二十八 憂いある瞳

文字数 4,739文字

「いまの世に不要なのは、絶滅せずに生き延びた、忌むべき力を持つもの達。
陽である人の世と陰である異形の世。そのふたつをバランスよく共存させるなどと言っているが、実際は自分らを人の目から隠しているだけ。自分達こそが人の姿をした化け物なのをごまかすためにだ。
極論を言えば、そんな力を持つものは一人だけでいいかもしれない」

 簡素だけど清潔な屋内。わざとらしくないランプの灯。窓からは夜の林が見えて虫の声も届く。山間の別荘だろうか。それらを背景に藤川匠が椅子にくつろぎカップを口につけていた。コーヒーの香りさえ漂ってきそうだ。

「げひひ、俺はこの世に現れるなり鏡に閉じこめられた。一年足らずしか世界を知らない坊やだが、それでも見てきたぜ。匠様のおっしゃる通りに、奴らがいなければ世界は混とんのままだった。人間どもは怯えにおびえ、俺の餌になっていた」

 邪悪なセリフを吐く黒づくめの服の若い男。褐色の肌。エキゾチックで狡猾な瞳。凶悪な笑み。異国の町並みに溶け込みそうな中肉中背。
 こいつが人の姿になった悪しき龍。貪。

「このお方が求めているのは違う。なにもかもが対等な世界だ。お前みたいな下種を懲らしめて従えるために、匠様はこの世に戻ってきた」

 峻計の姿は見えない。声が間近で聞こえるだけ。ニョロ子はあいつの首から眺めているのだろう。

「それだけではない。いまの人間の憎しみとストレスは飽和状態だ。じきに爆発する。この星を滅ぼす。それを阻止するのがお前達だ。そして僕の役目だ。
例えばだ。貪が姿をさらし暴れたら、いまの世の統率者どもはどうする? どんな兵器も通用しない。そりゃ核ミサイルが直撃したらさすがに消滅するだろうけど、月が満ち欠けするたび復活する。つまり人間同士で争う場合じゃない。お前らを受け入れるしかない。僕がパイプとなるが、条件は文明の沈滞もしくは衰退」

「だが、それを阻止するものどもがいる。東洋の国が魔道士を、西洋の国が魔導師を飼っている」

「峻計の言うとおりだ。ごく一部の権力者と結託した奴らを覆い隠すため、お前らは空想の産物として消されてきた。方程式で解けぬものしか認めない世界。それの行きつく先は地獄だ。何百年前からわかっていたこと。そしていまがそれだ」

「下賤な俺でも真面目に聞いていいか? 人間どもの肩を持つわけではないが、俺達などに頼らずとも地獄を回避できないか? そっちのが連中には幸いな世界だと思うがな。匠様はその新しい世の支配者になるべきだ。俺達は陰に侍る」

「貪こそ口先だけだ。僕への恐怖に従うだけで、悪しき願いが渦巻いている。そんな怪物が並べた絵空事は、今までの繰り返しに過ぎない。でも世界は爆発寸前。もはや歴史を続けられない。
そして満を持して邪悪な者が――天災、疫病、戦争、飢饉。それらに並ぶ災難が現れる」

「つまり匠様より強いものが? ゲヒヒありえね……」

 ふいに視覚が俯瞰になる。三つの人の姿を見おろす。

「蛇よ、見張りはいい。疲れているならたまには休め」

 醜い傷をおった峻計が見上げる……顔の傷が増えている。鼻の上を中心に十字をかたどり、目を背けたいほど。
 名前のなかったニョロ子はそこに居残る。視覚と聴覚が続く。

「人にとって禍々しきもの。たいていは知性を持ちません。殺された土壁に失礼だが、あれでも賢いほう。多くは匠様の崇高な願いも理解できません。しかも臆病。人を襲えるものなどごくわずか」

「さすがは邪念を吸い尽くした峻計だ。勘違いが甚だしい。僕達は裁く立場ではない。人を人から守る立場だ。……お前らに言っても分からないよな。理解できるのは知恵あるロタマモ。断罪するのはフロレ・エスタス。そう、彼女だけが裁く立場だ」

