七十五の一 龍に覇する者ども

文字数 6,524文字

4.99-tune


「あんなのにあんな大技つかうなよ。ドロテアの猫の尻尾みたいに曲がったし、あたいに当たりそうになった。ははは」
 フロレ・エスタスは能天気だった。
「なつかしかったが、あたいぐらい勘が強くないとやばかった。ははは」

 感情なき大きな瞳が俺でなくドロシーを見ている。愛おしく見つめていると感じるのは何故だろう。……強者への勘。それを持つ夏奈に、コザクラインコに、俺達は何度か助けられた。
 巨大すぎる怪物を黙ったままで見つめかえすドロシー。その手には何も現れていない。

「無事であるよう願いながら急いできた」
 俺は咄嗟に口がまわる。

「そ、そ、そうだ。ごごめんなさい」

 どもる暇あったら白銀をだせよ。……夏奈は思玲の蹴りを二度目は避けた。こいつにも避けられる。そしたら二人は終わり。
 だったら逃げる……夏奈が終わっちゃう。

「ふわふわのんびり急いでた、ははは……。その後を見させてもらった。最高だった。やっぱりドロテア違ったドロシーちゃんこそ女王様だ」

 俺を浮かばせてくれるドロシーの手が震えだした。

「このまま夜空で逢引するか? 戦いの直後だろうと二人にはその権利がある。あたいに乗りな」

 空で立ちすくんでしまう二人。泣きだしそうなドロシー。夏奈を見捨てられない俺。

「ドロシー、乗せてもらおう。きっと夜景がきれいだよ」
 飛べない俺は風船みたいな彼女を抱き寄せる。

「……わかった。フロレ・エスタスよろしく」
「二人の邪魔しねえから寛ぎな。いまの世のエロいキスしようが覗いたりしねえ……あれは思玲さんのジョークだったな。記憶がいきなり戻って混乱した。桜井ちゃんだったときの思い出は失せたが、哲人と玉に触れてからは覚えている。哲人の玉ではないからな、青い玉、ははは」
「へへ、卑猥だ……」

 俺達はふわふわと紅い龍の頭上に着地する。艶やかな鱗。ゆったりした飛行。フロレ・エスタスの頭は殲の全身よりでかいけど急傾斜。そこから四車線道路ぐらい太い首が、石油タンカーほどの胴へつながる。
 ドロシーが頭上てっぺんに行かないから、俺も巨木みたいなツノにしがみつく。陶器みたいにつややか……。

 いまここで白銀。

 俺はドロシーを見つめる。奇跡的意思疎通。それだけで伝わる。

 ダメだよと、彼女は首を横に振る。自分の胸を指さす。

 ……それだと即死。肝を回収できないのか。

 そう。だから。
 彼女は両方の人差し指を交差させる。
 螺旋で弱まらせてからでないと無理。……だけど。

 剣をだした瞬間に払い落とされる?

 彼女はうなずく。
 だから私に、ま、まかせて。

「あいかわらずフロレ・エスタスは、人の目にさらされるの気にしないね」
 まだドロシーは俺の手を握っている。震えている。

「夜はな。昼間はどこかで寝ているさ。あたいを見つけた奴は運が悪い。ドロシーちゃんに記憶を消されるからな、ははは……寒くないか?」

 人の目に見える忌むべき異形。それを気にしない巨大な異形。明るすぎる満月が、羽根を生やした西洋の龍をくっきり照らしている。

「寒くない」
「俺は凍えてきた。それにフロレ・エスタスは目立ちすぎる。どこかの山に降りよう」

 お前はゼ・カン・ユと同様に、今の世にいてはならない存在。

「ドロシーちゃん、どうする?」
「哲人さんは我慢するから平気だ。だ、だから私に任せてほしい。だからずっと飛んでいよう。フロレ・エスタスの好きに自由に飛んで」
「だったらドロシーちゃんの未来の旦那のおうちに行こう、ははは……鼻水垂らしてそうな哲人、どっちに向かえばいい?」
「うーん。下が見えないとわからない。端に行くと落ちそうで怖いし」
「ははは、戦場でないと情けない。……そんなで、たくみ君に勝てたものだ」

 俺は盗み聞きしていたよ。
 藤川は過去から来たお前と喋っていなかった。夏奈と楽しそうに会話していた。……藤川は甘かった。ゼ・カン・ユだと言い張ろうが、暗黒な時代の大魔導師ではなかった。
 奴をヘタレに導いたのは、人である夏奈のあの笑顔。いまの世には彼女さえいればいい。

