二十六の二 圧倒的すぎる式神

文字数 4,371文字

 かぎりなく透明の巨大すぎるクラゲ。荒川をせき止めるサイズなのに、水はその中をとどまることなく流れていく。
 クラゲの触手に乗る人が俺へと近づく。

「生き返った松本哲人だな。存在は忘れたが、君を知るもの達から再度教えられた。だが忘却はお互い様だ。――守ってやろう。こっちへ来るがいい」

 男性の手に朱色の扇が現れる。あおぐと、俺とドーンはウォータースライダーを降りるぐらいの勢いで彼のもとに引っ張られる。
 これはPKの術だ。沈大姐や楊偉天など限られた人しか使えない――ドロシーも使えるけど加減をまったくできないから封印している術だ(廃村での戦いで向かい合う藤川匠へと使ったら、関係ないあばら家が崩壊しただけだったらしい。俺は夏奈の尻尾で飛ばされて見ていない)。

 クラゲの触手が俺達を頭にふわりと乗せる。遊園地のエア遊具の上みたい。

「無力な君達は貪に立ち向かおうとしたな。それを見せられて、どうすれば身をひそめていられようか。ゆえに私は弱くて強きものを守る。ここで朽ちようともだ」
「この中国語兄ちゃんは誰だよ、哲人の知り合いかよ。……味方だよな?」

 さっそくドーンが浮かんで騒ぎだす。
 俺は見上げながら思う。この緑の目のハーフぽい人がきっとデニー。沈大姐の片腕。深圳で俺や思玲の記憶を奪った人……。もっとドライな人間だと思っていた。いまのこの人を見ていると、

こいつはよき人間だ

 俺のなかにいない座敷わらしがインプットするはずない!
 こいつは儀式をするために日本へ来た。そのついでに俺を助けようとしている。こいつの記憶を失った俺を助けるために……。

「魔道団ですか? 違いますね。どこの誰だか存じませぬがありがとうございます」
「なんだ哲人も知らねーのかよ。……ていうかさあ……まだいいや」

 ドーンである迦楼羅は笛を握りしめている。俺はふわふわの上で立ちあがる。
 記憶を失った振りを続けよう。そうすれば守り続けてもらえる。その後に起きるかもしれないことでも、アドバンテージは俺にある。

「礼などいらない。君が持つ天珠の護りに頼るためでもあるからな。それに、どうせ君はまた忘れる。私は英雄にならない。私が世のために戦うことは誰も覚えなくていい」

 また俺に記憶消しをかけると宣言されたけど、この人のもう一つの手に偃月刀が現れる。

「死相漂う君であろうと、私の前で死なせない。――庄内虹海月(しょうないにじぐらげ)の唐よ、お前の死は私が見届ける。私の死はお前が見届けろ」
「ガー!」

 いきなり動きだした唐に、ドーンがぼよよんと弾かれる。
 人の目に見える俺を乗せたまま、巨大クラゲが空へ浮かび上がる。虹色に輝きだして人の目に見えたらきっと綺麗だろうけど。
 ……貪に心を読ませぬために、俺を空中戦に付き合わせるつもりだ。そして沈大姐の式神を犠牲に、禍々しき龍を成敗する。デニーはホットでドライだ。
 でも貪はいない。貪は知恵がある。おそらく強敵相手に逃げた。

ブオアアアア

 なにもない面前から黒い炎が現れた。貪は姿も隠せた。
 クラゲが体をさらに浮かす。炎を虹色クリアな体で受けとめる……吸収した?

