でも探るべきだよな。

「夏奈が龍だったときに、サキトガから守ってくれたよね」
「その話、嫌な流れになる。やめよう」

 夏奈がきっぱり即座に言う。それでも知りたい。

「フロレ・エスタス」
「やめないならば松本君を置いていくからね」

 夏奈は脅しを口にしない。だから俺も続きを口にしない。……死者の書に尋ねればいい。歪曲された事実だろうと事実なのだから。

「死人の女王って誰かな?」

 夏奈がいきなり言う。
 それが誰であるのか、俺には分かる。でも告げるべきだろうか。

「六魄が話題にしたの? そういえばあいつら現れないね」
 そんな言葉でごまかす。

「逸らした!」夏奈は気づく。「誰なのか言えよ。あの強そうなおばさん?」

 沈大姐のことか? 夏奈と接点あったっけ? ……言う分には問題ないよな。

「上海のボスじゃないよ。たぶんドロシー」
「げげ」
 目を見広げたのちに夏奈が黙りこむ。

「あり得るし、まいったな」
 しばらくして口にする。
「あの子は誰より強いよね。あのおばさんより強い。京さんの次に強い。しかも人前でキスできるほど松本君と相思相愛」
「あれは術だよ。しかも妖術」

 右40度ぐらい話題を逸らしておく。……夏奈のランキングだと大蔵司が一番強いのか。その根拠より何より、上気した顔で見つめるドロシーの眼差しを思いだす。
 彼女こそ最強だと言い張りたいけど、たしかにそこまで強くない。無敵だとしても強くない。そもそも一人では強くない。たやすくサキトガに惑わされ、魂を奪われるのに抗いもしなかった。法董の投げた輪を避けられなかった。
 その傷を、最後の戦いで俺に晒した。仲間ごと根絶やしにされるのを、俺が受け入れると思ったのだろうか。敵を倒すのに魅入られた存在がドロシーでなかったら、俺は法董や楊偉天と同様に扱うことを躊躇しなかったのに。
 あの一連の戦いで誰よりも彼女が死に近かった。

 それでも夏奈が怯える理由。ドロシーが龍を倒すべき存在だからではない。龍の主さえ倒し得る存在だから。だけど弱い。俺と組まなければ声がでかいだけのトラブルメーカー。

「あの子は怪我している。戦うこともできない。だからもう俺達の前に現れない」

 傷が治る頃には、俺達を包む禍々しき事象に決着をつけているはず。もし足を引きずるドロシーが現れたならば、おそらく俺より死に近い。でも彼女がただで死ぬはずない。巻き添えが半端ないかも。
 なおさら来てはいけないし、そもそも来るはずない。梁勲が見張っている。彼女が現れて怪我でもしようものならば、あの若々しい爺さんが敵になる。
 彼女との束の間の物語は終わった。いま一緒にいる人だけを思おう。だけど必ず人の世界に戻す。約束したのだから。

 しかし異国の山の湿った暗闇。正直に言って、俺は妖怪のくせにちょっと怖い。それなのに夏奈は、俺にいたずらっぽい笑みを向けるほどに余裕。開きなおったような顔。

「あの汚い本が呼べって言うからさー、幽霊もどきを行かせちゃった。死者の女王様を迎えにね」
 体育座りの夏奈が言う。
「さあて、松本君はどちらを選ぶでしょう。ははは」


 ****


「しかし何故に台湾だ? そこに我らが主もおられるのか? 六魄答えろ」
「小鬼とは話さない。お前の匂いは不快だ」
「到着すれば分かるだろ。チチチ」

 私は六魄ちゃん達から聞いている。王姐は台湾にいる。哲人さん、夏奈さん、陰陽士とともにいる。でも苦境だ。……私は重くて長距離を運べないらしい。哲人さんより数倍重いなんて失礼すぎる。

「主様はもう六魄達を見たくないって。でも僕一人で影添大社に送るのは嫌だったんだ。琥珀と九郎が一緒でありがとう」
 風軍のかわいい声が聞こえた。「だって僕もこいつら嫌いだもの。おなか壊しそう」

「人であったってだけで人間は魄を毛嫌いする。なので奴らの強さに気づけない」
 小鬼ちゃんの賢そうな声もする。「あの子の底知れぬ滅茶苦茶にもな」

「滅茶苦茶ってドロシーちゃんでしょ。また何かしたの?」
 私を背負った風軍が尋ねる。

「秘密」琥珀が笑う。
「六魄も教えるなよ、チチチ」九郎も笑う。

「言うはずがない」
「我々を迎え入れてくれた女王を」
 私を囲む魄達が言う。
「生者もひれ伏す偉大な女帝」
「なのに愛らしい王女」

 この子達に隠されると猛禽である風軍でさえ気づけない。しかもこのシチュエーションだと私に接せられる。かわいすぎる。五体しかいないけど、一体はきっと恥ずかし屋さんなのだろう。そんなのもかわいい。
 王姐が琥珀と九郎を香港に送った。風軍を借りるため。夏奈さんが六魄を香港に送った。私に救いを求めるため。それは哲人さんを守るため。
 だったら独断だ。風軍を差し向ける。私も見つからぬように魄に隠れて向かう。香港に帰ったらまた怒られるけど仕方ない。

「あの島が台湾だよね。僕はここまででいいかな?」
「全景が見えるって高度ありすぎだろ、チチチ」
「風軍も付き合えよ。僕を抱えると九郎はのろまになる」
「六魄達もお願いしろ、チチチ」
「うるさい燕め」
「私達は私達のために動く」
「あれは上玉だ。私達は復活できる」
「そして死に近づける」
「……不吉だな」
「小鬼は黙れ」

 異形達の会話はかわいくて楽しい。そして私はもうすぐ哲人さんを助ける。怪我していようが助けることができる。だってあの人といたら、私は無敵だから。
 私の心も分からずに私の傷を殴った男であろうと。

 私がすべてを終わらせる。そのために日本だろうと台湾だろうと行ってやる。
 終えられたならば姑息な男と愛の誓いを。私を選ばないならば復讐の誓いを。なんて思わない。私は大好きな哲人さんが人に戻るのを見届ける。あの人が大好きな夏奈さんと結ばれるのを……。
 私は一人でも強い。だって私は香港魔道団だ。




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