五十六 僕も、だよ

文字数 5,179文字

「小学生のときに独学で格闘技を習ったのか?」
「いいえ」

 俺はそっぽを向いたまま立ち去ろうとする。

「困ったな」
 背広を着た白髪の老人が心をこめずに言う。「私は哲人君の味方なのに」

 そんなはずがない。このどうにもならない世の中を作った大人の一員だ。弁護士なんて肩書きがあろうと、ルールに沿ってそこへたどり着いた人だ。

「だから座りなさい。君は瀬戸際にいる」

 十一月夕方の公園のベンチ。ほかに人はもういない。

「帰ります」

 俺は歩きだす。その人はその背に言う。

「哲人君こそ情けない人間だ。君が狩ってきた不良よりもね」

 ろくでもない奴らを端から殴り倒す。情けないの奴らで俺ではない。

「僕はやりすぎました。なので世間からそう思われる」
「理屈はいらない。隣に座れ」

 俺は振り返る。こいつだってたやすく倒せる。学生服を着た中学一年生だろうと俺は強い。

「祖父に頼まれたのですよね」
「そうだ」
「僕の罪を減らすために」
「そうだが、それには贖罪の心が必要だ」

 この人は両親とも学校の先生とも警察とも違う。媚びもしない。頭ごなしもしない。だから座るこの人と立ったままで向かいあってしまう。
 恐れていることを尋ねてしまう。

「僕は鑑別所に入るのですか?」
「まずは家庭裁判所だ。だが送致されることはないと思う。お爺さんがそれを望んでいるから」

 署長の祖父がいるから、高校生のヤンキーに言いがかりをつけて、二十八時間も意識不明にさせた俺はゆるされる。ずるい世の中だ。

「僕は少年院に入っていい。やりすぎた罪を償う」
 そこでクズを端からのしてもいい。

「そうか。だが私は弁護を続ける。学生時代からの友との約束だからな」

 この人はベンチから腰を浮かす。息を漏らし座りなおす。

「そして君は続ける。だけど暴力はいけないことだ。哲人君が心を痛めた事件の発端と同じじゃないかね」
 何度も聞かされたことを言ってくる。
「君は暴力を楽しんでいる。不良狩りなんて言葉でごまかしてね。そんなのは漫画の世界だけだ」

「大人が見ればそうかもしれません。でも僕は見逃しません」

 弁護士のお爺さんはため息をつく。俺の目を見つめてくる。

「わかった。そうやって生きていきなさい。ずっと暴力を繰り返し、弱者を痛めつけなさい。私は君の祖父の友人だから、今回だけは力になる。でも以降は一人で生きなさい」

 見捨てる言葉をかけられたのは初めてかもしれない。不安が押し寄せる。

「政治家とか新興宗教の教祖とか、僕より悪い人はいっぱいいる。でも警察は捕まえない。弁護士は金持ちの味方になる」
「正義の面をかぶり悪事を働く連中。そうではない人もいる。君のお爺さんと私もだ」

 俺だってあいつらと同じじゃない。拳を見つめるだけで口にだせない。

「孫の罪をもみ消そうとしている」
「それが悪いことか? 罰するより更生させるのが大事だ」

 大人の屁理屈と分かっている。なのに姑息な俺は逃げ場を求めだしている。俺は強いはずなのに。
 十八時を過ぎて街が暗くなりだした。

「先生(父がそう呼んでいた)の言うとおりにしたら、僕は捕まらないのですか?」
「哲人君は何もしなくても捕まらない。そしたら暴力を繰りかえすか?」
「わからないです」
「素直だな。すまないが疲れてきた。終わりにしよう」

 座っていただけのこの人は立ち上がる。俺を置いて公園から出ようとする。

「明日も学校に行っていいのですか?」
「哲人君が決めな」
「……僕のことは終わり。簡単な仕事が終わり」
「私は楽な仕事をしない」
 この人は背を向けたままで言う。「暴力が一番簡単な解決策だ。それを阻止するために私達がいる」

 野球部の同級達がチャリで現れる。俺に気づき手を振り、大人がいることに気づき去っていく。

「先生は自分の子ども……孫を殺されたとして、犯人にも同じ言葉を言えるのですか?」
「繰り返されてきた問答だよ。私はどんなに犯人を憎もうが法に添う。逆に君は、大切な人を傷つけた者も、いままでと同じで済ませるのか? 意識を失うまで殴り続けるだけで」

