三十の二 影添いの告刀

文字数 3,209文字

「これが告刀の具現である影添いの輪であられます。もちろん、ただの人の目には映らぬ代物です。なので彼らには黒く染めた縄の輪っかを使用します」
 両手を後ろに組んだ麻卦さんがかしこまる。
「横根瑞希殿、壇上にお上がりください」

「魔道具じゃない。法具?」
「それとも違うな」
 ドロシーと思玲の小声がした。

「禰宜、彼女が手にするものはいかがします?」
 折坂さんは横根が握る忌むべき杖のことを言っている。

「邪だ。でも強き心を冒せない。大事ならばともにくぐりなさい」
 禰宜と呼ばれる女の子が神妙な顔を作って言う。

「怖くない、怖くない」
 つぶやきながら、横根は思玲を見る。うなずかれる。続いて夏奈を見て、川田を見て、俺とドーンを見る。
「行ってくるね」
 だぼだぼの作務衣の裾を持ち上げて、壇上へと向かう。

「これを読みあげながら、頭を下げて影添いの輪をおくぐりください」
 麻卦さんが横根にメモ紙を手渡す。
「そのまま右に一周、続いて左に一周。最後にもう一度くぐれば、告刀を授かります。というのは金を受け取る際のもったいぶった儀式ですので省略します。
宮司の代理である禰宜が(ことだま)を告げれば、輪に添う影が刀となり、その魂を貫きます。こちらはどんなに金を積まれても、私と禰宜本人が認めねばおこなわれません。究極にして瞬間的な儀にして、影添の社と呼ばれる所以の式です」

「つまり読みあげないでいいのですか?」
「そういうこと。スキップしながら輪をくぐりな」

 横根は真に受けて足を上げる。引きずる裾を踏み転びかける。無音ちゃんがぷっと吹きだす。

「禰宜はまだ幼いので緊張しすぎはよくありません。いまのはナイスなボケでした」

 くだけすぎな執務室長を見ると、また不安になってくる。やっぱりこの人は異形に見えない。
 折坂さんは舞台上の無音ちゃんを見守る父親みたいだけど、周囲の警戒を怠っていない。例えば夏奈が鼻の頭を指で掻いただけで、即座に目線を向けた。
 とりわけドロシーを見張っていた。ドロシーは、倒すと誓った折坂さんに興味を持たないようだ。壇上をまさに凝視している。ふと俺を見て、目があって目をそらす。うつむきかけて、無音ちゃんに目を向ける。

「何があった?」

 いきなり幼い思玲の声が視覚とともに飛び込んできた。

「な、なにがって」
 思わず本物の思玲を見てしまう。「なんだ?」と睨みかえされる。
 ニョロ子からの問いかけだったか。飛び蛇は自分の声を発せられないのか。
「あとで教えてあげる。だから力になって」
 首へと小声で伝える。

「なにを?」
 頭上のドーンに聞こえてしまった。「あ、蛇に言ったのか。仲直りの手助けね。俺もするよ。そういうの得意」

 ドーンは、こういうことにはさとい。

「ただの仲直りでは意味ないよ。彼女には反省してもらわないとならない。さっきだってギリギリだった。告刀を授かれるのが奇跡だ」
「カカッ、その程度の儀式かもしれねーし。……ドロシーちゃんを間近で見て、あり得ぬほどかわいかった。哲人がマジでうらやましい。めっちゃねたむ」
「でも中身がね。助けてくれる以上に混乱を招く」

 ニョロ子が何度も首を縦に振る。ずっと見てきた飛び蛇も同意のうなずきか。

「カッ、哲人は気づかねーのかよ。俺はエナジーを受けたときに感じた。ドロシーちゃんの力はガチで尊い。でも強すぎるからバランスとれない。たぶん」

 尊い?

びくっ

「全員頭を下げろ。目をふさげ。これより先を見たものは私が命を奪う」
 折坂さんが響く声で告げる。

「折坂は本気だよ。誰も私を見ないでね。蛇も目が潰れるよ」

 無音ちゃんの声にニョロ子が消える。覗き見大好きなはずが逃げていった……。

「従おう。思玲もだよ」
 俺は(こうべ)を垂れて目を固くつぶる。ドーンも同様にしたようだ。

「瑞希殿は目を開けないとくぐれません。意外に天然が入っておりますね」
「執務室長も目をとじろ。私もふさいだ」

「では始めるよ」
 女の子が言う。ばさりと御幣をはらう音がした。
(かしこ)み恐み、祓い賜え、清め賜え。添わせ賜え、穢し賜え」

 (けが)し? 穢させろ?

