三十五の三 血よ、たぎれ!

文字数 3,094文字

「昇の護りの術か……。お前が恐ろしくなってきた」

 麗豪が峻計をおぞましげに見た。
 奴の足もとには、思玲が動かずにいた。麗豪は彼女を足で転がし、その腹を踏む。

「まずはひとつ」

 麗豪が口もとをゆがませる。女の子の口から血が流れる。

ドクン

 人である俺が怒りを感じる。こいつらを倒す。胸が熱い。

「麗豪様。憤怒の気です。はやく四玉の箱をお取りください」

 峻計はもう一枚の扇を斜め十字に振りかざす。無数の黒い光を、ドロシーが護布で必死に受けとめる。
 山林の向こうに無数の人影が見える。さらに登山者達が待機していた。

「あの狼をひるませた力のことか。その男が異形になると振りだしに戻る」
 麗豪が横根へと鞭をふるう。

 術の鞭が気絶する横根を持ちあげ、地面に叩きつける。手から離れたリュックを鞭がつかむ。この男は……。
 血が熱い。

「麗豪!」

 俺は嗜虐な男へと飛びかかり、鞭ではじき返される。本体は蜃気楼と消えていく。血が沸きたちそうだ。なのに体が動かなくなる。

「もうひとつ必要なのはお前だな。力もないくせに人の姿で戦うとは。土壁、運んでやれ」

 姿をだした麗豪が林の奥に声かける。
 隻腕の男がやってくる。

「おほっ、人間がゴミステバになっていやがる」
 長身の作務衣の男が、気絶した登山者達を見て笑う。
「麗豪さん。俺は腕が折れたままだ。松本哲人をこの中に入れて、俺の背中に乗せてくれ」

 大きな汚らしいずた袋を地面に落とす。俺は左手しか動かない。

「露泥無!」

 叫んでも足もとから現れない。あのムジナはどこへ消えた。どこかで覗いているだけか?
 あの異形に俺達への恩義はない。昨夜の奮闘は、なじみの野良猫が巻きこまれたからだけだ。

「貉の名前か? 龍を呼ばないのか」
 峻計が俺をちらり見る。

 こいつらの前に呼べるはずない。巡る黒羽扇に護られた峻計が、ドロシーを追い詰めていく。ドロシーは歯を食いしばりながら、護布と扇でしのいでいる。圧倒されている。

「片づけろ背負わせろだと?」
 麗豪が俺に鞭を振りかざす。胴に巻きつき持ち上げられる。
「私に命じるな。口でくわえて持っていけ」

 俺を隻腕の異形へと投げる。土壁は受けとめることなどせず、俺は地面に落ちる。土壁が、人である俺の腹を嫌悪をこめて踏みつける。
 痛くはない。口から血が噴きでただけだ。俺も憎悪をこめて土壁を見上げる。体はほぼ動かない。血だけが燃えている。

「おっしゃるとおり、くわえて運んでやるよ。首を食いちぎっても文句を言うな」
 土壁が張麗豪をにらむ。

 横根はなおも動かない。思玲は……目を開けていた。不屈の顔で俺を見る。その目は俺を案じていない。……こ、これは、叱咤の眼差しだ!
 俺の中の血が暴発した。

「土壁……」まだ声がだせた。「後ろにフサフサがいるぞ」

 土壁が背後へ構える。俺はただひとつ動く左手で、土壁の足を引っ張る。
 異形の男が盛大に転ぶ。俺は踏まれていた腹をさする。痛みはないから脱臼した右肩をはめようとしたら、簡単にはまった。
 俺はまだまだ元気だ。ドロシーから癒しを授かったシャツの胸もとを握る。口に残った血を吐き捨てて立ちあがる。と同時に、頭をつかまれ持ちあげられる。

「人間が!」
 土壁の頭突きを顔面に受けて、杉の木に激突する。ヒグラシが抗議しながら飛んでいく。
「人間が!」

 さらに腹部に蹴りを受ける。背中の杉から、みしりと音がした。
 土壁は俺の首を握ろうとして、手首がだらりと逆向きに折れる。土壁が頭をのけぞり振りかぶる。
 その頭突きから俺は逃れる。土壁は折れた杉の木と倒れこむ。
 俺はめりこんだ鼻を手で確認する。……もとに戻った。鼻血もとまった。これは。
 いそいで全身をさする。おそらくマジで復活していく。血はなおもたぎっている。
 大蔵司の義憤の血だ!