 質問を返されて俺は公園に取り残される。しばらくして走りだす。年老いた弁護士を追いかける。

「そいつを殴る。でも仮に弟が殺されたとしても、僕はそいつを殺さない。そいつと同じになるから」
 いまの俺の行く末だから。

「禁止の公園でスケートボードをする若者はどうする?」
 横に並んだ俺に聞いてくる。

「注意すると喧嘩になるから見逃す。それでいいのですか?」
「それができないから君は暴力を繰りかえした」
「正直に言います。僕は強い自分が好きだった。だから喧嘩した」
「やはり暴力が好きだった」

 この人は立ちどまり腰を叩く。その仕草は嫌いだ。お婆ちゃんを思いだす。

 哲人はやさしくていい子だね。

「病院に行ったほうがいいです。内科医にです」
「半年前に診てもらった。もう少しだけ弱者に寄り添える」
 表情を変えずに俺を見る。「若い人に聞きたいことがあった。弁護士と医師。どっちを尊敬する?」

 お医者さんと答えたい自分がいる。

「弁護士です」つまり俺もずるい人間だ。弱い人間だ。

「ありがとう。(やまい)の件は、お爺さんに黙ってくれ。隠していた私の責任だから私から伝える」

 俺はまた道で一人だけになる。

「悪い奴はゆるしません。でも頑張って見ぬふりをします」
 路上に停めてある車に乗る人へ、届かぬ声でつぶやく。
「でも弱い者いじめはゆるせない。そいつらが、どんなに強い者だろうと注意します。やめないならば殴ります。それは正義ですよね?」

 俺より強い人が乗った車に一礼する。答えは自分で見つけるしかない。


 *****


 弁護士になりたいと、いつ思ったか覚えていない。でも、あの人の影響だろうな。祖父と参列した告別式で誓ったのは覚えている。
 暴力沙汰は急激に減ったし、あおっておいて逃げたこともある。二十歳前後五人相手にボコられて拉致寸前で逃げたこともある。そして高校入学とともにきれいサッパリ卒業して、真面目な好青年。
 年を取るにつれ丸くなったと言えば聞こえはいいが、ずるがしこく立ちまわっただけだ。でも見えないふりはしない。それが何人も入院させた俺への罰だから。

 恥ずかしかった若い俺。いまだってデニーより若いけど……。パジャマ姿のドロシーを必要以上に強く抱きやがって。だけど俺は彼に喧嘩を売らない。俺より強いのが確定しているのだから、気づかなかった振りを姑息にするだけだ。
 露泥無がリンチされたのを傍観したのは、奴が悪いからだ。でも露泥無が弱いからでいじめられたならば、俺はデニーに立ちはだかった。と思う。

 九郎や琥珀はいじめていたな。俺が言葉で咎めればやめてくれた理想形。でも俺達の命を狙う本気モードが相手だったら、強かろうが弱かろうが倒すしかない。現実世界では、それを律するために法がある。それだって決してやさしくないのなら、弱者の手を握る強い人になれ。

 なのに、こっちの世界は暴力がすべて。昔の俺が幅を利かす世界。貪がいる。峻計もいる。藤川匠がいる。さだめなんて言葉に囚われる人達がいる。
 そんな言葉から逃げだしたい人がいるのならば手助けする。そのために強い俺が現れたなんて自惚れない。ただ悲惨な目に遭わされただけ。今はまだあがくだけ。

 でもいつか弱者に寄り添おう。彼女と一緒に……。こんな世界を知って、まともに生きていけるのかな。でも大丈夫。ドロシーと一緒なら。弱い二人が力を合わせて、人だらけの世界を歩む。



 ドロシーの父親のシャツは着るなり重くなった。でも秋春のコートより軽い。護りの効果は期待しないでおこう。
 居間に戻ると大蔵司だけがいた。巫女装束のままでウィッグをかぶっていた。

「ドロシーは?」
「ハラペコがやられているかもと言ったら、急いで屋上へ向かった。あの子に逆らえる人なんて、もはや桜井だけなのにね」

 お前もいるだろ。でも九十九は取られたままか。
 常識で考えれば、力づくで奪いかえすべきものだ。俺はどうしてもドロシーの味方だから、彼女の悪行を見て見ぬふりしてしまうけど。
 ……内宮で戦ったとき、大蔵司は私に不要と言った。影添大社の所有物なのに、強い魔道具がドロシーのもとに集まる。

「夏奈は?」
「屋上へ向かったみたい」
「なんで?」
「さあ? 松本のが利口だからわかるだろ」
「……大蔵司はここに残るんだよね?」

 波長が合わないのであまり会話したくないけど最終確認しておく。そしたら俺も屋上へ行こう。たぶん俺が最後だ。

「悩んでいる。だって折坂さんがいなくなったから」
「俺(とドロシー)が冥界に向かうよ。もちろん九尾狐の珠を取り返して、峻計と貪を倒してからだけど、折坂さんはそれを望んでいた。傷ついているのに冥界に残ろうがだ。
それは夏奈が龍にならないためにでもある。人々を邪悪な異形から守るためはもちろん、そのためにも俺達は今から戦う。折坂さんを救うのはもう少しだけ我慢してほしい」

