一の一 ボディガード始めました

文字数 3,268文字

4.91-tune


「俺が飛行機も操縦するのが安全だと思うけどね」

 ペンギンにしか見えないツバメが、ピンク色のワンボックスカーのドライバーズシートから振り向く。運転に専念してくれ。

「だよね。執務室長、(きゅう)ちゃんの言うとおりにしましょうよ」
 大蔵司京が助手席でメイクしながら言う。バックミラーを自分に向けている。
「台輔、到着予想時間が増えてるよ」

 俺もカーナビを覗く。異形の車だからか、目がちかちかしない。現在時刻は午前五時二十分。東名道をひた走り到着予想は午前八時半。

『朝から事故渋滞ですな。九郎殿でも無理げ』

 カーナビの女性の声が告げる。じっさいは、大蔵司が買い替えた大型車に封印された陸海豚の台輔が答えている。
 封印ってなんだろう? いまさら聞きたいけど我慢する。静かにしている。

「俺はのろのろが苦手だぞ」
 運転席で窮屈そうに九郎をまたぐ麻卦執務室長が、四本目の缶ビールを開けながら言う。
 ごわごわの天然パーマぽい小太り四十代。丸い目に丸い鼻。アルコール焼けがゴルフ焼けに勝っていて、背丈があるから貫禄ある。でも太鼓腹。
「台輔ちゃん、最短ルートは?」

『関空まで海を行くと一時間短縮ですな。キューキュー』

「台輔が泳ぐのか。どうする?」
 九郎の問いに。

「リッター3キロはきついから、九ちゃんが運転続けて。執務室長は寝ていてください」
 そう言って、大蔵司が振り向く。「後ろの三人はおとなしいね。酔った?」

 涼しげな顔立ち。二重まぶたの凛とした瞳。すっきりした鼻筋。
 率直に言って、横根よりも夏奈よりも思玲よりもドロシーよりも、峻計よりさえ圧倒的美人。しかも愛嬌がある……のに、思玲のがきつい顔立ちなのに、ある意味峻計(あいつ)よりも、大蔵司から怖さを感じる。
 俺のひとつ上の彼女は、日本の魔道士である陰陽士。俺が異形だから彼女に怯えるのだろうか。

 心への言葉だから日本語だろうと通じるはずなのに、後部座席のシノとケビンは何も答えない。当たり前だ。これはドライブではない。

「考えごとしていたので」と仕方なく俺が答える。
 質問したいことはあるけど、傷心の二人を思うデリカシーが勝る。人の形をした、人に見えない異形だろうとだ。

 俺はドロシーの父の服を着ている。脱いでも次の瞬間にはまた着ているように、実体ではないから汚れも血痕もない。銃弾の跡だけ。
 異形のままである俺は、香港魔道団が関西空港に置き去りにしたプライベートジェット機に乗り、香港へ向かう。影添大社の執務室長である麻卦さんの用心棒としてだ。
 その酔っ払いは、南京の破戒僧であった法董から取り返した冥神の輪の片割れを、魔道団から引き取るために香港へ行く。さらに死者の書も受けとる。あまたの知識を授ける禁断の書――。
 とにかくドロシーがリュックサックに入れて持ち帰ってしまったので、手間が増えてしまった。その後は、南京の僧侶と深圳という都市で落ちあって、それらを渡す手筈らしい。……死者の書も。
 大丈夫。俺は死人に呼ばれてもないし奴らを求めもしない。楊偉天や張麗豪みたいに死者の仲間になるはずない――大蔵司が俺を凝視していた。

「松本と初対面って思えない。やっぱり私もそっち系の資質あるかな?」
 異形の俺には君づけしなくなったけど、彼女が言う資質とは思玲みたいにどっちの世界の記憶も残せる――どちらにも存在できること。
「きっと異形のが似合っているのだろうね」

 とんでもないことを言い残して顔を戻す。彼女と九郎は飛行機には乗らない。ピンクのワンボックスカーである台輔もだ。
 異形な俺の本来の目的は思玲を連れ戻すこと。世話になったドロシーの見舞いもする……会いたい。かなり会いたいけど、俺は異形のまま……。
 それらは麻卦さんから了承を得ている。妖怪な俺の荷物は独鈷杵と天珠だけで済んだ。

