一の一 いきなりコンタクト
文字数 2,283文字
1-tune
お盆は近づいたのに、俺はまだ東京にいる。
帰省の目途などない。アスファルトに閉ざされた十三時なんかに電車を降り、大学へと続く歩きなれた道を行く。汗なんか、にじむなり蒸発だ。青空には、東京中の汗をかきあつめた雲が浮かぶだけ。どうせまた夕立。
見あげたところで、この暑さにカラスなんか飛んでいない。龍なんかいるはずがない。
途中のT字路で裏道へと入る。……念のため、人の世界も確認する。がばりと振りかえるが、怪しいものはいないよな。
このところ何度も通ったアパートが見える。素通りする。もう一度見わたしたあとに、ポケットから丸めた紙をだす。道端に落とす。俺こそ一番に怪しい。
「それはなにですか?」
前から女性の声がして、思いきりびくりとする。
「す、すみません。拾います」
式神への手紙ですなんて言えるはずない。紙くずを拾いながら正面を見る。
車が一台通れるかどうかの道に、若い女性二人が俺を見つめていた。茶髪で思いきりショートヘアの一人は、ショルダーバッグを肩にかけてにこにこと。肩ぐらいの黒髪をシンプルにおろしたもう一人は、ちいさいリュックサックを背負って、まさに俺を観察している。二人とも半袖シャツにチノパンとさもない服装だ。
「シノ。ターシュオ云々」
背後から男の声がした。……中国語かよ。俺は立ちあがり振りかえる。あの子の言葉を思いだしながら。シノ……、
――来るとしたら、シノ。日本語に堪能だからな。イングリッシュネームで分かるように日本好き。そのくせ、えぐい式神を使うキリシタン。つまりミズ多様性だ
背後には、こざっぱりした服装と髪型の若い男が二人いた。紺色のTシャツの背高い男が腕を組んで俺をにらんでいる。その斜め背後では、縦じまのシャツを着た中背の男が扇子で自分をあおぎながら、にやつきつつ俺を見ている――。やはり観察している。
俺は紙くずをポケットにしまう。
「ケビン。プヤウ云々」
最初に日本語で話しかけたショートヘア女性が、俺を挟んで言いかえす。たしかプヤウは不要だっけ、などと思いだしている場合でない。
――来てほしくない第一位はケビン。私に力が戻ったとしても奴には到底かなわない。偏屈な大男だが、器用に結界まで張りやがる。……ケビンなんて洒落て呼ぼうが、香港人も私らと同じで黄色い肌だからな。和戸はともかく哲人は勘違いしそうだから繰り返し言うが、金髪白人ガールでなく凶暴メンズな魔道士だ
つまり逃げろ。
「急いでいるので、すみません」
俺はリスクの少なそうな女性陣を選び駆けだす。朱色のシャツを着たショートヘアの女性が道をふさぐ。その脇をむりやりすり抜ける。
もう一人の女の子がすっとでてきて、あやうく衝突しかける。抱きかかえるほどの距離で、薄ピンクのシャツを着た子が露骨に嫌悪を浮かべる。
切れ長の奥二重な大きな瞳……。
「アー、ユー、アフレイド、オフ、フォーリナー?」
目をそらされ英語を返される……。
この子はちょっとだけ年下だ。圧倒的にかわいい。大学に入ってから本気の出会いが皆無だったから、こんなシチュエーションでなければ、拒絶と敵意だけの顔でなければ、ときめいたかもしれない。
俺はただ、『外国人が怖いの?』と心で翻訳するだけだ。怖いのはお前達だ。香港から来たのだろ?
