女魔道士の挺身

文字数 5,912文字

 **王思玲**

「お前こそ喰いたい」

 大和獣人の本能丸出しの声がした。その姿も本能丸出し。

「思玲様」
 押し倒された雅が叫ぶ。「躊躇不要!」

 この雌狼は、折坂と一緒に螺旋をぶつけてほしいようだ。あいにくだが、もう打ち止めにしたい。

ザワザワザワザワザワ……エモノダ……イヒヒ……

 木霊だけが喜んでいる。ここにいる全員で傷つけあい、全員が木霊の餌食になる。
 でも折坂は生き延びる。服も裂けて毛むくじゃらの体を見せるこいつは不死身だ。螺旋も意味ない。
 だが剣なら奴の首を断ち切れる。
 それよりなにより。

「峻計くたばれ」
 驚蟄扇を螺旋の光が去った更地へ向ける。
耀光舞(ヤオグァンウー)!」

 光の虫達が獲物へ飛んでいく。

「それは、もう、やめろ……」

 峻計が全身をついばまれながら跳躍する。術に喰われるなど辛いだろうな。私だって扇を仰ぐのさえキツい。脈どころか呼吸までおかしくなってきた。喉はカラカラ。京に買ってもらった肩掛けバッグも知らぬ間に落とした。
 しかし外傷は少ない。ならばまだまだ輝かせ。扇を手に隠し、両手に持って頭上に、春南剣を掲げてみせろ。

「雅からどけ」

 その光を浴び、雅にのしかかる獣人が私に眼差しを向ける。

「王思玲……木霊の餌。私は横取りしない。土にならない。お前の薫りだけでいい」

 月に狂わされているのに、私より冷静でないか。
 私同様に破邪の光が弱っている。雅が犯されながら食われてしまう。見たくないなら獣人相手に肉弾戦だ。殺す気で向かえ。さもないと殺されて木霊に差しだされる。

 戦場で私情を捨てろ。それが私の正義。忌々しき戦いを重ねて叩きこまれた正義。
 一番に懐かれていた子を屠った祭凱志を見習え!

 輝け、春南剣!

「ぐおお」その光を浴びて、折坂が尻もちついた。

「おのれを恨め!」
 怯えた異形の首を刎ねろ。私は手に突進する。足がよろめく。
「くそったれ」

 ぼこぼこした地面に転がる。体がついていけない。

グサッ
グサッ
グサッ

 私が颯爽と駆け抜けるはずだった先に、槍みたいな黒い光が幾つも突き刺さる。
 地面から忌むべきものへと振り向いてしまう。ただれた裸身をさらす峻計が立っていた。光に穢されながらなおも立つ、その姿はまさに魔物。その憎悪の面こそ魔物のもの。その左手には陰辜諸の杖。右手には……。
 峻計が楊聡民の杖を掲げる。

「すべてが死に絶えろ」
 そしておろす。

 たかる光を払い落とし、あいつの全身から黒い光が飛びでる。
 私は手に驚蟄扇――間にあわない。ならば春南剣!

「ぬおおお!」
 立ちあがり剣にすがる。
「ぐわっ」

 剣ごと飛ばされる。樹木にあたり、顔面から岩に落ちる。……眼鏡がふたつに割れたが、かけてあった護りのおかげで鼻血だけで済んだ。

オイシイカナ、オイシイカナ

 腐葉土が垂れた血を舐めに集まる。

「我が主!」雅がきてくれた。「弱り果てた光。なのに強き人の具現。折坂は樹上へ逃げました」

 美しき毛並みを黒い血で汚した蒼き狼。私の鼻をひと舐めし、あいつから私の盾となる。

 指を鳴らす音。峻計も姿を消す。気配は垂れ流し。

「月の光を浴びるつもりかもしれません。多少は復活するでしょうが、それでも剣で貫けば終わり」
「折坂は?」
「殺さずに終わるなら、松本とドロシーに任せるべき」

 折坂を殺さない。甘ったるい正義。それでも正義か。どこにいようと私だけ異端。

血ダ、血ダ、栄養ダ
日ノ光ヨリモ栄養ダ

 腐葉土に体が埋まりかけていた。

「町に向かわせぬ。ふん!」
 気迫とともに光を輝かす。再び立ちあがる。心だけはよろめかない。
「折坂はお前に惚れていたようだ。明日になったらデートしてやれ」

 なので折坂を殺さずにいてやろう。
 殺されずにいられるだろうか。あの魔物女も今夜はやけにしつこい。
 京は生きているかな。我が結界を使いこなせたかな。帰国前に浅草を案内してもらおう。昼から飲んで、愚痴を聞いてやるからおごらせる。

