四十の一 チェイスドラゴン

文字数 4,682文字

「哲人さんは背中を怪我しているものね。ごめんなさい」

 ドロシーがドレスの上にリュックサックを背負う。ずっと手にぶら下げていても気づいてくれないから、持ってほしいと俺からお願いした。
 深夜十二時をまわった土砂降りの六本木は、土曜のわりに人通りは少ない。傘をささない異形二人に、ほとんど注意を向けてこない。

「ドロシーは横根を抱いてきたの?」
(つい)。人間だけど我慢した。吐きそうになった。腕が疲れて落としそうになった」
「俺を抱えられるかな?」
「一緒に飛んで戦うの? ちょっと待って、よいしょ……」

 ドロシーが俺を背後から腕をまわす。胸の感触は思玲よりも……こすれて激痛。悪意がないから護符が発動してくれない。
 1メートルほど浮いて、落とされる。

「玄武だからかな? 甲羅背負っているみたいに、横根さんよりずっと重い。……ごめんなさい」
 やけに神妙に頭を下げされる。

「試しただけだよ。――新月の夜に大蛇になれたよね。今夜は無理だよね」

 肩で休むニョロ子に聞くけど、こちらも申し訳なさそうに鎌首を下げられる。つまり俺は殲の上にしかいられない。また見ているだけになるかも。
 進むしかない。天珠をタップする。

「デニーが怪我したので横根とともにいる。俺とドロシーで貪を追う」
 口止めされたわけでないので露泥無に伝える。ずいぶん返事を待たされる。

『大姐と思玲と僕はデニーのもとへ向かう。殲は、霊園と米軍ヘリポートの境にある公園上空で待機している。さきほど横根を降ろした場所らしい』

 聞き耳をたてていたニョロ子が俺から離れて、さっそく案内を始める。ドロシーは俺の腕にしがみつく。……夜の下だと、雨の中だと、なおさらきれい。このまま二人で夜空をデートしたいぐらいに。

「へへ、移動するときは、こうしないと浮かんじゃうから。――殲ちゃんに結界を張らないように、哲人さんが説得してね。さっきも破っちゃったから、怒って私と口をきいてくれない」

「そしたら殲が貪にやられるよ。……追いかけられない?」
 駆けだしながら告げる。

「一人で空を飛ぶの? 殲ちゃんは速いよ。でも試してみる」
 俺にしがみついたままで言う。足は浮かんでいる。

 ニョロ子は人通りのない道を選んで進む。首都高の高架下を抜ける。

「王姐とはなにもなかったよね」
 ドロシーが聞いてくる。

「当たり前だろ」
 事実だけを告げる。思玲の言動を伝える必要はない。俺が押し倒したことも。

 それきり黙りこむ二人。雨をはじく二人。信号で立ちどまる二人。

「護符を預けておくよ」
 俺は胸ポケットから取りだす。「峻計の攻撃(嘘)で少し焦げちゃったけど、まだ力はある。なによりドロシーも守ってくれる」

「これも私のせいだ。ごめんなさい」
 彼女は気づく。それでも黒ずんだ木札を受けとる。
「哲人さんとつながるものだ。だからリュックサックにしまわないよ、絶対に。――いまのは横根さんの真似、へへっ。そしてこれは哲人さんの真似」
 開いたドレスの胸もとに木札を落とす。
「ほら、やっぱり」

 試さずにやったのか。

「飛んでいるときに落とさないでね」
(つい)

 時速30キロぐらいで走ったからか、公園はあっという間だった。地面から2メートルほどの高さで待つニョロ子の背後に、巨大な異形が現れる。
 ドロシーがふわりと俺から離れる。俺は殲に飛び乗る。

 ***

「松本に香港のくそ女の残り香がついている。とっとと降りろ。喰っちまうぞ」
 東京上空を飛ぶ殲は、予想以上に機嫌悪かった。
「本心を言っただけだ。もちろん大姐とデニー様に従って、お前を乗せていく」

 土砂降りだけが存在する闇。結界のなかだと速度感がない。

「貪はどこにいるかな?」
「私は忍を追うだけだが、かなり離れている。あの娘(ニョロ子のことみたい)は、デニー様のつけた印をたやすく追っている。正直に言うと、私だけでは途方に暮れていた。……これくらいで赦してやるか。あのキチガイも乗せてやるし、尻尾の先以外も結界を消してやるから急ぐぞ」

