三十九の二 聞き覚えはあるけどさあ

文字数 3,485文字

 結界の前へと移動する。
 ドーンが肩に降りてきた。インコよりずっとでかい翼に、のけぞるほどに頬を叩かれる。
 小鬼は仲間だよと告げても、こいつなら俺よりうまく立ち回れる。伝えるのは今じゃない。

「ムカデと猿の化け物が来るらしい」
 羽根から顔を背けながら、それだけを伝える。
「十二磈よりも賢くないようだ。そいつらは俺がうまくやれると思う」
 護符の餌食とは言いたくない。

「カカッ、なにが来ようが今さらだし……。哲人、目が青くね?」

 カラスが顔を突きだして片側の目で俺を覗く。……やっぱりな。ミカヅキに見えていたのは今の俺の姿だ。どこがおめでたい話だ――

ブワサブワサ

 とてつもなく力強い羽ばたきが上空から聞こえた。ドーンが反射的に飛びたつ。俺はポケットから護符を取りだす。
 高層ビルから落下した資材みたいに、なにかがコートに着地する。

「あんだ? ハシボソと物の怪だけかよ。青龍の野郎はどこだ?」
 異形の鳥が周囲を見まわしていた。漆黒の巨大な図体……。大カラスだ。
「穴熊の結界だな。竹林、お前なら見えるだろ」
 その足もとで、張ったままのネットが燃え始める。

「思玲の結界は探すのたいへん」
 中空から幼い声がした。見上げてもなにも見えない。
「うわ、今夜は仕上げが雑。もう見つけた。焔暁、弱火で充分。……きっと穴熊は怪我している。ざまを見ろだね。カッカッ」

「あの二羽の相手をしたのだろ。無傷でいられるか」
「だね。結界は妖怪人間の後ろ隅っこにあるけど……。思玲は扇を変えた。今度のは、もっときらきらできれい」

 竹林と焔暁……。
 聞き覚えがある。流範が墓地でその名をあげたが、死んだとも言っていた。それに焔暁は……、思玲の背中に傷を負わせた、結界を破る燃える爪!

「あいかわらずの喋り方だな。調子がずれるぜ」

 焔暁が俺達へと低く飛ぶ。人の高さで見ると、巨大な羽根を伸ばしたツキノワグマだ。
 深夜の極みだ。なにが来ようがありだけど、このカラスの狙いは結界を消すこと。俺は木札を握りながら進路をふさぐ。焔暁のどす黒い目が俺をにらむ。燃えだした爪を俺へと向ける。

ドクン

 俺の手の中で、鼓動のように護符が目覚める。握った拳を突きだす。臆することなく飛んでくる焔暁とぶつかりあう。

「護符がある。火伏せのお札」
 手もとから声がした。
「また焔暁は抜け殻になるところだった。峻計がてこずるのが相手。気をつけようね」

 俺も焔暁も結界にはじき返される。
 ……竹林という大カラスが、俺と焔暁に割って入ったのか。こいつは姿隠しと跳ねかえしの両方をまとって飛んでいるのか?

「しかも土着かよ。くそったれめ。また面を汚すところだった」
 焔暁が上空に去る。

「うん。弱火じゃ無理。強火でも、よくて共倒れ」
 俺のすぐ近くで、竹林の声だけがする。

「あの生意気小鬼は肝心なことを伝えないな。しかし、竹林こそあいかわらずガチガチの結界だ。劉昇の野郎は、よくぞそれを破ったものだ」

 焔暁が空中で態勢を取りなおす。鷹のように急降下する。

「やっぱり破邪の剣はおっかなかったね」
 幼女のような異形の声が追随する。

 焔暁がフェンスの隅へと力強く着地する。俺は焔暁へと飛びかかり、結界に跳ねかえされる。竹林は俺にまとわりついている。焔暁が燃える爪を振りかざす。
 中空に三本の筋が現れる。結界が溶けだし、人である横根の姿が露わになる。きょとんとする横根の前へ、小鳥がかまえるように浮かぶ。

「哲人、さっきのエナジーだ!」

 ドーンも横根の前に降りてきて叫ぶ。そう言われても、自分にすらその力は湧いていない。

「ハシボソ、そこをどけ。ちっちゃかろうが同じ鴉賊だろ。殺したくはない。むしろ俺達に従え」
 焔暁が巨大な羽根をはばたかせて中空へと戻る。

「朱雀くずれ? 飛べるなら仲間になろうよ。この人間は白虎か玄武だったかな? 青龍さんはかわいい。食べちゃいたい」
 横根の真上から竹林の声がする。

 くそっ。俺は横根と桜井のもとに駆ける。また結界にはじき飛ばされる。竹林は強固な結界をまとっても機敏だ。それに……、こいつの邪気のない声を聞かされると、秘めた力が顔をだせない。
 焔暁が小鳥へと顔を向ける。

