四十三の五 悪しき2トップ

文字数 2,722文字

 腕のなかから白猫の緊張が伝わる。
 なぜに生まれ変わった。なぜに思玲を少女にした。なぜに夏奈を――。詰問すべきことは山ほどあるけど、

「なぜに川田を完全な異形にした?」
 それだけは聞いてやる。

 藤川匠がかすかに笑う。やはりこいつも魔道士みたいに異形の声が聞こえる。

「ああ、僕が藤川だ。そして、お前が松本」
 人の声で返す。俺の背後を見つめる。
「楊さん、こいつとちょっとだけ話をしたい。横根と話すことはないな」

 俺と横根は両陣営のトップに挟まれている。俺達の名前も知られている。

「あの子犬は、爺さんの手下にやられて消滅間際だった」
 藤川匠は無表情だ。
「傷を消してあげても無理だった。完全な魔獣にするしか生き伸びる方法はなかった。……配下になることを拒んだから君に渡した。それだけの話さ」

 そうだっのか、いい奴じゃないか。なんて思うはずがない。子犬が藤川を選んでいたら……。
 獣人達が道を開けた。廃屋からカ・アラハミが現れる。脇から双頭の巨大な犬も現れて、老いた獣人に侍る。……でかすぎる。背丈が3メートルはあるだろ。

「ヒヒ、素晴らしい番犬だな」
 楊のいやしい笑い声。
「ケルベロスの矮小種。かと言っても、右の首は炎を放ち、左の首は鋼を噛み砕く」

 どこかで無数の羽音がする。オニスズメバチはまだ残っていた。俺はすくみあがるのを耐える。

「この犬の名はコ・ウトウとコ・ウゼン」
 カ・アラハミが俺の背後を見上げる。
「ご察知だろうが、私と匠様以外には牙を向けるので気をつけられるように」

 双頭の犬は俺にだけ牙をむきだしている。よだれ代わりに炎を垂らす。白猫と人間くずれ相手に、敵のラインナップはなんなんだ。

「お前達はなんで手を組んだ?」
 すべてに警戒しながら、俺は尋ねる。俺達がマジで星が五つであろうと、こいつら全員に勝てるはずない。

「鏡の導きと書の教えだ」
 背後の老人が答える。
「この若者の前世を知った。いまの世に現れた理由も知った。龍を蘇らせるため――、儂と進む道はおなじだ」

「僕には分からないことが多すぎる」
 藤川匠が話を継ぐ。
「楊さんはそれを補ってくれる存在かな。……夏奈は青龍として完全なる龍になる。僕のしもべではあるが、その爺さんも生みの親として敬うだろう」

 こんな奴らの発想など、まともな俺には理解できない。分かるのは、邪悪な者同士が結託した。これ以上の厄災があるのだろうか。

「う、うるさい」
 横根が俺から飛び降りようとする。
「川田君とドーン君はどこ? 夏奈ちゃんを人に戻せ!」

 ちいさな牙をむきだす。俺は必死に抑える。

「白虎くずれである娘よ。また傀儡にするぞ」
 楊偉天があざ笑う。
「生きて思玲を捕らえること叶わねば、やはりお前が青龍再誕の儀式の生贄になる。夜半には青龍の娘が現れるからな。ヒヒヒヒヒ」

 醜悪な連中め。でも夏奈、川田、ドーン、ドロシー。すべてが奴らの掌中にある。こいつらを倒さないと誰も救えない。
 一体の獣人が、藤川匠にいそいそと近づく。かしずくように剣を手渡す。月神の剣……。

「君を測ってみる」

 藤川匠が破邪の剣をかかげる。マジかよ……。忘れ去られた村が煌々と赤く照らしだされる。

「やはり君は倒されるべき異形だな」

 輝きは、妖怪である俺の怒りを瞬時に恐怖へ変えやがった。……こいつは夏奈を龍にしようとしているのだろ。それに、

「ドロシーはどこだ?」
 怯えは憎悪に変わる。

 藤川匠は答えない。……神殺の結界の上空は、まだ開放されたままだ。夜半に来る夏奈のために。その際に結界を壊されぬために。そこは出口でもあるけど逃げ場ではない。

「ヒヒヒ、儂は人の名に興味はない」
 老人がいやしく笑う。「儂こそ知りたい。思玲はどこだ? 琥珀はどこだ?」

 楊偉天の怒りを感じる。俺だって答える気はない。
 俺の眼差しから察しとり、楊偉天が杖を降ろす。飛んできた光を劉師傅のサテンがたやすく弾く。また消耗戦の始まりだ。逆さまの結界にだけ注意しろ。
 横根が俺のなかにもぐる。

『私は夏奈ちゃんを呼ぶ』彼女が小声で言う。『松本君はみんなを呼んで』

 夏奈ちゃん夏奈ちゃん夏奈ちゃん。
 横根の魂が必死に呼びかける。現れたとしても、松本君とたくみ君、どちらの味方になるだろうか?

「ドーン! 川田!」
 俺も叫ぶ。返事などあるはずない。殺していたら皆殺しにする。

「怒るなよ。知るまで始まらないのなら、手負いの獣とカラス天狗は、爺さんが結界に閉じこめた。まだ生きている」
 藤川匠が感情なく言う。あのビルと同じだ。増殖する結界にだ。
「連中には、あらためて僕の手下になってもらう。カラスもあと一日もすれば完璧な異形だろ」

 確定だ。藤川匠は人であろうと倒さなければならない。

『夏奈ちゃん、夏奈ちゃん、夏奈ちゃん』

 横根はひたすら夏奈を呼んでいる。俺は法具を手に地面に足をつける。緋色のサテンを背中にかける。陽炎の揺らめきが血の色に照らされている。

「ドロシーには手をだしてないだろうな」
 こいつが彼女の魂を持っているのならば、こいつを倒せば彼女は帰ってくる。

「顔も見ていない」
 藤川匠はさらりと言う。
「祓いの者だろうが、生身の人など捧げられてたまるか。君達みたいに捧げられた連中ならば別だけどね」

 つまり横根や夏奈。もしくは俺(ドーンと川田も?)。

「ヒヒ、白虎くずれは渡せない。麗豪と法董が思玲を捕らえぬ限り、そいつがいないと儀式が始められない」

 あの二人は合流しているのか……。麗豪を追うと思玲の式神が危険だ。

「ならばドロシーって娘を楊さんにあげます。生贄にどうぞ」
「梁勲の孫ならば知っている。あれにも四神獣の強い資質はあるが、白虎ではない。痛めつけて無抵抗にせねば、白い光は飛びこみがたい。それに香港には、思玲より忌むべき者がいる。梁勲の孫を異形に変えても、あれは覚えている」

 おぞましすぎる会話。藤川匠が俺へと歩む。中学生である俺よりは背高い。大きな剣を再びかざす。またも輝く。
 だけど俺は覚えている。あの屋上で俺がかかげた剣は、ずっと光っていた、はずだ。

「生身のお前は俺には勝てない」
 俺は独鈷杵を左手にして突っこむ。

「たしかに僕はまだ異形を癒すことしかできない」
 藤川匠が剣を上段にかまえる。
「でも邪を制す剣が導きのように手もとに来た。この剣で青龍の光を分断してみせる。君の目の色をもとに戻してやる」

 武器のリーチが違いすぎる。破邪の剣の間合いに入る手前で、俺は独鈷杵を奴の胸へと投げる。
 藤川匠は剣でたやすくはじき落とす。ふっと笑う。

「殺すどころか、人を傷つける覚悟さえない。それでは勝てないよ」

 奴の剣は俺へと向かう。俺はあわてて背中を向ける。




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