三十の二 上弦の言上

文字数 3,935文字

「思玲は?」
 ゆったり羽ばたくドーンに並んで、まずそれを聞く。

「鬼をひとつ倒したらしい。俺はさっき桜井とすれ違った。クロスチェンジなんて言ったけど、こっちのがヤバそうだね」

 桜井と思玲が合流してくれるのは、現状では最善かもしれない。

「で、あいつが劉師傅かよ。マジで俺達を狙っているじゃん。て言うか、瑞希ちゃんが倒れているし。……いないと思ったら川田が! あの野郎!」

「川田と横根は無事だ」今のところはだけど。「師傅はけた違いだ。下に降りたらやられる」

 おそらく横根は狙われないが、人の目に見える異形であるドーンも川田も成敗の対象だろう。……思玲をここに呼びたい。そんな猶予はない。

「そうは言っても、あの二人を助けるぞ。――ミカヅキが言っていたよな。俺と哲人は人に戻れるって。だから花火をあげようぜ。ぶっ倒そうぜ」

 ちりばめられた灯の中で、駅ビルの屋上はただ闇をさらしている。そこに戻るしかないよな。
 あの恐ろしい剣こそが破邪の剣だ。それがあれば箱にかかった術を消せると、思玲は言った。つまり、あの人を倒して、あの剣を奪い思玲に託し、箱の妖術をかき消す。箱は峻計から取りかえす……。

「無理だよ」俺は冷静に判断しただけだ。「説得して仲間になってもらうべきだ」

「カッ、俺達が降伏ってことじゃね」ドーンが言い捨てる。「ありかもな」

 それには俺達が消すべき存在でないと認めてもらわないと。……師傅は問答無用で剣を振りかざしてくる。俺達の釈明など聞いてくれるだろうか。
 口が達者な(お喋りなだけな)ドーンと、弁がたつ(理屈屋の)俺の二人なら、きっとできるはずだ。

 *

 上空に駅前のざわめきは届かない。俺達は下界へと降りる。

「その女の子は横根瑞希と言います。白猫だった人間ですが重傷を負いました。それを思玲が珊瑚の玉で救って、人に戻ったときに所有者が変わってしまったようです」

 照準をあわせられないように大きく旋回しながら、師傅が知りたがったことを伝える。珊瑚を心臓にしたとか使い魔と契約したとか、余計なことは教えない。

「お前の説明は合点がいかぬことが多すぎる。ここまで降りてくるがよい。さもなければ、私は狼を消して大鴉と青龍を追う」

 劉師傅の声はよく届く。俺とドーンはあわてて屋上へと向かう。

 師傅は剣を地面へと置く。それでも俺は距離をおいて浮かぶ。なにも持たないままの師傅がたちあがり、再び俺を見上げる。
「お前達が異形と化したのは、いつだ?」

「昨日の午後四時頃です」
 師傅の質問に俺が答える。俺達の身を案じての問いか?

「楊老師は日本にいるのか?」

 師傅が質問を続ける。……楊偉天を倒して日本に来たのではなかったのか。

「見てないっすよ。あいつらの様子からすると、いないんじゃないのかな。て言うか、思玲がマジでヤバいって。ここで俺らの相手をしている場合じゃないですし」

 ドーンがフェンスから答える。聞いていて、はらはらさせられる。もうすこし丁寧な言葉づかいをしてほしい。

「流範は?」師傅はドーンの頼みを無視して問う。
「消えました」俺が答える。
「思玲が倒したのか?」
「哲人と川田がとどめを刺したんすよ。それって座敷わらしと狼の、人間(・・)のときの名前ですけどね」

 ドーンが、俺達が人であることを強調する。

手長(テナガ)多足(オオアシ)は?」

 劉師傅は反応も見せず知らぬ名前をあげるだけだ。日本語名?

「そいつらは誰だよ。聞いたこともないよな」
 ドーンが俺に同意を求めたあとに、
「て言うか、瑞希ちゃんが生きているかぎり桜井は青龍にならないって、思玲が言っていた。だから、はやいとこ川田と瑞希ちゃんの意識を戻してくださいよ。そんで思玲を助けて、俺達を人に戻してくださいよ」

「四玉は誰が持っている?」師傅は質問するだけだ。

「さっきまでは俺が持っていましたけど、今はあいつだと思います」
「マジ? 奪われたのかよ」背後でドーンが騒ぐ。

「四神のものからまで、あいつ呼ばわれか……。四玉が手もとにあったゆえに、狼狽せずに済んだのだな」
「峻計から奪いかえすのは俺達も協力します。なので、残りの四人を人に戻してください」

 この人は、なぜ五人も異形になったのか、四神もどきでない俺の存在のわけを聞いてこない。理由が分かっているのか、それとも興味ないのか。

「たしかに我が剣があれば、お前達を人に戻せる。幾度となく祖国で為したことはある」
 劉師傅の目がさらに厳しくなる。次に続く言葉を予測して背筋が寒くなる。
「だが青龍に選ばれし資質を残すわけにはいかない」

