十八の一 山中一泊台湾でした
文字数 3,294文字
4.95-tune
「わがまま言うな。哲人の田舎で一晩中籠もっただろ」
「あの時は弱かったから仕方なく」
「いまだって弱い。置いていくぞ」
「是 ……」
*
姿隠しの結界に包まれて、ダークグレーのランドクルーザーは空を低く飛ぶ。遠くに青い海が見えだした。
「カーナビは台湾限定だから、現在地が分からない」
運転席でドロシーが不機嫌にぼやく。
「日本のも圏外」
助手席の大蔵司が、どこからかだしたスマホ画面を見ながら言う。
『まっすぐ北東で大丈夫だよ。最近行ったばかりだから忘れてない』
ステレオが得意げに答える。
「しかし楽しい術だ。帰り道では九郎を封じてもらうからな」
思玲が運転席の隣で告げる。
『九ちゃんだったらもっと小さい乗り物じゃないと無理だよ』
またステレオが異形の声で答える。『僕と同じで地面は走れないんじゃないかな』
「そしたら私が運転する。日本も左側通行だもの。……そろそろ降りよう。結界から出たい。破壊しそう」
「まだ海だろ。陸上は京に任せるからドロシーは心配するな」
彼女の運転を知る思玲が言う。
「九ちゃんにさせよう」京が答える。
「役立たずは引き続き見張りだ」
「思玲さあ、あんまり貶 すとかわいそうだよ。楽しい異形だし、食い物もきれいだし」
「細かく教えることはないが、あいつはとんでもない失態を犯した。師傅は九郎を処分しようとしたが、私がかばい尻を拭 った。……人の命と人々の記憶が失われた」
思玲が窓の外を見るので俺も見る。空飛ぶ車に並行して九郎が琥珀を抱えて飛んでいる。琥珀はスマホを弄っている。何かをしでかしたらしい九郎は余裕の面だ。
「風軍ちゃんもヘリや飛行機に封じたら、もっとスピードでたのにね……」
大蔵司が明るい声を作り「十億円、どうしよう」
どんより暗い声になる。
「麻卦へと私も一緒に謝る。一億円にディスカウントしてもらう。拒否したら、また腹に当てる」
「ほんとにしないよね。それこそ折坂さんが怒るよ」
俺は十億円を心配しない。待ちかまえているかもしれない白虎さえよりも、ただただ気にかかるのは俺と思玲に挟まれて眠る夏奈。
ドロシーに光をぶつけられて、また気を失い、大蔵司にさすられて外傷は消えたけど、まだ目を覚まさない夏奈。忌むべき杖は俺が取り上げたから、目覚めても俺が見えない夏奈。
司祭長めと、俺に飛びかかった夏奈。
すべてをだますのか!
俺へと叫んだ夏奈……。フロレ・エスタスであった時の記憶なんかであるはずない。そうであるはずない。だから俺が司祭長だかの生まれ変わりであるはずない。そう思いたい。
ひとつ分かったのは、俺が死者の書を腹に隠しもつ理由。
俺は彼らに尋ねないとならない。楊偉天と同じ結末が待っていようと知らなければならない。ゼ・カン・ユを知らないとならないし、フロレ・エスタスを知らないとならない。
「日本にしばらくいると聞いた覚えがあるが、二言はないだろうな?」
思玲がドロシーに言質をとろうとする。必要ないだろうに。
「勝手に動いたから帰っても怒られるだけだし……。お爺ちゃんがいなければ叱責で済まない」
「だったらこれを持て」
思玲がバッグから天宮の護符をだす。「この雷木札は哲人だけを依怙贔屓しやがる。ドロシーがいるならば、ドロシーが持つのが最善だろう」
台湾に旅立つ前は夏奈に持たせようとしていたのにか。
「王姐は持たないの?」
「さきほどみたいに思玲と呼べ。そして私は哲人のお守りじゃない」
「私が哲人さんを守ればいいんだ。さっきみたいに、へへ」
混乱して俺に飛びかかった夏奈を光で吹っ飛ばしたように……。
俺が持っても輝かない天空の護符。廃村での戦いで、ドロシーが握ったこの護符は、空を照らすほど紅色に輝いた。俺を守るということは俺と一緒に戦うこと。俺がともに戦うのは夏奈でなくドロシーってことか?