 冷酷な俺は声にせずとも言わせてもらう。夏奈の代わりに終わってください。お願いします。

「やっぱり山へ行こう。海でもいい」
 人のいないところへ。そこで終わらせる。

「だから私に任せてよ! ……私達三人でサキトガと戦ったあの空へ行く。哲人さんの故郷を、私はゆっくり眺めたい」

 君だけに背負わさせたくないのだけど……信じるよ。ドロシーは俺よりはるかに強いのだから。

「分かったよ。俺は思い出に浸るだけ」

 幼い大ワシの風軍もいたな。俺はサキトガに痛めつけられて、ドロシーが乱入して、しかも龍を呼んでぐっちゃぐちゃの戦いにして、本人はサキトガに無抵抗で捕らえられた。決して共闘ではなかった。
 でもあのとき初めて、ドロシーから本当の癒しを授かった。

「サキトガか……。そんな奴忘れろよ。代わりにあたいが覚えておく。まだ生意気なだけだったあのときのドロシーちゃんも覚えておくさ。桜井ちゃんは忘れても、あたいだけはな。ははは、その空へ行こう」
 フロレ・エスタスが羽根を傾ける。

「さすがだ、へへへ」
 ドロシーが俺へと青ざめた顔を向ける。
「馬鹿ではない。(いぶか)せないで」
 ささやくように伝える。

 それでも彼女の声はでかい。響きわたらないだけ。

「あのでかい窪みのことだな、ははは」
 だけど龍は気づかない。「寒くなったらすぐに言えよ。もっと低く飛んでやる」

 俺達を乗せて、麗しき雌龍がやさしく羽ばたく。月は離れない。

「フロレ・エスタスは私と哲人さんに結婚してもらいたいの?」
 ドロシーがふいに聞く。

「あたいが見つけたオス――男が不満か?」
「ううん。強くてかっこいい。へへ」
「だろ? ははは」
「だけど結婚は考えてない。ごめんね」

どくん

「……まだ十八だものな。いまの世では子を作るに早いよな、ははは。哲人はどうだ?」

 ドロシーの握る手が強まる。俺から手を離せば飛んでいってしまうかのように。

「梓群はやさしくてかわいい。だけど弱いから、ずっと守りたい。なにがあっても離さない」
 握る手を、さらに強く握りかえす。

「……よろしくな」

 フロレ・エスタスのつぶやきだって大きい。
 眼下の景色は見えない。やけに明るい空と南に月が見えるだけ。ドロシーが俺の手を離す。

「やっぱり寒い。だけど低く飛ぶのはダメ。だから私は移動するね」
 ツノからも手を離し、龍の後頭部を駆けおりる。
「へへ、ここなら風が当たらない」
 その首もとでしゃがむ。

「声まで震えていたからな、ははは」
「俺も移るから旋回しないでね、おっとっと」

 俺はわざとよろめき、宙に浮かぶ紅い岩場に尻込みしたように、ドロシーのもとへ向かう。フロレ・エスタスの首の後ろへ――人の体で盆の窪と呼ばれる急所で合流しなおす。

「人の声でひそやかに話そう」
 彼女の耳もとに口を寄せる。
「俺はドロシーとずっといる」

 フラグじゃあるまいし、いま宣言すべきことでないだろ。

「もちろんだ」彼女はうなずいてくれた。「私はずっと哲人さんと一緒にいる」

 ならば国際結婚や入籍は後回し。まだ俺だって想像してない未来の到達点。
 本題に入ろう。一度唾を飲みこんでから聞く。

「手刀か?」
 まさに無防備の首にいる。誰もが近寄らなくなる禁じ手だろうと、見るのは俺だけ。

 彼女は首を横に振る。
「私は知っている。フロレ・エスタスだけは弱まらないと耐える」

「でも螺旋はやめるべきだ」
 異様に上下する胸をもう見たくない。

「あれで墜落させて地上でとどめを刺すのが最善。だけど真下は閑散としていても人の世界だ。犠牲者が現れるかも」

 それはちょっと違う。未来のために否定しておけ。

「どこが過疎だよ。立って見てみろよ。たくさん明かりが見える」
「過疎じゃない。閑散と言った」
「同じだよ。だから山に向かおうと言ったのに」
「こんなことで怒らないで」
「ちっとも怒ってない。ここはリニアの駅だって」

