十一の一 信じてもらえた異形

文字数 2,887文字

 涙が涸れるほどだったドロシーが、シノにうながされて立ちあがる。

「アンディもケビンも誰も電話にでなかった。……つながらない人もいる」

 シノの腕の包帯は赤く染まっている。八と呼ばれる土蛸は顔を地面からだし、絶望的な顔で俺達からの砦となっている。

「思玲達は?」俺はリクトに尋ねる。

「もう一羽のタカと人間から逃げている。狼はハイエナどもと戦っていた。見ていて面白かった」
 半日前まで子犬だった、黒虎毛の猟犬(おそらくは甲斐犬)が片目で笑う。
「松本が呼んだから鎖を引きちぎってきたけどな。タコの匂いを嗅いだら、呼ばれたのを忘れてしまった。足を何本かご馳走になった。うまかったな」

 こいつも俺が呼んだのか。……まだ土蛸へと舌なめずりしてやがる。

「リクト、さっきの神社に行こう。ドーンが待っているかも」

 こいつを一匹にしておけない。ドロシー達が危険だ。
 いまは何時だろう。スマホを持つシノに聞きたい。聞けるはずもない。二人に背をむけて、山へと進む。……お天宮さんなど、なおさら認めてくれそうにない。逆に祟られそうだ。

「灯」

 頭上への掃射音とともに空がまた明るくなる。銃を片手に持つドロシーがリュックを拾いあげる。彼女が生みだす光は、明るいというよりむやみに強い。立ちあがった彼女がいまの俺より背だかいことを思いだす。

「灰風の最後の言葉を忘れたの?」

 ドロシーは充血した目で俺を見つめる――。覚えてはいる。そんな資格もない俺に、この二人を守れと言った。

「だったら私も君と行く」
 ドロシーがリュックを俺へと突きだす。
「私の着替えやおでかけセット以外に、君達の箱と同じほど大事なものが入っている。あーあ、サブパソコンも持ってくればよかった。重さなんか関係ないのだから」

 この子は強い。だけども、

「一緒に来ないほうがいいと思うけど……」
 気が変わらぬうちにリュックを腹にしまいながら、あいまいに言っておく。誰もリクトのそばにいてほしくない。責任もてない。

「もっと上に来て」ドロシーに言われる。
 浮かんだ俺を、彼女は真正面から見る。
「君は人も異形も全部守ろうとした。だから、ここからは君の話を信じる。君が望むものを手にするのを見届ける。へへっ……」
 はにかんだように笑い、機銃を肩にかける。

「私はアンディと合流したい」離れた場所でシノが言う。「そいつと居たくない」

 そいつとは俺だろうか、リクトだろうか。ドロシーは聞こえないように、

「君は人なんかより今のがずっといいよ」
 俺へと笑う。返事も聞かずにシノへと顔を向けて「気づいた? この子は東京で草鈴を吹いた人間だ」

「……誰のこと?」
 シノは怪訝な顔をする。
「どっちにしても、あなた一人を台湾の異形と一緒にさせられない。八ちゃんは地面に潜っていて。私は自分の足で歩くから」

 シノも俺達の横に来る。……彼女は人間であった俺を覚えていない。すでに人間であった俺は存在しない。
 ドロシーは人だった俺を覚えているよな。考えたところでどうでもいいや。

「この二人を絶対に噛むなよ」

 俺はリクトに強く言う。猟犬は薄ら笑いで承諾の意を伝える。
 畑との境を彼女達は土蛸の足に乗って越える。リクトは藪をもぐり小川を跳躍して越える。じきに山へと続く畑道にでる。

(ミン)

 振り向いたドロシーが銃音を響かせる。ぼわっと光っていた杉林が闇に戻る。

 ***

 集落を避けて進む。背後で続いた異国の人の言葉が終わる。

「撃退したって」
 電話を終えたシノから安堵がもれる。
「雅は寝返ったハイエナどもを追撃している。本隊と連絡が取れないから、アンディと斑風もこっちに合流する。……おそらく王思玲も向かっているらしい」

 あの二人のことをすっかり忘れていた。フサフサがいるだけで、俺達より安全に感じてしまうからだ。……ドーンは現れない。本当にお天宮さんにいるのだろうか?