 急減速と同時に雨が叩きつけてきた。三十秒ほどしてドロシーが現れる。俺へと抱きつく。

「う、浮かんじゃ、うから、ごめんなさい」

 異形のくせに紅潮しきった顔で、荒すぎる息で言う。マラソンを完走したランナーみたいじゃないか。……殲め。仕返しのために、ドロシーが脱落しないぎりぎりの速さで飛んでいたな。

「俺こそ気づかずごめん。休んでいてよ」
 戦いが始まるまでは。貪を痛めつけるのは彼女の役目だから。

「リュック、サック、持って」
「それもごめん。いまの俺はしまえないし、背負えない。……傷の治りが遅い」
「だったら祈る」

 彼女が片耳から真珠のピアスをはずす。異形になってもあったのか。 

「朱雀くずれだろうと祈れると思う。でも正直言って面倒くさいから、もう二度と哲人さんに当てない」

 それを言うなら、二度と人に術を向けないだろ。疲れた彼女に指摘しない。

「私はユーモラスな異形になったダーリンへと祈ります。私も異形だけど捧げます」
 彼女につけられた傷が、彼女により治癒されていく。ちょっとだけ。
「あまり傷が消えない。私の術は強すぎだ」

「ありがとう。だいぶましになった」
「では始めるぞ」

 治療が済むのを待っていてくれた殲が、無言で速度を上げていく。雨粒が弾幕のようになる。はじく体でなかったら、異形であろうと痣だらけになったかも。そうでなくとも寒いし滑る。結界のありがたみをまたも知る。
 敵が使うと怖くて恐ろしい結界を、無効化するドロシー。仲間のものまで消すから一長一短だけど、俺からも彼女を抱きかえす。……温かい。ずっと昔に手のひらで抱いたひよこのぬくもり。

「哲人さんは爬虫類系なのに温かい……。折坂に殺されてから、そろそろ一日が過ぎる。ひと月ぐらい過ぎた気がする」
 彼女が息を整えながら言う。
「やっぱりお札は哲人さんが持っていて。私は三度と死なないから平気」

 彼女は俺に接したまま、胸の谷間から火伏の護符をだす……。妖怪の目だから暗黒だろうと分かる。焦げがなくなっている。

「……俺だと戦いに使っちゃうから、ドロシーが大事に預かっていて。そうすべきだと思う」

『それはお前のものではない』と、お天狗さんは言った。『いつか息子に渡せ』と現実感なきことも言った。……『あの娘とともに』とも言った。
 火伏の護符はドロシーを守り、ドロシーは護符を回復させた。
 どうやら俺は彼女と結ばれるらしい。望むことだし、夏奈も思玲も関係ないけど、決められたレールみたいで居心地悪い。照れる。恥ずかしい。うれしい。彼女をちがう目で見てしまう。
 もちろん誰にも話すつもりはない。ドロシーにだって。ガセかもしれないし。
 未来を決めるのは神様でなく人だし。

「山間部を越えたがまだまだのようだ。海にでる。結界を張ろうか?」
「ありがとう。でもいらない」

 ドロシーが殲に答えやがる。彼女の息は整ってくる。俺を至近で見上げる。

「私が影添大社から受けた呪いが分かってきた。……私が一番大切なものはパパとママでなかった。私を守ってくれる人だった」

どくん

 影添大社外宮で、折坂さんが俺に向けたかすかな笑み。
 思いだすと同時に不快が押し寄せる。

「へえ。それって俺じゃないんだ。だって俺は一緒にいる。ドロシーは奪われていない」
 結ばれるはずの二人のくせに。

 ドロシーは俺をじっと見ていたけど。
「勘違いだったかも。ごめんなさい」
 俺の抱擁をどかす。
「手まで離すと私はどこかに飛んでいっちゃう。だから、まだつないでいてね」

手放すなら、はやく逃げろ

 ……え?