「なぜにその術を……。私は会得するのに二十五年かかった」

 麗豪の愕然とした声。
 種明かしなどしない。まずは。俺は横根へと走る。抱きおこす。
 眠っている彼女の体中を触りまくる。珊瑚がはじきやがって、透けた体は戻らない。

「目を覚ませ!」
 俺の怒鳴り声に、彼女がびくりと目覚める。
「思玲を守れ!」

 横根が寝ぼけたようにうなずく。……彼女はかすり傷程度だ。悪しき力から海神の玉が守っている。そうに違いないと思いこむしかない。

「露泥無! 姿を現せ! 横根とともにしろ!」
 地面に叫ぶ。

 ヨタカがキョキョキョと飛んできた。上から覗いていやがった。

「こいつらとの戦いは、僕にはリスクだけだ。でも、この機会を手放さない限り付き合おう」
 ヨタカが溶けて横根を包む。
「しかし座敷わらしでもないのに助けを呼ばないでほしい」

 次は思玲――

「小娘が!」麗豪の怒声がした。「子豹に足の甲を刺された」

 さすがだ。少女だろうと思玲だ。機会を逃さない。

「……治らない。輝いていたというのか」
 麗豪がおのれの足へと手をかざすのをやめる。

「ははは、麗豪さん、荷物も奪われて逃げられたぜ」
 土壁がようやく肘で立ちあがる。
「無様すぎるな。お願いされたら、俺の鼻で探してやるけどな」

「お前など無用だ」
 麗豪が宙に浮かぶ。林間を縫って飛んでいく。

「思玲! ドーンを探せ! 闇もともに行け!」
 俺は叫ぶ。伝わっただろうか?

 杉の木まで追いつめられたドロシーが横目で俺を見ている。なにが『あなたを永遠に守るだ』。早々に俺へと助けを求めている。

「土壁は、松本でなくて竹林を老祖師のもとに連れていって。まだ間にあう。場所は竹林が知っている。やさしく運んでやりな」

 峻計が転がったままの小柄な大カラスを見る。こいつは扇で俺をけん制している。……妖艶な目が訴えている。最後に残った仲間を殺せば、気絶した人間達にも黒い光を向けると。
 俺もにらみ返す。人々を殺したら、誰一人も生かさないと。

「きっぱり言うぜ。俺はあんたにだけ従う」

 土壁が大カラスのもとに歩む。あいつが扇を土壁に向ける。残された腕に竹林を抱えた異形が、結界に包まれて消える。

「……フサフサの野郎はマチに帰ったのか?」

 その言葉を残して、見えない土壁が立ち去る。
 この場にいるのは、俺と峻計とドロシー。
 いよいよ彼女を救う。生身の俺へと術を放ち、痛覚を消滅させ、さらに術をぶっつけやがったドロシーへと走る。

「滅んでよ」

 彼女はよそ見した峻計へと扇を振りまくる。無意味にでかい光は護りの術に跳ね返される。俺をかすめて、また杉の木が一本倒れる。

「お前は何者だ?」

 魔物であるあいつは、まだ俺を見つめている。俺を見る目に、かすかな畏怖を感じた。
 あいつが指を鳴らす。ドロシーの視線が俺の背後でとまる。――大勢が土を踏む音。傀儡の第二波だ。

「や、やだあああ!」

 ドロシーが護布を頭から被ってしゃがみこむ。なんて奴だ。
 峻計がその布を奪いとる。旋回する黒羽扇が手に戻る。代わりにサテンが巡りだす。

「あの男が護りの術を編んだ布。この緋色は麗豪様にこそふさわしい」
 あいつが彼女の頭をさする。
「夏梓群。ドロシー。どちらもかわいらしい名ね。……とてつもない大物の名前がでてきたわ。ふふ。人が怖くても立ちな」

 ドロシーが無感情の面で立ちあがる。大事な護布を奪われたうえに、傀儡になりやがった――。無抵抗に七葉扇まで取られやがった。

「新月の闇に、この扇を染めてみよう」
 そして、あいつが俺を見る。
「お前はこの娘の傀儡さえも破る。窮地に陥れば龍を呼ぶ。それさえも考えて動く。……誰もいなくなった。貴様を殺しても老祖師への証人はいない」

 あいつから待ちかねたような殺意があふれだす。俺にはなにもない。




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