二十四の一 アポなし異形あり里帰り

文字数 2,187文字

「神殺の鏡は我らが長の証。劉昇様が亡くなられた今、受け継ぐのは思玲様だ。その力を赤の他人に口外できるものか。貉は知っていても喋るな」

 俺の質問に、琥珀は答えてくれなかった。

「琥珀はまじめだな。ひとつだけ教えてやら。昼の鏡は、夜に向けて力を蓄えるだけだから心配するな。チチチ」

 九郎の話が本当ならば、夜までは神殺の老人は現れず、神殺の結界に閉じこめられない。あの魔物も波動を吐きださない。琥珀と露泥無が否定しないから、真実と受けとめる。……夜に向けて? なんだか異形みたいな鏡だな。そのものだった俺にはわかる。夜が連中の世界で、昼は人の世界だ。

「それとな」琥珀がまた俺をにらむ。「我が主からの言いつけにより、哲人に従う。だけど僕達が人間の世界をうろつくのはどうかと思う」

 たしかにこいつはまじめだ。

「チチチ、俺なんか伝令屋だからな。人の世界などしょっちゅうだ」
「僕はご覧のとおり気配なく人になれるからね。問題ない」

 元気になった露泥無が、女の子の姿でくっついてくる。地元だから押しのける。すでに近所のおばさんに畑から目撃されたし。

 *

 国道わきの歩道を異形とともに歩く。ブドウ畑に囲まれた住宅街に入れば、正月以来の自宅だ。父の車はなかった。夫婦で旅行にいくと連絡があったのを思いだす。

「おのれの住みかを晒すべきではない」露泥無が言う。「大事な人達も巻きこまれる。……すでに楊偉天は死者の書を持っているけどね」

 張麗豪が渡すのを渋ったふるびた書物のことだ。どうせ不安を駆りたてるだけだから詳細は聞かない。玄関のチャイムを鳴らして、ドアノブをまわす。鍵がかかっている。下宿の鍵はあるけど、自宅のまで持ち歩かない。

「貉。死者の書ってなんだ?」琥珀が尋ねやがる。

「僕にも名前があるのだけどねえ。南京の古刹に封印された宝物のひとつ」
 女の子が言う。
「死人が語り継ぐ記憶が記される書。楊偉天は、たどるべきを照らす鏡と、現在と過去をあからさまにする書を手にした。おろかな老人だ」

 この家さえも記されているというのか? 怖くて聞けない。チャイムをもう一度鳴らす。弟もいないのか?

「貉。このちっこい家も、それに書かれているのか?」
 九郎が聞きやがる。

「僕は上海の式神なのだけどね。敬意などいらないけど、せめて露泥無と呼べよ。この安普請で築二十年を越えそうなありふれた家でも、死者の書ならば特定できる。松本哲人の生家で問えばね」

 検索機能がヤバすぎる。……土壁のおぞましい槍を思いだす。あいつらにかかれば、家など燃やされる。両親も弟も毒で殺される。黒い螺旋を浴びて、あとかたもなく消えてしまう。楊偉天の術を体内に受けて苦しみながら。

「避難させる」これこそ最優先事項だ。「家族をこの家に寄りつかせないようにする」

「だったら、人除けの術だな」
 琥珀がドアノブに手をかざす。「一刻もいたら悶絶死するほど充満させよう」

 ドアが静かに開く。この小鬼は、こんなことができたのか。――女性の声がかすかに聞こえた。どたどたと階段を降りてくる。

「なんだよ、旅行は明後日までだろ。まだ帰って――」
 ボクサーパンツの弟が現れる。
「兄ちゃんかよ。連絡してから帰ってこいよ」

 ***

 姿を見せずに弟の彼女は帰った。俺はトイレを済ましたついでに(本当はシャワーも浴びたい)、鏡を覗く。たしかに目が青い。弟はなんら気にしなかった。まるで幼少の頃からのように。
 麦茶をポットから三人分入れて居間へと運ぶ。女の子を連れて帰省したスタンスになっているので(露泥無である女の子は、ちょっと華奢だが容姿が劣っているわけではない)、親の留守におそらく昨夜から女を連れこんだことを説教する立場ではない。長居はしない予定だし。

「受験勉強はちゃんとやっているのか」だけど説教してしまう。「夏期講習のスケジュールを見せろ」

 ゲームとサバゲ―に加えて彼女までいるのでは、半年後の大学受験が怪しくなる。いくら俺の半分以下の勉強量で俺に匹敵する成績を残していても、国立大の医学部をめざすのは甘くない。

「壮信君は十七歳なんだ。上海には来たことある?」

 露泥無が弟を露骨に眺めている。たしかに背もあり、すらりとして格好いいけど。スポーツは並だけど。

「ないっすよ」
 弟は面倒くさげだ。俺達に詮索もしてこない。
「そうだ。金札もらっておいたから、金払えよ」

 壮信が本箱の上を指さす。お天狗さんの金札がふたつ立てかけてあった。はたき程の長さの木の棒に、A3を三つ折りしたぐらいの紙札が貼られている。あいかわらずシンプルで意味なくでかい……。
 俺の代わりに買ってこい。金はつぎに会ったときに渡すからと、大晦日か正月に酔っぱらってこいつに頼んでいた。
 静かにだけど、どちらの金札も煌々と輝いている。決意を秘めているように。

「ふたつも頼んでない」一枚千円もする。

「おやじ達三人で行った。母ちゃんが夜景を送っただろ? 一本は我が家の」

 弟がどうでもよさげに言う。俺はお天狗さんが告げているのを感じる。ひとつは、この家をまがまがしきから守ると。もう一枚は、俺と一番付き合いの古い奴を守る。だから心配するなと。

「もちろんお金は渡す。だから、このお札はしばらくお前が持ち歩け」
「馬鹿じゃね」

 壮信がそのままの顔を向ける。彼女らしきものが横にいるのに。




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