七十三の四 フロレ・エスタス

文字数 4,538文字

『私を殺して』
『あん? 我が主の呪いのため死ねない体が辛くなってきたか』
『最初から辛い』
『だったら死を望めばいいだろ。それで呪いは解けて、サタン様はお亡くなりだ。骸は磔刑(はりつけ)のまま朽ちるまで野ざらし。ははは』
『それでいい。だけど自分から死にたくない。償うために殺されなかったのだから』
『……ふうん。そんなら我慢しな。あたいは昼寝するから起こすなよ。ふわあ、見張りは暇暇暇。貴様のせいだからな』
『ごめんなさい。だから私を殺して』



 懐かしき体。荒ぶる魂。これぞあたいだ。あたいは桜井夏奈じゃない。
 とは言ってもあたいは弱い。完全でないのだから仕方ない。儀式をやり直しても、あの光は哲人に向かったから。
 もちろん回収などしない。あれは二人をつなげる大事な光。なによりあれは……。

 まずはあたいが呼んだ雷雲を消し去ろう。
 よっしゃ。満月がカムバック。どうせ狐ちゃんは新月系だろ。これでイーブンに近づいたかも。もっともっと、あたいを照らしてくれよ。最強ドラゴンをな。
 怒りに任せて若い龍を殺しちゃったな。せっかく生かしてあげたのに。……ドロテアに殺させないために。あの子をサマー・ボラー・ブルートに戻させないために。

 ドクンドクンと、まだ肝がうごめいている。気色悪いな。狐が来たら食べるだろうな。そしたらあたいなんかじゃ勝てないな。ドロテアとゼ・カン・ユ様、さらには哲人が組まうとも。
 だったらあたいが食うか。まずそうだけど。

パクッ

 おお、すげー。力が湧いてくる。浮かぶ女子高生が唖然と見ていやがる。心配するなって。……ご到着か。

「忍ちゃんも覗き見やめて虎の下に避難しろ。美しきフロレ・エスタス様の戦いは神話の中だけだ、ははは」
 それでもこいつは眺めるだろうな。長生きできないタイプ。
「さもないと食うぞ。脅しじゃない」

 忍がひきつった顔でうなずき消えた。利口に生まれてよかったな。
 うわっ、突風だ。あたいでさえ吹き飛びそう、冗談だけど、はは……いきなり凪ぐし。

「おやおや、龍のお出迎えとはね」

 銀色の狐が姿を現した。あたいよりずっとチビだが、和戸君よりはでかい。冗談だしというか誰もいねーし。いまの世のジャンボジェットぐらいかな。でも浮かんでいて墜落しねえ。羽根がないのに生意気。ドロテアと東洋の龍以外が空に浮かぶなよ。
 松本哲人も今後は禁止だ。……一番がんばった飛び蛇は認めてやるか。なので今後はご主人に色目を使うなよ。あたいだってしたことねえ。
 おっと尻尾がひろがったぞ。一、二、三、四……マジで九本ある。笑える、ははははは。

「なにを笑っている? お前は今から死ぬのだよ……龍が龍を食ったか」
「たったいま肝をいただいた。宝物を守るためにね」



『私を殺して』
『しつこい。死を望めば終われる』
『だから自分では死ねない。生きて禊ぎをするためだ。でも辛すぎる』
『……仕方ないな。霊になってさ迷わぬように喰ってやる。我が主に黙っていろよ。って死んだら無理か』
『へへ、やっぱり赤い龍はやさしかった』
『あたいがやさしい?』
『うん。戦っていても感じた。これでようやく飛べるね。ずっと私の見張りが続いたら、きれいな羽根が腐っちゃうよ、へへ』
『……やっぱり喰うのやめた。もうちょい頑張れ』



 あたいは誰にも従わぬ野蛮な龍。だけど宝を護る厄介な龍。なのに鱗は気品ある紅。ドロテアのナイスアドバイス。
 自分で記憶に鍵かけたのかな? でも、ようやく会えて、ようやく気づけた。あたいの何よりもの宝物。それを守るために、桜井夏奈の体を借りて生まれ変わった。
 では大きく息を吸いこんで……、あの子の今の掛け声で、

「噠!!!!!」

「げっ」

 あたいの熱い吐息に子狐ちゃんが包まれた。これくらいで死んでくれたら嬉しいな。

「尻尾が二本溶けたぞ」

 七尾の銀狐が怒ってる。ではもう一回息を吸って……ブオオオー!!!