 二人きりだと緊張させる人だからぺらぺら喋る。説明を端折れば揚げ足をとられそうな関係に、知らぬ間になっていた。

「口がよくまわること。……折坂さんはもう死んでいるかもね。だったら呼べるわけない」
 大蔵司がかすかに笑う。
「正直言うと、それを望む私がいる。だってあの異形は怖い。あの獣人がいたら、ここの闇を知る私は逃げだせない」

 俺は違和を――恐怖を感じる。はやく逃げろとお天狗さんは言ってくれない。黒髪の大蔵司に抑えられている。

「さっきの騒動ひどかった。女同士のみっともない喧嘩。すべて松本の責任だ」
 その手に大ぶりな杖が現れる。
「罰として貴様を異形にする。成敗するためにな」

 即座に悟る。もっとも忌むべき杖は大蔵司を選んだ。
 ドロシーがいない。思玲もいない。お天狗さんは発動してくれない。

「やめろ!」逃げても無駄だ。ならば押し倒せ。

「無理だよ」
 大蔵司が笑う。俺へ陰辜諸の杖の先を向ける。「こいつに忌むべき姿を授けよ」

 それだけで俺の体が小さくなっていく。……座敷わらしになれ。勝てないまでも逃げられ――








 えーと。

 僕は誰だっけ。ここは人の住まいかな。畳って奴だ。

「マジかよ。ミドリガメかよ。ちっこい亀の頭。お前にお似合いだ」

 空から心に届く声が聞こえた。見上げると巨人がいた。……ちがう、人間の女だ。僕が小さいだけだ。

「握り潰すか、ライターであぶるか……」

 僕は指でつままれて、顔のまえに持っていかれる。……祓いの者だ。すごく怖い。消される。僕は手足と頭を引っ込める。尻尾も甲羅に丸める。

「いつもの偉そうな態度はどうしたんだよ。……自分を忘れたか? 私が異形に変えたのだから、私は覚えているのにな」

 真上に投げられて、また手のひらでキャッチされる。あざ笑いが聞こえる。

「ふっ。お前は松本哲人。混乱の元。お前がいなくなれば世界は本来に戻る」

 僕を握ったまま歩きだす。

「ゆるしてください。式神でもなんでもなります」
「いまの松本は弱すぎて逆に殺せない。なので封印して水牢に落とす」

 背中からテーブルに転がされる。……僕は松本? 松本哲人? 人間だった?
 また持ち上げられて何かの上に甲羅から降ろされる。

「それは雑費が入った財布。執務室長同様に金にうるさいお前にお似合いだ。小銭は残しておいてやる」
「お金なんかいらない。ゆるしてよ!」

 僕は手足をだしてばたつく。首を伸びしてひっくり返ろうとして、指で弾かれる。頭を引っ込めてしまう。
 お金なんかいらない。異形だからじゃない。もっと大事なことのために、僕は……えーと、戦っていた。

 人間の手に魔道具が現れちゃった。急いで思いださなきゃ。思いだそう。えーとえーと、すごく笑顔が素敵な女の子。その子のためだ。

「桜井夏奈だ」
「……しつこい奴だな。記憶なんか戻すな。苦しむだけだ」

 人間が両手に魔道具を持つ。これは神楽鈴だ。こいつは陰陽士だ。僕達の心に伝承される、最凶最悪の祓いの者だ。
 だったらあきらめよう。思いだすのはやめて、封印されて過ごそう。

 やっぱり思いださなきゃ。もっと大事な人。守りたい人。ともに守りあいたい人。僕だけ逃げだしちゃいけない。

「行くよ」陰陽士が意識を集中しだした。

 はやく思いだせ。そうすれば助けに来てくれる。弱い人。弱い僕……弱い俺を好きな人。巡り逢えた二人!

「ドロ」
「そいつを口にするな」

 俺は顔を爪ではじかれる。脳震とう。
 大蔵司が構えなおし唱えだす。

「御霊なきものに心を差し込めよ。体なきものに肉を差し入れよ。さすれば我に従え。闇照らすことなく影に添え。我とともに陰と化せ!」

 ミドリガメになってしまった俺の体が吸いこまれ、溶けて、意識だけが残る。身動きできない。

「ふっ、亀甲柄の緑色財布。ご利益ありそう」




次章「4.8-tune」
次回「あなたは財布なんかじゃない」
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