三十五の三 束の間でない休息

文字数 4,044文字

 窓のない部屋で笑いあう夏奈と横根。二人から離れてベッドに寝ころがるドロシー。彼女が目線を向けてきて、女子部屋を覗いた視覚は暗転する。

「みんなは大丈夫そうだから、ここに残っていて。頼みごとが起きるかもしれない」

 それを聞き、ニョロ子が俺の肩におりる。七実ちゃんは気づかない。彼女は玄関に座ったまま。俺はその前で立ったまま。変化と言えば、思玲が扇を持ったまま腕を組んだぐらい。彼女が眼鏡の縁をあげる。

「半端に力がある。役に立たぬどころか命を奪われる程度に。それでも協力してくれるというのならばお願いしよう。なので今日のところは帰ってくれ」
「具体的に言ってもらえないと無理ですよー」

 思玲が舌を打った。七実ちゃんの顔色がやや変わる。年下の娘のくせにと思っているのだろう。

「正直に話すべきかな?」思玲へと心の声で言う。
「なにを?」思玲が心の声で返す。

「もしかしてテレパシーしていませんかあ?」

「そうだよ。俺達は特別な力を持っている。忌むべき力と呼ばれている」
 独断だ。すべて話そう。
「いまの川田は人でない。手負いの獣人と呼ばれている。けだもの系なので満月の夜に殺人鬼となる。明日の夜だ」

「ぷっ」と七実ちゃんが噴きだしやがった。俺だって現実感ないから、話して恥ずかしかった。
「ごめんなさい。でも、川田君は人殺しになりませんよ。そういう輩から人を守ります。獣人だろうと」

 この人は俺の話を半信半疑――夢物語と思っているだろう。でも川田を信じている。その川田は横根によだれを垂らしているとしても。

「だったら連絡する。朝だろうと夜だろうとね。それでいいのならば、七実ちゃんはもう戻れない。人が死ぬ世界にまぎれこむことになる」

 また彼女は俺を見上げてくる。ようやく立ち上がる。

「なんだか松本君はすごいですね~。私こそ抽象的だけど、あなたには覚悟がある。だから人を信じさせる。……一度だけ、父も母も兄のことを忘れたことがあります。私だけが覚えていて泣いた。なので信じます」
 彼女はドアを開ける。
「バイトとかででられなくても折り返しますので。私から電話するかもしれないですよお」
 ちいさくお辞儀してドアを閉める……。

 俺は部屋に入り椅子に座る。疲れがどっとでてくる。全身の鈍痛も思いだす。

「日向七実を着信拒否にする。落ち着いたら、彼女の記憶をひと月分、ドロシーに消してもらう」
 俺を信じてくれたけど、それが彼女にとって最善だろう。

「日向という姓か。兄が記憶をなくした……つまり、あいつの妹……」
 思玲は腕を組んだままだ。

「妹?」
「哲人が知らなくてよいストーリーだ。どうであれ、こっちに引きずり込まぬがな」

 そう言って思玲も動きだす。床に落ちている、いつ誰が何に使ったか分からぬタオルで髪を拭きだす。
 言葉足らずの秘密主義から過去の話を聞きだす手間はしない。代わりにマイ式神へ質問する。

「影添大社にも侵入できるんだ。上の階にも行ける?」

 ニョロ子が首を横に振る。

「夏奈達は安全ぽい。だったらちょっと休みたい。続けざまにいろいろ起きたからね」

 ニョロ子が勢いよく首を縦に振る。俺は笑いをこぼしてしまう。

「お言葉に甘えるよ。思玲だって疲れているだろうし。……ニョロ子には頑張ってもらいたい。藤川匠達を探って」

 ニョロ子が思案顔をする。視覚が飛び込む。沈大姐、デニー……。

 上海不夜会も敵だった。三つ巴の第一ラウンドで完敗したみたいだけど陣営は強大だ。なにより緑眼のデニーがいる。彼は他者の式神を従えられる。雅でさえだからニョロ子も奪われるだろう。さらには瞬時にかける記憶消し。……あれは藤川匠に効果ない。確信してしまう。

「うん。上海を探ろう。見つからないようにね」

 ニョロ子がウインクして消える。

「相性が抜群だな。川田じゃなくあの蛇を人にすればいい。ラブラブになるぞ」

 思玲が洒落にならないことを言う。でも……川田を人間に戻すってのは、それくらいの大事(おおごと)なのか。こっちの世界にずっといる人の何気ない一言で、ようやく気づく。

「おもしろくない。それより、思玲は七実ちゃんを傷つけようとしたな」
 俺は語気を荒げずに告げる。

「肉体的ではないぞ。扇を使って

を破壊する」

 またも思いだしてしまった。こいつは四神獣くずれになってパニック起こしたみんなを静めるため、手のひらをうちわに向けて粉々にした。骨組みは残っていた。

「魔道具なしでやってよ」
「哲人の顔にしてやろうか? 猫に爪を立てられたぐらいにはなる」
 思玲がむすっとしたあとに「お前みたいに動じない奴には、心へ声を打ちこむ。罵詈雑言でも卑猥な言葉でもいいので四六時中やってみろ。ただの人間にはこたえるぞ。過去に私がしたのは、幽霊がすすり泣く真似だった」

 こいつは邪悪な笑いを浮かべるけど、たしかに効果ある。ドロシーにやられまくったから分かる。だけど、あの声はすぐに消えた。いまも残っているのは、思玲の俺への懸命な叫び。

