五十二の一 六人の魂が詰まっていた
文字数 3,213文字
「じろじろ見るな。術を喰らわすぞ」
……思玲は大きくなっていた。そうは言っても十五六歳ぐらいだろうか。
「見た目もサイズもかわいいブラだな」
彼女はドロシーの衣服にすばやく着替える。「すでにバストがきつい」と笑う。
ドロシーは決して小さくない。でかくはないけど……
「ぼさっとしているな」
淡いピンクのパジャマ姿の思玲に怒られる。「あの蛇は優秀だ。真っ先に復活して峻計を救った。杖も持ち逃げしやがった……気を保て!」
「は、はい」
俺はようやく状況を確認する。
ドロシーは気絶したままだ。また血が流れだした傷口を、思玲はサテンで結ぶ。
「土壁こそ頑丈だ。走って逃げた。黒羽扇は消滅しただろうが、あのキモい魔道具は復活しそうだな。輪っかもリュックに入れたから安心しろ。……あの弾は本人に任せる。触れたくない」
川田と雅は結界に閉じこめられ、逃げられずに白銀を浴びた。強靭なこいつらでさえ、まだ気絶している。
「川田君息しているよね? 松本君は? 思玲は? ドーン君は? ドロシーは?」
「そいつら誰? というよりさあ真っ暗だし、ここどこ? あの全裸だった女は誰?」
「……夏奈ちゃんは暗くても見えるの?」
狼達の脇で、夏奈は横根と話している。闇にうごめく思玲を見ている。おそらく俺は見えない……。
「ドーンが落ちた!」
風軍もだ。助けにいきたいのに足に力が入らない。黒い光も白銀の光も充分に喰らってしまった。
「まっさきに助けた。足を上にして箱の横で寝ている。……巣であった箱の脇でな」
思いだすなり悪寒が走る。箱は白銀の輪に裂かれた。
四玉の玉は卵。巣がなければ、ただの玉。箱が壊れたら、俺達は人に戻れない。
「奴らはまだいるからな。うろたえるには早い」
思春期のような思玲が言う。
彼女がおとなになれたのは箱が壊れたからか? だとしたら、とてつもない天祐だ。導きだ。
彼女が以前より十歳ぐらい若いのは、箱が完全に壊れてないからかも。だとしたら、まだ男子三人が人に戻れる可能性はある。
「それとな」
思玲が言いよどむ。
「玉がひとつ割れた。青龍が右で白虎が左だから、おそらく朱雀だ」
どこが天祐だ。導きだ。事実だとすると、ドーンは人には戻れない。
思玲の背後で炎があがる。張麗豪の遺体が燃やされた。
「女のガキがでかくなっちまったよ。……お前ともマチで会っているな」
土壁が思玲をにらむ。
「野良犬だった俺はテッポーだと思ったが、あれは術の光だったわけだ」
火焔嶽を振りかざす。思玲が向きあう。両手には天宮の護符と七葉扇があった。亮相の構えから交差させる。
七色の螺旋を浴びて、土壁が毒と炎ごと吹っ飛ぶ。
「当代屈指の術の味はどうだ?」
思玲が両手をおろす。
「貴様は二度もか弱き私を見逃した。ゆえに一度だけ半死で見逃してやる。満月を何度経ても傷は治らぬだろうがな。――蛇よ。撃たぬから降りてこい。こいつも連れていけ」
ひたいの汗をぬぐう。
違うだろ……。思玲は知らなくても、こいつこそフサフサの仇だ。劉師傅を傷つけた野良犬だ。こいつだけは――。
視覚が脳に飛びこむ。
少女を加減して蹴った土壁。加減して踏んだ土壁。気絶した少女に炎を向けるのを躊躇した土壁……。思玲が救われたのは二度ばかりではなかった。
俺へと懇願を伝えた大蛇が姿を現す。ウインクして、すばやく土壁をくわえ天に戻る。
――終わりではないぞ
あいつのかすれ声が聞こえた。指を鳴らす音ともに、巨大な飛び蛇は結界に消える。
*
「玉は琥珀が直せる」
夕焼けの校舎で峻計が言っていた。「琥珀も天珠を持っているよね。呼び戻そう」
思玲が天珠を耳にあてる。舌打ちする。
「でない。九郎の脚から海に落ちたか着信拒否のどっちかだろう」
子どもじみたポーチにしまう。
「破邪の剣にて人に戻す技。藤川がやったらしいな。哲人ならできるのではないか?」
