三十一 砂粒ほどの記憶
文字数 3,036文字
中学に入学当初はサッカー部に所属していた。小学校時代のサッカーチームの仲間の多くは、そのままシニアチームへと進んだのに。
五年生からレギュラーだった俺も、本来ならそちらに入るに決まっていた。父親が部費の使途で指導者達ともめたおかげで、俺だけ別の道となった。ジュニアチームの卒団式の打ち上げで生意気なことを言った俺を、「あの親父の息子が」と酔っぱらった指導者の一人が平手打ちしたのが決定的となった(お母さん達の大騒ぎにもなった)。
中学のサッカー部はあまり活動的でなく、むしろすさんでいた。いじめが横行していた。
夏休みには、一年生部員は四人だけになった(三年生が六人、二年生も六人)。三年生に素行の悪いのがそろい、この年のいじめはかなりひどかった。そんな状況だったから、泊まりでいく招待試合は憂鬱だった。
***
ずいぶん田舎の町へと、顧問や保護者の車に乗り合わせていく。試合は初日と二日目に各一試合組まれていた。開会式直後の試合を、俺達のチームはぼろ負けする。
「松本、明日は試合にだすぞ」
顧問に言われる。さっそく同じ一年が二人、上級生へと注進に向かう。先輩達と同じろくでもない奴らだった。
この年もやけに暑かった。顧問は午後の練習を中止して、自分の実家近くでのレクレーションを発案する。また車に乗り合わせる。川沿いの道を一時間も乗っただろうか、田舎を通り越して過疎地の村につく。支流の河原で俺達は水遊びをする。荒れたただの河原だ。サッカー部の一団以外に人はいない。
「滝には近づくなよ」
顧問と保護者の一部だけが、子供たちに付き合っている。
足が浸る程度の水遊びなんて面白くない。本流は勢いがありすぎて近づけない。ここにまだ一時間もいないとならない。みんなじきに飽きてくる。そしてまたいじめが始まる。
俺は露骨にはいじめられない。かげで嫌がらせを受けるだけだ。ターゲットになるのはいつも、もう一人の真面目な一年生だ。
「踊れ」
「水の中で踊れ」
「全部脱いで踊れ」
保護者からは見えない死角で、いじめはエスカレートする。顧問なんかそもそも無関心だし、どうせ保護者(ピアスつけた金髪親父もいた)は三年生の親だから、いじめ側の肩を持つだろう。俺は、とばっちりを受けないように離れているだけだった。
「はやく脱げよ」
林でなにかしていた三年生のリーダー達が戻ってきて笑いだす。川の中で一人立つ同級生に石を投げる。下級生もあわてて石を拾いだす。
「いい加減にしろ!」
さすがに我慢できなかった。怒鳴ってすぐに後悔する。
「松本、てめえマジで生意気なんだよ」
「先生の前でもまじめ君だから、明日の試合にでれてよかったな」
俺もターゲットになってしまった。
「お前も踊れ」
「川に入れ」
「服を脱げ」
俺はすべてに従わない。
「一年。松本と喧嘩しろ。松本がいきなり殴ったと、証言してやっから」
三年の一人が一年二人に命じる。
川の中にいた同級生が突如泣きだす。走りだし、捕まり浅瀬に転がされる。笑いが起きる。
「喧嘩は夜にやらせるじゃん」
いじめの黒幕がガムを川に吐き捨てる。「今は松本を脱がして川に落として、そして踊らせようぜ」
「ふざけんな。バカ、死ね」
俺は中一らしいボキャブラリーの捨て台詞を吐いて、そのまま遊歩道を逃げだす。
*
二年生を中心に追いかけてくる。なんで俺は上流に逃げた。沢沿いの山道の終点に追いつめられる。仏様らしい石像が祀られていて、その先には滝があるだけだ。
「おめえ、まじめなだけで馬鹿ずら? 許してもらえんらな」
二年連中が笑う。