「あの獣人は私の好みでありません」
 雅が隣でしゃがむ。「お乗りください。峻計を追撃しましょう」

「川田はどうだ?」
 その背に転がりこむ。

「なおさら遠慮します」
 雅が四肢をあげる。

 跳躍すれば、空には満月。乱雑に描かれた紅色のライン。

「あの魄は引きこもらないのか?」
「ドロシーの印が冥界へ逃さないのでしょう。つまり奴は終わりです」

 雅が樹上を跳ねる。地上で折坂が追ってくるのを感じる。私と雅、美女二人だけ狙え。

「マーキングだけで抑え込む? 聞いたことないぞ」
「先ほどを見たかぎり、あの娘の術は満月に照らされるほど強まるようです。けだものと呼ばれる私どもを凌駕する」

 空中のペイントが一点を追っている。そこに峻計がいる。じきに追いつく。

「ドロシーは人だ」
「ええ。だが桜井夏奈よりさきに、おのれの資質に飲みこまれるかもしれません」

 資質?

「あいつの朱雀は上の下だ。そこまでの代物でない。ちなみに私の白虎は並だ」

「太古に四方の極の和を整える存在がいたそうです。その雌とは、粗暴な白虎をあやすもの。奔放な朱雀を戒めるもの。怠惰な玄武を目覚めさせるもの。そして傲慢な青龍と対峙できるもの。
その雄とは、臆病な雌に力を添えるもの」

「物知りだな。異形にさせておくのが惜しい。やっぱり珊瑚をはずせ」
「ふふ。過去の主に教えられただけです。物静かなその方は、いつも書を読んでいました」

 雅はその傍らで寝そべっていたのかな……。
 学なき私だって過去の文献で知っている。それはずばり鳳凰だ。不死鳥のはずなのにはるか昔に消えたスーパーレジェンドバードだ。
 さすがにドロシーにそんな尊い資質があるはずない。あの娘なら白虎を殴り、朱雀に戒められ、玄武と一緒に午睡しそうだ。……だけど青龍を倒せる存在。
 しかし体力が限界を大幅に超えている。雅にまたがるだけでも辛い。私こそ月の光で復活したい。それかずっと寝続けたい。心だけでしがみ続ける。

「奴らは合流しました。私達を迎え撃つつもりです」

 ペイントが樹海の上で静止した。その向こうにはでっかい富士山。雪をかぶったのを見たい。

「魄は後回し。狙うは峻計の首のみ。雅はあいつらを襲うなよ。姑婆芋(クワズイモ)より食えぬ」
(いな)。さきほどの話を少しだけ続けさせてください。ドロシーの資質が突発的にあふれたなら、世界を水平に保てるのは海に浮かぶ月――ちっ」

 折坂が目前で跳躍してきやがった。その手には日本刀。えっ?
 側面から灰色の光が飛んできた。おのれを忘れた狂乱の獣人のくせに、そんな芸当ができたのか。

「きゃあ」

 雅がかわいい悲鳴をあげた。わき腹に直撃したぞ。

「耐えろ!」
「ぎ、御意」

 言葉と裏腹に樹海へ落下していく。木霊が待ちかまえている。

ザワザワザワザワザワ
来タヨ、来タネ、弱リダシテル
ザワザワザワ

「跳ねろ!」
「御意!」

 蒼き狼が太い枝に足をかける。それを折りながら跳躍する。

ザワワザワワザワワ

 樹海を照らす月。再び現れる折坂。紅色を垂れ流しながら飛んでくる魄。
 やけに明るい満月。遠目にも分かる。樹上の峻計が杖を掲げる。そして下ろす。

「我、ここで朽ちようと」
 思玲は歯を食いしばり、狼の上で扇を振るう。
「残る者のため、あと少しだけ力を授けたまえ!」

「ぐわっ」

 飛びかかる折坂を結界が弾きかえす。しかもこいつは峻計の黒い光にサンドイッチとなり、樹海へ落ちる。私の結界は峻計の光に……も耐えた! だけど紅色ラインが結界を迂回する。
 気迫! 掛け声!

