三十五の一 無心なハイカーたち

文字数 2,322文字

「過疎地の老人をかき集めるより、健康なハイカーを端から傀儡にしたのか。時間はかかるが、さすがは慎重な鴉だ」
 露泥無がヨタカになる。
「いずれあの寺も襲撃されただろう」

 登山姿の人達が踏み跡を歩いてくる。どの人も操られているだろう。……あいつの武器が傀儡だけであるはずない。

「ドロシー、結界を探せ! 黒い光が飛んでくる!」
 俺以外には。

「一度にできない!」
 ドロシーは少女の演武に食い入っていた。

 登山者達は走らない。林の中をゆっくり確実に歩んでくる。……老人の男女もいる。子供もいる。若い一団もいる。三十人以上だ。それぞれが背負っていた荷物を地面におろす。

「基本は光をだす感じだ。だが実際にはださず、内なる魔だけを狙う感じだ」

 思玲の説明は感覚的だ。ドロシーは必死にうなずいている。

「ま、松本君を守るって、どうすればいいの?」横根が聞いてくる。

 彼女は傀儡の目には見えない。でも異形には見える。横根こそ守られるべきだ。
 俺はリュックを降ろす。箱を包むサテンを引きだす。どっちにすべきか……。彼女には珊瑚がある。守るのは背後。

「これを背負って」
 リュックサックを横根に渡す。四玉の箱を壊さぬように、横根に黒い光は飛ばない。

「分かった。やってみる」
 ドロシーが傀儡の群れへ顔を向ける。
「たぶん暴発するから、そばには来ないで」

 俺は汗だくで座りこむ思玲に師傅の護布をかける。これで彼女も守られる。俺には、奴らの大事な青い光がなおもある。露泥無は闇になれる。むき出しなのはドロシー……。
 彼女は顔をそらしながら、閉じた扇を前に突きだす――わおっ!
 巨大な萌黄色の光とともに、林の上半分がなぎ倒される。

「光を出現させるな! もっと抑えろ!」
 思玲がキレた声をだす。

「しかも大きいだけで弱い光だ。異形には効かない」
 上空でヨタカがぼやき「囲まれつつある。逃げながら練習すべきだ。僕のあとについてこい」
 低く飛び、はじき落とされる。

「人間と喋る鳥は九官鳥だっけ?」幼き声。「頭のいい鳥は鴉だけだよね。だから、こいつは異形だ」

 見えない竹林が俺に話しかけてくる。小型ステルス攻撃機だ!

「横根!」
 振りむいたら真後ろにいた。おたがいにぎょっとする。
「カラスに目をつつかれる。ドロシー、さきに竹林を倒せ!」

 ドロシーの手に短機関銃が現れる。俺へと向ける。

「滅」

 俺への機銃掃射を透明ななにかがはじいている。

「今日はしっかり張ったんだ」
 目前で竹林の声がした。「焔暁と流範の仇」

 とっさにしゃがむ。結界から現れた爪に背中を裂かれる。……痛くない。

「僕は彼女みたいに結界を追えない。ヨタカや猫だと危険すぎる」
 露泥無である女の子が離れて現れる。
「もう誰も逃げられない。もはや頼りなきドロシーだけが頼りだ」

 登山者達は俺達をキャンプファイヤーみたいに囲んでいる。次なる指示を待っている。

「誅、誅、誅」

 蒼白な顔のドロシーが人除けの弾を乱射する。樹冠にひそんでいた野鳥達がこらえきれず飛んでいく。
 誰一人倒れないのを見て、彼女がしゃがみこむ。

「傀儡に効くはずないだろ! 半殺しにしても歩いてくるぞ。妖術だけを祓え」

 思玲がドロシーを小突き、その頭へと護布をかける。
 俺は護符を探る。……ドロシーのリュックだった。横根が持っている。

「危ないよ!」

 透けた横根に押し倒される。ドロシーが目をつむり、俺達へと扇を突きだす。幸いなにもでなかった。
 人間達は俺と横根を見ている。俺と宙に浮かんだリュックをだ。
 俺はそこから護符を取りだす。かかげる。もわっと光り、もわっと消える。

「カカカッ、確認完了」
 竹林の声が頭上でした。
「峻計、麗豪様ー。穴熊は扇を、かわいくてきれいな女の子に渡した! 使えないからだ! 女の子もきれいなだけ。使えないよー」

 つまり傀儡の群れと峻計。さらには張麗豪。悪夢の具現だ。

パチン

 指を鳴らす音がした。登山者達が動きだす。俺達を囲む輪が狭まっていく。

「来るな!」
 ドロシーがやみくもに扇を振りかざす。術はでない。
「来ないで!」

 露泥無である女の子がため息をつく。
「型ができていない。時間切れが近づいている」
 彼女は闇に溶ける。

 学生の一団らしきが横根へと駆けだした。彼女に触れられなくても、リュックサックに触れられる。そのまま、横根が複数の若い男に押し倒される。

「やめろ!」

 護符で殴る。……人に武器は駄目だろ。でも一人が俺に目を向ける。俺へと手を伸ばしてくる。
 やっぱり護符を振りまわす。

「てめえら、どけ!」
 思玲は大人達に必死に抵抗している。

「ゆるしてください」
 ドロシーはしゃがみこんでいた。
「この人達が人に戻っても、どうせ私は襲われる。……パパ、助けに来ないで」

 もはやレフリーのいないラグビーみたいにもみくちゃだ。密集する登山者達の汗の匂いが充満する。見えない横根が踏みしだかれる……。

「やめろ!」

 俺の叫びに人間の群れの動きがとまった。

――ふふふ。あえぎな

 指を鳴らす音。人間が動きだす。俺は叫ぶ。また指が鳴らされる。俺は人間達に持ちあげられる。横根からリュックがもぎ取られる。

「やめろ!」
 俺の叫びはもはや傀儡に届かない。俺にできることは人を傷つけてでも……。少女が人のかたまりをよじ登ってきた。
「思玲!」

 彼女へと護符を伸ばす。思玲が初老女性の頭を支えに受けとる。

「ドロシー、見ろ!」
 思玲が登山者達の上で護符をかざす。同時に護符が激しく光る――。林が山吹色に照らされる。なのに懸命な思玲は自分の手もとを見ていない。
「踏まれているな! こうやるのだ! 守りたいものを思え!」

 少女が亮相にかまえる。強烈な術が林を駆け巡る。




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