「唐を倒すのは難しいぞ。殲の攻撃をかわすぐらいに」
 デニーが薄く笑う。

「カカカ、橋で貪をふっ飛ばした波動のことだな。一歩遅かったけど」
 ドーンが言うけどそんなことがあったのか。さすがは鳥系異形の視力だ。
「ていうか、殲ってでかい翼竜だよな。あのおばちゃんの式神だよな。つまり、この人は上海不夜会じゃね?」

「おばちゃんとは誰のことだ?」
 緑眼の男が振りかえりドーンを睨む。「暴言を吐くものを守る所以はない」

 デニーが扇を払う。ドーンが放物線を描いて足立区埼玉方面へ飛んでいく。

「やめろ! あいつも人だ! 人だから守って……」

 ドーンは腹を減らしてタクシーに飛び込んできたよな。だから迦楼羅になった。なのに迦楼羅のまま……腹を減らしたまま。

「ドーン笛を吹けし! カラスに戻れし!」
 本物の異形になってしまう。

「飛べるだろ? だがここにいるべきか」

 デニーが扇をふるう。
 ドーンが“迦楼羅夜露死苦”を向けたまま一直線に戻ってきた。唐にふわりとぶつかる。
 気づけば俺達は上空高く。ここからだと下界は見えないけど、スカイツリーを超えた。雨雲にかすむ先っぽがちょっと見えた。

「こんな状況でカラスに戻れるはずねーし。腹が減っていたほうがアドレナリンがでまくる、かも」
 尻をさすりながら言う。「吹くならばこっちだ」

 ドーンが笛を奏でる。……高山青だ。戦う気力が湧いてくる。足もとの唐も揺れながらリズムを取りだす。

「違うだろ。いつものを吹けよ。切なげな奴」
 覇気を蘇らせてくれても、俺は戦いに参加できない。なのに空へジャンプしそう。

「大姐の魔笛だな。お前もお気に召されていたのか」
 デニーがまた薄く笑い「貪は追いつけるはずない殲を追った。そのまま逃げるか、戻ってくるか……後者か」

 上空から黒い炎が降ってきた。足もとがふわっと沈む。俺達はクラゲの体内に入る。黒い炎は吸収されて消える。
 虹色ネオンの透明な体内。その向こうで、唐が無数の足を空へと掲げるのが見えた。毒と雷が飛びだすのも見えた。

ゲヒゲヒヒヒ

 狂った獣の吠え声。実体をあらわにした黒い龍が急降下してきた。毒も雷も弾き飛んでいく。

「ここでは戦えない」
 デニーが偃月刀を握りなおす。跳躍して唐から抜けだす。

 貪が炎を吐きだす。「なに?」

()!」

 デニーが異界の火を浴びながら、迫りくる貪の鼻先を切り裂く。

「ぐわあああ」
 貪が悲鳴を上げて真横に避ける。

「唐、急げ」

 火だるまになったデニーが俺達のもとに落ちてくる。転がって火を消そうとする。俺は濡れた服を脱いで彼にかける。

「こいづにもかかるだんだけど、よいだべがな」

 唐の声が響いた。クラゲだろうと喋れるのか。しかも日本語。

「仕方ない、急げ」
 デニーが転がりながら言う。「迦楼羅の笛の音に私まで踊らされてしまった」

 周囲が暗くなった。温かい闇……。デニーを包む炎が消えていく。彼は片手をついて立ち上がる。息は荒い。

「この人間も完治だず。妖術みだいな尊いみだいなもんまで取れぢまっだ」

 クラゲが言うけど、訛りがきついけど……妖術。尊い?
 頬をつねる。痛覚が戻っている。

「松本の死相が消えたな。さすがは癒しの海月(クラゲ)だ。あと五百年も生きれば殲とともにレジェンドの仲間入りだな。――匂う服だがこれにも助けられた」
 火傷が消えたデニーが立ち上がり俺へシャツを返す。
「殲よ。貪はどうした?」

「あなた様に呆れて去りました。私は追撃に入ります。とのこどだべ」
 クラゲが伝える。喋れるなら標準語で喋れ。

「戦うな。例の飛び蛇みたいに、まとわりつくだけにしろ――そう伝えろ」
 そう言ってデニーが俺達を見る。浮かびかけた安堵を消す。
「死を覚悟して戦えば、弱いものはおのずと逃げる。そういうことだ。……この中にいれば人の目には見えない。さすがにあの蛇でも侵入できまい。唐よ、陸地へ戻れ」

 空に浮かぶ巨大クラゲがゆっくりと下降しだす。とりあえず小休止。この服はもう着たくない――。

「ドーン、はやく笛を吹け」
 下着の白シャツだけで怒鳴る。ジーンズも脱ぎたい。

「お、おお」
 ドーンが横笛を吹く。ゆったりと切なく……焦った感じに旋律が乱れていく。
「哲人やべえ、カラスに戻れねえ」

 マジかよ。……まわりにおぞましい食物はないよな……クラゲはどうだろう?