「灰風のことを告げなかったね。私が消したなんて、私の口から言えない」
 俺の横でドロシーがぽつりと言う。

「アンディは強いから大丈夫。あなたも強くね」

 シノが横に並ぶ。ドロシーの頭をさする。
 傷の痛みに耐えるシノこそ強いよな。……二人とも異形の言葉を交わすのは、地中にいる土蛸に聞かせるためだろう。ドロシーがちいさく微笑み、銃を逆の肩にかけなおす。

「実弾のが効果あるのでは?」

 俺は疑問を口にだす。リクトは術を連射されても平気な顔だった。灰風は詰めた一発で消えた……。あれも術の弾かも。

「お前にならね」シノが答える。「この犬みたいに本来の世界に存在する異形に、人の作りし武器は効果ない。ゆえに恐れられる」

 シノは俺達への不信を隠せない。畑を抜ける不審な陰にも、集落の犬は怯えるだけだ。人の目には、銃をかかげた女の子と傷を負った若い女性。それと放し飼いのどう猛な犬。リクトはつねに四方の気配を追っている。

「君と王姐の出会いって?」

 林道にでたところで、ドロシーに聞かれる。記憶にないから答えようもないけど、

「楊偉天が青龍を生みだそうとして、俺やリクトとか巻きこまれて、それを思玲が守ってくれたらしい。勝ったのか負けたのか知れないけど、俺とドーンだけ人に戻り、リクトは犬に、思玲は女の子になった。サークルの女の子の一人は行方不明、もう一人は龍になった。……みんなを救うために、俺達はこっちの世界に戻ってきた、らしい」

「ソノ面白イ話ハナンデスカ」
 シノが人の言葉を発する。しかも日本語で。
「ダレガ信ジマスカ? ウケルノデスケドー」

 やはり魔道士に笑われるほどに荒唐無稽な夢物語なんだ。でも俺はたしかに存在していた。……ドーンも思玲も、俺が人に戻ったときを知らない。もし俺が他の三人を押しのけていたのなら、記憶など蘇らないほうがいいかも。

「あなた達こそ、思玲との因縁は?」
 いやな話題は変えよう。

「伝えていいのかな?」ドロシーがシノに聞く。

「問題ない」シノが語りだす。「三年前、王思玲は十四時茶会に呼ばれた。つまり、魔道団の古老と最強の魔道士達が取りしきる幹部会で喚問された。彼女は車を炎上させて、裁判所の門を破壊したらしい。でも人は傷つかなかったし、よその国のことなので、最終的にお咎めはなかった。で、せっかくだから若手同士で手合わせすることになった。私やアンディの二つ下だから、彼女はまだ二十一、二歳だった」

 シノの息が荒くなる。道の傾斜がきつくなったようだ。林に囲まれ、闇は本来の姿となる。

(ロン)」とドロシーが前方を掃射する。街灯のように間をあけて、林道を先までうっすらと照らされる。俺に目を向けて、
「王姐は格好よかった。扇と体術の試合で、ケビンと戦うまで八人抜き。あれだって疲れてなければ分からなかった」

 ふいに先頭のリクトが立ちどまる。

「思玲とフサフサだ」
 俺達の後方へ鼻を向ける。
「人を乗せたタカと追いかけっこだ。倒すのはタカのほうだよな?」

 そういったセリフはやめてくれ。二人とも凍っただろ。リクトは空へも鼻を向ける。うなり声をもらす。

「来たぜ、本命が来たぜ。速い奴と見えない奴だ」
 手負いの獣が笑う。




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