三の三 箱に集う三人

文字数 1,922文字

「スーリン!」

 ドーンが飛びかかるのを、女の子はひらりと避ける。ドーンをあきれるなんてできない。こいつの目に涙が浮かんでいるから。

「腑抜けの哲人など不要だ。だが選択の猶予を与えてやる」
 スーリンが俺に目を向ける。
「ドロシーなりジュンジーなりに拷問を受け無残な骸をさらすか、二たび異形と化すか決めろ。我々と行かぬならば、すぐに立ち去れ」

 俺の部屋だろ。マジで実家に逃げ去ってやろうか……。キスマークは完全に取れてないと言ったよな。故郷にまで追跡されて拷問されるかも。

「そこに行けば記憶が蘇るのだろ。帰省の予定でバイトも休み入れたし(こいつらのせいで勉強も身に入らないし)、箱を開けるのを付き合うよ。いまさら茶番でしたなんて言うなよ。マジで怒るからな」

 俺の選択肢はひとつしかない。あまりに現実感がないままに、とりあえず同意する。

「カカカッ、哲人が怒るとおっかないなんて、みんな知ってるしね」
 ドーンは俺の決断を当然のように受けいれていやがる。

「ここから先は茶化すな。私はおとなの衣装をまとうゆえ、すこしだけ待ってくれ。消えぬように、お前らのスマホと財布を預かるぞ。靴を履いておけ」
 スーリンが着替えや俺達の所持品を抱えて、ユニットバスに入る。
「リクト、迎えにきたのではない。あっちを向いていろ」

「この話が事実だとして、ドーンはなんで行けるんだ」
 俺は木箱の前に座り、友へと最大の疑問を尋ねる。だってカラスになるのだろ?
「俺はなにも起きないと思っている。スーリンちゃんの夢物語が終わるだけだと思う」
 異国の魔法使いに会っていようが、そう思いたい。

「カカッ、記憶が復活すれば分かるって。……俺だって、あっちにいたときは二度と戻らないと決めていたけどな」
 ドーンも木箱をはさんで俺の前にしゃがむ。
「瑞希ちゃんは最後まで付き合ってくれたんだぜ。川田は、子犬になってもいつも最前列だった。彼女がいた身でも、桜井の笑顔はヤバかったし。哲人にはもったいないぐらいに……。カカッ、あっちにいこうが、まわりの景色は変わらないからな。あまり期待するなよ」

「待たせたな」
 待たせもせずにスーリンがやってくる。
「すまぬが哲人のいないときに見分させてもらい、お前の服から選ばせてもらった。最後に着ていたジャージはださいし、ネット通販で買ったひらひらの服より、こっちのが実戦的だ。哲人と背丈が違いないのは知っているからな」

 俺の一番お気に入りのポロシャツをだぶだぶに着て、俺のとっておきのジーンズを引きずって現れやがる。俺の名義を使いネットで買ったブラジャー(Eの85)まで、ご丁寧につけてやがる。俺とドーンのあいだに座る。

「みんながお化けにチェンジして、それからどうするの?」
 俺からの当然な問いなのに、

「ここで聞くなよ。こんなの勢いだろ」

 俺をにらむドーンの目は狂気じみていた。この先に起きることを、本気で恐れて耐えている。その横でスーリンが一度だけ深く息を吸う。

「瑞希ちゃんは絶対に猫のままかな?」
 女の子の姿のうちに念押ししておく。茶番でなければ、この子もじきにおっかないお姉さんになるのか。それとも「彼女が人としてあっちにいたら、スーリンちゃんは猫になるかもね」

 女の子が露骨にぎくりとする。
「やめてくれ。私はすでに腹をくくった。哲人こそ、おのれの身辺に起きたことをろくに聞かずに行くではないか――。
あやうく忘れるところだった。和戸、明かりを消してクーラーも止めてくれ。ドアも半開きにしろ。万が一、哲人が人の作りし力に悶絶しても逃げられるようにな」

 なにそれ?
 ドーンはてきぱきと動き、また座る。俺へと恐怖と覚悟が六対四の目を向ける。いきなりスーリンが木箱のふたを開ける。金属の箱がでてきて拍子抜けする。

「カカッ、もうじき和戸駿という存在は消滅する。ある意味、完璧なフリーダムじゃね」

 ドーンが引きつった顔でうそぶく。
 存在がなくなるって、俺もかな。俺もだよな。

「和戸、もう一度だけ言っておく。タイムリミットは二日だからな。私だけが戻るなど選ばぬぞ」
 スーリンが青錆びたふたも開ける。

 俺はなにも聞いていない。二日を過ぎればどうなるんだよ。でも、もはや黄色の布の中で、四つの玉のうち二個だけが輝いていた。赤色と白色に……。かすかにだけど、残りの玉も色づいている。黒色と青色に――。
 黒い光が巨大蛍みたいに、よろよろと俺に向かってきた。それを押しのけるように、透けるほどにブルーの玉から澄んだ光が俺へと飛びこむ。
 シャワーを浴びたかったな。そんなことだけを考える。

「カカカッ」

 ドーンのやけっぱちな笑い声だけが聞こえて、人としての俺が消える。




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