「真下へどうぞ」

 あたいのブレスが、ドロテアの飼い猫の尻尾みたいにくいっと曲がった。そこにいるのは……。

「ぐわああ」

 エロ虎オヤジの背中に直撃しやがった。そいつはどうでもいいけど、その下にいるのはな。

「狐ババア!」尻尾を全部ちぎってやる。

「真下へ飛びこめ」

 な、なんだ? あたいの巨体ナイスボディが勝手にエロオヤジへ向かっちまう……。

「おりゃ!」ギリで顔を背けて噛みつかずに済んだ。

「ぐはっ、おのれ……」

 だけど尻尾が当たってしまった。エロオヤジ悶絶するなよ。お前の下で寝てるだろ。起こさないであげろよ。



『起こせよ。昼寝がバレて我が主に怒られただろ』
『ごめんなさい。でも龍の爪先で鳥達も眠っていた』
『それがどうした?』
『そこだと小鳥も猫を怖がらずにいられる。だからもう少し寝かせてあげたかった』
『人をたっぷり殺した奴が吐けるセリフか? ……悪かった。うつむくなよ。取りかえすため責め苦に耐えているのだものな。あたいが一番知っている。あたいだけが知っている』
『人の敵である私を殺して』
『やだね。そしたらあたいはお役御免で空へ向かう。鳥の寝床がなくなっちまう』
『……私はやり直したい』
『必ずできる。だから頑張れ。そのときは、あたいも手伝ってやる』



「七色光線」

 げっ、狐の尻尾それぞれから銀色ビームが飛んできた。七色でねーし、九本あったら九色光線かよ。
 どれくらい強いか、試しに当たってみるか。自慢の鱗で。

ジュウッ

「いてててて!」

 えぐいじゃねーかよ。鱗がただれたかも。でもドロテアの手刀のが怖くて強かった。あの子が剣と剣を交差させる瞬間こそが恐怖で絶望だった。
 だけど性根はやさしい子だった。

「狐め、もう手加減しねえからな」
 とりあえず嵐を呼ぶか。雪で凍えさせるか……雪。思玲さん。死んじゃったのか。



『おいおい、死にそうじゃねえか。死を選んだのかよ。あと五日だろ。なんでだよ』
『……へへ、やっぱり私は弱かった』
『よせよ。死を撤回しろ。あたいはサタンが気に入ってきたんだよ』
『それで呼ばないで。魔女もサマー・ボラー・ブルートもいやだ』
『呼ばなきゃ生きてくれるか? それならあたいの肝の血をやる。復活できる』
『龍も死んじゃうよ』
『フロレ・エスタスと呼べ。あたいぐらいになれば自分の胸を刺すぐらいじゃ倒れねえ。爪先にちょっと赤い血をつけたぐらいじゃな。ちょいちょいっと、ほら飲め』
『きれいな紅色。痛くないの?』
『お前の螺旋のがずっと痛い』
『私はひどいことをいっぱいした。……まだ生きていいの?』
『もちろん。あたいがずっと監視してやる、ははは』
『……ありがとうフロレ・エスタス』
『どういたしましてドロテア』
『ずっと罪を背負って生きられる、へへ』



 貪の肝を食わせるなと、ゼ・カン・ユ様に叱られた。たしかにその通りだ。あたいの血を舐めただけで、あんなに強くなっちゃうものな。ははは……。
 あたいは哲人こそを信じた。なのでドロテアにあたいの肝の血を与えなかった。また繰り返しになってしまう。
 いかん、いかん。物思いにふけって、狐をこらしめるのを忘れていた。

 今夜は誰も殺さない。

 本当の悪以外は。

 ちゃんと補足するドロテアこそ賢いよ。たしかに赦せない悪は存在する。噂は西にも届いたぜ。それはエロ虎オヤジでなく、こいつだ。裁くのはあたい。

ブオオオオオ!!!