「ソーリー」と、彼女の脇もすり抜け――、なにかが足に絡まってよろめく。バランスをとって転びなどしない。……足もとには、なにも見あたらなかった。
「オー」と連中が囃したてやがる。振りかえると、四人は横一列に並んでいた。
「逃げないでください。さきほどの紙はなにですか?」
シノと呼ばれた女性がセンターで笑う。
「ユー、ノウ、ワンスーリン?」
扇子であおぎながら、中背の男が英語でスーリンの名を尋ねてきた。
……あいつらの話は夢物語ではなかった。背中の汗は暑さのためだけではない。
「見せてくれるのですね。ありがとうございます」
短髪の女性がカバンから扇子を取りだした。俺に向けてあおぐ。
な、なんだ。俺の手が勝手にポケットに入っていく――。
「ドント、ウォーリー」
もう一人の女は俺に目も向けない。
「ビコーズ、ユー、キャン、フォーゲット、エブリシング」
手が勝手に前へとかかげられる。『心配するな、あなたはすべてを忘れられる』だと?
「ドウチェ」と中背の男の口もとに笑いが浮かぶ。
ケビンと呼ばれた背高い男は、じっと俺をにらんでいる。握りしめていた手のひらが勝手に開いていく――。
一陣の風が吹いた。丸めた紙は俺の手から飛ばされる。
「ターヤン!」
長身の男が叫んだ。俺の横を駆け抜ける。……消えた?
「フイフォン、ツイ!」
もう一人の男も命ずるように叫び反対側へと走る。あっという間に三人だけになる。
「すごーいですね。……知っていますか? ターヤンとは大きい燕です。フイフォンとは灰色の風ですが、じつは式神の名前です。アンディは、お化けのタカに大燕を追いなさいと命令したのです。私は彼らにお任せます」
短髪女が俺を見ながら言う。
「あなたは黒ですね。スーリンはどこにいますか?」
扇子を俺に向ける。……大ツバメと言ったよな。スーリンみたいにこいつらもチューランが見える。つまり俺はお使いを済ませたらしいけど、
――アンディ。こいつも来るかもな。術はそこそこだが、禽獣系の式神を手なずけるのに長けている。……私のイングリッシュネームだと? 私の古くさい名前で察しろ。我が一族は古風だ。私はその面汚しだから追いだされた
あの子は不機嫌そうに、そんな名前も上げていた。
次回「揺れる脳みそ」
お盆は近づいたのに、俺はまだ東京にいる。
帰省の目途などない。アスファルトに閉ざされた十三時なんかに電車を降り、大学へと続く歩きなれた道を行く。汗なんか、にじむなり蒸発だ。青空には、東京中の汗をかきあつめた雲が浮かぶだけ。どうせまた夕立。
見あげたところで、この暑さにカラスなんか飛んでいない。龍なんかいるはずがない。
途中のT字路で裏道へと入る。……念のため、人の世界も確認する。がばりと振りかえるが、怪しいものはいないよな。
このところ何度も通ったアパートが見える。素通りする。もう一度見わたしたあとに、ポケットから丸めた紙をだす。道端に落とす。俺こそ一番に怪しい。
「それはなにですか?」
前から女性の声がして、思いきりびくりとする。
「す、すみません。拾います」
式神への手紙ですなんて言えるはずない。紙くずを拾いながら正面を見る。
車が一台通れるかどうかの道に、若い女性二人が俺を見つめていた。茶髪で思いきりショートヘアの一人は、ショルダーバッグを肩にかけてにこにこと。肩ぐらいの黒髪をシンプルにおろしたもう一人は、ちいさいリュックサックを背負って、まさに俺を観察している。二人とも半袖シャツにチノパンとさもない服装だ。
「シノ。ターシュオ云々」
背後から男の声がした。……中国語かよ。俺は立ちあがり振りかえる。あの子の言葉を思いだしながら。シノ……、
――来るとしたら、シノ。日本語に堪能だからな。イングリッシュネームで分かるように日本好き。そのくせ、えぐい式神を使うキリシタン。つまりミズ多様性だ
