二十五の一 ピーナッツ農家でした

文字数 4,403文字

「よいことを聞いた」
 思玲がほくそ笑み、眼鏡の縁を上げる。「私が生け贄になれば、瑞希は狙われぬな」

「そして隙をついて連中をぶっ倒す」
 腕を組んだ幼い思玲も同意しやがる。「失敗を恐れねば成功する」

 どこからその根拠がでるのだよ。俺はツッコもうとするけど、

「哲人、今さらガタガタぬかそうとするな」
 二十代半ばの思玲ににらまれる。「すべては弟のためだ」

 *

 車が揺れて目覚める。うたた寝で夢を見てしまった。ドロシーは熟睡で、シートベルトをせずに俺に寄りかかっている。俺は彼女の位置をなおして振り返る。
 スマホをいじっていた琥珀が視線に気づく。

「あと三分ぐらいらしいぜ」

 それだけ言って目線を画面に戻す。俺も窓に顔を向ける。ドロシーはすぐに俺へと体を傾ける。
 九郎であるジムニーは重たげな雲の中を進んでいる。気流の乱れで大きくバウンドしたりするけど、『この車は悪路に強いな、チチチ』とカーラジオが笑っていた。
 空に戻ってすぐに川田のスマホへ電話してある。また契約者本人がでた。

『やはり龍は松本が復活したのに気づいた』
「夏奈だ。桜井夏奈」
『桜井が瑞希に伝えた。俺がドーンに教えた。みんなが待っているから早く来い』
 面倒臭さ丸出しでむすっと言ったあとに『日向七実って女がしつこい。それで瑞希がこれを持たなくなり、俺もでなかったりする。松本のことを知っていたから会ってくれ。松本に電話すると言っていた』

 ガーガーとカラスの鳴き声が聞こえたけど、また一方的に切られた。こちらの三角関係は進行中だが、続きは人に戻ってからやってほしい。あのぽわっとした人から連絡があっても俺はでない。もつれの沼に関わらない。……台湾の姉弟の件にだって関わるべきではないけど。

 野良犬が人の姿になったように、人が小鬼になることもあるのだろうか。俺を座敷わらしにしたように、狂った妖術士ならば容易なのかもしれない。でも……死んだ息子を小鬼に変えて蘇らせた? さすがにヤバすぎだろ。
 そして楊総民は、人であったときの記憶を失っている。だから、おのれを認めようとしない。だけど、たまに琥珀が見せる、おとなびたような醒めた態度……冥界で王俊宏が言ったよな、かすかに覚えている。――思玲を守ってくれる、あの人。

 人に戻れば忘れられると、殺される前ならば投げ捨てていた。でもドロシーのために、龍のかけらを残しておくと俺は決めた。つまりいつまでも関わり続ける――。
 ジムニーが前屈して、俺はシートベルトに肩を抑えられる。ドロシーは浮かび、俺のあご経由で天井に衝突する。琥珀も天井にぶつかる。