喰らった張本人だから分かる。寸止めでなく実際に切られた。荒っぽすぎる技だ。カラスであるドーンなら一刀両断してしまうかも。
俺は首を横に振る。もっといい方法があるのでは――。
ドロシーのリュックサックの中から俺を呼んでいる。私をめくり、つづられた文字をひも解けと。
「呼びつけられてないだろうな? 奴らみたいに無様に終わるぞ」
思玲が俺をいぶかしげに見て「私が護符でやってやる。まずは川田でテストしてみるか。手負いの獣ならば簡単に死なぬだろう」
彼女がみんなのもとへと向かう。
……死者の書。あれに問えば、もっと確実な方法が分かるかもしれない。死人たちの知恵を授かり……。
俺はリュックを一瞥だけして、思玲の後を追う。
横根の結界は消えていた。思玲が狼を足蹴にして起こすのを見て、夏奈が目を見ひろげる。
そもそも川田は光を分断して人に戻れるのか? 本物の異形ならば消滅しかねない。でもドーンはあと半日で本当の異形になってしまう。思玲と川田を信じるしかない。
「ごめんね」
俺は横たわるドロシーを抱きあげる。一緒に箱のもとへと向かう。
ひとつの玉は粉々に砕けたのだろう。風に吹かれたかのように消滅していた。青い玉と白い玉も単なるビー玉だ。箱が割れたからだ。
気絶したドロシーを抱えたまま、壊れた箱を木箱に入れる。箱本来の軽さになっていた。残りの思玲の体は消滅したのだろう。満身創痍だった体が。
「……ありがとう」
泥と血だらけだ。人の体で戦い抜いたドロシーを、ドーンと風軍の横におろす。川田達のもとへ向かう。
「さっき女の人が浮いたのは、松本哲人って人が抱えたからなの?」
夏奈は俺を知らない。「これってやっぱ夢じゃね? ありえねーし、ははは」
横根が夏奈に説明したのだろう。そりゃ信じられるはずないけど、真っ暗なゴルフ場で笑えるとは、さすがは夏奈だ。俺のことを覚えていなくても夏奈だ。
「桜井、静かにしろ」
思玲が日本語で怒鳴る。
「雅、忌むべき姿になって二人を守れ。川田が怒り狂うかもしれぬからな」
青い毛並みの狼がいきなり現れ、さすがの夏奈も悲鳴をあげる。
「俺は人間になりたくない」
川田が思玲に牙を向ける。
「それより姉ちゃんはそこそこやるな。ドロシーって娘とどっちが強い?」
こいつの頭は力関係と食うことだけだ。
「人になると川田はもっと強くなるかも」
俺は根拠なきことを口にだす。
「折坂って野郎ぐらいにか?」狼の片目が光る。「はやくやれ」
川田が横たわり首を差しだす。そこはダメだ。
「異形の光だけをぶった切る」
思玲が扇をくわえて、ポーチから眼鏡をだす。天宮の護符をかかげる。光るはずもない。それで首を叩く。狼は顔色も変えない。
思玲は七葉扇で再チャレンジする。俺へと振りかえる。
「またまた無理っぽいな。哲人、覚悟を決めろ」
そうなると思っていた。俺は独鈷杵を握りしめる。
「浮かんでいるのは密教の法具だよ」
横根が説明を始める。「松本君が、まず川田君を人に戻す。そしてドーン君も戻す。最後に松本君が帰ってくる。夏奈ちゃんはみんなを思いだせる」
「だから誰?」
横根だけは、こっちの世界を覚えたままだよな。万事うまく進んだら、記憶消しの妖術をドロシーに頼むべきだ。一月ほど本当の記憶が消えても仕方ない。……夏奈は中学生の横根にも違和を持たずに接している。男どももあっちの世界に帰ったら、昔の横根の姿を忘れるのだろう。
川田がうなりだした。以前は鷹揚としていたのに、じれていやがる。
「いくよ!」
俺は独鈷杵をかかげる。狼の背中をぺこっと叩く。なにも起きるはずない。もっと強く叩くには。
劉師傅も実践したな。川田を子犬に、俺を人間くずれにした。異形の光は消えなかったけど、あの時は緋色のサテン越しに加減した……。
護布は? 俺はドロシーを見る。
「王姐、術が使えるんだ」
彼女は立ちあがっていた。
「ならば、あなたを香港に連行しないとならない。風軍、戦う覚悟をして」