背後には、こざっぱりした服装と髪型の若い男が二人いた。紺色のTシャツの背高い男が腕を組んで俺をにらんでいる。その斜め背後では、縦じまのシャツを着た中背の男が扇子で自分をあおぎながら、にやつきつつ俺を見ている――。やはり観察している。
俺は紙くずをポケットにしまう。
「ケビン。プヤウ云々」
最初に日本語で話しかけたショートヘア女性が、俺を挟んで言いかえす。たしかプヤウは不要だっけ、などと思いだしている場合でない。
――来てほしくない第一位はケビン。私に力が戻ったとしても奴には到底かなわない。偏屈な大男だが、器用に結界まで張りやがる。……ケビンなんて洒落て呼ぼうが、香港人も私らと同じで黄色い肌だからな。和戸はともかく哲人は勘違いしそうだから繰り返し言うが、金髪白人ガールでなく凶暴メンズな魔道士だ
つまり逃げろ。
「急いでいるので、すみません」
俺はリスクの少なそうな女性陣を選び駆けだす。朱色のシャツを着たショートヘアの女性が道をふさぐ。その脇をむりやりすり抜ける。
もう一人の女の子がすっとでてきて、あやうく衝突しかける。抱きかかえるほどの距離で、薄ピンクのシャツを着た子が露骨に嫌悪を浮かべる。
切れ長の奥二重な大きな瞳……。
「アー、ユー、アフレイド、オフ、フォーリナー?」
目をそらされ英語を返される……。
この子はちょっとだけ年下だ。圧倒的にかわいい。大学に入ってから本気の出会いが皆無だったから、こんなシチュエーションでなければ、拒絶と敵意だけの顔でなければ、ときめいたかもしれない。
俺はただ、『外国人が怖いの?』と心で翻訳するだけだ。怖いのはお前達だ。香港から来たのだろ?
「ソーリー」と、彼女の脇もすり抜け――、なにかが足に絡まってよろめく。バランスをとって転びなどしない。……足もとには、なにも見あたらなかった。
「オー」と連中が囃したてやがる。振りかえると、四人は横一列に並んでいた。
「逃げないでください。さきほどの紙はなにですか?」
シノと呼ばれた女性がセンターで笑う。
「ユー、ノウ、ワンスーリン?」
扇子であおぎながら、中背の男が英語でスーリンの名を尋ねてきた。
……あいつらの話は夢物語ではなかった。背中の汗は暑さのためだけではない。
「見せてくれるのですね。ありがとうございます」
短髪の女性がカバンから扇子を取りだした。俺に向けてあおぐ。
な、なんだ。俺の手が勝手にポケットに入っていく――。
「ドント、ウォーリー」
もう一人の女は俺に目も向けない。
「ビコーズ、ユー、キャン、フォーゲット、エブリシング」
手が勝手に前へとかかげられる。『心配するな、あなたはすべてを忘れられる』だと?
「ドウチェ」と中背の男の口もとに笑いが浮かぶ。
ケビンと呼ばれた背高い男は、じっと俺をにらんでいる。握りしめていた手のひらが勝手に開いていく――。
一陣の風が吹いた。丸めた紙は俺の手から飛ばされる。
「ターヤン!」
長身の男が叫んだ。俺の横を駆け抜ける。……消えた?
「フイフォン、ツイ!」
もう一人の男も命ずるように叫び反対側へと走る。あっという間に三人だけになる。
「すごーいですね。……知っていますか? ターヤンとは大きい燕です。フイフォンとは灰色の風ですが、じつは式神の名前です。アンディは、お化けのタカに大燕を追いなさいと命令したのです。私は彼らにお任せます」
短髪女が俺を見ながら言う。
「あなたは黒ですね。スーリンはどこにいますか?」
扇子を俺に向ける。……大ツバメと言ったよな。スーリンみたいにこいつらもチューランが見える。つまり俺はお使いを済ませたらしいけど、
――アンディ。こいつも来るかもな。術はそこそこだが、禽獣系の式神を手なずけるのに長けている。……私のイングリッシュネームだと? 私の古くさい名前で察しろ。我が一族は古風だ。私はその面汚しだから追いだされた
あの子は不機嫌そうに、そんな名前も上げていた。
次回「揺れる脳みそ」