五十の一 弔いの炎

文字数 2,755文字

4.8-tune


「ドーンと小鬼は見張っていろ。松本、はやく瑞希を俺に乗せろ」
 手負いの獣がしゃがむ。

 俺は気迫をこめて横根を抱きあげる。
 夏奈への必死の祈りの代償に、姉のを盗み着した小学生みたいにセーラー服がぶかぶかだ。川田の背へと静かに降ろす。

「寝相がよければいいけどな。風軍に乗せるのヤバくね?」
 ドーンは真剣だ。横根が川田から落ちれば、大ワシの背を滑って空から落ちる。

「雅が私を抱えたように、寝そべって抱えれば大丈夫だ」

 思玲が即答するが、お前は異形と触れあえるだろ。ほかに手はない。

「いざとなれば、くわえろよ。そっとね」
 狼に頼んでおく。それも心配だけど仕方ない。

「哲人さん?」
 ドロシーが俺の声に目を開ける。
「終わったの? ……足がすごく痛い。治せなくてもさすってほしい」

 彼女は俺だけを見る。端正な顔立ちも泥と血で面影がない。望まれたとおりにしてあげたいけど。

「まだ終わってない。もう少し頑張ろう」
 笑いかけるだけにする。

 その横で夏奈が寝ている。紺色のTシャツに白いチノパン。ようやく人に戻れたのに泥の上で眠っている。でも安らかな寝顔。
 俺は夏奈を抱き上げる。手が滑るはずもない。

「風軍を呼んで」

 俺の呼びかけにも、ドロシーはしばらく俺と夏奈を見るだけだ。夏奈の寝顔をじっと見つめる。人への嫌悪だけではない表情。やがて笛をくわえる。
 すぐに巨大な影が飛んでくる。

「死者の書と老祖師の杖。忘れぬようにしまっておきますよ」
 九郎がドロシーのリュックに足で押しこむ。
「金が入ったら俺にもブランデーくらい買ってくださいっすよ」

 お前も空から監視しろ。
 蒼き狼がやってきた。思玲へと、

「老人はようやく死ねました。冥神の輪の男にはすでに蠅がとまっています。奴らの屍はいかがしましょう?」

「森深くだ。野ざらしにしておけ」
 女の子がドライに答える。
「麗豪は生きているのなら連れていくしかあるまい」

 思玲はその脇腹から冥神の輪を抜く。水たまりで血を落とし、九郎と琥珀が恐る恐るひろげたリュックサックへ落とす。
 琥珀が麗豪へと手のひらを向ける。

「傷口を凍らせた。これくらい新月の夜じゃなくてもできる」
 感情なく言う。

 張麗豪は意識を戻さない。人の目に見えない姿(忌むべき異形でない姿)に戻った雅が、奴の足をくわえ風軍のもとへと引きずる――。
 主の指図に従ったにしても、むごい仕打ちだ。でも死ねなかった麗豪には、さらにむごい結末が待っているのだろう。

「人でなく獲物だからな」
 雅が奴をくわえられる理由を思玲が答える。もう捕囚を見ない。

 川田が横根を毛皮で包みこむ。俺も夏奈を抱いて乗りこむ。ドロシーも足を引きずり這い上がる。
 迦楼羅は空から監視を続ける。その手の護符はなおも赤く輝いている。

「雷術はマジで大丈夫だろうな」
「劉師傅の地裂雷でも」
「さすがに無理だろ。だが行くとしよう。九郎、リュックを寄こせ」

 平静を装った思玲と琥珀の会話は簡潔に終わる。

「何人乗っているの? さすがに重いよ。燕は小鬼を運んで。ドーンも乗らないで」
 風軍がぼやく。

 カラスに戻ったドーンから横笛を渡される。風軍がもさもさと羽ばたく。
 空へでても、雷も黒い螺旋も飛んでこない。炎も毒も。
 あいつらが追いつけないところまで飛んでいこう。夏奈はまだ目を覚まさない。

