十二の二 独唱は続く

文字数 2,014文字

「ドロシー、やめてくれ。拾われたら取り戻せぬ。こいつらが人に戻れなくなる」
 思玲が空へと顔を向ける。
「てめえらマジで姿を現せ! 私と勝負しろ!」

「俺とも戦え!」

 少女の叫びと猟犬の吠え声がむなしく響く。使い魔がホホホとせせら笑う。

「戻ってきただろ。それ以上、汚い声で脅さないでおくれ」

 ふて腐れたフサフサが森からあらわれる。血の光に照らされる。こいつでさえ無力だ。

「哲人、奴らが一番の敵……」
 フサフサの胸もとでドーンがつぶやく。

『カウントダウンは49秒』サキトガの声がすべてをさえぎる。『47,46……』

「ドロシー、異形に従うな!」
 アンディがシノを抱きながら、なにかをくわえる。

『犬笛を吹こうが、蒼き狼はあさましき連中を追ってはるかな山だよ。――大鴉に目を奪われたアンディ、本来の名は李秀静(リシウジン)。湖北省に生まれる。五つの年から疎まれ怯え、魔道団に拾われた青年』
 実体を見せぬまま、ロタマモがあさましく語る。
『生い立ちの弱さを隠すためにふらついた男を気どり、人に隠れ同期の河若煕(フウルオシー)と嵐の夜に結ばれ……、近ごろは娘となった梓群にもよこしまな心を持つ、そこだけはありふれた人の男よ。彼女の前で言い過ぎたかな。ホホホ』

 アンディがシノの耳をふさぐように抱き寄せる。19,18と、サキトガの秒読みだけが減っていく。

『ドロシー、はやく言えよ』サキトガの声がする。『早めちゃうぜ。7,6…』

「だ、誰か犠牲になるの?」
 ドロシーの握る手から哀願が伝わる。

『1,0』

ダ、スウォリアクスカゾ、デ、スォリ、キ、サズォリ…

 おぞましきさえずりがまた聞こえた――。アンディが音もなく座りこむ。うつ伏せに倒れる。……その亡骸から苦悶に満ちた人の魂が浮かびあがり、すぐに霧散する。

「ひ、引きずられてないよね」

 ドロシーの爪が手に食いこむ。……どういう意味だ? 俺は聞き返せない。なにも言えない。なにもできない。

『シノよ。母が授けし英名はハンナ。東洋の名は河若煕。恋人に先立たれようが、お前に悲嘆している時間はないぞ』
 また忌むべき声が降ってくる。
『人の世にふさわしからぬ力のために、カトリックの教会から見放され、親に放逐され、魔道団に転がりこんだ憐れな娘。だが親の気持ちは分かるぞ。忌まわしき資質を抑えられぬ娘などな。――サキトガよ、この娘の人生はあと何秒だ?』

 選ばれたのシノ……。姑息な俺は五人からでなく安堵を覚えてしまう。

『……俺は数字にこだわるんだけどな。とりあえずモトカレと同じお目めにしてやるか』
 サキトガの声が続く。
『梓群ちゃん、じきにカウントダウンが始まるよ』

 ドロシーの手から力が抜ける。俺もシノを見る。虚脱した彼女の目から、血の涙がとめどなく流れていた。
 弄んでいやがる。姑息な俺でも、こいつらは絶対に許さない。

「……哲人、箱を渡すぞ」少女が言う。「だが必ず奪いかえす。我が身に代えても」

 ぐったりとしたカラスを抱えたフサフサは、脇を掻きながらあくびをしている。俺の横にはべらう猟犬は、身構えながら空の気配を探るだけだ。何にも気づけないヨタカが血の色の枝にとまり、うずくまり、また鳴きだす。

「受けとりたくない。でも、みんな死んじゃって、これ以上――」

 言葉を紡げられず、ドロシーが崩れ落ちる。フクロウじみた声があざ笑う。
 俺の怒りは頂点に近い。発するべき相手が姿を見せない。

――もう我慢できないですけど

 声が闖入した。

「ぼ、僕は身を差しだします。不憫だと思うのならば、あなた様も現れてください」

 声の主はヨタカだった。羽根もひろげずに地面に落ち、溶けて別の形と化す。

「サキトガ。僕が数えてやるよ。お前らにあわせて6.66秒からだ。6,5……」

 ヨタカが落ちた土の上で、痩せた黒猫が空を見あげていた。

「ハラペコじゃないかい!」
 フサフサの仰天した声がする。

「フサフサ。東京では色々とどうも。でもカウントダウンの邪魔をしないでほしい」
 黒猫は野良猫だった女性を一瞥しただけだ。
「やり直しだ。6,5……。ロ、ロタマモめ、僕にさえずってみろ」

 黒猫が闇空へ尻込みしながら命じる。

『お前もこちらのものだったのか……。頼まれたのならば仕方ない。異形すべての耳に届く声色を授けよう。ホホホ、哲人君も消えてしまうが、これは想定外かつ偶発的な事故によるものだ。――ディ、スワリアクスコゾノ……』

 おぞましき呪文がダイレクトに耳へ届く。
 一瞬だ。終わりを感じる。

「護符があるだろ! 心を込めろ!」思玲の声が遠い。「川田、耐えてくれ! ドロシー、扇だ! 空一面にぶちかませ!」

 もう無理だ。みんな死んで終わりだ。……でも音色が耳に届く。

「根負けしたよ。式神に歯向かわれるなど、十一の秋以来だ」

 誰の声だろう。この人が奏でる弦楽器の音が、滅せんとする呪文をかき消していく。

「沈大姐……」

 ドロシーの声が聞こえる。俺は赤子が安らぐように眠りに入る。




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