「我が想い!」

 爪を向ける悪霊のごとき幼女を驚蟄扇で叩く。

「へへ」

 素早いじゃないか。避けたうえに私の背後へ――

「きゃっ」
 かわいい悲鳴をあげてしまった。魄に首を噛まれた。血を吸われる。
「雅、どうにかしろ」

 私の血で魄が強まる。哲人の敵になる。哲人が誰も守れなくなる。私が俊宏を守れなかったように。

「我が身に代えて」

 蒼き狼が体を震わす。背中の私を払い落とす。私は魄とともに冥き樹海へ沈む。満月。はやくしないと峻計が復活する。

「ぎゃああ」
 幼女の姿をした魄がおぞましい悲鳴をあげた。雅に脇腹を深く噛まれ、私から引きはがされる。
「峻計助けて! 私がいないと、黄品雨を乗せるものがなくなるよ!」

 私は木の枝に片手でぶら下がる。私はその名を心に刻んでいる。藤川匠のもとへ笑みを浮かべて向かった、大鴉に化せられていた魂。
 降りそそぐ黒い雨。それは虫のように私へ貼りつく。……あいつは術を掠める。

「盗っ人鴉め!」
 片手で春南剣を輝かせる。黒い光を消し去る。

「しつこい穴熊め」あいつの声。

 脳天に衝撃。踵落としを喰らった。

「くそ……」

 あいつに続いて、私も地面に落ちる。

「思玲様!」
 雅が、魂ある魄をくわえたままで駆けてくる。
「私は口内を裂かれている。あなた様が、とどめを」

ザワワワワワ、ザワワワワワ
ザワワワワワ、ザワワワワワ、ザワワワワワ
ザワワワワワ、ザワワワワワ、ザワワワワワ、ザワワワワワ、ザワワワワワ

 木霊がうっとうしい。剣を掲げる。さらに光は弱まっている。木霊はにじり寄る。

「峻計助けてよ!」
「まだ待て」

 あいつはすぐそこにいた。……あいつは服さえ回復していない。喰らわした傷が、その肌に重なりあっている。
 全裸のあいつは折坂と向き合っていた。ふたつの手それぞれに忌々しい杖。
 公平なる憎悪。
 あいつはそれを交差させる。 

「人と化せ!」

 陰辜諸の杖と楊聡民の杖による無色の螺旋。
 折坂は背を向けて、飲みこまれる。

「森の女主め」
 あいつは雅へと楊聡民の杖を掲げる。
「それは大事な器だ」

 雅は逃げない。私を置いて逃げようとしない。魄をくわえたまま。

「馬鹿狼! 避けろ!」
 私は立ちあがる。両手に春南剣と驚蟄扇。

「私の力のすべてを込める!」
 あいつが杖をおろす。

 雅は動かない。穴があいた胴体。その脚は腐葉土に埋もれていた。

「これは我が想い!」
 私も力を振りしぼる。ふたつの魔道具へ残滓を押しこむ。

 漆黒の五つの光が、あらゆる方角から雅を貫く。
 虹色の螺旋が峻計を飲みこむ。

「へへへ、全員死ぬのかな」
 無邪気な声が空へと向かう。

ザワザワワザワワワワ
ゴチソウ、ゴチソウ、タップリ、ゴチソウ
ザワザワワザワワザワワワ




「……雅」
 私は剣を杖とする。地面に伏さない。
 地面に刺さる刃先から破邪なる光がひろがる。木霊は私を遠巻きにする。
「雅耐えろ」

 美しかった狼は返事しない。横たわったまま溶けていく。

「駄目だ。いなくならないでくれ。私などを、あなたが初めて認めてくれた」
 私は雅の横に転がる。剣を地に突き刺す。か弱き力が木霊から防壁となる。
「なので死なないでくれ。主である私の命だ」