「貸してみろ」

 手を伸ばしたデニーへと、切羽詰まった(つら)の迦楼羅が躊躇せず手わたす。
 デニーが横笛を口に当てる。異国の音楽が奏でられる。中華というよりはシルクロードを想わせるような。

「あ、ありがとうございますです」
 ハシボソガラスに戻ったドーンが言う。

 デニーが俺へ笛を渡す。とりあえず安堵する。やっぱりこの人はすごい。
 しかし、このクラゲはゆっくり降りるな。貪もドーンもひと段落したら、川田と横根が気になる。早く合流しないとならない。

「人であった鴉か。よく生き延びてきたが、さすがに人へ戻るべきかもな」

 デニーが黒焦げになった服を脱ぎながら言う。鍛えられた体があらわになる。……この人には絶対に勝てないと感じる。だって、この人は俺なんかよりずっと死への覚悟がある。ケビンよりもだ。忌むべき力を持ち、どんな人生を送ってきたのだろう。
 俺達の味方になってほしい。切に願ってしまう。

「もちろんっすよ。で、どうすればいいんすか?」
 ドーンが俺の頭にとまって言う。爪が浅く刺さって痛い。

「私には無理だ。ゆえに沈大姐をおばん扱いせず(クスリと笑った)、ここのすぐそばを頼るのだな。親玉がアメリカにいる状態では難しいだろうが」
 また薄く笑う。

「アメリカ?」
 尋ねてしまう。宮司は国外にいる? 絶望がもたげだしてくる。

「知っているのは我々だけだが、これはSランクの極秘情報だぞ。……双璧の式神を預かりながら、私は邪悪な龍を撃退しただけだ。だが仕方ない。奴が私との戦いを望まなかったのだから」
 デニーが胸ポケットをあさる。煙草の箱をだす。クラゲの体内で吸うつもりじゃないだろな。
「貪の狙いは君達を殺すこと。影添大社に向かわせないことだった。私も奴と同じ態度にでると判断したのかな。だったら反対のことをしてやる」

 そう言って細い煙草に安っぽいライターで火をつける。

「あなたはデニーさんですよね? 沈大姐の参謀。露泥無から名前を聞いたことがあります」
 そんな覚えはないけど、そうしておけば話をつなげやすい。
「あのムジナは? 沈大姐も日本にいるのですか?」

「不躾な質問にも答えてあげよう。露泥無は、やかんでなくなった。大姐ならば封印の解除もたやすかった。そして私とともにこの国へ来た。いまは千葉にいる」

ドクン

 鼓動が早まった。そこにいるのは夏奈とドロシー。
 ポケットを探り天珠をタップする。

「もしかして二人を守ってくれるとか? あのおば――あのお方は笛や武器を貸してくれたし。使い魔も追っ払ってくれたし」

 ドーンが楽観論を口にする。でもデニーは薄く笑う。煙も薄く吐きだす。
『もしもーし』と声が聞こえた。俺は安堵するだけで、天珠を口もとに持ってこない。
 こいつへと身構えろ。記憶を消されるな。避けろ。

「すべてを忘れるのだから教えてあげよう。大姐は復活した魔導師を出し抜くために落花生畑へ向かった。さきに龍を蘇らせるためにな」
 数口吸っただけの煙草を投げ捨てる。火は消えて、唐の中にとどまることなく落下する。
 その手に赤い扇が現れる。
「それこそが、今世でもっとも偉大な魔道士であられる方が望み求めることだ。そのために私が儀式を仕切る。そっちの邪魔はするなよ」

 こいつは俺達へと素早い動作で扇を振るう。漂う紫煙が揺れ




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