二十三の一 見知りすぎた知り合い

文字数 4,221文字

「川田なら、あれ(白銀弾。固有名詞を口にしづらい存在になってきた)に感づくかも」
「気づいたようだけど気にしなかった。きっと私を強い仲間と認めてくれたからだ」

 おそらくボスの女だからだ。ゴルフ場でドロシーを襲いかけて俺に独鈷杵で殴られたからだ。意図せぬ躾の成果だ。

「やり方を変態大蔵司が教えてくれたから、たっぷりと隠し持てる。……あいつだって赦せない」

 蒼白な面を紅く染めたドロシーの手に、さらには緋色の護布が現れる。
 彼女との間に何があったのと聞けるまえに、「(とん)好凍(はおとん)」と人の言葉をつぶやきながら、林道脇で護布をかぶって横になりやがった。

「やっぱり日本は寒い」
「もうじき九月だし。暦の上では秋だし。山だし」

 沢の水で体を洗えば凍えるに決まっているけど、気づけば彼女は護布を当然のように所有している。いずれ沈大姐に渡すものだとしても、強力な魔道具が彼女のもとに集まっていくような気がする。七葉扇だって持ち主より間違いなく使っているし……。
 彼女が銃をだしたときに、林が少しざわついた。夜でないから、彼女を嫌おうが息をひそめていたのにだ。
 俺は木霊に襲われている。それは恐怖が恐怖に上塗りされるものだった。あれを経験させられたから、峻計の残忍な仕打ちにも心が耐えられて、夏奈夏奈夏奈と冥界にしがみつけたのかもしれない……。
 存在を思いだした以上は早く逃げだしたい。また小便をちびりそう。

「ドロシー歩こう」
「ごめんなさい。琥珀ちゃんと九郎ちゃんを待とうよ。……風軍が生きているか聞いて」

 俺はまた天珠をタップする。

『もしもーし。風軍? 九郎は知っているか?』
『見かけねーな。ドロシーと一緒に死んだと思っていた、チチチ』

 幼い大鷲が存命か分からぬままだけど、笛がなければ呼び寄せられない。……頼れる奴らがいた。死者の王と女王様が揃っているのだから喜んで拝謁に現れそうだ。でも連中は夏奈の魂を狙う倒すべき存在だ。六魄との蜜月だって瞬時に終わっている。
 やっぱり思玲の式神を待つしかないのか。とはいえ、あいつらに俺達を運べそうもないし……琥珀が車を盗み九郎に運転させる。どうせそのつもりだろう。でも八十万円ぐらいシートに置いて、すぐに返させる。そんなことができるはずない。俺だけはモラルを保ち続ける。

「ママ……冷。擁抱我」

 ドロシーの寝言が聞こえた。護布に丸まり山中の林道で熟睡しかけていやがる。誰であれ起こすシチュエーションだけど……ママ寒いよ。私を抱いて。
 彼女の辛そうな寝顔を眺めてしまう。腰をおろし、髪をさすってあげてしまう。

 微かな吐息をかき消すようにヒグラシの合唱が始まった。俺もさっきまでこいつらに負けず劣らずカナカナカナカナ鳴いていたのに、いまはまたドロシーだけになりつつある。俺の想いに闖入されるのを待っていたような気すらする。

 藤川匠は死者の書を紐といた。でも恐らく奴はドロシーを書に問うていない。
 ドロシーが龍の弟。それが仮に(彼女の立ち振る舞いや中身から限りなく)事実だとして、藤川匠は気に留めていない。今生の敵としか扱っていない。配下でなかったから?
 楊偉天もだった。あの老人は彼女と反目しても儀式に使おうとしなかった。狂った妖術士が梁勲に遠慮するはずない。ただ単にドロシーに龍の資質がないからだろう。
 彼女は瞬間だけ人でなくなったときも、夏奈のような強烈な気配を漂わせなかった。異形仲間に囲まれてきた俺でさえ、彼女が浮かばずいきなり着衣で現れなかったら、人にしか見えなかったかも……。
 魔法陣の上に浮かんだドロシーは魄なんかでなく、人の目に見える忌むべき異形だったのでは。そしてそれは昔も……ゼ・カン・ユでさえ(うかが)い知れない、人の振りした龍の弟。

 龍である姉と人である弟は仲睦まじかったのか? それとも資質ある王思玲と資質なき王俊宏のように離れ離れに――

 頭がふらっとした。痛覚がなくても目まいは起きる。我ながら知りたがりすぎて妄想までしだして、死者の書に付けこまれるわけだ。この時間に俺だって少しだけでも休むべきだよな。俺もドロシーの隣で横になろう。

 しかし雄かよ。せめて妹だったならな。



 林道の真ん中でなくても休めるはずない。
 俺は腰をあげてスマホを握る。記憶を失ったときに憑りつかれたように消去してしまい、四人で電話番号が残されているのはドーンだけだ。でもカラスはスマホを持っていない。……ここは地元だけど家族に助けは請わない。両親も弟も巻きこめるはずない。
 バイブになったままのスマホを開く。充電は減ってなさそう。俺という人がいなくなっても発信し続けたどうでもよい通知が溜まっているだけ、だと思ったら弟からラインが届いていた。五分前。壮信は俺が人に戻るなり連絡をよこしてくれた……二日前にも未読がある。シノからだ。彼女とアドレス交換していた。
 先に弟のを開ける。