 溶けゆく死骸にかかった珊瑚の玉。それをはずし、口づけする。

「海の神よ、このものにもう一度命を授けたまえ」

 胸の傷口に玉を差しこむ。
 雅がうっすら目を開ける。体がもとへ戻っていく。
 安堵。だけど気を抜くな。

「思玲め……」
 溶けだした峻計はなおも立ちあがる。
「貴様を儀式に……」
 足の形状がなくなり、地面へ崩れ落ちる。

 それでも私達に杖を向ける。
 私よりダメージうけているのに私よりタフ。たいした執念の魔物だ。
 永劫の時間に閉ざされろ。

「木霊よ」
 私はつぶやく。「私をあいつに奪われるぞ。私を食えなくなるぞ」

ザワザワザワザワザワ
ザワザワザワザワザワ
ソレハ許セナイ
ザワザワザワザワザワ

「ひい」
 瀕死の峻計が、なおも土に引きずられる。地面に飲まれる。

ザワザワザワザワザワ

土ト化セ
永遠ニ朽チロ

「くわあああ……」

 断末魔の鴉の悲鳴。あいつが腐葉土に包まれていく。それでも、残された目に邪悪な笑みを浮かべ、私に向ける。

「ただの鴉になろうと私は生き返る。そしていつか貴様を儀式に用いる」
 まだ妄執してやがる。
「私は木霊の餌にはならない。あの人間のようにはな」

 あいつはおのれの首へ杖を突きさす。憎しみの笑みを垂らしながら消滅していく。

 魂など見送るものか。私はあの人間を見る。白シャツにスラックスのジャパニーズスタイル。増幅された陰辜諸の杖の力を浴びた、悲しむほどに忌むべき人間か。折坂は腐葉土に包まれていた。

ザワザワザワザワザワ
邪魔ガ消エル
ザワワワザワワワ
オイシイ餌ダケ残ル
ウフフフフ、ウフフフフ

「雅。生き返ってすぐに申し訳ない。折坂を京達のもとへ運んでくれ」

「御意」
 か弱い声でも返してくれた。「ただし思玲様のお力添えが必要です」

「わかっておる」
 私は剣に手を伸ばす。それに頼り、刃に手のひらを裂かれながら立ちあがる。

 よろよろと歩む。はやく寝たい。楽になりたい。師傅の布団にもぐりこみたい。俊宏が布団に潜りこんできてほしい。

ウフフアハハ
宴ダ、宴ダ

「木霊どもよ退け!」
 またしてもまたしても春南剣を掲げる。折坂だった人にまとう枯れ葉と腐葉土が去っていく。
「雅の背中に乗せられないし、どうせ落ちる。くわえて運べ」

「御意……」
 珊瑚の力だけで生きている雅の目線が、私の背後でとまる。

「異形になれ」幼い女の声がした。「あれ? 私だと使えないか。だったらこっちはどうかな」

 私は振り返る。峻計が消えた地へ紅色の筋が降りていた。魄がひとつの杖を手に隠し、もうひとつの杖を拾う。

「ひひ」
 そいつはその杖を掲げる。そして下ろす。

 朱色の光の矢が三つ。誰も避けられない。折坂は腹を、雅も腹を、私は胸を貫かれる。

「……雅、急げ。主の命令だ」
 私は胸に手を当てるだけ。

「……私が独り狼と呼ばれることは二度とありません」
 雅は去っていく。

 魄は追いかけない。私のもとへ浮かびながら近づく。
 私は逃げることもできない。すぐそこにある春南剣を遠く感じる。

「強い魔道士って大嫌い。だから死ぬまで血をすすってあげるね」
 笑いながら爪を私の首へ突き刺す。「みんな一緒に食べようか、ひひひひひ」

ザ、ザ、ザッ、ミンナオイデヨ。ザ、ザ、ザッ

 木霊の歓喜。私だって笑ってやれ。

「私の勝ちだな」ざまを見やがれ。

「混濁しだした?」

「黙れ。私の圧勝だ」
 だから私は魄にならない。地の底にひきずられない。

 地面へ大の字になる。私の勝ちだ。勝ち逃げだ。峻計も木霊も魄も、お前ら全員負けだ。
 首を噛みちぎられたのに痛みを感じない。ただ命が抜けるのを感じる。空に月は見えない。星も見えない。……雪を見たかったな。真っ白に積もる雪。
 でも、こんな私が、ようやく終われる。

ザワ、……コワイ
コワイ、コワイ、コワイ

コワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイ
ニゲヨ、ニゲヨ、ニゲヨニゲヨニゲヨニゲヨ

 はるか遠くが紅色だ。私なんかが死ぬだけだから怒るなよ。さようなら




次章「4.96-tune」
次回「座敷わらしと火伏せの護符」
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