十八の二 火焔嶽

文字数 2,920文字

 麗豪の予測通り、雅が林から姿を現す。俺へと飛びかかりたいのに、魔道士の手もとを気にしている。フサフサが土壁をにらみながら陸へと上がる。
 堰堤を飛び降りようが情勢はなにも変わらない。誰も追跡をゆるめない。いきなりの生死を賭けた実戦。
 夏奈と横根。あの二人の笑みを思いだす。ドロシー……。香港の魔道士の整った笑みも。思玲である女の子の無邪気な笑みも。
 生き延びないと誰も助けられない。風はさらに強くなる。空がより暗くなる。

「嵐が来る。激しそうだ。すませよう」

 張麗豪が分かりきったことをつぶやく。
 こいつは狼だけを見ている。俺にもフサフサにも気を留めない。
 堰堤の下で水しぶきを浴びる土壁が、またも盛大につんのめる。

「松本」

 水の中から呼ばれて身がまえる。ひざ丈ほどの水流から、でかいナマズが顔をだした。渓流に?

「僕だよ。魚バージョンだけはなぜか大きい。そうは言っても常識の範囲内だけどね。それより拾っておいた」
 護符をくわえたナマズが、露泥無の声でもごもご言う。俺は残った手で受けとる。

「水のなかにも気をくばれ」麗豪が土壁を笑う。「けりをつける。そいつらを抑えておけ」

 俺は雨の匂いを感じる。川を覆う林が横なぐりに揺れる。木霊は異形達に怯えてひそんでいる。隣の世界の生き物と同様に。

「双鞭」

 麗豪が両手を左右にひろげる。ふたつの術の鞭が現れる。俺達には向かわない。
 うねる光を、雅は高々と跳躍して避ける。だが、もうひとつの光のうねりに捕らえられる。蒼い毛並みの狼は地面へ落ちる。立ちあがろうとして這いつくばる。

「私の術に屈すれば、お前は私に従う」
 麗豪が眼鏡の縁をあげる。「抗えば、やりなおすだけだ」

 ポケモンかよ。狼は立ちあがる。

ウォーフ!

 森へと響く吠え声とともに、光をはじき飛ばす。岩を跳ね、堰堤の上にたたずむ。そこからなおも俺だけをにらむ……。この狼の動きに見惚れていた。

「麗豪さん、ずいぶん苦労しているな」
 地の底から響くような声。土壁は、水流を気にせず立ちあがる。
「火焔嶽!」

 土壁の手に槍が現れる。……槍先に赤い人の手が刺してある?
 おぞましすぎる。ナマズが逃げろ逃げろと騒ぎだした。どこへ逃げればいいのだ。俺はフサフサに目をやる――。さすがだ。野良猫だった人間はいなくなっていた。

「人の形になってもすばしこい野郎だ。この林から探せというのかよ」
 土壁が憎々しげに言う。
「無理だな。だったら松本哲人だ」
 槍を振りかぶる。人の手のごとき穂先が、ぼわっと光りだす。

「もぐれ!」

 ナマズが叫び、俺の足もとをすくう。水中に転がる俺の上を炎が走る。水の中にいても熱を感じる。
 ローカルの二両編成電車が踏切を通過するほどの速度と時間が過ぎ、炎が立ち去る。俺は浮かびあがろうとするが水が重たい。片手でよろよろと立ちあがると、土壁が穂先を下に掲げていた。
 手のひらのような赤い槍先が俺へとおろされる。

「うわああ!」
 声にだして逃れる。かすめた左肩がひりひりしびれる。

「毒の槍だ」ナマズが水から顔をだす。「夜の極みだ。猛毒だぞ」

 土壁とハイエナの戦いも覗いていたな。だったら早く教えてほしい。俺はしびれがひろがる肩を水につけながら、川面をふわふわ横向きに逃げる。体は水をはじくけど毒は流れていく。俺はタフな妖怪だが片腕は復活しない。

