三十七の一 テニスコートの六人

文字数 2,791文字

4-tune


 深夜の公園で、五六歳ぐらいの男の子が一人で遊んでいた。目を合わさぬように素通りする。

「お兄ちゃん、今日は賑やかだね」

 たやすく気づかれた。……悪霊ではないけど、長いこと存在しているな。声をかけてあげたい衝動をこらえて、真っ暗な公園を奥へと進む。

 小さな野球場をまわりこめばテニスコートの一角が見えた。その四面のコートは、日中なら平日でも予約が困難なほど賑わう。今は暗闇で沈黙だ。奥までは街灯の明かりも届かず、小高いフェンスに囲まれたそこに、みんなを見つけた。
 結界で覆われているはずもなく、入口をかんぬきで閉じただけの、むき出しの五人。

「松本! 人に戻ったかよ!」
 見た目だけ幼い柴犬がフェンスに張りつき、小さな尻尾を振っている。
「……やっぱり違うな」

「異形のままだよ」俺は答える。

「でも幽霊じゃなくね? こっちも見た目は松本君だし、ははは。なんであってもOKOK!」
 青い小鳥がフェンスを越える。

「なるべく気配を抑えようよ」
 肩にとまった小鳥に苦言を呈する。

「で、なんで哲人の格好に戻れたんだ? カッ、どうせ、またはぐらかすんだろ。女子と隠れてコソコソみたいにな」
 ハシボソガラスがフェンスから見おろす。

 それは言うな。……俺が人の姿に戻っても、みんな淡々と受けとめるだけだ(桜井は人のときからあんな感じで騒いでいた)。鬼やら鋼色の光を見てきたら、今さらこれくらいでは驚かないか。

「師傅といざこざがあって、俺の中の座敷わらしがやられた。殴られて、図書館から正門まで飛ばされた。そして今の格好になった。もっと説明しようか?」
 俺はコートへと顔を戻す。
「もう浮かべなくもなったよ。だから思玲、鍵を開けてくれませんか?」

 俺をぽかんと見ていた思玲が、ようやくベンチから立ちあがる。

「瑞希。哲人だぞ。まだ異形ではあるが、人の姿に戻っている。……小生意気な面がまえを、また見る羽目になるとはな」
 地面に座る横根へと心の声をかける。

 横根が顔をあげて、ちょっとだけ見まわす。すぐに視線を地面に落とす。思玲がちいさく舌を打つ――。
 この女、片言英語で伝える努力を省いていやがる。人の心に声かけるのは妖術だと言っていたくせに……。思玲にだけは文句など言えない。俺はあらためて横根に目を向ける。みなから離れ、足を抱えてカバンに顔をうずめている。

「彼女、大丈夫?」
 横根には聞こえないのに、みんなに小声で聞く。

「思玲にこき下ろされてしょげている」
 川田が吐き捨てる。

「しばらく一人にさせとくじゃん。て言うか、師傅さんからの朗報は?」
 ドーンがばさりと降りてきて、入り口脇に寄せてある審判台にとまる。

「まだ話すな。まず私が聞いてからだ」
 思玲がかんぬきをはずしながら言う。

「大丈夫ですよ。ほとんど朗報だし」
 金網のドアを引いてコートへと入る。向き合った思玲にかすかに見あげられる(170センチはあるな)。
「劉師傅は、俺らを狙わないと約束してくれました。完全に俺達の味方です」

 それを聞き、思玲の顔を様々な感情が走り抜ける。

「あんな怖い人を説得できた! さすがは松本君。まじめなだけある!」
 肩にとまっていた小鳥が俺の頬をつつく。

「桜井、じゃれるな。時と場所をわきまえろ。……さすがは我が師。慈悲にあふれた御判断だ」

 さっきまで正反対のことを予想していたくせに。思玲の服装が紺色のスポーツジャージの上下に変わっていた。……顔色があきらかに悪い。今も虚勢を張っているだろうな。

「師傅はどこにおられる?」
 黒目がちな瞳で見つめてくる。彼女の眼鏡がないことにも気づく。

「知りませんが、俺達とは一緒に動かないそうです。……あいつに奪われた四玉を取りかえしてもらえるかも」
 その件をまだ知らなかったのか、思玲の顔が紅潮してくる。あわてて付け足す。
「俺達は身をさらさないとなりません。身をひそめる楊偉天をおびき出すために」

 彼女の顔色がまた変わる。夜目にも青ざめたのが分かる。

「う、嘘偽りなく、師傅はあの男を倒せなかったのか? 引き連れてきたとでもいうのか」
「だから俺達もそう言ったじゃん。哲人の口から聞かないと信じないのかよ。どうせ傀儡の術を使って、ビジネスクラスで来たよ」
 ドーンがぼやく。

「連れてきたわけじゃなさそうですけど、倒せなかったのは事実みたいです」
 俺はポケットに手を突っこみながら言う。草鈴を思玲に突きだす。彼女が震える手で受けとる。

 *

「念のため教えておく。四玉がなかろうと、師傅がいらっしゃれば人に戻れる可能性はある。剣に護布をかけずに四神の光だけを裂く。師傅も試したことはないが、うまくいけば人間と化す」

 川田や俺を変げさせた荒っぽい手法を、さらに手荒にするのかよ。うまくいかないとどうなるのか、怖くて誰も尋ねられない。

「瑞希、お前にも役割ができたな。愚かにもこっちの世界に顔をだしたのは、このためにかもしれぬな」
 思玲は俺達の顔色に気づきもせず、横根の前にしゃがむ。顔をあげた横根へと草鈴を突きだす。
「私は礼など求めぬし、一歩でも遠くに離れてほしかった。それに、私は見てのとおり未熟者だ。人を守るのは重荷だ。ゆえに言葉が荒くなってしまった。すまぬな」

「あ、謝らないでください」
 ようやく横根の声を聞けた。

「よっしゃ、仲直りだね。そしたら私の声は聞こえる?」
 桜井が俺から飛びたち、横根の肩へととまる。

「夏奈ちゃん、まだ怒ってるの? 声を聞かせてよ」
 彼女はインコの羽毛をやさしくさするだけだ。

「桜井、お前まで呼びかけるな」
 思玲がまた小鳥をにらむ。「瑞希。桜井は愚かにもずっと話しかけている。お前の耳に届かないだけだ。人の世界に戻りかけているのだ」

 それを聞いて、横根は顔を落とす。すぐに顔をあげて立ちあがる。
「楊偉天が来るのですね。そしたら草鈴を吹けばいいのですね?」

 横根はすべてを悟っている。白猫だったときを思いださせる強い顔になり、思玲の手から草鈴を受けとる。師傅が気休めのように言っていた草鈴を。

「楊偉天にかぎらず悪しき異形が来れば、川田と桜井なら気づくだろう。そうなれば和戸が大騒ぎをして異変を教える。そして瑞希が笛を奏でる」

「カカッ。思玲の言うとおりにわめきたててやるさ」
 ドーンが投げやりぽく言う。
「そんで思玲はどっか行くんすか? 隠しているつもりでも肋骨とかやられているよね。じっとしていたほうがいいって」

「私はいたって平気だ。それに、すぐそこだ。野暮用だから時間はかからぬ」
 立ちあがり俺を見る。マジかよ。
「その面はなんだ? 行くぞ」

 またご指名だ。……ボディガードになるしかないな。意固地なまでに胸を張った思玲は、すでにコートからでていく。

「無茶はさせないから。急いで戻らせるから」
 みんなに言い、小走りに思玲を追いかける。




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