 なので波動をぶちかます。狐が粉々になり……もとに戻る。尻尾も一二三四五……六七……八……動くなよ……九。よっしゃ数えきった……。うまくねえな。
 松本哲人に何とかのひとつ覚えみたいな顔されようと。

ブオオオオオ!!!!!

「ケケケ、生まれ変わった娘龍よ、それが本気かい? 私はお遊びを続けたいのだけどね」
 狐ババアが笑いやがる。「妹を差しだせ。私の手で殺す」

どくん

「……妹を? あたいの妹をだと?」
 ならば赦さない。

 地鳴りがした。何もない空から火山弾が降り注ぐ。富士山が噴火しそう。特大隕石も呼んでやろうか。

「なにを勘違いしている。私の妹のことだ。お前の主が封じた珠を持っている」
 燃えたぎる岩石を浴びながら、狐が弁解する。ちょっと余裕が失せたかな。

「まぎらわしい。それに我が主が……」
 あたいはたっぷり勘違いしていたかも。
 我が主なんてもういない。この空を飛ぶために生まれ変わったのだろ。自分の意志で。あの子と一緒に。
「珠を解放するなど、たくみ君がするはずない。なので失せろ」

 ゼ・カン・ユ様でなくたくみ君。じじいはもういない。それだけははっきりさせろ。なので、黒髪のあの子は金髪のドロテアでなく……



『私は司祭長のお屋敷の侍女になれる。みんなお母さんのおかげだ』
『母親?』
『私の目の前にいる。へへ』
『あたいのこと? ……やめろよ、本当のお母ちゃんに失礼だ』
『その人は私を産んだときに死んだから見たことない。弟達の母親も死んじゃった。……弟達は大好きだった』
『うつむくなって。一緒に空飛ぶか?』
『いいの? ゼ・カン・ユ様に叱られない?』
『それには慣れている、ははは』
『へへ、だったら夜になったらね』
『真っ暗だぞ。でもたまにある灯火が宝石みたいだ。ドロテアも当然知っているか』
『人の世界はどんどん進歩していくと司祭長が教えてくれた。いまに夜も明るくなるって』
『それこそ宝石箱みたいだな』
『フロレ・エスタスの宝物だ。それまで生きて、空から眺めてね』
『あたいのお宝はそんなちんけじゃねえよ』



「ケケケ、雲まで去ったぞ」
 また月に照らされた狐が笑う。
「最後に残った最強の龍。荒れることより死を選んだか」

「へ? い、いてててて」

 空中でうねうねしてしまった。あたいの体半分が透けている。いつのまに……。

「心に惑いがあるうちに終わらせてやる」

 狐ババアが巨大化した。実の力を隠しやがっていたのか……。
 瞬間移動で喉に噛みつかれた。こりゃあたいの負けだ。若い龍まで喰ったのに、ざまねー、ははは……。



『マーマ』
『あん?』
『ママの血のせいで私は不死身扱いになっちゃったよ。ほんとは何度も死んでいたのにね、ママ』
『堪忍してくれよ。せめて姉にしてくれ』
『わかった。フロレ・エスタスお姉ちゃん大好き』



 せっかくようやくリセット出直せたのに、あたいが死んだら妹ちゃんが悲しむ。

「夏奈!」

 声が聞こえた。……そうだよ。あたいが死んだら桜井夏奈まで死ぬだろ。月の光を浴びて踏んばれよ、あたい!

「ケケケ、珠の主が来てくれた。こざかしくて裏切ってばかりの妹を、ようやく殺せる」

 たくみ君が白虎の下から這いでていた。なおも月神の剣が輝いている。

「何千年も根に持つなよ。仲直りしてやれよ、ははは」

 狐ババアに笑ってやる。あたいとたくみ君が組めば、勝てるものはいない……。もう一人でてきた。さすがドロテア違ったドロシーちゃん……なんだ哲人か。

「夏奈! 藤川の傷は癒えない! だから俺と一緒に戦おう!」
「龍に戻ってまでたぶらかされるな! まずは僕と眼前の敵を成敗しよう」

 あたいは半死だろ。気づけよ、まったく、どちらも情けないオス。もっとやさしくなれよ……。どっちにしろ、メスの最後の奪い合いだな。

 我が弟よ、メスでなくレディでしたね、ははは。
 違った、おほほ。
 うふふ、かな。




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