『いてー、つのが刺さったぞ。それより到着した。人に気づかれぬように急降下するから気をつけろ』

 言ってから始めろよ。
 雲を抜けて真っ正面に農村風景が広がる。ぐんぐん近づいてきてかなり怖い。ドアガラスを水滴が流れる。雲のなかと同様に雨が降っていた。

 ***

 ジムニーが畑の別々の畝へ四輪を乗せて着地する。きれいに整列した足もとほどの高さの農作物達を踏むことはなかった。

「頭が痛い。軽くむち打ちっぽい。ダーリンが持って」
 俺に続き、満身創痍なドロシーが首をさすりながら降りてくる。

「ずっと俺が持っているよ」
 あごに激しく頭突きを喰らった俺もむち打ちかもしれないけど、リュックサックを受けとる。

『俺はここで待つ。桜井の爺ちゃんは、俺を見ても邪魔扱いするだけだろうしな、チチチ』

 九郎を置いて、つのをさする琥珀の先導でぬかるみ始めた畑を進む。

「あの杖は、どうして楊聡民の杖と呼ばれるの?」

 もう聞ける機会はないかもしれない。だからここで尋ねる。

「父が息子のために作ったかららしい」
 琥珀が答える。
「あり得ぬほどに忌むべき魔道具。ゆえに多くのものが老師を見限った」

 シンプルな説明だけど伝わる。劉昇と思玲が楊威天を憎む根源の杖。……琥珀もか。

「あれだよ。哲人の家の五倍はあるだろ。畑を入れたら五十倍だ」

 でっかい家が見えた。霧雨の中を小柄なカラスが飛んでくる。

「カカカ、哲人が俺達を置いて死ぬはずねーし」
 ドーンが俺の頭に降りる。
「夏奈ちゃんちはご覧の通りピーナッツ農家。恥ずかしいからって隠していやがった。(三石)香蓮ちゃんも黙っていたし。知っていたら、いっぱいもらったのに。俺は落花生好きだしっていうか、この爪の感触は、哲人は人に戻った?」

 まくし立てる前に初見で気づけよ。川田はこんなことも伝えてないのか。

「うん。俺がいないあいだ、進展は何もないんだ」

 頭上で沈黙がちょっと漂う。

「正直に言うと絶望していた。哲人と思玲が消えて、みんな終わりと思っていた。閉じこもって、ささいなことで喧嘩したりした。……俺と川田は、今日ここを去ることに決めていた」

 鳥なんか泣けないくせに、ドーンは涙声になっていった。異形なままの二人は、人知れぬ地を目指そうとしていたのか。
 琥珀は聞いていないかのように前方をすいすい進む。俺はドーンになんて言葉をかけるべきだろうか。
 ドロシーが鼻をすする。

「でも、もう大丈夫」
 彼女は俺の頭上を見上げる。強い笑み。「私とダーリンがいるから大丈夫」

「ダーリン?」
「松本君!」

 母屋から続くあぜ道に小柄な小学生高学年女子が現れた。……中学生かな? 違うだろ。横根瑞希だろ。
 年齢と外観がいびつなままの横根が笑いながら駆けてくる。肩にかけた赤いミニバッグが余計に幼く感じさせる。その背後をのしのしと大男が歩く。四方の気配を漁りながら。

「琥珀君が二人を連れてきてくれたんだ、ありがとう。九郎君は?」
 横根は思玲の式神を君付けで呼びだした。
「今度は松本君が人に戻れたね。あとは川田君とドーン君だけ。ここからやり直そうよ。まだ間に合う、絶対に」

 横根は泣かない。俺の両手を握ってくる。リボンでしっかりと手に結ばれた、忌むべき杖を握りしめたままで。それは黒ずんでいた。本来の色なのだろう。

「そうに決まっている」俺も握り返す。「でも横根と夏奈もまだ戻っていない」

 横根も本来の姿に戻す。夏奈から龍の資質をのぞく。それまでは終わりじゃない。
 ドロシーはその後に俺と一緒にゆっくり人の世界に戻ればいい。思玲だって本来の二十代半ばになるのを手伝ってやる。当然だ。
 みんなの顔を見るだけで意欲が湧いてくる。覇気がよみがえる。横根も俺の言葉を感じとる。ませたような強い瞳でうなずく。胸もとの珊瑚が雨に濡れている。

「松本君の青い目も消さないとね。それで五人は本当の五人へ戻ったことになる」
「俺はこのままでいるよ」
「……なんで?」

 見つめ続ける横根へと、俺は理由を言いよどむ。ドロシーが隣に来る。

「瑞希さん。私達は恋人になりました。瑞希さんだから許しますけど、必要以上にダーリンの肌に接触しないでください」
 人から目をそらしながら言う。なんて奴だ。

「え? え? そ、そうなの? ダーリン? ごめんなさい」

 横根が俺から手を離し、母屋をちらりと見る。俺は否定できない。

「カカッ、人間に戻るなりかよ。それを察して夏奈ちゃんは部屋に閉じこもったのかも。あまりリア充するなよ」
「いいえ。愛しあう二人だから当然。ねえダーリン。松葉杖の代わりになって」

