四十八の四 月神の剣

文字数 1,979文字

「黄品雨。私はその名だけを刻む」
 思玲が立ちあがる。

 人の名を告げられた異形のカラスは横たわったままだ。竹林が異形に堕ちるまえの名前。もう一人の名は誰だ?

「楊偉天は楽に殺さない。おさな子を異形としたのを悔いるならば、なおさら苦しめ」
 貪は残虐だ。
「もっとも資質あった大鴉。その見納めだ」

 竹林へと黒い炎が落ちる。小柄な異形を消滅させるには過剰すぎる炎。

「ああ……」

 楊偉天が杖に手を伸ばし力尽きる。
 峻計は炎を見つめる。黒羽扇を握りしめる。

「松本君、大事なのはみんなだけ! はやく立てって!」

 青龍が貪に絡みつく。互いの首に噛みつきあう。
 オーロラは薄まっていく。
 禍々しい炎を受けた竹林が消滅する。
 なんてことだよ……。

 少女の魂が浮かびあがる。すべてをドロシーの光が照らしている。剣を杖に立ちあがった人間さえも。

「捧げられた人の気配がする」
 藤川匠が剣をかかげる。
「幼き魂よ、消滅するな。我が力となり、この世に残れ!」

 月神の剣が輝く。その光に誘われたように、少女の魂が藤川匠のもとへと向かう。
 邪気なき笑みで藤川の胸に飛びこむ。藤川匠がやさしく受けとめる。

 藤川匠の目が開く。

「……すべてが導きだ。そして力が蘇る」

 藤川匠が剣をかざす。蒼白の光が天に伸び、貪の翼を貫く。邪悪な龍の悲鳴が響く。

「貪。僕は貴様を信用しない。だとしたら成敗されるのを選ぶか? それでも服従するか?
あのくだらない書は僕に媚びて真っ先に伝えた。大陸でお前を封じたのは三人と二体。もう一人強い奴が生き延びていたら、もしくはもうひとつ強大な式神がいたら、お前はあのときに消滅したな」
 次いで藤川匠があいつを見る。
「夢魔であった峻計。お前は選べない。今度こそ我がしもべにしてやる」

 貪は怯えている。峻計はにらんでいる。藤川匠は言葉を続ける。

「フロレ・エスタスよ。最後の機会だ。再びしもべとなるか。それとも」

「ならないって」
 青龍は悲しげだ。
「たくみ君こそ松本君達と――」

「夏奈ならそう言うよな」
 藤川匠が微笑みかける。
「不完全な龍のくせに」

 藤川匠が剣を青龍に向ける。蒼白の光が直線に飛ぶ。
 地響き。青龍が落下する。両脇の林と幅広い鞍部をふさぐ。龍は俺へと顔を寄せる。俺を見る目が塞がる。巨体が薄らいでいく。



「風軍、みんなを連れてきて」
 俺は空へと頼む。
「横根、早く祈ってあげて。ドロシーも」

 俺に怒りはないはずだ。悲しいけど嘆かない。焦っているけど冷静だ。地面に散らばる鏡の破片が消える。陽炎の結界も途切れる。まだまだあがくだけだ。

「哲人、やめてくれ。人に戻れぬぞ」
 思玲が俺の手を握る。

 俺は怒ってなんかない。女の子の手をほどく。藤川匠を見つめる。
 藤川匠はドロシーを見つめていた。

「なるほどな。鏡の導きをすこしだけ見た。ここで殺生すべきでない」
 藤川匠の声はなおも涼しげだ。ようやく俺を見る。
「取り込まれた君と戦えば、また人を救えない。……未来の断片を教えておこうか。松本は、死んだことも気づかずに殺される。こいつらと並び立つ存在にね。授かった導きなど関係なく」

 声に憂いが含まれている。……御託を並べようが、お前は夏奈を殺そうとした。でも大丈夫。夏奈なら平気だ。まだ間に合うから。

 大ワシが着地する。貪はさらに怯えてやがる。俺なんかにだ。

「お、俺様はあんたに従うぜ」貪が藤川匠に屈服する。

「僕は真に受けない。信じない」
「ヒッ、そ、その証拠に、あんたの天馬になる」

 貪が人の目に見えぬ異形と化す。灰風ほどの大きさの飛龍になり、藤川匠のもとに降りる。

「いつまでも邪魔だ」
 俺は貪へと告げる。

「ひい、だ、だから、一緒に逃げさせてくれ」
 貪は藤川匠にすがる。

 横根とドロシーが龍へと祈っている。なのに夏奈はかすんでいく。盛大に黒い液を吐く。

「誰か箱を持ってきて。思玲、木霊にも頼んでみよう」

 思玲は首を横に振る。俺を邪鬼のように見て、藤川匠をにらむ。

「あの朝に助けた子だな」
 藤川も見つめかえす。
「君は人なのにこっちの世界にいる。だから関われた。かわいそうとは思わない。憐れなだけだ」

 藤川匠が貪に乗る。

「なるほどな、こいつらはまた悪あがきだ」
 藤川匠を乗せた飛龍が笑う。
「匠様、行き先を心に思い浮かべるだけでいい。使い魔へと同じ要領でな。――お前達は従わないのか。ギヒヒヒ」

 オーロラは消えた。漆黒の螺旋を蹴りかえし、貪が去っていく。
 藤川匠はいずれ倒す。それより夏奈だ。雨はやんでいる。川田と雅は峻計達を牽制している。

「貪など私は信じぬ! 狼どもめ、邪魔するな。私は貴様どもをあきらめない」

 あいかわらずだ。峻計どもはしつこい。

「殺そう」俺は手負いの獣と青い狼に命じる。「俺も手伝うから」

 夏奈を回復させるに邪魔だから。みんな殺してやる。




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