言われなくても分かっている。だから歩道をでて、さらに逃げる。河原の石の上を跳ねて対岸へと向かう。
滝は体育館の屋根より高そうな位置から、絶え間なく水を落としている。水しぶきをむき出しの顔や手に感じる。対岸では滝の支流ともいうべきものが、強めのシャワーみたいに岩壁から降りそそいでいた。ふもとの住職とかがここで滝行をすると、顧問が言っていた。
三年生がやってきた。追いつめられた俺を見て、腹を抱えていやがる。数人が石つたいに川を越える。二年の中でも下っ端と一年だ。こいつらだけじゃ怖くない。と思ったら、三年生のいわゆる幹部クラスが渡りだした。三月まで小学生だった俺から見れば、すでに大人の図体だ。俺は急いで逃げ道を探す。
この対岸から下流へは、巨岩が連なり進めない。上流に向かおうにも、やはり巨大な一枚岩だ……横なら登れるかも。林に逃げて迷うぐらいなら、この川沿いから離れず逃げよう。
滝の横も絶壁となり進退きわまる。いてっ。笑いながら石を投げてきやがる。なにか言っているけど、滝の音で聞こえない。俺はまだあきらめない。ここを突破したら、もう一人の一年生(おとなしすぎて正直気はあわない)を連れて、大人のところに逃げこもう。格好悪いし復讐も怖いけど、洗いざらい喋るしかない。
だから滝つぼに飛びこんだ。ここから逃げだすために。なにも知らないから。
グオオオオグワアアア
水中なのに轟音が響きわる。水の流れが俺をつぼの底へと押しやる。25メートルを楽勝で四往復泳げたのに、水の中でもがくだけだ。川底に押しつけられて、苦しくてさらにあがく。石みたいなものを握る。じきに意識を失う。
花園がひろがる。お婆ちゃんに会える。とてつもなく幸せな気分だったのに。
「この大馬鹿者!」
鉄槌のごとき怒声だ。楽園が消える。俺はハンマーのごとき忿怒につぶされる。
「儂のお気に入りのひとつをけがしおって」
ぺちゃんこになった俺は、すぐにもとどおりになる。
「すみませんでした。……助けてくれたのですか?」
ここはどこだ?
「助けてなどいない。お前の魂が向こうに行く前に、来世で役立てるべく教えをさとすだけだ。じきじきにな」
この人は誰だ? 姿が見えない。なにも見えない。
「次に生まれ変われたら、滝に飛びこむな。それと、逃げまわらずに立ち向かえ」
俺はどうやら死んだらしいな。中一でも分かる。
「本来ならば以上だ」重たい声は続く。
「お前は滝に沈んだ独鈷杵を手にした。聖大寺の和尚に奉献されたものだ。儂の立ち入れぬ縁かもしれぬだろ? それに、あの和尚は今の世ではまともだ。お前を現世に戻し、あの者の手柄にしてやろうと思う。来世にまだ行けぬが、お前も若いし、もうすこしそっちにいてもいいだろ? だから和尚を恨むな」
生きかえろだと? ……今は悲しみも苦しみもないけど、それもありかも。
「恨みなんかしません。ありがとうございます」
超越した存在を相手に感謝をあらわす。
「たやすく礼を言うな!」また一喝される。
「蘇るために、お前に儂の力を砂粒ほども授けるのだぞ。代償に、成人となれば七難八苦も授けてやるがな。それまでは安穏に過ごせ。そのときが来たら立ち向かえ。逃げまわるな。つまりお前に託す。
それができぬ輩なら、そもそも放っておいたからな。それと、もう滝には飛びこむな。ガハハハハ……」
俺は、その日のうちに病室で目を覚ました。
「奇跡だ」
「お不動様の御加護だ」
滝つぼから引きあげられて、それも法具を握って生きていたのだから、そりゃ奇跡だろう。俺だってそう思っていた。あんなやり取りなど、記憶のどこにも残っていなかったから。
異界に引きずりこまれて、横根とお天狗さんの会話を聞かされるまでは。