『いつ帰る?』とシンプルなメッセージ。
 俺は家族の記憶にも残らず死んだ。だけど戻ってきたから受け取れた至高のメッセージ。だとしても浸るな。

『ここはてつとさんのものでしょうか? あなたの力が足りなかったと誰も思いません。アンディとともに静かで平和な世界でお過ごしください。
Amen』

 シノからのは、こんな内容が記されていた。
 俺が死んだことを知っているようで、不明のアドレスを俺だと判断して哀悼の意を送ったようだ。人に戻った俺が連絡しても、混乱せずに返事をくれるだろうか?
 思玲や周婆さんぐらい忌むべき世界を自在に泳げる人でなければ無理だろう……。だからあの(失礼だけどある意味一番薄気味悪い)お婆さんは、思玲をお気に入り登録したのかも。
 ドロシーが寝ている間に弟へ連絡しよう。

「もしもし? じつは大峠にいる。お天宮さん。クワガタの木があったところ」

 打ち込むのが面倒だから――声を聞きたいから電話をかける。所在などごまかすべきなのに、口が勝手に事実を告げてしまう。

『ドングリの木もだ。懐かしい。なんでいるの? このあいだの彼女と一緒?』

 露泥無のことだ。奴はもともと異形だから記憶に残ったままか。

「別の子と来た。でも彼女は体調を崩して俺は服を汚した。彼女は車酔いしやすい。金はいっぱいあるけどタクシーを呼べない。だから家にはすぐに帰れない」
『兄ちゃん嘘ついているだろ。何度も騙されたから分かるよ』

 さすがは俺の一番古い知り合いだ。でも関わらせない。

『金があるなら金札のお代を払えよ。女なんか連れ歩かんでいいから一人で来いよ』
「だから今は……帰郷の約束なんてしたか?」

 束の間の沈黙のあとに、弟の声が低く聞こえた。

『親父が事故に遭ってそれかよ。連絡がいってないはずないよな、命に別条がなくなったとしても病院に顔だしてやれよ』

 *

 俺はまだ帰れない。お前は金札を手放すな。出来ればお母さんといつも一緒にいろ。みんなを守ってくださいと、お天狗さんに何度もお参りしろ。

 それだけ伝えて電話を切る。ドロシーが俺を怯えて見あげている。
 知らぬ間に立ち上がっていた。怒りに幾重にも上塗りされた怒り。職場に正体不明の破片が飛び込んで、あわや首を切断しかけたなんて偶然であるはずない。しかも七日前。満月が明日だから、俺が香港へ向かった日だ。
 奴らは父を見せしめにした。俺は気づかぬまま死んだ。あの夜に死ななかったら、母にも弟にも手出ししたかもしれない。
 だけど俺は生き返った。

「順番が変わった。すぐにでも藤川一味を根絶やしにする。それからみんなは人に戻る」
 俺から後ずさりしそうなドロシーに告げたあと、天珠をポケットからだす。

『もしもーし』
「奴らを撒く必要はなくなった。早く来て車を盗もう。みんなのもとへ大至急お願い」
『おっかないな。まだまだ冷静でいろよ。――九郎、大峠に直行だ。そして千葉までドライブだ』
「千葉?」
『言ってなかったか? みんなは桜井ちゃんの実家にいる。かくまってもらっている』
『いまは佐渡島上空だ。琥珀を抱えてだから哲人のもとまで三十分かかるな、チチチ』
「十分で来て」

 天珠を切る。
 ……横根がいるのに。彼女も考えなしかよ。夏奈の家族まで巻き沿いにするつもりか。そもそも夏奈の個人情報は、台湾で傀儡にされたときに脳みそから抜き取られているだろ。思玲達に流出するほどにだ……。
 それを言うならば横根だって傀儡にさせられた。彼女のデータも峻計は握っているかもしれない。川田もだ!


ゼ・カン・ユこそが正義。極端すぎる正義。歴史から消えて生まれ変わった。悪を倒すために。


 考えるな。思いだすな。惑わされるな。
 藤川匠と貪と峻計。生首だけになって殺された復讐。それにだって捉われるな。


倒される悪こそが、生まれ変わり従わぬ龍。その弟だった娘。すなわちフロレ・エスタスとサマー・ボラー・ブルート。なにより、その二人をたぶらかす男。


 どっちが悪だ。
 俺は家族を守る。友達を守る。そのために、人でないような女子達に力になってもらえ。

「哲人さん怖いよ」
 ドロシーはまだ怯えたままだ。
「強いのが来る。しかも木霊が従う」

 いつしか秋のセミによる斉唱は終わっていた。さわさわと朝の森が色めきたつ。小鳥が飛びたつ。


 ****


 王思玲は匿われている。そこにはウンヒョクさんもいる。獣人もいる。私でも手がだせない。先生からの(めい)を果たせない。
 そのうえ松本哲人が戻ってきた。しつこい奴だが人の気配でだ。今度は更にたやすいが、また異形に戻られる前に急ぎ始末しないとな。

 木々が得た情報が土を伝わり私に届く。今ならば遠く離れたウンヒョクさんと戦わずに済む。森を味方にできるのだから、ついでに破廉恥ないでたちの娘も始末できる。
 寛大なキム先生は気に留められなかったが、蛇の伝えた視覚――あの娘が松本哲人をたぶらかした。若い男だけを裁くのは理にかなわない。純度高い白銀も弱まっただろう。あれを所有することも、我々に対する罪だ。
 いまの暦で八月の末だろうと、すでに私の秋だ。私の力を戻してくれる。私ならば終わらせられる。二人とも喰らって完全に消滅させよう。
 その行いが先生に褒められることないにしても、聖獣と呼ばれる以上は私の使命だ。……王思玲。あの旨そうな人間こそ食い殺したい。

 しかし飛び蛇がうっとうしい。この有能な蛇こそ難敵だ。飼い主に導きを与えるほどに。また私の獲物を奪われるほどに。




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