 やっぱりな……。フェンスからドーンが飛んでくる。

「五人が人に戻らないと意味がないんだよ」
 俺の横で羽ばたきながら師傅を見おろす。

「人に戻れば、青龍の娘は忘れられる」

 簡潔な答えを受けて、俺は思いだす。偶然に支配された、二人だけの真冬の時間を。
 あの笑みさえも忘れろと言うのかよ。

「桜井は青龍ではない! みんな人間だ。みんな人に戻れて当たり前だろ!」

 師傅は俺の剣幕にも顔色を変えない。怒りも同情も浮かばない。

「分かってはいる。生贄に選ばれてしまった救うべき者だと。お前達の仲間だとも知っている。それでもなお、人の世に戻すわけにはいかない」

 闇を挟み離れていようが、この人の目はまっすぐに俺達を射抜く。その眼差しは、真実しか言わせない威圧を与える。弁を弄するなんて無理だ。本心を伝えることしかできない。

「……思玲も、俺達が人に戻ることを願っています」
 それでも俺は彼女を持ちだし糸口を探る。思玲を餌に師傅の情を引きだそうと。
「彼女は扇と護刀を投げだしてまで俺達を守ってくれました。その思玲が俺達を……、その思玲も俺達の仲間です。だから思玲を助けにいってください」

 俺の心にあったもうひとつの願いが、真実として言葉としてでてしまう。
 電車の警笛が長く響く。

「思玲は誰と戦っている?」

「琥珀という奴ですよ」ドーンが即答する。「そういや峻計は?」

「あの小鬼が来たか。……お前達に残された時間は限られている。それは聞いているか?」
 師傅が屈んで剣へと手を伸ばす。

 俺は唾をのみながら、「はい」と答える。

「黒羽扇は傷ついた。奴の体のごときものであっても、あの式神は邪悪な光をしばらくは発せまい」
 師傅が剣を手に立ちあがる。
「奴らはあきらめぬ。青龍の娘が人に戻ったとして、また襲われる。私がこの地で老師を倒したとしても、別のものが狙うかもしれぬ。
思玲のごとく両方の世界に存在できる者も、楊老師の四玉の理屈を解して真似できる者も、大陸にはいる。やがて誰かの手により、かの娘は完全なる青龍と化すかもしれぬ」

 劉師傅が俺を見る。……気づかぬうちに俺は師傅の面前にいた。ドーンも真横にいる。俺達は引き寄せられていた。

「だからって人を殺すのですか? 桜井夏奈と名前で呼んでください。名前のある人を殺すのですか?」
「ならば逆に聞こう。桜井という名の娘が人に戻ったとして、邪な心を持つ者どもから誰が守るのだ? 資質が弱まるのはまだ十年も先。それに――」
「俺が守ります」

 分かってはいる。どうやって守るのだ?

「なるほど。だが人に戻れば今の記憶は消える。かの娘を本心から守りたいのならば、お前だけは人の心を持つ異形のまま、娘を守る存在として忌むべき世界に残してやろう」
 劉師傅が俺の目を見つめる。俺は目をそらしてしまう。俺だけ妖怪として残る。そんなことを選べるはずない。
「答えられないか? 耐えがたき選択か? お前も同様に求めているのだぞ。人の世に害をなすものを見逃せとな」

 彼は俺達からの最後の答えを待っている。俺達は真実しか口にだせない。たとえ、それがこの人の心に召さないものだとしても。

「五人とも人に戻る。あなたに頼る必要などない」

「……だよな」ドーンが続く。「俺達は弱いけど、やるときはやるものな。カカカッ」

 俺達が焦がれる世界は土曜の夜にざわめくだけだ。傾いた半月だけが俺達を見ている。

「我が術は無敵ではない。空を飛ぶ小さき鳥を追うのは容易ではない。先に峻計のかたをつけよう。我が弟子である思玲も、それを望むだろう」

 今の師傅の話が意味するのは……、桜井の処分はいったん猶予するのか?

「それって、夏奈ちゃんの件は棚上げってことっすよね?」

 さすがドーン。念押しして言質をとろうとする。でも師傅は答えもせず、横根へと顔を向ける。

「この娘は珍奇にも陰の世界の記憶を残したままだな。龍の力によるものか?」

 この人はすべてを見抜く。俺はうなずけない。

「やはりそうか。……しばらくはこの悪夢を覚えているが、徐々に霞んでいく」
 劉師傅は横根の脇にしゃがみ、その頬に手のひらをかざす。それからドーンを見つめる。
「娘が目覚めたときにはお前が先導してやれ。日本の鴉の真似をしろ」

 師傅が立ちあがる。緋色の布で剣をくるむ。狼へと目を向ける。

「そろそろ起きるがいい!」

 劉師傅の一喝に、狼の体がびくりと跳ねる。

「お前達と違い、手負いの獣は危険だ。いずれ人に害をなす」
 師傅が布に包まれた剣の先を川田に向ける。いきなりのことで俺達は声もだせない。
「これ以上の犠牲を生みだしたくはない」

 師傅が剣を振りかざす。緋色の光が川田を襲う。狼の絶叫が響きわたる。同時に溶け始める……。
 狼の魂は瞬時に切り裂かれた。妖怪である俺には分かる。この男は俺達へ背を向けて歩きだす。非常階段へと向かう。
 俺は人であった川田を思いだす。でかい図体で横柄で、やさしく真正面だった川田。

 紅蓮だ。

 この三十時間は、理不尽への怒りや絶望にまみれて過ごした。でも、これほどまでの憎悪は……存在をゆるされない。
 俺は憤怒の具現と化す。




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