砂のかけらほど授かりし力が、感情の暴発とともに正体をさらすときが来た。
次回「こんがらせいたか」
五年生からレギュラーだった俺も、本来ならそちらに入るに決まっていた。父親が部費の使途で指導者達ともめたおかげで、俺だけ別の道となった。ジュニアチームの卒団式の打ち上げで生意気なことを言った俺を、「あの親父の息子が」と酔っぱらった指導者の一人が平手打ちしたのが決定的となった(お母さん達の大騒ぎにもなった)。
中学のサッカー部はあまり活動的でなく、むしろすさんでいた。いじめが横行していた。
夏休みには、一年生部員は四人だけになった(三年生が六人、二年生も六人)。三年生に素行の悪いのがそろい、この年のいじめはかなりひどかった。そんな状況だったから、泊まりでいく招待試合は憂鬱だった。
***
ずいぶん田舎の町へと、顧問や保護者の車に乗り合わせていく。試合は初日と二日目に各一試合組まれていた。開会式直後の試合を、俺達のチームはぼろ負けする。
「松本、明日は試合にだすぞ」
顧問に言われる。さっそく同じ一年が二人、上級生へと注進に向かう。先輩達と同じろくでもない奴らだった。
この年もやけに暑かった。顧問は午後の練習を中止して、自分の実家近くでのレクレーションを発案する。また車に乗り合わせる。川沿いの道を一時間も乗っただろうか、田舎を通り越して過疎地の村につく。支流の河原で俺達は水遊びをする。荒れたただの河原だ。サッカー部の一団以外に人はいない。
「滝には近づくなよ」
顧問と保護者の一部だけが、子供たちに付き合っている。
足が浸る程度の水遊びなんて面白くない。本流は勢いがありすぎて近づけない。ここにまだ一時間もいないとならない。みんなじきに飽きてくる。そしてまたいじめが始まる。
俺は露骨にはいじめられない。かげで嫌がらせを受けるだけだ。ターゲットになるのはいつも、もう一人の真面目な一年生だ。
「踊れ」
「水の中で踊れ」
「全部脱いで踊れ」
保護者からは見えない死角で、いじめはエスカレートする。顧問なんかそもそも無関心だし、どうせ保護者(ピアスつけた金髪親父もいた)は三年生の親だから、いじめ側の肩を持つだろう。俺は、とばっちりを受けないように離れているだけだった。
「はやく脱げよ」
林でなにかしていた三年生のリーダー達が戻ってきて笑いだす。川の中で一人立つ同級生に石を投げる。下級生もあわてて石を拾いだす。
「いい加減にしろ!」
さすがに我慢できなかった。怒鳴ってすぐに後悔する。
「松本、てめえマジで生意気なんだよ」
「先生の前でもまじめ君だから、明日の試合にでれてよかったな」
俺もターゲットになってしまった。
「お前も踊れ」
「川に入れ」
「服を脱げ」
俺はすべてに従わない。
「一年。松本と喧嘩しろ。松本がいきなり殴ったと、証言してやっから」
三年の一人が一年二人に命じる。
川の中にいた同級生が突如泣きだす。走りだし、捕まり浅瀬に転がされる。笑いが起きる。
「喧嘩は夜にやらせるじゃん」
いじめの黒幕がガムを川に吐き捨てる。「今は松本を脱がして川に落として、そして踊らせようぜ」
「ふざけんな。バカ、死ね」
俺は中一らしいボキャブラリーの捨て台詞を吐いて、そのまま遊歩道を逃げだす。
*
二年生を中心に追いかけてくる。なんで俺は上流に逃げた。沢沿いの山道の終点に追いつめられる。仏様らしい石像が祀られていて、その先には滝があるだけだ。
「おめえ、まじめなだけで馬鹿ずら? 許してもらえんらな」
二年連中が笑う。
言われなくても分かっている。だから歩道をでて、さらに逃げる。河原の石の上を跳ねて対岸へと向かう。