「土壁の炎がふたつあがった。猿真似いや犬真似だろうがよき心がけだ。……多少は救われる」

 思玲の声に背後の稜線を見る。地に堕ちた魔道士達も弔われはしたようだ。
 救われるの意味は? 思玲はまだふたつの炎を見ていた。見知ったものの亡き骸を人知れずこの世界から消す炎――。すべき質問でないと感じる。

 ***

 盆地の夜景は静かだ。風軍は低くゆっくり東へと飛ぶ。

「青龍と白猫を覚えているか?」
 思玲がドロシーに尋ねる。

 ドロシーは首を横に振る。
「なにがあったかは覚えている。私はなにかへ夏奈さんと叫んだ……」

 彼女はそれ以上言葉を続けない。眉間を押さえる。記憶の改ざんで、あの戦いを消すのは難しい。

「足は大丈夫?」

 俺はドロシーに聞く。彼女は気丈な笑みを返すだけだ。握りしめた七葉扇に目を落とす。

「俺はこれからどうすりゃいい?」
 川田が尋ねてくる。

 敵も味方も誰一人、川田が人だったと気づかなかった。箱を囲めば川田も人に戻る。そんな期待はできそうもない。
 そういえば、天宮社でフサフサが言っていたな。

「箱をすこし壊してみる。思玲もすこしおとなになり、術が使えるようになるかも」
 俺は野良猫の案を口にする。
「そしたら思玲に川田から異形の光を分断してもらう」

 藤川匠のように。
 うまくいくなんて思っていない。でも川田だけを置いていくはずない。……俺は全て見届けてから人に戻ろう。ドーンにももう少しだけ付き合ってもらう。
 夏奈はまだ起きない。川田に乗る横根も。雅にくわえられた麗豪も。

 片目の狼がしばし考えこむ。
「瑞希はどうする?」

 また俺へと聞く。どう頑張っても大学生には見えない年齢になった横根。

「さっきみたいに記憶が残っていたら、ドロシーに消してもらおう」

 残酷だけど、彼女には幼い姿でやり直してもらうしかない。俺の青い目を弟が気にしなかったように、横根の容姿は改ざんされて受けいれられるだろう。十歳ちかく若返れたのだからとラッキーかもと、当事者でない俺は思いこむ。川田はそれ以上なにも言わない。

「まだ飛ぶの?」
 風軍はお疲れ気味だ。

「東京までお願い。せめて八王子」

 そこまで行けば、記憶のない人間でもなんとかなれる。飛べない峻計達はさすがに追ってこれないだろう。……だとしても人に戻った俺達をさらに狙うだろうか? 充分にあり得る。
 藤川匠と貪。邪悪な連れ合いはこれから何をするのだろうか? 知ったことじゃない。とにかく俺達は人の世界に戻る。

「復讐を代行した礼に、魔道団があなた達を守る」
 ドロシーが俺の心を読んだようにぽつりと言う。
「上海は分からない。でも法具や魔笛は催促が来るまで借りていればいい。……この国の陰陽士はあてにすべきではない」

 珊瑚の玉も師傅の護布も沈大姐に渡さないとならない。……思玲にはまだ黙っておこう。この子は、ようやく大きく欠伸したばかりだし。

「ドロシー、そろそろ扇を返せ」
 思玲は七葉扇をポーチにしまい、護符だけを手にする。
「お前も影添大社に匿ってもらう。あそこは香港の野戦病院だな」

 ドロシーは言い返さない。足に縛られた緋色のサテンはそれ以上に濃くならない。出血は止まっているようだが顔色は悪い。思玲が外ポケットから銀丹を渡す。

「チチチ、ドーンなら人になっても飛べそうだな」
「さすがに無理だし。カカカ」

 背後を飛ぶカラスとペンギンがやかましい。




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