「さっそく喧嘩か? 仲いいな」

 フロレ・エスタスの声が届く。またドロシーがうつむく。

「もう仲直りした。俺はドロシーの言い分に従うだけ」

 俺がドロシーに感情を荒らげるはずないだろ。俺の大事な人に……。姉と慕う異形より、彼女が記憶から消えただろう桜井夏奈を選んだ人に。

「フロレ・エスタスは心配しないでね」
 ドロシーが忌むべき声で告げたあとに、また人の言葉に戻す。
「首から先を消し去っても、ここからなら時間の勝負。必ず間にあわせる。だから剣でなくこれを使う」
 右手を突きだす。なにも現れない。

「あ、あれ? おかしいな」
 やけに狼狽しだす。
「あれ? あれ? 現れないよ。こ、困ったな」

 震えだす。手も声も全身も。

「何があっても俺が守るから落ち着いて」
「む、無理だ。手刀にする」

 ドロシーが右手で鱗を叩く。へこみもしない。フロレ・エスタスは気づきもしない。

「あれ? あれ……、私は、つ、強いはずなのに……」
「冷静に。深呼吸しろ」

 龍を倒せる者は彼女しかいない。俺は叱咤しかできない。

「二人ともごそごそ静かだな。キスまでにしておけよ」
 雌龍は冷やかすだけ。「それより先は祝言をあげてから家の中でな、ははは」

「……話しかけないでよ、黙っていてよ」

「泣くな。勘ぐられる」
 辛いのは分かる。でも、ドライな俺は彼女を背中から抱きしめる。
「純度百で終わらせよう」

 彼女はうなずく。右手の震えを左手で懸命に押さえる。

「……み、右手の人差し指に意識を集中」

 唐突に感じてしまう。
 最後の審判の訪れのように、その手に紅色の拳銃がやってきた。

「へへ、ようやくでた。……さ、寒くなんかないのに」

 ドロシーが歯を鳴らしながら銃把を握る。その銃口が輝きだす。端整な顔が照らされる。すべてが白銀色に照らされる。紅色の龍も。

「……なんで私が持つと、こんなに光るの? ……いやだ。いやだ、いやだ!」
 拳銃を投げ落とす。

「ドロシー!」

 悲鳴みたいに叫ぶなよ俺。
 さすがに気づかれただろう。もうただの人の俺の手に独鈷杵は現れない。泣きわめきだした彼女を抱くしかできない。
 だとしても月よ俺を照らせ。命に代えても守る。

「ドロシーちゃんはドロテアではないのだろ? ずっと強いのだろ?」
 雌龍はおおきな羽根をゆったり羽ばたかせ続ける。
「その力を見せてくれよ。そしたらあたいも安心できる」

 振り向けば富士山が見えた。そのふもとで、終わりを求めて戦ってきたのだろ。馬鹿でかい龍の首根っこにいれば下界が見えるはずないけど、生まれ故郷に近づいただろう。
 俺はフロレ・エスタスの想いを、残酷なまでに受け継ぐ。

「梓群。またいつか二人で、電車か車で来よう。そのために」

 手を伸ばし拳銃を拾う。彼女の手に無理やり押し込めば、また輝きだす。
 白銀の光が当たるだけで、フロレ・エスタスの鱗から煙が立つ。俺の中のかすかな龍も怯えている。
 ドロシーは紅色にペイントした銃に涙を落とすだけ。魔道士でない俺に魔道具は扱えない。
 なのに彼女はうつむいて震えて泣くだけだ。

「やっぱりドロシーは弱い」
 俺が龍の意志を継ぐ。彼女を背中から抱えたまま、あごに手を当て顔を向けさせる。
「でも二人だと強い」

 真っ青な顔。涙だらけ。紅色の唇。それへと重ねる。
 離し、小刻みに震える銃口へと二人の吐息を吹きかける。
 黄金色の月は静かなまま。フロレ・エスタスも。
 赤い珊瑚が涙で濡れて光っている。

「……おさまった。もう大丈夫」
 彼女は銃を握りなおす。
「だけど肩を抱いていて」

 ドロシーが両手で拳銃を持ち、龍の頭へ向ける。俺は両手で彼女を抱える。まだ余韻のように震えているからしっかり抱く。フロレ・エスタスが羽ばたきをとめる。

「宝石箱みたいにきらきらして、きれいな大地だな。あとで二人で眺めろよ」
 (こうべ)を垂れる。
「あたいなんかいなかった。ゼ・カン・ユ様もジジイもドロテアも、みんな夢物語だ」