 沈黙が流れる。二体の異形の不満げな気配が漂う。藤川匠がまた語りだす。

「僕につくのは使い魔や貪やお前。つまりどうにもならない奴ばかり。僕はそいつらの受け皿だ。いまはまだ好きに動くがいい。だが絶対に人も生き物も食うな。大義なく命を奪うな。マフィアみたいに松本の親を傷つけたな。その報いをあの程度で済ましてやったのだから二度とするな。
裏切りたければ去ればいい。もちろん報いは与える。僕はどちらにも極論しか述べない。そうするしかない世だから、僕は現れた。
じっと見ているお前もだ。……人の血だけを選り好みするだと? どんなに秀でいていようが認められるか。澄まし顔するな。金輪際血をすするな。餓死するまで耐えろ」

 立ち上がった藤川匠が俺を真っ正面から見据える。ニョロ子の感情が乗り移ったように、怯えてしまう。震えてしまう。でも……こいつは無慈悲ではない。憂いある瞳。

「い、いきなり怒りださないでくれよ。それでだよ、禍々しい具現である――否定はしないぜ――俺達に味方は現れるのかよ。
魔道士が厄介なのは、追いやられているがために群れること。力を合わせること。しかも法力を授かる松本哲人には、人も異形も集まった。あなたと違って術も使えないくせに、一番に難敵だった。だが殺したのはいただけないと思うがな……」

 いまの貪の言葉で気づけた。これは俺がここにいないときの断片だ。

「味方など裏切られるだけだ。……何よりも厄介なのは、夏奈よりかわいいあの子だよ。松本哲人はあの魔女見習いの盾になる。しかもフロレ・エスタスをたぶらかす。人であろうと殺すしかなかった」

「夏梓群が魔女? ……そう呼ばれるほどに力持つものは、あなた様が……その話はやめましょう。
たしかに、あの娘は恐るべきものを持っています。正直に言って私は怖い。貪もでしょう。倒せるのはあなただけですが、教えてください。何をしでかすか分からぬドロシーと呼ばれる娘が魔女ならば、白ですか? 黒ですか?」

「もちろん黒魔女だ。異形を引き連れ、人を惑わし、この世に災いをもたらす。数百年を越えて絶えた醜悪な存在。過去を知る峻計が言いよどんだもの――司祭長にそそのかされた愚かな娘の同類だ」

 これこそ絵空事だろ。峻計も貪も、藤川の妄想が産んだもの。そう思いたい。

「サマー・ボラー・ブルート」でも峻計が口にする。「夏梓群があの生まれ変わりとでも?」

「そんなであるはずないさ。因縁が深すぎる僕にはわかる。奴よりさらに愚かだけど……力は越えるかもしれない。
あの娘は人なのに身を滅せず、しかも力を高めていくだろう。みずから死を選び、眷属の如き松本哲人を連れ戻すかもしれない……そこまで愚かでないか。
僕達が手をだしてはいけない。殺して復活させてはいけない。断罪するのはフロレ・エスタスだ。じきに、あの雌龍は僕のもとへ戻る。そして相討ちになろうと魔女を食い殺す。そのために、僕に付き従いよみがえった」

「俺だって、あの弾がなければ喰えるぜ。今度はしっかりと嚙み砕いてから飲みこむ。松本哲人の復讐に、白虎に無駄撃ちしてくれないかな、ぐひひ」

「……異形と呼ばれる私にすら荒唐無稽。さすがに信じられませんが、夏梓群を倒すのは賛成です。ついでに王思玲も。なにより琥珀と呼ばれる小鬼を。
あれのおぞましさを、いずれあなただけにお教えしましょう。この蛇も貪もいない場所で」

「僕の悠長がうつったか。いま教えろ。名前をあげられた奴らは出ていけ」
「カカッ、哲人だけにじゃね? 俺達にも見せろ」
「キョッ」

 ***

 ドーンにつつかれかけたニョロ子の悲鳴で我にかえる。リアルすぎる視覚に没頭していた。
 ……ニョロ子は俺だけに教えた。横根や大蔵司も不服そうな顔……麻卦執務室長が蒼白な顔をしていた。俺と目が合い、首を横に振る。おそらく彼にも伝えている。

「麻卦さん。俺は藤川匠の言い分に楊偉天を思いだしました。妄想だらけ。自分の心のなかで敵を作り上げているだけです。そして自分で認めたとおり、敵である俺達を倒すために、邪悪な配下を引き連れる」

