十九の一 座敷わらしと天宮の護符

文字数 2,717文字

2.5-tune


 あらゆる苦痛が消えて、ドロシーのリュックがずしりと重くなる。俺の体が回復して、俺の力が弱まったからだ。
 一日だけであろうと慣れ親しんだ体。おのれの目で見ることができぬ体。

 座敷わらしはおぞましい槍先を避ける。それを操る異形の片足を引く。
 土壁はあお向けに転び、水の音を盛大にたてる。

 ……あらゆるものが近づいている。か弱き妖怪の感が訴えている。この嵐は俺が呼んだと、ようやく気づけた。
 座敷わらしが木札をかかげる。天宮の護符が切れかけの蛍光灯みたいに、土砂降りの深夜の沢をちかちか照らす……。

 なんて護符だ。やる気がないのか?

「フサフサ!」

 それでも座敷わらしは野良猫をめざす。点滅する護符で、彼女の首に巻きつく術の光をぎこぎこ切り裂く。
 フサフサは薄れかけた体で俺をにらみかえす。

「あっちへ行け」
 悪態つく胸もとからは紫の毒がにじみ、口からは血が伝わり消えていく。
「私は一匹で死ぬ。カラスにさえ食わせてやるものか」

 俺は野良猫を思いだす。うす汚れた野良猫、にやけた面の野良猫、俺と横根を助けてくれた野良猫。
 死なせるはずがない!

「松本の傷が完治するとはね。腕さえも戻った」
 露泥無の闇がにじり寄ってくる。「つまり機会も戻った。ならば僕も善意を続ける」

 こいつに任せて俺は空にでる。

ビュン、ビュン

 闇を切り裂くふたつの鞭を、俺はたやすく避ける。空に浮かぶ人間へと護符を向ける。

「木霊は傍観者のはずだが」
 顔を裂かれた人間が間延びしたほど静かに言う。
「連中を操ることはできない。ならば木霊の意志か?」

 人間がまた術の鞭を振るう。俺は闇へと浮かぶ。鞭がかすめる。
 リュックが邪魔だ。もっとすばやく飛びたい。

 人間は空で俺を待ちかまえている。

「ふざけんな……」

 俺は人の胸へ護符を向けることにためらう。こっちの世界であろうと、人を殺せるはずない。
 張麗豪が顔をぬぐう。フサフサに裂かれた五筋の傷が消える。

「刺してもよかったのだぞ」
 目のまえの張麗豪がかすんで消えていく。
「実体を蜃気楼として、おのれを消し去れる。結界と違い妖術扱いされているがな」
 抑揚を抑えた声だけが残る。

「松本、天珠ヲカエセ!」
 人の声が雨音にかき消されそうに聞こえた。ずぶ濡れの東洋女性が胸から血を流す白人女性を抱えている。
「究極形態ダト、異形ノ言葉ハダセナイ! デモ祈リヲ捧ゲラレル! ヨソノ式神デアル僕が、フサフサへ祈ってやろう!」

 人の声じゃないけど……。
 俺は、めいっぱいに怒鳴る異形を信じられる。左手をポケットに突っこもうとして手がすべる。見えない襟に手を入れて天珠を取りだす。二人へと降りる――あいかわらずふわふわだ。
 槍を支えに川から土壁が立ちあがる。頑丈な奴だ。奔流となった沢にも流されやしない。

「受けとれ!」

 露泥無である女性に天珠を投げる。

「ペギッ」
 露泥無は顔で受けとめる。
「悪意ナキモノニハ反射デキナイ」
 鼻血を流したムジナである女性が、フサフサへと天珠を押しつける。
「始メヨウ。――すべてを護る闇に請う。われ禍々しきと呼ばれども、友の魂を救わんと……」

 異形が異形へ捧げる祈りは、人の言葉であろうが異形の耳に心地よく届く。
 俺は槍を向ける土壁へと突進する。土壁は水へともぐる。身を隠し、槍だけを突きだしてくる。炎の玉と毒の玉を乱雑に放たれる。
 俺はすべてを避ける。真紅の花火と紫色の花火が、豪雨の空へとひろがり消えていく。

「土壁、私もいるのだぞ」
 麗豪の声が上空でする。
「その女はこの国の魔道士か? さすがに殺していいものなのか?」

「ソウデス。私ハ陰陽士デス!」
 女性が祈りを中座して大噓を告げる。
「殺シタラ国際問題デス。……真に禍々しきは人。それに従うは人のために非ず」
 また祈りだす。

「日本語は知らぬが、陰陽と言ったな」
 空からの声は、露泥無のでまかせにさらに考えこむ。
「大陸に立つ前に、たいした新入りの噂を聞いた。……土壁は気をつけるべきか。陰陽士ならば封印させられるかもしれない」

 こいつはなにを呑気に分析していられるのだ。……張麗豪を倒さないと。あの気配がむき出しで近づいているのだから。人であろうと傷つけないと。

「はっはっはっ、人間での喧嘩は楽しいよな」
 土壁が水から飛びだしてくる。対岸の岩に着地する。俺を笑いながら見る。
「こうやるのか?」

 土壁がおぞましき槍を天にかざす。なにも起きるはずがないけど……。こいつも気づいている。俺を驚愕させるために、気づかぬふりを続けていやがる。
 フサフサに槍を刺した、野良犬だった異形め!

「こうやるんだよ!」

 座敷わらしがまた護符をかざす。……またもやチカチカだ。はったりにすらならない。
 暗雲が上空で渦巻きだした。あいつだけではない。誰もがここに現れる。

「松本ハ戦ウナ。僕達ヲ守レ!」

 露泥無が叫び、また祈り始める。俺は二人の背後に降りたつ。土壁が炎を放つ。とっさに向けた護符がはじき返す。
 ようやく役に立った。この木札はこれぐらいしかできないのか? そんなことよりもフサフサを見る。
 フサフサは露泥無だけを見ていた。

「ハラペコ、もういい。縄張りは全部ゆずってやる」
 フサフサが露泥無である年配女性を押しのける。
「あんたは、あのカラスを知っているかい? ……慎重な連中が、あんたなんかの声に傾けるはずないよね」
 胸を押さえながら立ちあがり、対岸の異形をにらむ。

「うぉほ、猫が犬に挑もうとしているぜ」
 土壁が上空へ愉快そうに声かける。
「人と化しての決着だ。あんたといえども手をだすなよ」

 土壁が槍を持ちあげ、水平にぐるぐる回す。炎と毒が混ざりあい、赤紫色にどんよりとした渦となる。

「人間を巻きこむべきなのか」

 麗豪がフサフサと土壁の対角線上に降りてくる。それを聞き、露泥無である女性がフサフサの前で手を伸ばし立ちふさがる。

「邪魔だよ」
「フギャ」
 フサフサが露泥無の頭をはたく。

 張麗豪が振りかえる。両手から鞭が伸び、露泥無へとからみつく。
「その扱いなら、お前は陰陽士でなさそうだ。鯰だったかもな。……できのいい貉か?」

 女性が術の鞭に締めつけられ宙に浮かぶ。その体は黒く溶けだし地面に落ちる。誰の目にも追えなくなる。

「麗豪さん、邪魔なんだよ! 一緒に消えるぞ!」

 土壁が槍を背負い振りおろす。
 赤紫色の毒と炎の渦が、張麗豪の蜃気楼が消えたさきの、仁王立ちするフサフサへと向かう。

 でもフサフサは四つん這いになって避ける。立ちあがり、土壁へとにやついた笑みを向ける。俺へも顔を向けて、

「はやく逃げておくれ」
 回復しかけの無理した笑みを浮かべる。




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