「松本君は人に戻れば元彼女(モトカノ)とよりを戻せるだろ? しかし彼女はかわいいね。横根ちゃんも」
 今度はダミーの運転手役の麻卦さんが、缶ビール片手に振り返る。さすがにやばいだろ。
「香港で競馬場に行きたかったけど、かわいい桜井ちゃんたちが待っているから一泊だけだ」

 無償でボディガードを引き受ける条件で、夏奈と横根は影添大社に泊めてもらっている。
 異形は神聖な社に入れないと、ドーンと川田は拒否された(俺もだ)。だから二人は川田のアパートにいる。事件を起こさない限りは狩らないと言質は取ってある。ドーンの横笛は川田に預けてある……。かなり心配。帰ってきたら完全なカラスになっていたりして。琥珀がいるから大丈夫とは思うけど……。
 いろいろ不安だから、俺は焦らないとならない。まずは思玲を連れ戻すために十四時茶会を説得する。麻卦さんにも手伝ってもらう。それと、麻卦さんのさきほどの言葉の訂正もしないとならない。

「夏奈はもともと彼女ではないです」素気なく答える。

 夏奈から龍の資質を消し去り、みんなが元の姿に戻り、すべての記憶が消えたあとに告白しなおす……。ドロシーの泣き顔がよみがえる。脚を法董に斬られた彼女は二週間の安静と、シノから聞いている。龍を倒すべく存在は満月に間に合わない。……傷跡が残るだろうな。川田とともに魂を地の底に送ってやった破戒僧へと、なおも怒りが湧く。

「瑞希もモトカノ違うよね? あの子って真面目だけど、BLとか興味ありげな気がする」
 大蔵司が言う。(限りなく事実に近い)噂だけど裏垢での小説投稿。なぜに気づける?
「執務室長。女同士のラブはなんて言いましたっけ?」

「百合だっけな」
「シャラップ!」

 後部座席のケビンが人の声で怒鳴る。

「荒い言葉でごめんなさい。でも静かにしてください」
 その隣に座るシノが異形の言葉で付け足す。

 **

「執務室長をよろしく。九ちゃん、どこかの温泉に寄ろう」
「思玲様にもよろしくな。箱根でいいかな」
『でっかい露天風呂を貸し切って、俺の封印解いてくれますかな。キューキュー』

 空港に俺達をおろすなりピンクのワゴン車は去っていく。クラクションをぷっぷと鳴らす。
 三十代男性が出迎えてくれた。彼も魔道団のメンバーで、飛行機の操縦のために香港から出向いたそうだ。ケビンとシノと抱擁を交わす。涙を流す。異国で仲間が十人以上も命を落としたのだから当然だ。なにも知らないから、俺をにらむのも当然だ。

「予定通り十時に出発できる。香港には十四時過ぎに着。ミックはあなたたちと話したくないって」
 シノが俺に教えてくれる。彼女も麻卦さんとは話したくないようだ。

「機内に酒はあるか?」
 なのに麻卦さんから話しかける。

「ビールとウイスキーとワインならばある。いつでも搭乗できるので、手続きを進めてください」

 ドロシー以外での魔道団の生き残りである、シノとケビンが去っていく。
 彼らの仲間を倒したのは、台湾の魔道士と異形、俺と悶着があった西洋の使い魔。なのに思玲が拘束されているように、俺達への魔道団の風当たりは良くはないようだ。
『魔道団は全力であなた達を守る』とドロシーは言ったけど現実は甘くない。また不安になってきたけど、思玲を連れ戻さないとならない。夏奈のために。みんなのために。

 俺は異形だからパスポートの提示は不要だけど、麻卦さんに付き添って進む。人の光の下だから、人に当たるたびによろけてしまう。

「喫茶店で休憩するか?」麻卦さんに聞かれる。

「飛行機に乗りましょう」

 大人の体の座敷わらしでも、人だらけの場所は苦手だ。そもそも何も飲めないし食えない。食欲もなかったけど、そろそろ腹に入れたい気もする。何を食べたいのか、自分で分からない。食えば人に戻れない。それは分かっている。

 *

 小型ジェット機は十六人が定員だった。本来なら異形は荷物室らしいが、特例で客室を許された。客室乗務員はいない。乗客は三人と俺だけ。
 ミックが英語で小声で早口にぶっきらぼうにアナウンスする。聞き取れないまま滑走しだす。
 夏奈の誕生日に、藤川匠も二十歳になった日に、俺は日本を離れる。
 満月まで八日。




次回「客室乗務員始めました」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み