 はっきりとした。藤川匠は悪だ。いまの世に混沌をもたらす凶だ。悪しき異形を引き連れる邪だ。自己弁護だけのペテン師だ。
 夏奈を奪おうとする姦賊だ。
 ドロシーを敵視する腐れ外道だ。

「こ、怖い顔するな。お、俺と松本だけが聞いたのだよな。だがよ、俺は一理あると思うぜ。もちろん九割は笑い飛ばす与太話だ。でも……あの破天荒が魔女って言うのは、納得しかけた。ひっ」

 麻卦があわてて目を逸らす。俺は誰よりもかわいいあの子の容姿を思いだす。
 誰にも従わず、おのれの道を突き進むドロシー。危なすぎるドロシー。俺にすがるドロシー。満面の笑みを見せることないドロシー。
 盾になって何が悪い? 夏奈を選ばず何が悪い……。

「執務室長。魔女って誰ですか?」

「峻計のこと」
 大蔵司へと即座に答える。「麻卦さん、こっちを見てください。みんなも」

 俺こそが全員を見わたす。

「ニョロ子が俺と執務室長だけに伝えたのは、連中の語りを聞いて混乱が生じるのを危惧してだと思う。なので俺の口から簡潔に伝える。
俺達が人に戻ったところで、何も終わらない。藤川匠を倒さないとならない。でもそれは俺の役目だ。みんなが人になったのを見届けてからだ。そして、麻卦さんに見せたのは、俺達を救う導きを受けているから」

 影添大社の外面(そとづら)の祭祀場。虚構と金の匂いが漂う場所だろうと俺は感じる。階上から降り注ぐような導きを感じる。
 俺と一緒に最後まで戦うのは、夏奈とドロシー。
 夏奈は手助けしてくれる。そういう奴だから。ずっと見てきた俺には分かる。
 ドロシーはともに戦い抜く。おのれの潔白を巨悪へ見せつけるために。

「悪いな。外宮は俺だけ喫煙オッケーだ。特例の特例で」
 執務室長が煙草をくわえる。一口吸って煙を吐く。
「二十歳前後の君達よりは、俺は世間を知っている。なので松本君を信じられない」

「なぜですか?」
 口調が強まるのを我慢する。御託を並べようと、いまある危機から俺だけでは抜けだせない。

「その目だよ」執務室長がまた煙を吐く。

「青い目がなにか?」
「ちがうよ。瞳の内側が藤川匠とちがう。そりゃあんな甘ったれた理想主義者を信じ……たことも一度ぐらいはあったかもしれないが、俺を見てみろ。たいていの人間は損得で動く。
俺はちがう! と叫びそうだな。たしかに君達は仲間のために必死さ。でもな、それも突き詰めると、若い男女とりわけ君の脳みそは何より異性を考えて動く。追い込まれた状況下でもだ。
かわいい女子とずっと一緒にがんばろう。いいところを見せてやろう。うまくいけば二人とも。そう思っていただろ? 悟りを開いてから演説しな」

 図星かもしれない。

「哲人が女好きで悪いのかよ。中身を見てやれよ」
 ドーンがくちばしを突きだす。横根の前で言うな。

「若いってのは罪だ。名文句だな。不憫な君達に授業料なしで教えてやる」
 麻卦が灰を床に落とす。
「力あるものが信じるのはマネーだ。それさえあれば協力する」

「やっちまうか?」川田が一歩でる。
「さがってろ」大蔵司の手に神楽鈴が現れる。

「やめろ」と川田を制止する。錆びで隠したものをだされる。

「だったら私達はどうすればいいのですか?」
 横根が初めて声をだす。

 麻卦さんが紫煙をゆっくりとたなびかせる。
「もう餌の必要はなくなった。なので王思玲を解放する。彼女と相談しな」
 そして背を向ける。

「話はおしまい。急いでここから出ていきな」
 大蔵司が神楽鈴をにぎったままで告げる。
「あんたらを招くために“影添わずの結界”を消しているから、上にいる連中が出入り自由」

「大蔵司、余計を言うな……はぐれ?」

 麻卦がしかめ面になる。
 川田が宙の匂いを嗅ぐ。ニョロ子が俺の肩へ戻る。
 どこからか忌々しき冷気がただよう。
 朧な影達は即座に消えて、祭壇の上に夏奈とドロシーが現れる。




次回「化けの皮」
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