「麻卦。終わったよ」

 言葉の意味を考える間もなく、女の子の声が届く。マジで一瞬。ワクチン接種より早い。

「全員目をお開けください」
 執務室長が言う。「横根瑞希はいなくなりましたが、お気にせぬように」

 壇上にいるのは、たしかに女の子と折坂さんだけだった。影でできた輪も消えている。
 不安を感じることはないけど、俺は外宮内を見わたし横根を探す。みんなが似た仕草をしているなかで、ドロシーが呆気にとられた顔で無音ちゃんを見ていた。……目を開けていたな。
 俺は折坂さんを見る。やはり彼は冷たい眼差しでドロシーをにらんでいた。

「どこへ消えた?」思玲が言う。

「隣の公園できょとんとしているでしょう。当社の式神がおりますのでご心配なさらずに。思玲ちゃんの狼もかな」
 麻卦執務室長がにやにやと片手を突きだす。
「はい十億円。領収書はいりますか?」

「折坂。私は疲れていない。ちょっと休めば、もう一度できる。なので麻卦、抱っこしろ」
 無音ちゃんが麻卦さんを完膚なきまでスルーした。

「はいはい。それでは横根瑞希が戻るまで、いったん休憩とします。その間に、和戸駿は決断してください」
 執務室長が壇上に上がり、女の子を抱えあげる。

「続けざまに告刀をしていいのか? 過去のおとなの宮司にさえ労苦だ。だが私は儀式への諫言は許されていない。執務室長の考えに従うしかないが、何かあれば責任をとってもらうからな。そして」
 折坂さんは目線を再び一人へと戻す。
「夏梓群はここから出ていけ。さもないと以後の進行を私が妨げる。大蔵司が連れていけ」

「わ、私は何も見ていない。でも一人で出ていく」
 目を閉じなかったのを実質白状したドロシーが、慌ててドアへと向かう。
「また殺すというならば戦ってやる。刺し違えてやる」

 負け惜しみのように言い放つ。ため息がひとつ聞こえた。

「仕方ない。私も一緒に行く。ドロシーからも聞きたいこともある」
 思玲が慌てもせずに後を追う。
「何も見せてくれないなら、いる意味がないしな」

 大蔵司が二人に続く。その手にはまだ神楽鈴があった。

 懲りないドロシー。思いかえせば、かなりのトラブルメーカーだった。単独行動してフサフサに捕らえられたり、生身の俺に術をぶつけたり、シノをだましてケビンに殴られたり、張麗豪を逃がしたり……。
 だけど赦してきてしまった。夏奈夏奈夏奈と言いながら、いつしか隣にドロシーがいた。理由は分かる。お互いにそれを望んでいたから。

「あのきれいなお姉さんだけ見ていたよ。大蔵司がいないから言うけど、ほんとは一番かわいい。心の声もかわいい」
 やはり無音ちゃんが、執務室長の太鼓腹の上できっぱり言う。

「あの賑やかな言語は中国語と言いまして、彼女は香港人です。あだ名みたいなものがドロシー」
 麻卦さんが答える。「彼女は独自の文脈ルールで広東語北京語英語日本語を混ぜますので、慣れた松本君以外は混乱します」 

「このお兄さんは松本か。かっこいいけど好みじゃない」
 無音ちゃんが俺を評価したあとに、
「ドロシーは私の真似するつもりだったみたい。でもできない。そして折坂がいなくなるから戦ってはだめ。これは宮司代理の勅命だ」

「……かしこまりました」

 まじかよ。折坂さんが頭を下げた。

「とんでもないです。ドロシーが悪いです」と本来なら言うべきだろう。でも命の取り合いが待っているかもしれない。無音ちゃんに従おう……。この子はドロシーが隠し持つものを見抜いているのかも。

「麻卦。でもドロシーを赦しちゃいけないよね」
「よその人には“さん”をつけましょう。私と松本君できつく叱ります。見たことを他言させないし、松本君も聞きはしません」
「ぬるい。ドロシーさんへの報いは私があたえる」

 この子はなぜか俺を見ながら言う。大人のような真顔で。




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