滝は体育館の屋根より高そうな位置から、絶え間なく水を落としている。水しぶきをむき出しの顔や手に感じる。対岸では滝の支流ともいうべきものが、強めのシャワーみたいに岩壁から降りそそいでいた。ふもとの住職とかがここで滝行をすると、顧問が言っていた。
三年生がやってきた。追いつめられた俺を見て、腹を抱えていやがる。数人が石つたいに川を越える。二年の中でも下っ端と一年だ。こいつらだけじゃ怖くない。と思ったら、三年生のいわゆる幹部クラスが渡りだした。三月まで小学生だった俺から見れば、すでに大人の図体だ。俺は急いで逃げ道を探す。
この対岸から下流へは、巨岩が連なり進めない。上流に向かおうにも、やはり巨大な一枚岩だ……横なら登れるかも。林に逃げて迷うぐらいなら、この川沿いから離れず逃げよう。
滝の横も絶壁となり進退きわまる。いてっ。笑いながら石を投げてきやがる。なにか言っているけど、滝の音で聞こえない。俺はまだあきらめない。ここを突破したら、もう一人の一年生(おとなしすぎて正直気はあわない)を連れて、大人のところに逃げこもう。格好悪いし復讐も怖いけど、洗いざらい喋るしかない。
だから滝つぼに飛びこんだ。ここから逃げだすために。なにも知らないから。
グオオオオグワアアア
水中なのに轟音が響きわる。水の流れが俺をつぼの底へと押しやる。25メートルを楽勝で四往復泳げたのに、水の中でもがくだけだ。川底に押しつけられて、苦しくてさらにあがく。石みたいなものを握る。じきに意識を失う。
花園がひろがる。お婆ちゃんに会える。とてつもなく幸せな気分だったのに。
「この大馬鹿者!」
鉄槌のごとき怒声だ。楽園が消える。俺はハンマーのごとき忿怒につぶされる。
「儂のお気に入りのひとつをけがしおって」
ぺちゃんこになった俺は、すぐにもとどおりになる。
「すみませんでした。……助けてくれたのですか?」
ここはどこだ?
「助けてなどいない。お前の魂が向こうに行く前に、来世で役立てるべく教えをさとすだけだ。じきじきにな」
この人は誰だ? 姿が見えない。なにも見えない。
「次に生まれ変われたら、滝に飛びこむな。それと、逃げまわらずに立ち向かえ」
俺はどうやら死んだらしいな。中一でも分かる。
「本来ならば以上だ」重たい声は続く。
「お前は滝に沈んだ独鈷杵を手にした。聖大寺の和尚に奉献されたものだ。儂の立ち入れぬ縁かもしれぬだろ? それに、あの和尚は今の世ではまともだ。お前を現世に戻し、あの者の手柄にしてやろうと思う。来世にまだ行けぬが、お前も若いし、もうすこしそっちにいてもいいだろ? だから和尚を恨むな」
生きかえろだと? ……今は悲しみも苦しみもないけど、それもありかも。
「恨みなんかしません。ありがとうございます」
超越した存在を相手に感謝をあらわす。
「たやすく礼を言うな!」また一喝される。
「蘇るために、お前に儂の力を砂粒ほども授けるのだぞ。代償に、成人となれば七難八苦も授けてやるがな。それまでは安穏に過ごせ。そのときが来たら立ち向かえ。逃げまわるな。つまりお前に託す。
それができぬ輩なら、そもそも放っておいたからな。それと、もう滝には飛びこむな。ガハハハハ……」
俺は、その日のうちに病室で目を覚ました。
「奇跡だ」
「お不動様の御加護だ」
滝つぼから引きあげられて、それも法具を握って生きていたのだから、そりゃ奇跡だろう。俺だってそう思っていた。あんなやり取りなど、記憶のどこにも残っていなかったから。
異界に引きずりこまれて、横根とお天狗さんの会話を聞かされるまでは。
砂のかけらほど授かりし力が、感情の暴発とともに正体をさらすときが来た。
次回「こんがらせいたか」