「青龍、はやくこっちに来てくれ。あのお方のもとへ行くぞ」
「行くわけねーだろ。人に戻るに決まっているし。和戸君も言ってやって」

「いきなり振るなよ」
 ドーンが上空を見ながらぼやく。
「えーと、松明みたいな足しやがって……。さすがに冴えないね」

 むしろ焔曉の燃える足は、夜空に浮かぶ対の人魂だ。

「夏奈ちゃん、どうしたの? なにかあったの?」

 横根が目の前の小鳥にすがる。……彼女の目には焔暁は見えない。異界の火も見えていない。桜井の声も聞こえない。
 俺は横根のもとへ向かい、竹林にまた跳ねかえされる。手を伸ばせば届くほど、すぐそばなのに。

「瑞希ちゃん、笛を鳴らして!」

 桜井が叫び、ドーンがガーガーと羽ばたきながら鳴く。横根が感づき、握ったままの草鈴を口にあてる。
 チリチリチリチリと、切羽詰まった鈴の音がひろがる。

「……琥珀の野郎が適当をこいたな。竹林風に言えば、青龍は他のもどきと仲よしこよしだぜ」
 焔暁のくちばしが足もとの炎に照らされる。

「だったら青龍以外を殺そうか。ひとりぼっちで寂しくて、こっちにくるかも。カッカッ」

 おさなごのような笑い声……。
 気づいてしまう。竹林にとって殺しは遊びだ。
 溶けだした狼。あんなの二度と見るか!

ドックン

 俺の鼓動に呼応して、俺に居座るもうひとつの力が目覚める。
 桜井と横根の前へと歩く。また結界に妨げられる。俺の仲間をお遊びで殺そうとする、異形がひそむ結界だ。

「どけ」

 前方を叩くように払い、みんなの前に立つ。
 結界が消えた大カラスが地面に転がった。……焔暁や流範よりずっと小さくて華奢じゃないか。どれだけでかい結界をまとっていたのだ。
 竹林はすっと消える。

「分かった。流範がやられたのは、たぶんこいつ。私達も抜け殻になる。だから、いったん中止」
 闇空から声だけがする。
「さきに老祖師と合流して劉昇に仕返ししよう。流範も復活したかも」

 気がたかぶっていようが二度聞きしたくなった。……流範が蘇るだと?

「インコのお子守りはあいつに任せるか。また嫌味を聞かされるがな」
 焔暁が飛びたつ。燃える足がくすんでいく。

「青龍ちゃん、またね」

 闇空のどこかで、竹林の声がかすかに聞こえた……。知恵あるカラスどもは俺の強みをあばくだけあばいて去っていった。

 死んだはずの大カラスまで現れるとは、なんていう世界だ。劉師傅と楊偉天の戦いも始まるようだ。だとすると楊偉天はここに現れない。笛を鳴らそうが師傅もここには来ない。
 不安と安堵が交差して、ひそめた力だけが鎮まっていく。

「師傅さんと楊偉天がやりあうみたいだな。でかい奴らが加勢に行ったぜ。師傅さん以外、俺らを人に戻せないんだろ? どうすんだよ?」
 ドーンが頭に乗る。

「でも峻計はこっちにいるんだよね? 川田君と思玲さんを助けにいくべきかな?」
 桜井も俺の肩にとまる。

 ガーガーピーピー言われなくても分かっている。
 大カラス達は桜井を迎えにきた(おそらく琥珀の虚言がからんでいる)。そいつらのもとに、わざわざ彼女を連れていくはずない。そもそも楊偉天がいる場所に他の奴らも行かせない。
 師傅が手助けを必要とするならば、それは思玲と俺だけだ。新たな扇を握った彼女の目を見るかぎり、川田と思玲は大丈夫だろう。
 峻計こそあの二人にかまっていられない。あいつの真の狙いはここにいる。そのうちの一人は結界が消え気配を丸出しだ。
 あいつはここに現れる。俺はここを動けない。

「草鈴鳴らないよ。誰も来ないの?」

 もう一人のターゲットから声がした。俺はドーンと桜井を乗せたままで、横根へと振り向く。暗闇に蒼白な顔が浮かびあがっている。彼女はたった今起きたことをなにも知らない。自分が奏でた音さえも聞こえない。

「心配しなくてもいいからね」

 俺は見えない笑みを浮かべて、聞こえない声をかける。
 横根が俺の頭上のドーンを見つめる。空に浮かぶカラスから、視線を下へとずらしていく。青い小鳥が飛びたつ。

「和戸君の下に松本君がいるんだよね」

 横根が俺へと手を伸ばす。俺の頬に触れることもなく、その手は横に流される。さみしげに照れ笑いを浮かべる彼女を受けとめてあげたいのに。

「あいつだ」

 緊張した桜井の気配がぞわっと高まる。横根の手にある草鈴が、強風にあおられたように鳴りだす。俺達に猶予など存在しない。




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