次回「明け方前の五人」
……思玲は大きくなっていた。そうは言っても十五六歳ぐらいだろうか。
「見た目もサイズもかわいいブラだな」
彼女はドロシーの衣服にすばやく着替える。「すでにバストがきつい」と笑う。
ドロシーは決して小さくない。でかくはないけど……
「ぼさっとしているな」
淡いピンクのパジャマ姿の思玲に怒られる。「あの蛇は優秀だ。真っ先に復活して峻計を救った。杖も持ち逃げしやがった……気を保て!」
「は、はい」
俺はようやく状況を確認する。
ドロシーは気絶したままだ。また血が流れだした傷口を、思玲はサテンで結ぶ。
「土壁こそ頑丈だ。走って逃げた。黒羽扇は消滅しただろうが、あのキモい魔道具は復活しそうだな。輪っかもリュックに入れたから安心しろ。……あの弾は本人に任せる。触れたくない」
川田と雅は結界に閉じこめられ、逃げられずに白銀を浴びた。強靭なこいつらでさえ、まだ気絶している。
「川田君息しているよね? 松本君は? 思玲は? ドーン君は? ドロシーは?」
「そいつら誰? というよりさあ真っ暗だし、ここどこ? あの全裸だった女は誰?」
「……夏奈ちゃんは暗くても見えるの?」
狼達の脇で、夏奈は横根と話している。闇にうごめく思玲を見ている。おそらく俺は見えない……。
「ドーンが落ちた!」
風軍もだ。助けにいきたいのに足に力が入らない。黒い光も白銀の光も充分に喰らってしまった。
「まっさきに助けた。足を上にして箱の横で寝ている。……巣であった箱の脇でな」
思いだすなり悪寒が走る。箱は白銀の輪に裂かれた。
四玉の玉は卵。巣がなければ、ただの玉。箱が壊れたら、俺達は人に戻れない。
「奴らはまだいるからな。うろたえるには早い」
思春期のような思玲が言う。
彼女がおとなになれたのは箱が壊れたからか? だとしたら、とてつもない天祐だ。導きだ。
彼女が以前より十歳ぐらい若いのは、箱が完全に壊れてないからかも。だとしたら、まだ男子三人が人に戻れる可能性はある。
「それとな」
思玲が言いよどむ。
「玉がひとつ割れた。青龍が右で白虎が左だから、おそらく朱雀だ」
どこが天祐だ。導きだ。事実だとすると、ドーンは人には戻れない。
思玲の背後で炎があがる。張麗豪の遺体が燃やされた。
「女のガキがでかくなっちまったよ。……お前ともマチで会っているな」
土壁が思玲をにらむ。
「野良犬だった俺はテッポーだと思ったが、あれは術の光だったわけだ」
火焔嶽を振りかざす。思玲が向きあう。両手には天宮の護符と七葉扇があった。亮相の構えから交差させる。
七色の螺旋を浴びて、土壁が毒と炎ごと吹っ飛ぶ。
「当代屈指の術の味はどうだ?」
思玲が両手をおろす。
「貴様は二度もか弱き私を見逃した。ゆえに一度だけ半死で見逃してやる。満月を何度経ても傷は治らぬだろうがな。――蛇よ。撃たぬから降りてこい。こいつも連れていけ」
ひたいの汗をぬぐう。
違うだろ……。思玲は知らなくても、こいつこそフサフサの仇だ。劉師傅を傷つけた野良犬だ。こいつだけは――。
視覚が脳に飛びこむ。
少女を加減して蹴った土壁。加減して踏んだ土壁。気絶した少女に炎を向けるのを躊躇した土壁……。思玲が救われたのは二度ばかりではなかった。
俺へと懇願を伝えた大蛇が姿を現す。ウインクして、すばやく土壁をくわえ天に戻る。
――終わりではないぞ
あいつのかすれ声が聞こえた。指を鳴らす音ともに、巨大な飛び蛇は結界に消える。
*
「玉は琥珀が直せる」
夕焼けの校舎で峻計が言っていた。「琥珀も天珠を持っているよね。呼び戻そう」
思玲が天珠を耳にあてる。舌打ちする。
「でない。九郎の脚から海に落ちたか着信拒否のどっちかだろう」
子どもじみたポーチにしまう。
「破邪の剣にて人に戻す技。藤川がやったらしいな。哲人ならできるのではないか?」