「忍のせいではない。私がむき出しだからだ」
 貪が重低音で言う。「貪に見つかったようだ。全速で追うので、一瞬だけ結界を張る」

 同時に風雨が消える。周囲は闇のままで俺達は閉ざされる。
 俺は震えだしたドロシーを抱く。

「大丈夫」と彼女は俺を押しのける。浮かんで結界に頭をぶつける。

「おいおい。火伏せの神こそなんとかしろ。すげー怒っている。俺は知らねーぞ。割れるぞ」

 殲が地を丸出しで騒ぎだす。俺はポケットのなかを見る。護符が狂おしいほどに発動していた。……さっきまでドロシーが持っていたのに。ここにいないのだから、ニョロ子が運んだわけでも……。

ピキッ

 殲を包む結界がひび割れる。突風に俺は鱗の上を転がり、空へと落ちる。

「きゃあ」

 悲鳴を残してドロシーが吹き飛んでいく。赤いドレス姿が小さくなっていく。彼女の放したリュックサックは落ちていく……。
 あの中には玉がふたつある。俺とドロシーの人である魂が詰まった玉が。
 どちらも追いかけるなどできない。俺は自由落下するだけ。豪雨のせいで下界の光も見えない。どれくらいの高さにいるかもわからない。
 でも巨大な影が向かってきてくれた。

「クエッ」
 俺が衝突して、殲が悲鳴を漏らす。

「ドロシーを助けろ」
 滑る体に這いつくばりながら命令する。助けられた礼を言う手間も惜しい。

「松本の頼みは聞かない。追撃を続行する」
 殲が結界を張らぬまま重低音ヴォイスで答える。

「ざけんな、ドロシーを追え」
 さもないと、身体が勝手に浮かんでしまう彼女は、成層圏を越えるまで飛んでいくかもしれない。さすがにそれはなくても、夜空に一人ぼっちだ。……リュックサック。 
「ニョロ子は拾え!」

「飛び蛇が持つには大きすぎないか? そして私はデニー様と大姐の命令に従うだけだ。文句があるなら喰っちまうぞ」
「食えよ。代わりにドロシーを助けろ」

 俺の声など聞こえぬように殲が黙りこむ。
 俺は、音速のしでかす風のなかで天珠を手にしてタップする。……露泥無がでてくれない。くそっ

「殲は沈栄桂と心を交わせるよな。俺も会話させろ。貪よりもドロシー。説得するから話させろ!」
 落ちるだけの俺を救ってくれた翼竜へと声を荒げる。

「お前の護符が私の結界を破壊した時点で、うかがったに決まっているだろ。主からの命は変わらぬから、それに従い貪を追うだけだ、何があろうと、何があってもだ!」
 殲の苛立った声が戻る。
「ここは日本海上空だ。貪は朝鮮半島の北側を通過して、生まれ故郷に戻るつもりらしい。だがじきに追いつける。奴の後ろ姿が見えてきた。
あの災いをまき散らす娘を救いたいのならば、てめえ一人で貪を倒せ! 俺が丁寧な言葉づかいをしているうちにやってやれ。そしたら俺――私も大姐にもとに向かえる。急がないと喰っちまうぞ」

 ここには雨が降っておらず、俺の目にも、はるか遠くに、人の目にもさらされた忌むべき龍が見えてきた。殲が翼を傾けて、人の作りし都会の明かりが幾個も見えた。真っ暗な海も見える。
 結界がないと凍るほどに寒い。どれだけの高さにいるんだ。風船みたいなドロシーは、こんな場所でどうすりゃいい。空で人に戻ってしまったら……。

 中国大陸と半島南部に挟まれた一角。海と変わらぬ暗い陸地。その上空で貪が旋回する。俺達へと向きをなおす。

 俺は翼竜とともに、邪悪な龍と闇を挟んで対峙する。封ずるなんてできないし、できたとしてもそんな手間はかけない。即座に倒して、ドロシーのもとに向かうだけだ。

「ゲヒゲヒヒ、松本哲人と殲。一番に怖くてヘタれ同士の組み合わせだな」

 さっそく黒い焔が飛んできて、ドロシーを守ることを放棄した火伏の護符が興奮しだす。
 貪は臆病だ。何人にも怯えた。でも俺だって臆病だ。こいつの姿に何度も怯えた。つまりこれは、姑息な臆病者同士のタイマンだ。
 雲は西から薄まり、満ちる直前の月がかすかに見えた。




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