そりゃそうだ。夏奈は守られる存在だ。
ドロシーが後部座席に右手を伸ばす。受けとった瞬間、車内が紅色に照らされる。
「へへ」とドロシーが照れ笑いする。その手から護符は消える。
「……やばみだ。琥珀ちゃんが掲げてもノーアクションだったのが、瑞希が持った瞬間にもオーラが湧きでた奴だ。ドロシーちゃんのの五十分の一ぐらい」
大蔵司が言う。白昼の空き地での戦いのときだ。
「でもそれって道具じゃないよね。それで桜井ちゃんを叩いちゃ駄目だよ。今度こそ殺しちゃうよ」
「へへ」とまたドロシーは笑い声だけを返す。……もっと怖いお守りを彼女は持っているだろう。香港に置いてきているはずない。
***
九州上空へたどり着くのに五時間も消費した。時速200キロメートルでも意外にかかる。もう十三時だ。
「食事にしよう」
沖縄上空に続いて、ドロシーがまた言う。「東京に着くのは夕方だよね。我慢できない。外の空気も吸いたい」
「お前も魔道士ならば半日食わなくても平気な面 をしろ」
「そうだよ。私なんか毎週二日は絶食して水だけ飲んでいるし。そうしないと血が濃くなりすぎる」
「濃くなるとどうなるのですか?」
「ドロシーちゃんを食べたくなる。って冗談」
女子達は元気で夏奈だけがまだ寝ている。『いつでも起こせるから放っておけ』と思玲に言われている。だとしてもすでに五時間はまずくないか? その前も気絶していたわけだし、そもそも夏奈は魔道士ではない。
「降りよう。夏奈を起こす」
「そうだね。そしたら哲人さんはコンビニに行って」
ドロシーが即答してくれた。
思玲がおもいきり舌打ちしたあとに、
「本隊は下に降りる。もう日本だからな、しっかり警戒しておけ。先制攻撃だぞ。さもないと私が殺される」
天珠で式神達に命じる。
「風軍、あの砂浜にしよう。東京に着いたら帰っていいから」
ドロシーが勝手に決めるが反対意見はでない。
『はあい。封印されたまま帰れたら楽なのにな』
空飛ぶランドクルーザーは、推定高度二千メートルから60度ほどの勾配で急降下する。ワシみたいだったが着地はおとなしかった。
荒れた砂浜。波強き太平洋。俺達以外に誰もいない。思玲が結界を解除する。
「宮崎ぽい。ウミガメが卵産みそうな場所だね」
助手席のドアを開けた大蔵司はスマホを見ている。べつの手に煙草とライターも現れる。彼女は魔道具以外も何でも隠し持っている。
ドロシーの手には松葉杖が現れる。それをつかって砂浜におりる。思いきり深呼吸……。なおも薄ピンクのパジャマ姿であることより、膝枕してもらったときにたまたま当たった感触からブラをしていないことより、魔道具である松葉杖を支えに海を見つめる笑み。少しだけ肉厚の唇。
やっぱりかわいいな。常時仏頂面の思玲より、こわきれいの大蔵司より、夏奈と同じぐらいかわいい。
『よいしょっと』
風軍の声とともに、すべてのドアとハッチが開く。
「思玲が起こしてください」と俺が頼む。夏奈を目覚めさせるのは、恐ろしいことに、思玲に頼むのが一番安全だ。
「また寝起きで哲人を見たら暴れるかもな」
「杖を手にしてないから俺は見えません」
「混乱してたら即座に眠らすぞ。失神の術は得意だ。後遺症を残さないって意味でだ」
狼やカラスを何度も気絶させた思玲が、夏奈の耳もとに口を寄せる。十七歳ぐらいの思玲。二十歳の夏奈。なんだか色っぽい。思玲が聞こえぬ声でささやく。
空いたままのドアから潮風を浴びながら、夏奈がゆっくりと目を開ける――。
異形である俺と目があう。
「松本君だ」夏奈が笑う。「さっきはごめんね」
かわいい笑みだけど、俺は笑い返せない。忌むべき杖なくして、なぜに俺が見える? なぜに忌むべき世界にいる?