――その娘をとめろ

 最近は聞こえなくなったけど、心の奥に楔と打たれている。おそらく本当の意味で夏奈をとめるまで。

「素手での術の件だが、哲人は

ドロシーの力を見慣れて誤解していそうだから教えておく。私は優秀なほうだが、それでも80センチ以内の紙を破ける程度」

「攻撃対象に直接触れたらどれくらい?」
 応用すれば素手に殺傷能力がある。

「それができたら魔道具はいらぬ。力の放出は素人が思うよりずっと難しい。術を鞭とした張麗豪など上手なほうだ。それでも媒体であるクリップを握っていた。おのれの肌に力を残すなど、師傅にも

娘にも無理ゆえ、扇や剣に頼る」
「ドロシーネタは飽きた」

 素人の俺でもおおよそ分かる。魔道士は忌むべき力をその身体にキープすることができない。外に放てば弱まる。それを強大化する役目が魔道具。
 護符はちがう理屈だろう。力なき横根や川田でも輝かせられる。法具や破邪の剣もだ。力なき俺でも強めることできる。誰でもってわけでないにしても。

「六魄に消防木札を見せたのか?」
 思玲が話題をかえる。火伏せの護符のことだろう。

「いや。でも気づいたみたい。怒って消えた」
「今度はあいつらを敵にしたか。肌身離さずな」

 言われなくても。俺は木札を見る。
 お天狗さんは、これを俺の息子のものと言った。預けるというのは、俺に再度木札を授けるための方便だろう。だとしても、

――あの娘とともに

 誰だろう。知るはずない未来。だけどぼんやりとした輪郭。わくわくしそうな俺。
 また俺のスマホをいじりだす思玲を見つめる……

「いい加減にしろ。覗くな!」
 スマホを奪いとる。こいつと誇れる息子を育てられるはずない。

「ラインの着信を見ただけだ。シノからだ」


私はあなたをおぼえています。私はシスターに聞きましょう。
ドロシーは日本にいると思います。十四時茶会は激怒です。場所を特定したら処刑団が送られるでしょう。ケビンが抗議しています。私は何もできません。
あなたとドロシーに神の加護があることを祈ります。アーメン


 ため息をついてしまう。どんなに非があろうと、もちろんドロシーを守る。でも、何もできないシノに何も頼めない。……麻卦さんの大人のルートにすがるしかないな。ありがとうとだけ返信する。

「見捨てるつもりでないだろうな?」

「当然だろ」
 思玲と行動をともにして思いだした。無茶苦茶なのはドロシーだけでなかった。あの子だけを目のかたきにすべきでない。……でも。
「魔女って、魔女だよね?」

「当たり前だろ。魔女は魔女だ。お前はあの娘のことを言っている。なので説明しない……と思ったが気が変わった。
お気づきだと思うが、魔道士は女性のが強い力を持つことが多い。たまにその力をコントロールできない若い娘が現れる。忌むべき力が強すぎるからだ。そして世に災いをもたらす。白かろうが黒かろうが」

 この女も学校の正門を破壊したな。二十代半ばになってからだ。だとしても悪者にはとても思えない。むしろ誰よりも正義だ。

「白魔女って正義の魔女だよね?」
「うむ。ゆえにホワイトに分別だが、結局は世の水平を乱す。ゆえに魔がつく女だ。説明は以上であって、私も京もドロシーも魔女でない。そこまで破綻していない」

 思玲の端折った説明で充分わかる。破綻を定義にするならば、魔道士は老若男女すべて魔女だ。ドロシーはワンランク上で破綻しているけど悪でない。

「六魄が夏奈を狙っている件。ドロシーが命令すれば、連中はあきらめるかも」
「明日の夜以外はな。だが桜井は平気だろう。龍の資質を襲えまい」

 こいつの当てずっぽうに何度も痛い目に遭っている。

「満月の夜はどんな感じに凶悪になるの?」
「妖怪博士から聞いたが、満月の六魄ちゃんは、有名魔法使い映画にでてくる幽鬼にそっくりらしい。怖そうだから私は観ない」

 魂を吸う奴らのことだ。言われてみればすでに似ている。……主人公でさえ苦戦したよな。あんなのが六体も襲ってきたら、夏奈でも魂をミイラにされそう。そうでなくても日本で無差別襲撃されたら、香港から連れてきた俺の責任だ……。

「六魄は、はぐれとも呼ばれるよね? ほかの魄はどこにいるの?」
「魔道士の間で魄の話はタブーだが、部外者へ特別教えてやる。無害なのは捕らえて消される。もしくは影添大社がかき集める」

「あそこが?」名前はまさに影に添うだけど。「なんのため?」

「知らぬし怖くて聞けぬ。楊偉天も教えてくれなかった。なので哲人が麻卦に聞いてくれ」

 部外者だろうと余計に首を突っこむはずない。この件で俺がすべきことは。

「今夜中に倒そう。手段はいくらでもある」
 俺が護符なしでおとりになり、結界に閉じこめて、みんなで倒す。

「夜は異形の時間だ。せめて昼間にしろ。それに六魄は魔道士の成れの果て。そして魔道団に消されずにいる」
 思玲がタオルを俺へと投げる。ベットに座る。
「永遠に苦しませるために」




次回「俺の知らないストーリー」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み