「炎が来るぞ」

 ナマズの声に水にもぐる。上空を火のかたまりが通過していく。妖怪だろうが息が苦しい。流れに乗って逃げるまえに、顔をだし息継ぎする。

「魚が賢いはずないよな」
 土壁の声が上流からした。
「喋る魚も異形か。さっきから俺を転がすのはそいつだな」

 川へ槍を乱雑に突き刺してくる。水の流れが紫色に変わる。ヤマメが腹をだして浮かぶ。紫色の流れは面前まで……。

「うわー!」
「わあ!」

 俺とナマズが同時に川から飛びだす。ナマズは岩の上で跳ねて、溶けだし闇に消える。死んでないよな、逃げただけだよな。
 俺は上空へ浮かぶ。蒼い影が飛びあがるのが見えた。とっさに護符をかざし盾にする。牙は避けたが、蹴り落とされる。紫色の渓流に落ちる寸前で、なんとか耐える。狼が岩つたいに来る……。
 お前は麗豪と戦っていろよ。狼はなおも俺へと飛びかかろうとして、青白い光が闇をうねる。狼は巻きつく光の鞭を食いちぎる。巨岩へと跳躍し、なおも俺だけをにらむ。
 フサフサの言うとおり、森はこいつのホームだ。土壁の槍もかなりきつい。俺は上空に退避する。ちょっとでいいから冷静に考えろ。
 腕を失った俺は、ケビンと川田と合流すべきだ。腕は人に戻れば復活する。奴らに圧倒されて怖じ気ついた俺には無理だけど、ケビンならば四玉を怯えさせられるかも。
 いったん引き下がるべきだろうが、林に逃げたフサフサを置いていけない。でもフサフサならとっくにケビン達のもとへ行っているかも。……俺を置いてあり得ない。

「はっはっはっ」

 楽しげな声。浮かんだ俺へと、土壁が槍を振るう。火焔の玉が飛んできた。かわしたところで、花火みたいに破裂する。

「あちぃー!」

 叫んでいる場合じゃないのに叫んでしまう。土壁がまた槍を振るう。紫色の玉が飛んできた……。こっちはさらにまずい。より上空へと逃げる。真下で紫色の花火が広がる。

「殺すのが目的でない。手加減しろ。気兼ねして集中できない」
 麗豪の声が大きくなる。

 俺はひろがる闇空を見る。
 雲は重くどよむ。暗い雲のなかを雷が走る。じきに深夜のスコールだ。はやく逃げろ。でも誰も置いていけない。

「フサフサ!」林へと叫ぶ。
 あと一日半したら、フサフサは山にひそむ忌むべき異形と化してしまう。ハイエナ達のように狩りの対象となる。しかも、いまの姿で。

「空で物思いにふけるとは優雅だが」
 背後の声が上空へと舞っていく。「はたきたくなる」

ビュン

 鞭がうなる音が聞こえ護符が落とされる。またうなりが聞こえ、

バシン!

 俺自身も叩き落とされる。脳天への衝撃に意識が飛ぶ。

 川に落ちたおかげで目覚めるが、体がしびれて動かない。水は口へと入らなくても、どっちにしろ息ができない。もがくこともできない。流される……。
 頭をつかまれ川から引きずりだされる。助けられてばかりだ。

「フサフサ……」

 目を開けると、雅が俺を見ていた。毛並みをかるく振るわせる。水滴が飛んでくる。

「私以外に殺されるな」

 狼が俺を見る目には怒り以外がない。こいつが俺を助けたのだろうけど、なぜにそこまで執着できる。……雅は俺が逃げるのを待っている。あらためて狩るために。

「蒼き狼。獲物を奪われたくないのか。そいつがそれほど憎いか」
 空からの声はあきれてさえいる。
「ならば私と決着をつけろ。急がないと、座敷わらしは土壁に食われるぞ」

 張麗豪のさらに上空を稲光が裂く。眼鏡の男の無表情な顔を照らす。雨がぽつぽつと落ちてくる。
 雅が深夜の夕立の空へと跳ねる。その牙は麗豪へと届かない。魔道士は宙をかろやかに舞い、静かに岩へと着地する。

「べっぴん狼さん。こいつはゆっくり殺すから、ゆっくり戦いな」
 土壁が俺と雅を笑う。
「松本哲人は素早く逃げるだけか。ネズミみたいだな。ネズミのボスだ」




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