*****
二人は日本に帰ってきた。
私は感づく。しかし龍と一緒だ。私に怪我を負わせた愛らしい小鬼と燕も見張っている。悪戯好きのあの二体を殺すのは気がひける。なので飼い主の責任だ。
あいかわらず王思玲も松本哲人も別の者から離れない。また町中に向かうだろう。力押しできない。ねぶるように嫌らしく殺すしかできない。それこそ猫が虫をいたぶるように。
松本哲人と王思玲。こいつらが二人きりになった瞬間に始めよう。
次回「合流手前」
「わがまま言うな。哲人の田舎で一晩中籠もっただろ」
「あの時は弱かったから仕方なく」
「いまだって弱い。置いていくぞ」
「
*
姿隠しの結界に包まれて、ダークグレーのランドクルーザーは空を低く飛ぶ。遠くに青い海が見えだした。
「カーナビは台湾限定だから、現在地が分からない」
運転席でドロシーが不機嫌にぼやく。
「日本のも圏外」
助手席の大蔵司が、どこからかだしたスマホ画面を見ながら言う。
『まっすぐ北東で大丈夫だよ。最近行ったばかりだから忘れてない』
ステレオが得意げに答える。
「しかし楽しい術だ。帰り道では九郎を封じてもらうからな」
思玲が運転席の隣で告げる。
『九ちゃんだったらもっと小さい乗り物じゃないと無理だよ』
またステレオが異形の声で答える。『僕と同じで地面は走れないんじゃないかな』
「そしたら私が運転する。日本も左側通行だもの。……そろそろ降りよう。結界から出たい。破壊しそう」
「まだ海だろ。陸上は京に任せるからドロシーは心配するな」
彼女の運転を知る思玲が言う。
「九ちゃんにさせよう」京が答える。
「役立たずは引き続き見張りだ」
「思玲さあ、あんまり
「細かく教えることはないが、あいつはとんでもない失態を犯した。師傅は九郎を処分しようとしたが、私がかばい尻を
思玲が窓の外を見るので俺も見る。空飛ぶ車に並行して九郎が琥珀を抱えて飛んでいる。琥珀はスマホを弄っている。何かをしでかしたらしい九郎は余裕の面だ。
「風軍ちゃんもヘリや飛行機に封じたら、もっとスピードでたのにね……」
大蔵司が明るい声を作り「十億円、どうしよう」
どんより暗い声になる。
「麻卦へと私も一緒に謝る。一億円にディスカウントしてもらう。拒否したら、また腹に当てる」
「ほんとにしないよね。それこそ折坂さんが怒るよ」
俺は十億円を心配しない。待ちかまえているかもしれない白虎さえよりも、ただただ気にかかるのは俺と思玲に挟まれて眠る夏奈。
ドロシーに光をぶつけられて、また気を失い、大蔵司にさすられて外傷は消えたけど、まだ目を覚まさない夏奈。忌むべき杖は俺が取り上げたから、目覚めても俺が見えない夏奈。
司祭長めと、俺に飛びかかった夏奈。
すべてをだますのか!
俺へと叫んだ夏奈……。フロレ・エスタスであった時の記憶なんかであるはずない。そうであるはずない。だから俺が司祭長だかの生まれ変わりであるはずない。そう思いたい。
ひとつ分かったのは、俺が死者の書を腹に隠しもつ理由。
俺は彼らに尋ねないとならない。楊偉天と同じ結末が待っていようと知らなければならない。ゼ・カン・ユを知らないとならないし、フロレ・エスタスを知らないとならない。
「日本にしばらくいると聞いた覚えがあるが、二言はないだろうな?」
思玲がドロシーに言質をとろうとする。必要ないだろうに。
「勝手に動いたから帰っても怒られるだけだし……。お爺ちゃんがいなければ叱責で済まない」
「だったらこれを持て」
思玲がバッグから天宮の護符をだす。「この雷木札は哲人だけを依怙贔屓しやがる。ドロシーがいるならば、ドロシーが持つのが最善だろう」
台湾に旅立つ前は夏奈に持たせようとしていたのにか。
「王姐は持たないの?」
「さきほどみたいに思玲と呼べ。そして私は哲人のお守りじゃない」
「私が哲人さんを守ればいいんだ。さっきみたいに、へへ」
混乱して俺に飛びかかった夏奈を光で吹っ飛ばしたように……。
俺が持っても輝かない天空の護符。廃村での戦いで、ドロシーが握ったこの護符は、空を照らすほど紅色に輝いた。俺を守るということは俺と一緒に戦うこと。俺がともに戦うのは夏奈でなくドロシーってことか?