 ドロシーが俺へと腕を組んでくる。なんて奴だ。沈黙が漂ってしまう。

「松本の女は強くなったけど弱くなったな。また強くなるか?」

 川田が意味不明の問答を仕掛けてくるけど、おそらく白銀弾のことを言っているのだろう。

「へへ、川田君よりも強くなるよ」
「あの光がないと俺には勝てない。お前は持ってない」

 やはり白銀弾は手もとにあっても復活していない。あの光を経験しているみんながさらに押し黙る。琥珀が安堵した。

「……そうは言っても夏奈ちゃんを呼んでくる。窓ガラスを割れるほどつついて、ジジババが別の畑から戻ってくるほど騒いでやる」
 ドーンが俺の頭上を離れる。強まらぬ雨の中を飛んでいく。

 夏奈は、俺とドロシーの関係を察したのかも。裏切った(と言っていいかも)俺の顔を見たくなく立ち去るかも。俺を殺した大魔導師のもとへ。
 失ったもののが大きいかもと、あいつが言った。そんなことはない。どちらも大きい。大きすぎて両方選べないだけかも……。かもかも言ってもどうにもならない。藤川匠を倒せばいいだけだ。そうすれば夏奈は俺を嫌おうが行き場はない。

「桜井ちゃんと和戸がいないと陰キャだけだな」
 浮かぶ琥珀が感情を込めることなく言いやがる。「それより川田、いるか?」

「追ってはきた。いまはいない。でもいるかもしれない。あれは俺より賢い」
 隻眼の大男が朴訥に告げる。「あれがいる限り、先の先は取れない」

 俺は空を見上げてしまう。見つけられるはずない空飛ぶ蛇を探してしまう。

「あの蛇を捕らえるのは僕と川田の仕事だ。今日中にだ。そして僕の夕ご飯になってもらう」
 雨粒がかからぬくせに琥珀がフードを上げながら言う。

「半分ずつだ。しばらく異形を食ってない」
 川田が邪悪に笑う。

「哲人の田舎にいた頃から聞き覚えあるセリフだな」
 すぐに戻ってきたドーンが上空で言う。「あの頃から先手とられまくり、カカッ。夏奈ちゃんは部屋にいなかった」

 雨足が強まってきた。俺は濡れながらドロシーに腕を組まれたままで考える。
 飛び蛇は俺達を大峠から追い続けている。なのに峻計は電話だけで襲撃してこなかった。理由は白銀弾の存在だろう。ゴルフ場での戦いで俺がドロシーをとめなければ、あいつは溶けて消えていた。木霊を知る俺ならわかる。染みついた恐怖はなかなか取れない。
 そして千葉市近郊にみんながそろった。それも報告が届くだろう。たしかに主導権は常に握られている――。川田が顔をしかめた。

ぞわっ

 いまの彼女は人なのに、あり得ぬ激情を感じた。俺はドロシーの腕をほどいてしまう。
 母屋の裏口に夏奈が傘もささずに立っていた。俺達を見ている。俺達へ駆けだす。俺のもとへと一直線に。大きな瞳が潤んでいる。彼女は泣き顔だった。

「ごめんなさい。ゆるして。マジでゆるして」
 夏奈が俺の隣へ抱きつく。ドロシーがよろめく。
「マジで行くなんて思わないよ。こんなことになるなんて思わなかった。帰ってきてくれてよかった。ありがとう。もう意地悪しないから、絶対に無茶しないでね。約束だよ」

 川田ですら呆気にとられている。わんわん泣く夏奈にしがみつかれたドロシーは戸惑うだけで、その顔に人への嫌悪は生まれていなかった。
 夏奈は人の言葉の日本語だろうと、ドロシーはうなずいて微笑む。

「なんだか私、悪いことした妹みたい。夏奈さんがお姉さんに思える」
 ドロシーまで涙ぐみ、夏奈の肩に頭をうずめる。
「私こそごめんなさい。だから哲人さんにも挨拶してあげて。待っているよ」

 二人の感情に従うように、雨は強まったり弱まったりする。




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