「わかった」
 ドロシーが引き金に指を置く。
「さようなら、フロレ・エスタス」

 乾いた銃声。全世界が白くなり、紅色のオーロラを漂わせる。海神の玉だけが濡れたように輝いている。フロレ・エスタスの頭が消えてなくなる。
 ドロシーが俺の手をどかし立ちあがる。銃をその手から消して振りかえり、龍の巨体を駆ける。
 俺も追いかける。立ち止まった彼女の隣に立つ。真紅の鱗が薄らいでいく。

「消え去る直前に取りだす」

 俺達を乗せた龍がかすんでいく。二人は消えゆく紅の真下の夜景を見おろす。
 ドロシーがまたしゃがむ。もう震えていない。

「……いまだ。噠!」
 右手を縦におろす。

 切り裂かれた向こうに、なおも脈動する肝が見えた。もはや赤くない。

「右の親指に意識を集中」
 その手に現れた賢者の石を左手に持ち替える。
「右手のひらに意識を集中」
 その手に七葉扇が現れる。
「おいで」

 桜の花びらほどに薄らいだそれは、萌黄色の扇に引っ張られる。俺達のもとへ引きずられる。
 また唇を舐める。

(ふぉん)!」

 掛け声とともに、フロレ・エスタスの肝が賢者の石に吸いこまれる。見届けるようにその巨体が消滅して、俺の体が故郷の盆地へ落下しだす。

「ドロシー!」
「しまった。噠!」

 乱暴に引っ張られて、彼女に衝突する。……間近で目が合う。そのままキスして抱きしめる。

「終わったね」

 罪の意識を目覚めさせぬよう、彼女の耳もとへ明るく言う。
 もちろんまだ終わってはない。夏奈に肝を食わせる。横根の記憶をしっかり消させる。川田は……。

「川田さんは大丈夫。

もとの川田さんに戻った」

 同じことを考えていてくれたドロシーが言うなら心配しない。彼女を抱きかかえながら、俺のことを心配しよう。彼女は筋力だけ人並みの女子だ。夜空と地上の境で、実質俺がドロシーにしがみついている。痛覚なきまま筋肉が限界を超えたら……この心配ともお別れだな。
 まさにこの空で経験済み。授けた癒しは口づけで消せる。地上に戻ればもう不要(ぷやう)だ。

「キョキョ」

 救急車に乗せられる夏奈と藤川の視覚が届いた。

「安心できたよ、ありがとう。そしたら川田達の状況を見てきて。問題が発生しないかぎり、ずっといてあげて」

 ニョロ子はちょっと戸惑った目をしたけど。

「つまり俺は邪魔ってことだね、カカカッ」
 ハシボソガラスを視覚で伝える。

「明日から俺の肩でたっぷり休みな。血はちょっとだけね」

 俺の式神がウインクして消えて、夜景と満月と俺とドロシーだけになる。

「ゆっくり降りようか」
(つい)
「フロレ・エスタスの魂は消滅せず、この空の上に向かったよ。ドロシーの力で」

 そうに決まっている。彼女は悲しみも憎しみも慈愛に変えて、それを力として敵を倒す。(よほどの悪でない限り)導かれるに決まっている。

「私にそんな力はない。台輔ちゃんを天に導いた哲人さんの真似をしただけ」
「え? 俺にそんな力あるはず……」

 林の上に駆けていく子犬を思いだす。

「哲人さんは怒りを力にする。だから怖かった。でもその怒りは慈悲だ。敗れたものを導く。だから悪しき存在は消滅する。そうでないものは最後に改悛する。……私はこの世から消されるから、だから怖かった」

 ドロシーは俺の胸にうずまったままだ。……密着するしかない俺の心へ絶叫レベルを飛ばすことなく、日本語を人の声で話しかけてくれる。他人への気配りをありがとう。

「俺はドロシーに何をされてもやり返さない。言い返すだけ」

 そもそも彼女こそ悪を赦す存在になった。倒されたものが心安まるほどに。……そもそも勝てるはずないし。

「ほんとに?」
「絶対に。術をぶつけられても、いつもみたいに我慢する」
「……よかった」

 我が強い二人だから、これからも口論ぐらいするだろう。それが発展しても、さすがにその手に剣を現さないだろう。……七葉扇で威嚇ぐらいやりそうだな。それだって受け入れてやる。

「ありがとう。全部ドロシーのおかげだ」

 ドロシーこそ英雄だ。十四時茶会も不夜会も影添大社も認めるに決まっている。

「もうひとつだけ、すべきことがある」
 ドロシーが俺から顔を離す。
「まだ悪しき異形が残っている。青い龍が」
 俺の目を見つめる。




次回「ラストダンスは俺に」
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