そりゃそうだ。夏奈は守られる存在だ。
ドロシーが後部座席に右手を伸ばす。受けとった瞬間、車内が紅色に照らされる。
「へへ」とドロシーが照れ笑いする。その手から護符は消える。
「……やばみだ。琥珀ちゃんが掲げてもノーアクションだったのが、瑞希が持った瞬間にもオーラが湧きでた奴だ。ドロシーちゃんのの五十分の一ぐらい」
大蔵司が言う。白昼の空き地での戦いのときだ。
「でもそれって道具じゃないよね。それで桜井ちゃんを叩いちゃ駄目だよ。今度こそ殺しちゃうよ」
「へへ」とまたドロシーは笑い声だけを返す。……もっと怖いお守りを彼女は持っているだろう。香港に置いてきているはずない。
***
九州上空へたどり着くのに五時間も消費した。時速200キロメートルでも意外にかかる。もう十三時だ。
「食事にしよう」
沖縄上空に続いて、ドロシーがまた言う。「東京に着くのは夕方だよね。我慢できない。外の空気も吸いたい」
「お前も魔道士ならば半日食わなくても平気な
「そうだよ。私なんか毎週二日は絶食して水だけ飲んでいるし。そうしないと血が濃くなりすぎる」
「濃くなるとどうなるのですか?」
「ドロシーちゃんを食べたくなる。って冗談」
女子達は元気で夏奈だけがまだ寝ている。『いつでも起こせるから放っておけ』と思玲に言われている。だとしてもすでに五時間はまずくないか? その前も気絶していたわけだし、そもそも夏奈は魔道士ではない。
「降りよう。夏奈を起こす」
「そうだね。そしたら哲人さんはコンビニに行って」
ドロシーが即答してくれた。
思玲がおもいきり舌打ちしたあとに、
「本隊は下に降りる。もう日本だからな、しっかり警戒しておけ。先制攻撃だぞ。さもないと私が殺される」
天珠で式神達に命じる。
「風軍、あの砂浜にしよう。東京に着いたら帰っていいから」
ドロシーが勝手に決めるが反対意見はでない。
『はあい。封印されたまま帰れたら楽なのにな』
空飛ぶランドクルーザーは、推定高度二千メートルから60度ほどの勾配で急降下する。ワシみたいだったが着地はおとなしかった。
荒れた砂浜。波強き太平洋。俺達以外に誰もいない。思玲が結界を解除する。
「宮崎ぽい。ウミガメが卵産みそうな場所だね」
助手席のドアを開けた大蔵司はスマホを見ている。べつの手に煙草とライターも現れる。彼女は魔道具以外も何でも隠し持っている。
ドロシーの手には松葉杖が現れる。それをつかって砂浜におりる。思いきり深呼吸……。なおも薄ピンクのパジャマ姿であることより、膝枕してもらったときにたまたま当たった感触からブラをしていないことより、魔道具である松葉杖を支えに海を見つめる笑み。少しだけ肉厚の唇。
やっぱりかわいいな。常時仏頂面の思玲より、こわきれいの大蔵司より、夏奈と同じぐらいかわいい。
『よいしょっと』
風軍の声とともに、すべてのドアとハッチが開く。
「思玲が起こしてください」と俺が頼む。夏奈を目覚めさせるのは、恐ろしいことに、思玲に頼むのが一番安全だ。
「また寝起きで哲人を見たら暴れるかもな」
「杖を手にしてないから俺は見えません」
「混乱してたら即座に眠らすぞ。失神の術は得意だ。後遺症を残さないって意味でだ」
狼やカラスを何度も気絶させた思玲が、夏奈の耳もとに口を寄せる。十七歳ぐらいの思玲。二十歳の夏奈。なんだか色っぽい。思玲が聞こえぬ声でささやく。
空いたままのドアから潮風を浴びながら、夏奈がゆっくりと目を開ける――。
異形である俺と目があう。
「松本君だ」夏奈が笑う。「さっきはごめんね」
かわいい笑みだけど、俺は笑い返せない。忌むべき杖なくして、なぜに俺が見える? なぜに忌むべき世界にいる?
*****
二人は日本に帰ってきた。
私は感づく。しかし龍と一緒だ。私に怪我を負わせた愛らしい小鬼と燕も見張っている。悪戯好きのあの二体を殺すのは気がひける。なので飼い主の責任だ。
あいかわらず王思玲も松本哲人も別の者から離れない。また町中に向かうだろう。力押しできない。ねぶるように嫌らしく殺すしかできない。それこそ猫が虫をいたぶるように。
松本哲人と王思玲。こいつらが二人きりになった瞬間に始めよう。
次回「合流手前」