喰らった張本人だから分かる。寸止めでなく実際に切られた。荒っぽすぎる技だ。カラスであるドーンなら一刀両断してしまうかも。
俺は首を横に振る。もっといい方法があるのでは――。
ドロシーのリュックサックの中から俺を呼んでいる。私をめくり、つづられた文字をひも解けと。
「呼びつけられてないだろうな? 奴らみたいに無様に終わるぞ」
思玲が俺をいぶかしげに見て「私が護符でやってやる。まずは川田でテストしてみるか。手負いの獣ならば簡単に死なぬだろう」
彼女がみんなのもとへと向かう。
……死者の書。あれに問えば、もっと確実な方法が分かるかもしれない。死人たちの知恵を授かり……。
俺はリュックを一瞥だけして、思玲の後を追う。
横根の結界は消えていた。思玲が狼を足蹴にして起こすのを見て、夏奈が目を見ひろげる。
そもそも川田は光を分断して人に戻れるのか? 本物の異形ならば消滅しかねない。でもドーンはあと半日で本当の異形になってしまう。思玲と川田を信じるしかない。
「ごめんね」
俺は横たわるドロシーを抱きあげる。一緒に箱のもとへと向かう。
ひとつの玉は粉々に砕けたのだろう。風に吹かれたかのように消滅していた。青い玉と白い玉も単なるビー玉だ。箱が割れたからだ。
気絶したドロシーを抱えたまま、壊れた箱を木箱に入れる。箱本来の軽さになっていた。残りの思玲の体は消滅したのだろう。満身創痍だった体が。
「……ありがとう」
泥と血だらけだ。人の体で戦い抜いたドロシーを、ドーンと風軍の横におろす。川田達のもとへ向かう。
「さっき女の人が浮いたのは、松本哲人って人が抱えたからなの?」
夏奈は俺を知らない。「これってやっぱ夢じゃね? ありえねーし、ははは」
横根が夏奈に説明したのだろう。そりゃ信じられるはずないけど、真っ暗なゴルフ場で笑えるとは、さすがは夏奈だ。俺のことを覚えていなくても夏奈だ。
「桜井、静かにしろ」
思玲が日本語で怒鳴る。
「雅、忌むべき姿になって二人を守れ。川田が怒り狂うかもしれぬからな」
青い毛並みの狼がいきなり現れ、さすがの夏奈も悲鳴をあげる。
「俺は人間になりたくない」
川田が思玲に牙を向ける。
「それより姉ちゃんはそこそこやるな。ドロシーって娘とどっちが強い?」
こいつの頭は力関係と食うことだけだ。
「人になると川田はもっと強くなるかも」
俺は根拠なきことを口にだす。
「折坂って野郎ぐらいにか?」狼の片目が光る。「はやくやれ」
川田が横たわり首を差しだす。そこはダメだ。
「異形の光だけをぶった切る」
思玲が扇をくわえて、ポーチから眼鏡をだす。天宮の護符をかかげる。光るはずもない。それで首を叩く。狼は顔色も変えない。
思玲は七葉扇で再チャレンジする。俺へと振りかえる。
「またまた無理っぽいな。哲人、覚悟を決めろ」
そうなると思っていた。俺は独鈷杵を握りしめる。
「浮かんでいるのは密教の法具だよ」
横根が説明を始める。「松本君が、まず川田君を人に戻す。そしてドーン君も戻す。最後に松本君が帰ってくる。夏奈ちゃんはみんなを思いだせる」
「だから誰?」
横根だけは、こっちの世界を覚えたままだよな。万事うまく進んだら、記憶消しの妖術をドロシーに頼むべきだ。一月ほど本当の記憶が消えても仕方ない。……夏奈は中学生の横根にも違和を持たずに接している。男どももあっちの世界に帰ったら、昔の横根の姿を忘れるのだろう。
川田がうなりだした。以前は鷹揚としていたのに、じれていやがる。
「いくよ!」
俺は独鈷杵をかかげる。狼の背中をぺこっと叩く。なにも起きるはずない。もっと強く叩くには。
劉師傅も実践したな。川田を子犬に、俺を人間くずれにした。異形の光は消えなかったけど、あの時は緋色のサテン越しに加減した……。
護布は? 俺はドロシーを見る。
「王姐、術が使えるんだ」
彼女は立ちあがっていた。
「ならば、あなたを香港に連行しないとならない。風軍、戦う覚悟をして」
次回「明け方前の五人」